齋藤茂(経営者)の名言

齋藤茂(経営者)のプロフィール

齋藤茂、さいとう・しげる。日本の経営者。ゲームソフト開発会社「トーセ」会長CEO(最高経営責任者)。京都府出身。立命館大学理工学部電気工学科卒業後、父が経営する電子機器製造メーカー・東亜セイコーに入社。インベーダーゲーム筐体をつくっていた同社レジャーシステム部を独立させトーセを設立。

齋藤茂(経営者)の名言 一覧

上場で資金調達をする必要はありませんでした。ただ、ずっと何十年も利益が出ていると、社内が平和ボケしてしまう。空気を引き締めるには何がいいか。それで上場を選びました。

遊びが仕事で、仕事が遊び。だからこの仕事をやっていてよかったと思うし、幸せなんです。そして、幸せだからずっと続いてほしいなと思っていました。いまは、私が生きている間は続けていく自信はあります。それまで永遠に続く会社づくりを目指していこうと考えています。

うちはお客さんの開発チームに入っているから最新技術や情報が常に入ってくる。それを利用して技術力を高めたり、方向性の見定めをいち早く判断する。

京都の企業というのは、どちらかというと裏方が多い。会社を長く続けるためには裏方が一番いいやろ、と。それで、いまだにずっと裏方をやっています。

昔はもう無茶苦茶なハードワークでしたね。風呂に入るため家に帰って、また会社に来て、寝るのは車の中、ということをずっとやっていた。

京都人であることを自分でも意識しています。京都は長く安定して事業を続けることを大切にする土地です。そしてもともとBtoBの企業が多い。BtoCでいえば、世界的な企業は任天堂などを含めて数社のみ。ただ、素材、電子部品などをつくって、その分野では世界的にシェアを持っている企業はたくさんあります。

開発したゲームで社名を出さないことに対し、不満はまったくないです。お客さん、つまりゲーム会社は、訴訟、クレーム、すべてを引き受けてやっています。利益も大きく、半面、損をするときも大きく「ハイリスク・ハイリターン」です。一方、我々は「ローリスク・ミドルリターン」を狙う。

売れるゲームと売れないゲームの違いですか。それは難しい質問ですね。ただ、いえるのはクオリティは大切だということ。さらにもっと大切なのは納期。ゲームの元ネタである漫画、テレビ、映画が流行っているときにゲームを売らなければならない。それらが下火になったときに出しても全然売れない。クオリティがいくらよくても、またゲームとしての評価が高くても、商売としてはダメなんです。

スマートフォンのゲームはまったくつくり方が違います。私たちのやってきたのは、30時間、40時間楽しんでもらう奥深いゲームをつくること。そしてリリースする前、バグは徹底的に潰します。一方、スマホのゲームというのは、3分間ぐらいで遊ぶもの。そしてバグがあってもとりあえず出して、途中で直していく。毎日毎日、バージョンアップして更新していくんです。当初、スマホのゲームを運営するのにスタッフもサーバーの容量がどれぐらい必要なのかわからなかった。昔から一生懸命ゲームをつくってきたところほど、慣れるのに時間がかかった気がします。うちも3年目でようやくヒット作が出るようになりました。

トーセを立ち上げてから、しばらくは仕事が大変でした。しかし、設立から13年間、退社した人がいなかった。そして、平和になってくると退社する人間が出てきた。仕事が山積みで眠れないのもイヤですけど、社員が辞めるのはもっと精神的に堪えます。そのとき、「なんでうちみたいなアットホームな優良企業を辞めるんだろう」「アットホームだからダメなのか」と自問自答しました。気がついたのは、人間には目標ややり甲斐が必要だということ。それを演出するのに上場は手っ取り早い。そこで上場の趣旨の文書を書いて、京都のお店の2階に幹部を集めて、上場すると宣言しました。

自分たちの名前でゲームをつくろうと思ったことはないです。私たちの本拠地は京都。始めたとき、京都にあったメーカーは任天堂だけ、あとはすべて東京でした。東京へ足を運んで営業、京都に戻ってきて開発をしていました。当初、営業部は私一人でしたから、すべてやっていました。そうしてやっているうちに、お客さんがどんどん増えていきました。もし、いま、うちがメーカーになったら、みなさんがライバル会社になるわけです。だから、それをやろうとは思わない。本流の企画開発はお客さんが自分のリスクでやっている。当たればまた派生商品も含め、新たな分野を一緒に開発できる。それを私たちがやることはリスクが大きすぎる。

任天堂「ファミリーコンピュータ」発売の前の年からアーケードゲームから距離を置いて、家庭用ゲームに力を入れていました。そうしたらファミコンがドーンときた。たまたまツイていたのは、アーケードゲームの開発のとき、「6502」というCPUを使っていました。任天堂はこの「65シリーズ」のCPUでファミコンをつくったんです。他社は大体「80シリーズ」を使っていましたから、これはものすごい偶然でした。チップによってゲームのつくり方が変わるので、それだけで我々は優位だった。もちろん慣れればいいんですけれど、それまでに時間がかかる。その間に我々はどんどんゲームをつくることができた。あの当時、ゲーム雑誌に記載されていたベストテンの半分ぐらいがうちのゲームだったこともありました。これは運以外の何ものでもありません。

会社を設立してしばらくすると、インベーダーゲームが下火になってきました。そこで自分でゲームを開発したのです。それが忍者ゲームでした。ゲーム制作は独学でした。まずはシナリオを考えます。忍者だと「火焔の術」「分身の術」などの要素をゲームに入れていく。そこで近くの本屋さんに行き、白土三平さんの漫画を買ってきて、忍者について勉強しました(笑)。漫画を読みながら仕様書を書いて、「こんなのつくるんですがどうですか?」とお客さんのところに持っていった。そこで開発費、ロイヤリティなどの条件を提示してつくりはじめた。ラッキーなことに結構売れまして、1年目から利益が出ました。

齋藤茂(経営者)の経歴・略歴

齋藤茂、さいとう・しげる。日本の経営者。ゲームソフト開発会社「トーセ」会長CEO(最高経営責任者)。京都府出身。立命館大学理工学部電気工学科卒業後、父が経営する電子機器製造メーカー・東亜セイコーに入社。インベーダーゲーム筐体をつくっていた同社レジャーシステム部を独立させトーセを設立。

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