齋藤孝(教育学者)の名言

齋藤孝(教育学者)のプロフィール

齋藤孝、さいとう・たかし。日本の教育学者。明治大学文学部教授。静岡県出身。東京大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科後期博士課程単位取得後、明治大学文学部教職課程助教授を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論。著書『声に出して読みたい日本語』は150万部を超えるベストセラーとなった。そのほか、日本語教育、ビジネス、コミュニケーションに関連した一般書籍を多数執筆。テレビで幼児教育番組の監修や、ニュース番組のコメンテーターとしても活躍した。

齋藤孝(教育学者)の名言 一覧

アウトプットを具体的に想定することが、インプットの感度を高める。


真に「できる人」は、決しておごらず、媚びたりせず、「できる」「できない」の境界線を知っている。これが、様々な業種・業界の「できる人」を見てきた私の印象だ。


自分のツイッターのフォロワーがローマ法王と同じくらいいると仮定し、発言をそのままツイートすると考えてみるといい。軽率なことは言えなくなるはずだ。


強引にでも声を出して笑うと、不思議と気分が明るくなる。


人間社会において運やチャンスをもたらすのは必ず「人」です。適度な人付き合いをし、気持ちのいい人間関係を築くことが運を呼び込む秘訣。


ものごとには必ずプラスとマイナスがある。両面から見ることの出来るのが本当に知恵のある人。


人というのは、普段はそれほど仲がよくない者どうしでも、みんなでこれを成し遂げようというものがあれば、手をとり合って協力するようになる。


長い人生には、勝つべき大事な勝負と、勝たなくてもいい「小さな勝負」がある。目先の勝ち負けだけではなく、もっと広い視野で考えることも大切。


うまくゆっくりよりも、多少粗くても早くできる人の方が、チャンスを掴む確率が高い。ミスがないことよりも、スピードが速いことのメリットを子供には教えるべき。


ここぞという戦いに勝つためには、単に地道な努力を重ねるだけでは十分ではない。その努力は何のためにしているのかを常に意識することも重要。


世の中で成功している人というのは、「仕事をやることが楽しい」と言う人たちばかりです。逆に「報酬がいいから」と仕事をやっている人は、なんだかいまひとつですね。


仕事も自分が選ぶのではなく、何でもいいですから自分の力を発揮できるチャンスを逃さないこと。「来た球は打つ」という気構えでのぞむ。最近、みんな選び過ぎなのではないでしょうか。


プライドは減らしていくというのが重要。30近くになったら、つまらないプライドなんか捨てていくこと。


みなさんは楽しく仕事していますか? 楽しく仕事をしていれば、おカネも自然についてくるもの。


大量にこなしていると何かが見えてくる。すると「○○のことなら、あいつに頼め」となる。その職場に欠かせない存在になることができる。


ジタバタする一方で、いつかはどうせ死んでしまうのだからと、達観しておくのも大切。


私も30代までは自分の考えだけで表現しようと思っていたから、よい仕事ができなかった。でも、まわりの人の要求に応えるような姿勢で仕事をし始めてから、人生が良いほうに回っていった。


イライラしたときは、その場で10回程度ジャンプしてみる。これだけで心がだいぶ軽くなりますよ。


分厚い資料や100の言葉より、1個の現物を見せた方がイメージはずっと湧きやすい。


良かれ悪しかれ、人間はイメージの影響を受けやすい。成否は、いかに相手に具体的なイメージを伝えられるかに尽きる。


コミュニケーションに関する問題は、コミュニケーションで解決するしかない。


幸運の女神は、前髪しかないと言われています。チャンスを逃さないためには、すぐに体をあけられる状態をつくっておく必要もある。


私は書物を通じて古今東西あらゆる偉人に教えを請い、その言葉を身につけることで、自分なりに生きる技を磨き続けてきました。


肝心なのは、師を間違わないということ。


嫉妬心も恐怖心も重たく暗い。そんなものは人生に不要です。必要なのは、明るさと軽やかさです。


大事なのは、相手が代われば戦い方も変わるということ。勝負に勝つには、まず相手を知ること。


本番で結果を出すためには、日ごろから地道に努力をして力を蓄積しておくことが大事。付け焼き刃は通用しない。


聞き手が好意的な姿勢を見せれば、話し手は天にも昇るような気分になる。リアクションは円滑なコミュニケーションを育む大事なツール。


重要なのは、積極的にリアクションすることだ。相手に提供できるネタがなかったとしても、相手の話に上手に反応すれば場は持つ。それさえできれば世の中は渡っていける。


何が問題になっているのか、どこにボトルネックがあるのかを提示できれば、誰でも思考を整理しやすくなる。そのアイデアを持ち寄れば、クリエーティブな議論が展開されるはずだ。


ビジネスシーンでも、上司が一方的に教え込むばかりでは、部下は受け身になる恐れがある。質問を投げかけることで、本人に自覚を促し、考えさせることの方が成長につながりやすい。


互いに情報やアドバイスを提供し合えるような組織は強い。


ユーモアは単なる娯楽ではなく、人間関係を上機嫌に保つために身につけるべきもの。


会議でも酒の席でも、些細な言い争いが人間関係をこじらせることはよくある。そうなる前に、言いたいことをグッとのみ込んで「スラリと流して」しまうのが得策。それが大人の度量というものだ。


テーマすらはっきりしない会議が少なくない。状況を打破するためには、「何のための会議か」を、改めて自問する必要がある。


相性や好き嫌いという感情は脇に置いて、いわば戦略的互恵関係を築くことが重要。


メモというのはその行為自体が相手に対するアピール。「私はあなたの話をしっかり聞いていますよ」という証明になるし、敬意を表すサインにもなります。


ふりかかってくる困難を乗り越えることにこそ自分の存在意義があり、これがリーダーとしての必然なのだと考えられると、そこに苦痛はなくなる。難題をクリアしていくことは、むしろ自分の使命となり、モチベーションとなる。


どんな仕事も、人に受け入れられ、認められ、面白いと感じてもらえなければ先がなくなる。作り手、売り手がどんなにいい製品だと思っても、受けとめる側が「飽きたね」「要らないよ」と思ってしまったらそれまでなのだ。


「考える」とは理性に徹することだ、という意識をもっと明確に持つほうがよいだろう。自己観照するにも、自分の心を抽象的に見つめてなんとなく「もの思う」のではなく、理性のもとにひたすら具体的に「考え抜く」のだ。理性という手綱で心の揺れをコントロールすることこそが考えることである。


考え抜くことで、自分の決断の一つひとつに対して、自己肯定力と自己客観性を十全に持てる状態をめざす。「自分は考え抜いた」という自信が、判断に対する自信になり、決断の強さとなって実現に向かっていく推進力を高める。


決断に対する覚悟も、「本当に考え抜いたか?」に尽きるのではないだろうか。あらゆる疑念について吟味すべき要素をすべて洗い出し、分析、検討したか。私見や情動、己の欲などに左右されていないか。そう自問してみる。考え尽くしたと言いきれるのであれば、それは最善の判断である。たとえ結果的に失敗したとしても、後悔はしない。


日本の「○○道」といわれるものは、日々身体的な「技」の習熟に励むことで、その道の精神を会得していくものだ。「技」を鍛えることが、自分を見つめ、心の軸を鍛えていくことにつながる効果があった。「道を究める」ということは、体を軸とした自己観照の手法でもあったのだ。


リーダーとしての精神の強靭さは、人格的、身体的迫力を持って行動できるかどうかという点にあるのではなかろうか。真のリーダーたりうる人は、ストレスや不安のない生活を望むのではなく、ストレスや不安を乗り越えることを自分の原動力にしていく人たちだ。


私たち日本人は、何かを判断する際、「論理的に正しいかどうか」よりも「感情的に納得できるかどうか」を優先させがちだ。理性よりも情動で動きやすい。しかし感情は揺れる。ブレる。その時々の主観に支配される。リーダーとして、自分を、あるいは自分の率いる集団をよりよい状態へと高めていくためには、みずからの理性の力に信頼を置き、確固たる基軸を自分の裡(うち)に持つことが重要だ。


高いリーダー資質とは、先天的なものではない。日々シビアな決断をし続ける状況、人を束ね率いていく責任感の中で、みずから身につけ「技」にしていくものだ。頭で生きるのではなく、行動で示す習慣を身につけることで、人格的かつ身体的な魅力・迫力が、自然に伴っていくのだと思う。


リーダーとして大事なことは、自分自身の中に明確な基準を持って、確かな判断を打ち出せることであり、なおかつ独断や慢心に陥らないよう、自己客観視して自分を修正していく柔軟さである。ふたつを併せ持つことで、自己肯定力と自己客観力の具わったブレのないリーダーになれる。


優れたリーダーといわれる方にお会いして感じるのは、状況がよく見え、的確な判断ができ、自分が今何をなすべきかを見誤らないということだ。混沌としている人がいない。経験と実績に裏打ちされた自信が体に漲(みなぎ)り、勢いがある。決断が早く、コミュニケーションに長け、声も強い。そうした精神の明晰さと身体的迫力が、人を惹きつける。部下やビジネスパートナーを「この人についていけば大丈夫だ」「この人と一緒に何かをなしとげたい」という気持ちにさせるのだ。


ほんの少し覚悟を決めるだけで、見違えるような環境が待っている。


重要なのは「できない自分」を自覚することだ。完全無欠のビジネスマンが存在しないように、何もかもすべてダメという人もいないだろう。日々の仕事を細かく分析すると、「この部分が駄目」「これができればいいのに」というポイントがあるはずだ。それを知ったうえで実際に改善できれば、もう「できる人」の仲間入りである。


仕事ができない人とは、単にミスをしたり成績が伸びなかったりする人を指すわけではない。同じミスを繰り返す人、その状態を放置したまま手を打たない人、すなわち修正の回路を持たない人を指すのである。ビジネスマンに必須の三要素(テンション、修正、確認)として、私がテンションに次に修正をあげるのは、このためだ。


ドラスティック(徹底的)に気づきを得たいときは、自分をより高いレベルの環境に置くのが一番だ。プロのサッカー選手が欧州を、野球選手がアメリカを目指すのは、単なる憧れや優越感に浸るためではない。厳しい競争に身をさらすことで、自分の欠点を明らかにするためでもある。その経験を経て自分を磨き、更なる高みを目指そうというわけだ。


重要なのは、どうやって再発を防ぐか、その対策を具体的に提示することだ。しばらく時間を置いてでも、必ず考えた方がいい。


上司も部下の声を聞きつつ修正する必要もある。とくに昨今は変化のスピードが速いため、上司の経験より部下が現場で得た情報の方が有利なケースはよくある。それを真摯に受け止めてこそ、いまどきの上司といえるだろう。


決断が早い人は大きく3つの認識を持っています。

  1. ビジネスの決断に100%の完璧さは必要ない(=大きな方向性さえ間違えなければよい)と達観している。
  2. 最良の選択肢がなくても決断するという意識を持っている。
  3. いくらでもやり直しがきくという鷹揚さを持っている。

A案かB案かで悩んでいるなら、A4のコピー用紙を横向きにして中央に縦線を引き、左側にA案、右側にB案の特徴をキーワードや概略図で書き込んでいきます。それによって視覚的に比較しやすくするわけですが、ポイントはこうして書き込むこと自体にあります。これによって情報が整理されるから、書き終わる頃にはほぼ結論が出ている場合が多いのです。


頭の中で考えているだけではイメージをつかみにくいし、かといって長い文面は決断の材料には向いていません。決断を下すコツは図面化して考えることです。


1分で次々と決断を下せるようになるには、相応のトレーニングが必要です。ポイントは、自らそうせざるを得ない環境をつくって数場を踏むことです。


朝令暮改はむしろ称賛すべきでしょう。少なくとも、いつまでも決断せず、失敗も成功もできない状態よりは、本人にとっても組織にとってもずっといい。


どれほど天才的なビジネスパーソンでも、将来への見通しをすべて的中させることはできません。決断しても、それが裏目に出ることは大いにあります。しかし彼らは決断が早い分、撤回も早い。周囲を振り回すことになりますが、傷口を最小限に抑え、しかも短期間のうちに失敗の経験を蓄積し、また素早い決断で再生を期すことができます。このサイクルの繰り返しが、より大きな決断を可能にさせているのです。


これだという最良の選択肢があれば、決断は簡単です。しかし現実にはそういう選択肢がそもそも存在しないケースも多い。そういうとき、決断が遅い人は思考停止状態に陥りがちです。かたや決断が早い人は、「手持ちの選択肢の中で、一番痛い目に遭わないのはどれか、仮に失敗してもなんとか取り返しがつくのはどれか」という視点で選択肢を消していき、素早く決断を下します。


ビジネス上の決断に、裁判の判決のような細かさや正確さが求められることはまずありません。むしろ、一定のグレー幅の中で決断すればいいことがほとんどでしょう。決断が速い人はそのことをよく知っているから、素早い決断が可能なのです。


仕事ができる人ほど決断も速い。これは、いままで多方面のビジネスパーソンと接してきた私の実感です。とくに、役職が上の人ほど、あるいは何十億、何百億円というお金を動かす立場にいる人ほど、余計な逡巡がありません。


問いが具体的になっていれば、それに対する答えも自然と具体的になります。


忙しくて読書の時間が取れないという人もいますが、読書をしないビジネスマンは論外です。1日1時間の読書タイムも捻出できないようでは、文章力以前に、仕事力に大きな問題があると言わざるを得ません。読書は人生を豊かにするために欠かせないものです。表現力の問題は脇に置いたとしても、本を読む時間は確保すべきでしょう。


ビジネスにおける問題は、突き詰めると自分の会社や部署の利益になるかどうかです。利益といってもお金の話に限りません。信用を増すのも利益ならば、効率化も利益です。いずれにしても、ビジネス文書には「この文章は何の誰のどのような利益に向けて書いているのか」という意識が必要であり、そこから出発している限り、一般論や抽象論に終始するようなことはないはずです。


技術的な話でいえば、文章に具体性を持たせるには比較を用いるのが有効です。たとえば「うちは営業が弱いのでテコ入れが必要」と書くより、「競合のA社より営業部員が少ない」と比較することで問題の所在がより具体的になります。ここで注意したいのは、比較する対象を一般論や抽象論に求めないことです。「一般企業より営業部員が少ない」という書き方では、本当にそこに問題があるのかよくわかりません。比較対象を具体的にすることで、結論にもリアリティが加わるのです。


私の場合、集めた事例やエピソードの約7割をどこかの文章で使います。無駄が比較的少ないのは、アウトプットを意識しながら情報収集をしているからです。付箋を貼る時点で、「これはあのテーマに使えるかもしれない」と直感的に理解しているわけです。その意味ではひとつのアウトプットしか意識しないのは非効率です。情報を捉えるための網が小さくなって、使えるはずの事例やエピソードを見逃す心配があります。複数のテーマを同時並行して進めたほうが、役に立つネタを拾いやすくなるでしょう。


文章を豊かにするボキャブラリーは書き言葉から得るしかありません。話し言葉は刹那的なものです。会話を盛り上げることが得意な人でも、文章になると上手く表現できなくなるのはそのためです。基本になるのは読書です。自分の価値観や問題意識に合う本を見つけたら、その著者の本を立て続けに読む。読むのは、小説や評論に限らず、ビジネス書でも新書でもいいと思います。特定の著者の本をひたすら読むことで、その著者のボキャブラリーが自分のものになります。


タイトルは、文章を書いたあとに改めて付け直したほうがいいでしょう。文章を書いていくと、内容が広がりすぎて、当初の目的から外れた要素が入り込むことがあります。それを削ぎ落してシャープな文章にするためには、タイトルとなるような問いをもう一度立て直す必要があります。文章の目的が明確になれば、不要な部分をカットしたり、構成を直すこともできます。


書き言葉を自分のものにするには、書き言葉で話してみることも大切です。本来、書き言葉と話し言葉は地続きではありません。それを本の内容を書き言葉を使って人に話すことで地続きにするのです。それにより、書き言葉が自分の中に定着して、自在に使いこなせるようになります。


英単語を覚えるように言葉や用法を覚えても、それは知識として自分の文章で使えるようにはなりません。言葉と価値観とはワンセットです。好きな著者の本を何冊も読むことをお勧めするのも、著者の考え方や人生観も含めてまるごと輸入して欲しいからです。


ビジネスの書類作成で表やグラフを使うときは、何より求められている「利益」を意識することが重要です。その文章で問題になっている利益は何で、その利益に対して数字はどのような意味を持ち、どのような意思決定につながっていくのか。そこに関わる数字以外は不要です。必要のない部分はバッサリと切り落としたり、小さくする工夫が必要でしょう。


数字やデータを見せるとき、最もやってはいけないのが、表などの外部資料をそのまま貼り付けることです。表やグラフは、その読み取り方自体が試験問題として出題されるケースもあるように、読んで消化するためには頭を使う必要があります。その手間を省きたいから、上司は部下に資料の作成を依頼するのです。それにもかかわらず生のデータをそのまま見せてしまうのは、上司の要求を理解していないことと同義といえます。


文章で使う事例は主に雑誌から拾います。インターネットでも収集できるかもしれませんが、総じて雑誌のほうが情報の精度が高く、取材や編集に手をかけてあるので内容も掘り下げられています。気になった記事には付箋を貼ってコピーし、まとめておきます。ある程度の量が集まれば、それがそのままネタ帳になります。


事例やエピソードに依存した文章を書く人は、口舌の徒にすぎません。その場しのぎにならないように、まずは揺るぎない本論を立て、効果的な事例をひとつふたつ添える程度にした方が、本当の意味で説得力を持つはずです。


事例やエピソードの多用には、注意が必要です。事例やエピソードは、本論の説得力を高めるために用いるものであり、じつは事例やエピソードがひとつも入っていなくても、ビジネス文書というのは成立するのです。裏を返すと、事例やエピソードを多用しなければ説得力がない文章は、それだけ本論がぜい弱で、考えが練られていないといいえます。


ビジネス文書の結論の場合、原則的に一般論や抽象論はあり得ません。というのも、ビジネスにおいては出発点が必ず具体的状況なはずだからです。「我が社の売上を伸ばすためには何が必要か」という問題設定はあっても、「日本経済を立て直すにはどうすればいいのか」というテーマで文章を求められる機会は、まずないはずです。にもかかわらず抽象論を展開してしまうのは、書き始める前に問題設定ができていないからでしょう。


ビジネス文書を書くうえで、構成の段になって混乱する人は、文章の区分けが上手くいっていないのではないでしょうか。たとえるなら段ボールに種類の違う荷物を詰めたまま、整理するようなものです。ひとつの段落に複数の要素を取り込んでしまうから、構成で頭を悩ませることになるのです。具体的には、事実関係と意思決定の部分は分けて書くべきです。さらに、事実関係も、自社の事情、関係者の事情、市場環境というように分類します。きちんと要素を整理できているかどうかは、各ブロックに小見出しをつけるとわかります。小見出しとブロックの中身が合わなければ、要素が整理できていない証拠です。


ビジネスの世界では、書くことは決断することと同じです。選択肢が3つあるのであれば、最良と思うものをひとつ選び、それを中心に据えて論を展開すべきです。当然、実行の段階でリスクも発生しますが、上司が欲しいのは、どのような利益があるかという美辞麗句ではありません。撤退しなくてはならないときの損失はどの程度で、どこまでなら進んでも引き返せえるかというリスクについてもきちんと言及された文書です。経験を積んだ上司からは、リスクに触れられていない文書は、それだけで却下されると思っていた方がいいでしょう。


ビジネス文書を書くときに問われるのは、文章力ではなく決断力です。ある問題に対して、3つの解決策があったとします。それらを思いついた順に羅列した文書は自分で考えることを放棄して、読み手に意思決定の負担を強いることになります。最終的に決断を下すのは上司だとしても、まず自分の意思を示さなければ、たんなる情報収集係と同じです。上司が直接、ネットで検索するのと大差がありません。


ビジネス文書では、冒頭に結論を持ってくるべきです。読み手となる上司や取引先は、忙しくて文章にじっくりと目を通す時間がないかもしれません。そう考えると結論からはじめて、以下、優先度の高いものから書いていくのが基本でしょう。


ビジネス文書で、作文の体裁に縛られるのはナンセンスです。読み手が続きを読みたくなるような一文であれば、それで冒頭文の目的は十分に達せられるでしょう。


ビジネス文書を書くときに、最初の一文が思いつかないのであれば、ひとまず書いてしまってからキーフレーズを抜き出すといいでしょう。キーフレーズをそのままコピー&ペーストする感覚で冒頭に持って来れば、それが読み手にとって、もっともインパクトのある冒頭文になります。


ビジネス文書では、最初に結論を持ってくる方法も有効です。一般的に文章は起承転結で書くべきだといわれますが、ビジネス文書に小説のようなドラマチックな展開は必要ありません。忙しい人ほどいきなり本質を知りたいはずですから、むしろ「起」や「承」を省いて、最初に「結」を持ってきた方が喜ばれます。


文章を最後までひととおり書いたら、その中から文章の核となるキーフレーズを3つ探します。キーフレーズは、問いと答えでいうと答えにあたる部分でもあります。本来であれば、「この文章は何のためにあるのか」という問いは、たとえ漠然としたものであっても書く前から浮かんでいるはずです。ただ、それを文章という形で表現することに手間取るなら、逆に答えの方から問いを明確にしていくアプローチがあってもいい。キーフレーズが見つかったら、逆にキーフレーズから問いを立てていくことにより、問題意識を読み手と共有できるような一文をつくるのです。あとは、それを頭に持ってきて二文目以降を整理するだけです。


文章の最初と最後は読み手の印象に残るような工夫が必要ですが、肩に力が入りすぎてしまうのか、最初の一文が浮かばないことがよくあります。解決策として、最初の一文にこだわらず、最後までひととおり書いてみることをお勧めします。


目標を「質」から「量」に変えてから、今回の論文は75%の出来栄えだったけれど、次の論文で残り25%をカバーすればいいといった考え方ができるようになります。数をこなすことで質も上がり、結果として質の高い仕事を量産できるというプラスのサイクルに入ることができるようになりました。


量をこなさないまま、「質の高い仕事をしているはずなのになぜ評価されないのだろう」と思う気持ちに妥当性がないわけではありません。しかし、そう考え始めると独りよがりの悪循環に陥りがちです。そうならないためには、量という客観的な指標を基準にした目標設定が功を奏するケースがあるということを、知っておいても損はないと思います。


集中する、没頭するという状態を生むには、精神論ではなく環境や身体感覚から入っていくのが一番です。


いまの時代、人びとは必要以上に孤独を恐れているように見えます。私はむしろ、孤独こそが力を生むと思います。プロフェッショナル同士がある程度の距離感を持ってつながっていることで、いい仕事ができていくケースも多いと考えます。


私は仕事の相手と食事に行くことはほとんどありませんが、不都合はまったく感じません。仕事の相手とは仕事で向き合う、一緒にいる時間そのものが目的となるような人や、会いたい人とは会う時間をつくります。どっちつかずのグレーゾーンはありません。コミュニケーションが大切な仕事もありますが、必要なコミュニケーションは仕事の中で取り合うのがプロであって、飲み会に行かないとテンションが上がらない、感覚が共有できない相手であれば、思い切って関係を見直してみるのも一案です。


相手が自分にとって利用価値があるかどうかは、付き合う人を選ぶ基準にはなりません。仕事につながるかもしれないと思って気乗りのしない相手と夜や休日の時間に会っても、しょせんは続かないのではないでしょうか。仕事関係の相手ならオフィスアワーに会って仕事を通じて信頼を得ていくのが基本ですし、仕事の内容によっては会う機会を設けなくても、結果を出し合ってよい関係を築けていけるケースもあります。


人との付き合いは結局、縁があるかないかに尽きると思います。結婚が最たる例ですが、条件を熟考したからといって、最高の相手が見つかるわけではないでしょう。縁がある人とはその日のうちに次に会う日程を決めたり、何かの機会に久しぶりに会おうという流れに自然となっていくものです。


集中力が続く時間には個人差もありますが、長い人でもせいぜい30分といったところでしょう。ですから仕事に取りかかって20から30分たったら机から立ち上がり、軽くストレッチをし、丹田呼吸を行って仕事に戻るのが効率を上げるコツだと思います。


質という客観性に乏しい指標は、目標として掲げるには難しいものです。自分のレベルを自分で判断すること自体が困難ですし、質を求めるプライドが前進の邪魔をすることもあります。プライドというのは見せまいと思っても自然と出てくるものなので、いったん心の中にしまっておき、まずは誰が見ても客観的に判断できる量で勝負してみると、他人の評価もついてくるようになるものです。


論文の「質」で目標設定を行っていたときは肩に力が入ってなかなか前に進めませんでした。しかし、「量」での目標設定に変えてみると、リラックスして取りかかれ、最後まで書きとおすことができました。完ぺきを求めるあまり完成に至らないという事態から、ようやく抜け出すことができたのです。


過去に、論文を書くのが仕事であるのにもかかわらず、2年間にわたってまったく書けなかったという苦い経験をしました。当時は「驚くほど質が高くて画期的な論文を目指す」という目標を掲げていたのですが、いまにして思えば、この目標設定自体がつまずきの原因でした。高い理想を掲げても目標の内容そのものが具体的な実効性に欠けていては、行動にはなかなかとりかかれませんし、モチベーションも上がりません。それに気づいて、2か月に1本論文を書くという目標に設定し直しました。


会議の目的は、ある課題に対してアイデアを出し合い、チームとして意思決定し、その直後から全員が具体的に動き出せる体制を整えることにある。私の感覚で言えば、そこまでに至らない会議は時間のムダでしかない。


ファシリテーターは要するに進行役だが、単なる司会者ではなく、時間内に結論を導き出す技術責任者と考えてほしい。


プレゼンテーションやスピーチの実力を知るには、自分の姿をビデオに撮ってみるといい。画面の中の自分は想定したよりもみっともないので、ショックを受ける人が多いでしょう。でも、我慢して見続けていると、「えーと」が多すぎるから減らそう、目線を上げようなどと、どこをどう直せばいいかがわかってきます。


失敗するのが怖いからと70%程度の力で達成できることばかりやっていると、それ以上の力は付かない。潜在能力を含め100%発揮しないと乗り切れないような極限状態を経験することで、人はぐんと伸びる。


現在は市場をとりまく環境の変化が激しいので、タイミングを逃さないことが何より重要になる。じっくり時間をかけてプレゼン資料をつくっても、その間にお客さんがライバル会社と契約してしまえば、どんなに素晴らしい内容であってもその資料の価値はゼロ。


試験ではいつも1間目からじっくり考えて解いていくので、最後の数問が必ず終わらないという子がいますが、これでは成績は伸びません。まずはひととおりやってみて、残りの時間で自信のない解答をもう一度考えたり、全体を見直したりするほうが、確実に点数は上がります。


苦労させるのが嫌で子供の身の丈に合ったことしかやらせていない親は、逆に子供の成長の芽を摘んでしまっているのかもしれない。子供の能力を伸ばそうと本気で考えるなら、時にはいまの実力よりも高い課題を与え、子供を追い込むことも必要。


逃げると決めたら即実行。相手を傷つけるのではないかとか、途中でやめるのは恥ずかしいとか、あれこれ考えるとなかなか行動に移せなくなります。自分のセンサーが「これはだめだ」と感じたら、無理をせずに逃げる。そんな選択肢もある。


20代とか30代の前半ぐらいまでは、鬱屈した時間を過ごすのも悪くないと思います。仕事がうまくいかない、恋愛も思うようにならない、それもブレークする前の燃料になっていると考えて。「くすぶる」という言葉も、出口を探してエネルギーがたまっている状態のことですから。


とにかく仕事でも何でも「来た球は打つ!」というふうに、私はずっと言い続けてきた。たとえワンバウンドの球でも、ボール球でも、とにかく「来た球は打つ」。来たら打ち返す気持ちでいれば、迷いもなくなる。


自分の目指す利益が明確に定まっていれば、どういう選択肢を用意できるかも見えてくる。あるいは相手がどういう利益に固執しているかが読めれば、その部分を譲ることで、「その代わり」と、自分の要求も出しやすくなる。より柔軟かつ多くの選択肢を用意すればするほど、交渉はスムーズに進むだろう。


交渉ではいくつかの条件やオマケを用意すること。お互いに「この案しか認めない」とごり押しし合っていては、らちがあかない。「この部分は譲歩するから、この要求はのんで欲しい」「こういうサービスを追加するから、料金はこれでお願い」等々と、足し算・引き算をしていく。


交渉はゼロサムゲームにしてはいけない。相手を論破したり、言いくるめたり、揚げ足をとったりして自分が利益を独占できたとしても、相手との関係はその場で終わる。場合によっては信用を失い誰からも敬遠されるようになる。結局、これは損でしかない。


私は仕事も勉強も、人生における「祝祭」だと考えています。新しい仲間と出会い、新しいアイデアを考え、新しいモノを生み出す。新しい意味が生まれる場所は、すべて祝祭の場となります。それを祝う心で、何事にも上機嫌で相対することができれば、いつしか小さい自分を乗り越えていくことができるはずです。


ひとつの道を極めることは、人生の真実に到達していることを意味するので、たとえ文学のことを語っていても仕事や人生に通ずる教訓を引き出すことができる。


名言を実生活に生かせる知恵として吸収するには、切り取った名言を覚えるのではなく、偉人の生涯を知り、世界観を知り、生き方を知る。その人物をトータルで理解したうえで名言に触れると、自分の深いところまでぐっと入ってきます。生き方の技として体得できるから、人生のさまざまな局面に応用が利くのです。


かつて私は、小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトなどを主導された工学博士の川口淳一郎先生と対談させていただいたことがある。その際に強調されていたのが、「科学における問題発見の大切さ」だ。「どこに問題があるのか」「なぜこうなるのか」という明確な問いを立てられれば、あとはそれを技術的にクリアする方法を考えればいいだけ。「発問力」こそが創造力の源と言える。


数字に着目することが大切。「へえ~」と思える話には、たいてい数字がつきものだ。「国民の100人に1人が○○」とか「△△の売り上げが前年の3倍になった」などと聞けば、誰でも関心を持つだろう。ネタとして覚えやすいし、イメージも即座に伝わるから、説得力が増す。


無駄な会議などもそうですが、自分だけでなく、人の時間を奪ってしまっていないかということも意識して、組織全体のスピード感を上げていけば、あなたの仕事もきっと早くなるはずです。


私は仕事を「本業と雑用」つまり「本質的な仕事と非本質的な仕事」というくくりではなく、「システムにかかわる仕事とシステムでない仕事」に分けるようにしています。システムとは組織。つまり組織が動いていくために必要な仕事か、個人で完結する仕事か、ということです。そして、いわゆる「雑用」というのは、前者であることが多いのです。だからこそ私はむしろ、いわゆる「雑用」こそ早くやるべきだと考えます。誰か一人が「雑用だから面倒だ」と考え、後回しにしてしまうと、他の人にも迷惑がかかります。逆に、組織が円滑に動くようになれば、自分の仕事もまた早く終わるようになります。


私は移動中などのスキマ時間に手帳を眺めるようにしています。手帳を眺めることで、そのあとの予定のシミュレーションをするのです。


メールがスマートフォンに入るようにしているので、移動中にアポイントの管理などをしています。また、「この件は引き受けるかどうか」という意思決定も、移動時間にやることが多いです。時間に余裕があるときだと、かえって悩んで決められないこともあるからです。


打ち合わせや会議なども時間を計り、分単位で管理すべきです。たとえば打ち合わせの際、最初に「この打ち合わせは5分で終わらせましょう」とはじめに決めておく。5分しかないと思えば、私も相手も無駄な話はせず、重要なことから話し、時間内で結論を出すことを意識するはずです。時間に余裕がありすぎると、むしろ雑談に終始して、肝心なことを決められなかったりするのです。


私は集中すべき仕事に関しては、大学の授業時間と同じ一時間半を一コマと考えて組むようにしています。これは、長年大学で教えていて慣れているからでもありますが、そもそもそれ以上の時間だと、人間の集中力はなかなか続きません。そして、時間を取るべき仕事のあとにはあえて5分、10分で終わる仕事を入れてメリハリをつけています。


多くの人はやるべきことを1日単位で考えているはずです。つまり、朝会社に来ると「今日中にこれとこれとこれを終わらせよう」と決め、仕事を始める。ただ、1日単位だと、どうしても集中力は高まりません。むしろ、「この仕事は○時間、あるいは○分で終わらせる」という意識でスケジュールを組むべきなのです。


お勧めしたいのは、常にストップウォッチを持ち歩くことです。書類作りでも、打ち合わせでも、スタート時にストップウォッチを作動させます。まずはあらゆる仕事の作業時間を計測するのです。これが、次回同じ作業をする際の目安となります。次回はストップウォッチを意識しながら、前回より少しでも時間を短縮できるよう、仕事を進めていくわけです。感覚としては、タイムトライアルに挑戦するアスリートと同じかもしれません。時短をスポーツ感覚で楽しむことができれば、モチベーションも上がります。それを繰り返すことで、少なくとも、一回目に作業したときの半分ぐらいの時間で仕事を終わらせることができるようになるはずです。


多くのビジネスマンの方は、自分がどれくらいの時間でひとつの仕事をしているかを、きちんと把握していない。なんとなく時計を見ながら、「15時くらいまでに終わらせよう」と思いつつ、時間どおりに終わらずに焦る。こんなことを繰り返していても、仕事の速度は上がりません。


私は、「前回1時間かかった仕事なら、次は45分で、あるいは30分でできないか」ということを常に考えながら仕事をしています。そもそも、一度やった仕事は、前回よりも上達しているはずですよね。本来なら、より早い時間でできて当然なのです。


伝えたい情報は、実は相手に伝わっていない。社会人向けセミナーで伝言ゲームをやるのですが、皆さんあまりに出来が悪くて、会場は笑いに包まれるのがほとんど。最初のお題の言葉は、良くて半分、悪ければ3分の1も伝わりません。


依頼したあとに「何か質問は?」と尋ねると、「特にありません」と言われることが多いと思いますが、「強いて挙げるなら?」ともう一歩踏み込みましょう。その返答次第で、相手の理解度を測れるでしょう。


伝えたい情報はそう簡単には伝わらないという意識を持つことが大切。「十分に伝えた」「これだけ言えば分かるはず」という思い込みが、ミスの温床となる。確認と修正を習慣化するのが基本。


依頼内容を伝えるときは「いつまでに」「何を」「どうしてほしいのか」など、多くても3点に絞るのがコツ。最初から「ポイントは3つあります」と伝えれば、相手も頭の中で整理しやすく、何が重要なのかも分かる。


人に道順を説明する時、「右へ行って左へ行って」と伝えるより、地図を見せて「現在地はここ、目的地はここ」と言う方が、即座に伝わりますよね。人に何かを依頼する際も、まずは地図を見せること。「全体像の説明」が、それに当たります。


本音を知りたいときに、個人の性格やコンプレックスは関係ありません。むしろ聞き方に問題がある場合が多いんです。質問の仕方を変えるだけで、驚くほど相手の回答が変わってきますよ。


質問力を高めるには、人との対話が一番の近道。話しやすい人とばかり話していても聞く力は育ちません。苦手だなと思う人や状況こそ、聞き方の腕を上げるチャンスですよ。


読書を仕事に役立てようとすると、「娯楽のための読書」が少なくなりがちですが、こちらもバランス良く取り入れることが重要です。新しいアイデアを生み出すための創造力が鍛えられるからです。小説を読むと、頭のなかで、文中に描かれた場面をイメージします。これによって、イマジネーションの力が磨かれるのです。


読書は、過去の偉人や現代の知識人たちを、自分を助けてくれる「援軍」にしていく行為。逆に言えば、本を読まない人は、孤立無援で世の中を渡っているようなものです。そのまま読まずにいれば、読んでいる人との差は開く一方です。スマホを見ている時間を少しだけ減らして、本を読む時間に充ててはいかがでしょうか。


おすすめなのは、『論語』でも『君主論』でも、パラパラめくって、自分にとっての名言がないか探していく読み方です。すると、哲学書などの難解な本でも読むハードルが下がり、挑戦しやすくなります。こうして、様々な偉人の本を読めば、困ったときや迷ったときなどに、自分を精神的に支える「援軍」が増えていくのです。


私は毎年、社会へ巣立つ教え子たちに、「テンシュカクを目指せ」とハッパをかけている。テンション(テン)を高く保ち、間違いをすぐに修正(シュ)し、常に確認(カク)を怠らなければ、どんな職場でも通用するという意味だ。


「メンタルの強さ」は、経験の量に比例する。最初は辛いと思った仕事でも、繰り返すうちに慣れてくる。失敗を多く積み重ねた人ほど、その経験を糧にして後に良きリーダーになることもある。


上司の大きな役割の1つは、部下に対する「御用聞き」だと、私は思っている。特に用件がなくても、機会を見つけては、「調子はどうだ?」「何か困っていることはないか?」と、声をかけた方がいい。部下の表情や声の調子から状況を把握でき、「気にかけてもらっている」という印象を与えられる。


自分のアイデアを通したいという情熱はもちろんだが、イメージ喚起にはデータによる裏づけも必要だ。統計的な数字に限らず、新聞・雑誌の記事や顧客の声などを提示すれば説得力も高まる。これは、プレゼン等での常套手段だろう。もう一段上を狙うなら、自ら動いてデータを作る手がある。


口頭で謝罪する際には気の利いた「菓子折り」も忘れずに持参したい。人は現物をもらうと、つい怒りの矛先を鈍らせてしまうものだ。「隠蔽」より「懐柔」の方が、よほど気の利いた謝罪と言える。


自分に不利な事実を隠蔽したりねじ曲げたりしても、大抵バレるもの。それによって、傷口を修復不能なほど広げてしまった事例は、新聞や週刊誌を広げればいくらでも拾える。


しばしば携帯電話を片手に、空に向かって頭を下げている人を見かけるが、実はあれが正しい姿勢。身体の姿勢は、声や思考にも反映される。たとえ相手が目の前にいなくても、「申し訳ない」という気持ちを表すには平身低頭するのが第一歩。


話が面白い人と面白くない人を分けるポイントは、ネタか視点の角度かタイミングです。


相手のことを覚えておく秘訣は、自分の頭には頼らないこと。すなわち、メモすることです。手帳に、その人と今日はどこまでお話ししたか簡単なメモを取るのです。


人は嫌なことを吐露したとき、それを聞いた相手が共感してくれるか、もしくは「信じられない」と驚いてくれると、自分の思いが肯定された気持ちになりホッとするのです。


話を繋げる練習をすれば、アイデアの発想力がつく。コツは、「そういえば……」で繋いでいくことです。


雑談にはオチをつける必要はありません。雑談は雑な話だからこそ雑談。まとめようとした時点でゲームは強制終了。広がりがありません。時間がきてタイムオーバーくらいがちょうどいい。


会話では「微笑む、うなずく、相づちを打つ」の三大要素を欠かさないのが極めて重要です。何を話しても反応しない人というのが、一番つまらないのです。


自分より相手に話の主導権を握らせるほうが盛り上がります。雑談では自分が話をする場ではないと割り切って、相手の話に質問をし、ひたすら返していくといいでしょう。


雑談がうまい人は、上手な質問ができる人。質問しないと、相手が何に興味があるのかわかりません。


雑談の話題は芸能、スポーツ、経済、社会と何でもいい。当たり障りのない話題で複数のエサを撒き、相手が興味を持ってきたものを膨らませるのが有効です。


雑談は相手中心でやったほうがうまくいく。自分が興味を持っていることではなく、相手の関心事に合わせて、それに同調していくのが正しいやり方です。一方、うんちくの垂れ流しは、自分本位で嫌われる。


社会人はもっと笑いにチャレンジしてもいいはずだ。お笑いのプロではないのだから洗練された笑いでなくていい。もとより笑いを期待されていないとすれば、ハードルは低いだろう。真面目な話の最中にポロッと一言をはさむことで、緊張と弛緩のギャップが生まれて笑いが起きやすくなるのだ。


緊張する場面ほど、真面目一本やりでは空気が重くなる。いいアイデアも浮かばなくなるだろう。一言でも雑談が入れば、場は緩む。まして笑いが生まれれば、話しやすい雰囲気になるはずだ。


メモを取る癖をつけよう。会議や商談の場で、手を動かしていない人は意外に多い。聖徳太子並みの能力を持っているならともかく、それほどでもないと自覚しているなら、メモすることで記憶しよう。


メールは便利なツールだが、対面で話すのに比べ、誤解を招く点もあり、双方の距離感を縮めることが難しい。伝達手段が便利になった現代だからこそ、高いコミュニケーション能力が求められる。


会議で必要なのは天才的なひらめきではない。誰かの発言をヒントに、「それならこれもできる」と全員でイメージを膨らませ、それを積み上げてゴールを目指すことが大事。


お勧めしたいのが「挨拶プラス一言」の習慣化。同じ社内にいる以上、部署は違っても、廊下やエレベーターなどで顔を合わせることはあるだろう。その時、笑顔で軽く挨拶するのは当然として、それだけで別れてはいけない。何か一言、つけ加えることを自らに義務づけてみよう。地道な努力が、やがて豊かな人脈となって実を結ぶはず。


男女年齢を問わず、他部署の人とも話せる関係を築ければ、もっと心強い。それぞれの立場で情報交換ができるし、融通を利かせ合うこともできる。いわゆる社内人脈の重要性は、仕事ができる人ほど認識しているはずだ。


報告をするときに参考になるのが、新聞記事だ。どれほど長い記事でも、最初にざっくりと概要を書き、後で詳細や周辺情報を書くのが基本パターン。小説やエッセイとは、まるで書き方が違うのだ。情報を迅速・正確に伝えるという意味では、新聞が長く踏襲してきた方法を見習わない手はない。


自分のことをコミュニケーションが上手なほうだと思いますか? 自信のない人は、その認識がある分改善できる余地があります。むしろコミュニケーションが得意だと思っている人の方が危ない。本当はほとんどできていないのに、それすら気づいていないことも多いのです。


その場でやれることはすべてやってしまう。これが融通が利くということ。友達と1週間後に飲むことになったらとりあえずお店をその場で予約を入れてしまう。後からいいお店の候補が出てきたら、その時は予約を取り消してもいい。こういう機敏さと柔軟さがコミュニケーションにはとても大事。


私自身は打ち合わせの時には必ずそのポイントを箇条書きにしたものなど、資料持参していきます。紙を見ながら話をすると効率がいいし、その紙に書き込むことができるので、相手の人にも親切です。いずれにしてもちょっとした準備がコミュニケーションにはとても大切です。


しっかり相手に伝えたいとき、人は自然に準備するものです。先日何も持たずに手ぶらでプレゼンした学生がいましたが、とても違和感がありました。ちょっとした準備が相手とのコミュニケーションをより円滑に深いものにする。「この人は準備してきて真剣だな」というアピールにもなります。


私はじつはメモを取るとき、相手の話やキーワードはもちろんですが、それよりもむしろ自分の発想や思いつきをメモすることが多い。相手の言葉、キーワードを書き込むと同時に、自分の頭の中でそれを膨らませて行く。するといろんな発想や記憶が出てくる。それをメモします。


皆さんは誰かと話をするとき、メモを取りますか? もちろん家族とか友人と雑談するときなどは必要ありませんが、ビジネスの現場で相手と話をするとき、メモは大切なコミュニケーションのツール。基本と言っていいでしょう。私の経験上、頭がよくて仕事ができる人ほど、まめにメモを取ります。


特にビジネス現場では、とりあえず感情を排除して、伝えるべき事実を伝えることが重要だ。理想形は、新聞記事のような内容を、端的に話すこと。ただし記事を読み上げるだけなら、人工音声でもできる。人間が話す以上、もう少し柔軟性や応用力が欲しい。


「上司や先輩から注意・叱責を受けるのは当たり前、顧客や取引先から要望・クレームを受けてこそ仕事」と常に身構えていれば、いざというときにも受け身がとれる。


頭に入っているから大丈夫、などと思っているから忘れてしまうのである。修正ポイントを付箋に書き、パソコンのモニターの縁にでも貼っておくことをお勧めしたい。


いくら立派な対策を立てても、忘れたり、三日坊主になったりしては意味がない。継続することで身体に覚え込ませる必要がある。それにはまず、見える化することだ。中学生時代、テニスに熱中していた私は、自分のミスに一定のパターンがあることに気が付いた。そこでそれを紙に書いてラケットに貼り付けることにした。「努力」とか「根性」などと書く選手はいても、細かなチェックポイントまでラケットに書く人はそういないだろう。おかげでプレーの最中でも目に入るため、逐一修正することができた。


多くの場合、修正すべき問題の根源は些細なところにある。コミュニケーションの不足や勘違い、不注意といった具合だ。したがって、対策を立てるのも比較的簡単だろう。


周囲から仕事ができない人と見られるのはつらい。多少は見栄を張ってでも、できる人と思われたいことだろう。だが、そんな感情がかえって裏目に出ることもある。できる人だと思われたいあまり、悪い情報には耳を閉ざして、「自分はできる人だ」と思い込んでしまう。当然ながら、こういう人では「できる」どころか「迷惑」な存在になる。できる自分を守るために協調性を欠いて意固地になったり、権威を振りかざしたりするためだ。やがて周囲から孤立することは、火を見るより明らかだろう。


いまや日本の会社そのものが、生き残りをかけた修正を迫られている。乗り遅れれば明日はないし、行き過ぎれば改悪になりかねない。


ポジティブな感情なら、仕事の場でも無理に押し殺すことはない。感情は伝わりやすいから、相手もポジティブになれる。そういう関係を築ければ、お互いに悪い印象を持つはずがない。


好印象を生み出す3つのポイント

  1. 身体を開くこと。へソを相手の正面に向けて目線を合わせ、うなずいたり、相づちを打ったり、笑顔を浮かべたりするだけで、随分オープンな印象になる。
  2. 感情を盛り込むこと。
  3. 感謝の気持ちを表すこと。

杓子定規に話すだけでは、嫌われはしないが好かれもしない。むしろ話に中身がなくても、とりあえず「うれしい」「楽しい」「悔しい」といった感情を前面に出す方が、親近感や共感を呼びやすい。


組織において求められているのは、「ニュートラルな存在」であると私は思います。派閥やグループに属さず、誰とでも同じスタンスで関われる人がいると、その場が和んでオープンな空気になる。そういうニュートラルな人は、総じて雑談がうまいものです。誰とでも上手に話ができて、全員と適度な距離を保てる人は、人間としての器の大きさを感じさせます。つまり、周囲からの人望も厚くなるのです。


雑談は、相手に話の主導権を渡した方が盛り上がります。相手本位の会話になるようにこちらがサポートする。それには、相手の話にひたすら質問で返すのがとても効果的です。


もし「自分は話し下手で、雑談もあまり得意ではない」という人がいるなら、相手の話に質問で返すことをお勧めします。「私、犬を飼っているんですよ」と言われたら、「私も犬を飼っていましてね」と自分の話をするのではなく、「どんな種類の犬なんですか?」と質問するのです。


何を話せばいいか悩んだときは、とにかく相手を褒めること。相手との距離を縮めるにはこれが一番の近道です。「何を褒めればいいのかわからない」という人は、目の前の相手の「見えるところ」を褒めてください。たとえば、「今日のネクタイ、おしゃれですね」というだけでいいのです。実際にそのネクタイがおしゃれかどうかは、この際関係ありません。褒める内容ではなく、褒めるという行為自体に雑談の目的があるからです。


雑談の基本スタイルは、「あいさつ+α」です。あいさつは雑談のきっかけにはなりますが、それだけでは雑談になりません。ですから、プラスαのひと言を加える必要がある。たとえば、ご近所さんと会ったとき、「おはようございます」で終わるのではなく、「ここのお店、改装中になっていますね」と短いひと言を加えてみる。そこで「新しい居酒屋ができるらしいですよ」という言葉が相手から返ってきたら、「若者向けの店ですかね?」「僕は静かに飲める店のほうがいいな」「じゃあ、オープンしたら一緒に行ってみませんか」「いいですね」などと会話が続くでしょう。プラスαがあれば、ただのあいさつが雑談に発展するわけです。


話し上手な人が雑談上手というわけではありません。雑談力とは流暢に話すスキルではありません。雑談とは場の空気を作り出す技術のこと。たとえ口下手でも、朴訥な話し方で場を和ませる人もいますし、自分はほとんど話さず、相づちを打つだけで雑談を盛り上げる人だっているのです。


「雑談=中身のない無駄話」なのですが、だからこそ意味があるのです。雑談は、その場にいる人たちが共有する「空気」を作り出すものです。意味のある会話は重要ですが、それだけではどこか息苦しくなる。そこにいる人たちを気詰まりのない関係にして、互いの距離を縮めてくれるのが雑談力であり、それ等は「中身のない話」だからこそ可能なのです。


目標を仲間内で話し合って決めれば、一人で悩まずに済む。モチベーションになるし、使命感に燃えるはずだ。チームとしての一体感も生まれるに違いない。個人プレーが多い昨今の会社組織でも、取り入れてみてはいかがだろう。


雑談で緩やかに入り、人間関係ができたと思ったらギアチェンジをして要件を簡潔に伝える。これをスムーズにできるのが、優秀な営業パーソンだといえます。


身体を抜きにしたらコミュニケーションは成り立ちません。つまり、聞き方や話し方の本質は身体にあるのです。身体どうしで会話していると考えたら、相手の言葉に全身でレスポンスするのは、むしろ当然だといえます。状況に応じて笑顔をつくったり、身体を使ったリアクションが不得意だったりする人は、頭だけでなく反応できる身体を鍛えることも意識してみたらどうでしょう。


笑顔というのも、限られた時間で人間関係をつくるのに、たいへん有効な武器となります。といっても、最初から最後までずっと笑顔をつくっていればいいというわけではありません。相手の話を聞きながら、「ここはおもしろい」「共感できる」と感じたとき、自然と笑顔がこぼれる。それも、いつも同じではなく、さざ波のような微笑から大笑いまで、笑顔のパターンがいくつもあるというのが理想だといえます。なぜなら、笑顔というのは、たしかに私はあなたの話を興味を持って聞いていますという、一番はっきりしたメッセージになりうるからです。


相手が言ったことに対するコメントがうまくできないという人は、相手の話に出てきた単語を繰り返すことから始めるといいでしょう。たとえば、相手が「うちの子どもは時間の使い方か下手で、いつも試験前にバタバタするんですよ」と話したら「そうですよね。時間の使い方っておとなでもむずかしいですよね」といった具合です。


ビジネスの場合は、相手の話を肯定するほうがいいと思います。西洋だと、「でも」と相手の発言に対し反対意見を述べ、そこから議論を始めるのが一般的ですが、日本の場合は「そうですよね」とまずは相手の言葉を肯定して同調の姿勢を見せないと、相手がこちらに歩み寄ってきてくれないからです。


会話中に質問することが苦手という人は、テレビのトーク番組を見ながら、自分なら次にこの人にこんな質問をしようと考え、さらにそれをメモする練習を、日ごろからするようにすると、質問に対し自覚的になって、質問力が確実に上がります。


相手の言葉を聞いて、そこにうまく質問を重ねていくと、会話はスムーズに流れていきます。質問力のある人は、話の最中に「次はこれを聞こう」と、2つから3つの質問を頭の中に用意しているのです。


雑談の上手い人は、相手が男性で50代なら野球、30代の主婦なら子育てというように、相手の文脈を読んで、打ち返しやすいところに巧みにボールを投げます。


雑談はたいして中身のない話でもかまいません。「今日は暑いですね」と天気の話をして相手が乗ってこなければ、次は「最近景気はどうですか」と商売や経済の話題というように、相手のストライクゾーンを探りながらどんどんボールを投げ、反応があったらすかさずその話題を広げていくのです。


最初の訪問では買ってもらえなくても、そこで相手といい関係ができたなら、次にまた営業に行くことができます。ところが、騙してでも売ってしまえという態度では、人間関係が築けるはずもなく、毎回出たとこ勝負ですから、効率が悪いことこのうえありません。ましてやいまは、悪評はツイッターなどですぐに拡散するので、そういう自分のことしか考えない営業パーソンは、遅かれ早かれ駆逐されざるをえないのです。


最初から、どうすればこの商品を買ってもらえるかばかり考えていたら、営業はうまくいきません。大事なのは、いかにお客さんと良好な人間関係をつくるかです。


年齢を重ねると、経験値の分だけ緻密なシミュレーションが可能になります。そのうえで挑戦するか否かを選ぶのですから、判断ミスは若い頃より格段に減るでしょう。そう考えると、年齢を重ねたほうが冒険しやすいと言えるのかもしれません。


「自己実現」より「他者実現」を優先するのも、自分の可能性を広げる手段です。多くの人は「自己実現」ばかりを大切にしますが、何かを本当に自分の好きなように行うためには、ある程度の社会的な力が必要です。その信用やスキルがないうちに「自己実現とは関係ないから」と言って仕事を断っていると、みすみすチャンスを逃すことになります。他人に求められることをするのも、可能性やチャンスを広げるためには必要。


やってきたチャンスを逃さないためには、前倒しで作業を進めることも重要です。たとえば「半年から1年先に出版しましょう」という話がきたら、できるだけ半年後を目指して作業をするのです。そうすれば、次のチャンスボールがやってきたときに、すかさず打ち返すことができます。


高すぎる自尊心も人間関係を無意味に複雑なものにする敵です。「こんなはずじゃない」と現実を受け入れなければ、いつまでたっても幸福な状態は訪れませんし、自尊心を守るために相手を攻撃したりするのは、あまりに子どもっぽい衝動だといえるでしょう。


会社勤めの方であれば、「人事異動」などが不可抗力の典型でしょう。これは自分の努力だけではどうにもならない場合が多いので、ほぼ天変地異と同じです。それに対してはジタバタせず、マイナスはマイナスとして消化してしまうことが大切です。そうでなければ意味なく不機嫌になり、新たな運やチャンスも逃すことになります。


私は「ご機嫌でいること」が社会人としてのマナーであり、必要なスキルだと思っています。上機嫌でいること、些事にムッとしないこと、プライベートのストレスを教室に持ち込まないこと。上機嫌でいられない理由があっても、それは学生にはまったく関係ありません。会社勤めをしている人も同様で、同僚も取引先の人も、あなたの不機嫌とは無関係です。たとえ相手のせいで不機嫌になっているとしても、それを表に出すのは大人としていかがなものでしょうか。


互いに不機嫌になる材料を持ち寄っても、清々しい問題解決への道は開けません。表面を取り繕ってでも、笑顔で冷静な話し合いをすることで、ようやく問題解決への糸口が見えてくる。


「あっ、この人、仕事を楽しんでいるな」というのは、とても重要なポイントだと思います。そういう人と一緒に仕事をすると、こっちまで楽しくなってきますから。だから後輩の指導にしても、ガミガミ言わずに、ただ「あの先輩、楽しそうに仕事をしているな」と思われるようになれば、後輩に慕われるし、付いてきてくれると思いますよ。


40歳を目前に、後藤総一郎先生という学者の先輩から筑摩書房の編集者を紹介していただけたから、初めての著書『子供たちはなぜキレるのか』を出版できたんです。それが音楽でいうメジャー・デビューの形になって、続けて『声に出して読みたい日本語』を出せることになった。ですから、いまでもつくづく思いますよ、「ああ、人の縁というのは大事にしなきゃいけないなあ」と。


量をこなし、身体で覚えていくというのは、私の教育学の一つのメソッドでもあるんです。たとえば千本ノック。あの長嶋茂雄さんは、千本ノックが好きだったそうで、「なんで、いまの選手は千本ノックをやらないのかなあ……?」とこぼしていたそうなのです。千本ノックを受けていると身体がだんだん疲れてくる。すると全身から力が抜け、バットのリズムだけで手足が動くようになるらしいんです。身体で覚えたリズム感がバッティングにも影響して打撃も向上すると。


とくに日本人の場合、意見の対立は「感情の悪化」に直結しやすい。いわゆる「ディベート」の文化が定着していない以上、勝敗を白黒はっきりさせるようなコミュニケーション自体が、そもそも無意味なのだ。これは、仕事上の会議や交渉についても言えることだろう。いくら対立点があったとしても、理論武装して相手を言い負かそうとか、ましてや相手の弱点を突いて黙らせようなどと考えてはいけない。その場の議論で勝ったとしても、相手の中に感情的な「しこり」を残すだけで、思い通りには動いてくれないだろう。それは結局、両者にとって不利益だ。


日本の文豪といえば、真っ先に思い浮かぶのが夏目漱石だろう。だが漱石は、創作の世界に没入していたわけではない。自宅には連日のように来客があり、若い弟子たちも集まっていた。人一倍世間と向き合い続けた作家だったと言えるだろう。ただし、本人は人づき合いが好きではなかった。むしろ人嫌いで偏屈でかんしゃく持ち。それでも多くの人に慕われたのは、「社会の役に立とう」「日本文学の担い手を育てよう」と覚悟を決め、誰に対しても一生懸命に接したからだろう。


私の授業でも、講義の後に質問の時間を設けます。このときに「なかなか鋭いことを聞くな」と感じる質問には、こちらも聞かれたこと以上に、答えたくなってしまうもの。このように、相手が思わず話したくなってしまう聞き方、というものがあるんです。つまり、いい答えが出るかどうかは、質問次第とも言える。


情報を得るための読書は、新書を活用すると良いでしょう。その道の権威が書いた本が多いうえ必要な知識がコンパクトにまとまっていて、効率よく情報が得られます。この際、最も重要なのは、「アウトプット」に結びつけること。読んだ後に要約して誰かに伝えるようにする。伝えられなければ、何も身についていないということです。


取引先から褒められた際に「まだまだ勉強不足で」などと返すくらいなら、いかにも日本人らしい謙虚な姿勢として好感も持たれるだろう。しかし、最初から「自分は素人で」とか「ご指導ください」などと下手に出るようではダメ。本人はサービス精神のつもりでも、相手には頼りない人に見えて、仕事を一緒にしたいとは思わないだろう。結果を出しているのに、「私は仕事ができない」などと謙遜し続けることも、相手には嫌味に聞こえる場合がある。


誰もが一定水準の読解力と文章表現力を身につけているわけではない。つまり自分のちょっとした発言が「伝言ゲーム」のように曲解され、誇張され、いつの間にか「山田氏が上司に反旗!」などと職場内外に拡散する恐れがあるわけだ。対策は簡単だろう。「人の口に戸は立てられない」と肝に銘じ、どんな場であれ、相手が誰であれネガティブな話は避けること。


私は書籍の編集者に企画を提案する際、タイトル案を書き込んだコピー用紙を本のカバーに見立てて、ついでにオビのコピーまで書き込んで見せることがある。相手が編集者だけに、いろいろ理屈を並べるより、この方がイメージを共有しやすいのだ。私の著作が人並み外れて膨大な理由の一端はここにある。


年下の上司に「おい、おまえ!」などと呼ばれたりしたら、さすがに平穏ではいられないだろう。こういう時も、頼るべきは『論語』だ。例えば、「君子は泰(ゆたか)にして驕(おご)らず、小人は驕りて泰ならず」という有名な言葉がある。「彼(彼女)はまだ小人だな、かわいそうだな。自分は君子を目指そう」と思えれば、波風が立った心も落ち着くのではないだろうか。


多くの仕事は、人に何かを依頼することから始まる。どれほど立派な企画も、協力者がいなければ実現は難しいだろう。だとすれば、重要なのは「頼み方」だ。いかに相手に「喜んで引き受けよう」と思ってもらえるか。これは、仕事量が増えるばかりの社会人にとって必須のコミュニケーション能力だ。


若手部下の意識を変えるポイントは3つ。

  1. 「徹底的かつ具体的な指示を与える」こと。とくに新人のうちは「手取り足取り」教えるぐらいでいい。
  2. 「修正の回路を持つ」こと。部下が思うような結果を出せない時は、部下を責めるのではなく、自分の指示の出し方を変える。
  3. 「選択肢を用意する」こと。「絶対にホームランを打て」ではなく、「理想はホームラン、できればヒット、最低でもランナーの塁を進めろ」と幅を持たせれば、本人に創意工夫を促すことになる。

日本人のコミュニケーション能力は決して低くはない。「あうんの呼吸」という言葉に象徴されるように、すべてを語らなくても分かり合えたり、相手の表情から本音を見抜いたり、その場の空気を読んで発言を変えたりできるのが日本人。言葉を介さず、以心伝心で意思疎通を図れるという意味では、むしろ私たちは、エスパー級のコミュニケーション能力を持っていると言えるだろう。この点について、すべての日本人はもっと自信を持つべきだ。


新しい人間関係の中で人を判断する際、ポイントになるのが「柔軟性」です。部署には部署のそれぞれの人間関係や仕事のやり方がある。ときには見えない暗黙のルールのようなものもあるでしょう。そういうものに対応し適応できるか。職場や部署のやり方に合わせる力を持ち、自分のやり方に固執しない。私は「修正力」と呼んでいるのですが、仕事ができる人は「柔らかさ」と「修正力」を持っている人だと思います。


一番危険なのは「分かってます」「知っています」という言葉。つい口走っていませんか? 孔子は「知るを知ると為し、知らざるを知らざると為す。これ知るなり」と言っています。知っていることと知らないことを明確に意識していることが知るということなのだと。さすが孔子ですね。これが分かれば自分を修正することもできます。


私の中で一つの法則があって、45歳以上の男性はたとえ普通にしていても不機嫌に見える(笑)。年を重ねるほど男子は元気を失って行く。講演でも中高年の男性ばかりの圧力はすごいですよ。無表情で無言。私がギャグや冗談を言えばいうほど冷めていく(笑)。ここで私は負けません。「どうもみなさん固いですね。ちょっと体をほぐしましょうか」と言って全員立ってもらうんです。「みんなその場でジャンプしましょう」。いいおじさんたちが最初はいやいやながらジャンプする。すると一気にほぐれて表情が柔らかくなるんです。そこからは私がちょっとした冗談を言っても、声を出して笑ってくれるようになる。


会話の中でユーモアを理解し楽しめる人は、例外なく表情が豊かで、動作が大きい。つまり体を使っているんです。会話というと言葉が基本ですが、ユーモアを表現するのはじつは動きだったり、表情だったりします。ユーモアというのは動きと関係がある。逆に言うなら、私たちは会話の中に動きを意識的に入れることで、ユーモアを表現できるわけです。


私が好きな言葉の一つに「触発」という言葉があります。触れることによって何かが発生する。相手の考えや言葉が起爆剤になって、こちらから新たなものが生まれ出てくる。英語でいうところのインスパイアですが、何か刺激を受けて鼓舞され吹きこまれることで新たなものが生まれる。インスパイアはインスピレーションにもつながるわけですが、会話もまさに同じ。


人目を気にする人には、共通点があります。それは自分の評価を人に依存してしまっていること。もし自分の評価を自分で下せる人なら、人の目はあまり気になりません。そういう人は自分の言動の良し悪しを自分基準でジャッジしているから、人から何を言われようが真に受けない。だからそもそも他人の目や評価に、いい意味で無頓着でいられるのです。


組織として目標に届かないことは当然ある。こういう時こそ上司の出番だろう。重要なのは「修正」だ。個人の努力や工夫が結果に結びつかないとすれば、新たな手を打つ必要がある。それはちょうど、サッカーやバスケットボールのプロチームが試合で劣勢に立たされた時、監督(ヘッドコーチ)が戦術の変更を指示する感覚に近い。そのバリエーションの豊かさが、名将の証しだ。


発達心理学の基本的な概念の一つに、「最近接発達領域」というものがある。言葉は難解だが、要するにすぐ隣にあるちょっと難しいこと、という意味だ。自分一人ではクリアできなくても、周囲の助けやアドバイスを得てクリアできることがある。それを目指すのが教育の意義であり、それだけコミュニケーションや目標設定が大事ということでもある。


考えてみれば、近代日本を代表する作家の夏目漱石は英文学の専門家でもあった。双璧をなす森鴎外はドイツ語が堪能で、「言文一致」の先駆者として知られる二葉亭四迷はロシア文学の翻訳も手がけている。若き日の福澤諭吉が、漢文と蘭学と英学を学んでいたことは有名だ。諸氏に共通するのは、論理的な日本語を書いたり話したりする能力が極めて高かったことだ。外国語を読み、日本語に再構成する作業の積み重ねが、それぞれの話し言葉や書き言葉を豊かにしたことは間違いない。


ソクラテスの最大の武器は、相手に質問を浴びせかけることだった。詳しいと自認していることでも、あれこれ細かく聞かれると、詳しく答えられない部分がある。それでも返答し続けたり、複数の返答をしているうちに矛盾点が生まれることもある。想定外の角度から質問を受けて、返答に窮することもあるはずだ。ソクラテスの狙いは、こうして相手に「気づき」をもたらすことにあった。わかっているはずのことを分かっていなかったと気づけば無責任な言論は控えて、さらに研究を重ねて分かろうと努力するはずだ。つまり、うぬぼれずに無知であると自覚することが第一歩。これは、いわゆる「無知の知」だ。この手法は、現代のビジネスパーソンも応用できるだろう。


会議などでは特に新人や若手など発言力の弱い人にこそ、「どう思う?」と問いかけ積極的な発言を促すのがポイント。全員が満遍なく発言するような会議なら、個人的な感情のもつれには発展しにくい。それはちょうど、目まぐるしくパスを回しながらゴールを目指す「全員サッカー」のようなものだ。チーム内で足を引っ張り合うのは言語道断で、協力し合わなければ結果を残すことはできない。


学生時代、法学部に在籍していた私の得意技は「論破」だった。友人たちと居酒屋に行っては議論を吹っかけ、理屈で相手を追い詰めることに快感を覚えていた。だが、次第に私は仲間内の酒席に呼ばれなくなった。いちいち理詰めで黙らされては、せっかくの酒が不味くなると考えたのだろう。これは当然の帰結だ。以来、私は猛省することになる。筋の通った理屈で論破しても、そこには一文の価値もない。むしろ、人間関係を壊すという大きな代償がつきまとう。


好かれる毒舌、嫌われる毒舌の分かれ目はどこなのか、世間の感覚を知るためにとてもいいのが、ヤフーニュースのコメント欄です。私はこれを読んで読んで読みまくっている。ニュースについてのコメントはほぼ目を通しますし、炎上している芸能人の発言に世間がどう反応しているかも、よく見るんです。賛同を集めているコメントの順に上から並んでいるのですが、上位のコメントはそれなりにまともで、なるほどなと思わせます。こういう世間の感覚とズレた発言をすると、炎上するというわけです。それに面白いのが、たまに爆笑を誘う毒舌コメントがあること。厳しい意見で笑えないものが多い中で、笑いのセンスのいい、宝石のようなコメントが潜んでいるんです。よくこんなことを思いつくものだと、いつも家族に見せては笑っているんです。実は、こういうコメントをセレクトすることが笑いの練習になります。


本から学んだことを生かすためには、「自分にひきつけて読むこと」を心がけましょう。たとえば『論語』に「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という言葉があります。「何事もほどほどが大切。やり過ぎは良くない」という意味ですが、単に読むだけで済ませてはいけません。自分の行動を振り返り、この言葉が当てはまる場面がなかったか考えるのです。「昨日、部下をしつこく怒ってしまったけど、あれはやり過ぎだったのではないか?」というように、実体験と結びつける。そうすればその言葉は、実体験とセットであなたの脳に焼き付いていきます。


新書を買ったら、すぐに近くのカフェに入り、1冊20~30分程度で、大まかな内容を把握しましょう。知識欲が熱いうちに読むことで、頭に入りやすくなるのです。短時間で内容をつかむコツは、本の中から重要そうな部分を見つけ出し、2割だけ抜き出して読むこと。案外、それだけでも必要な情報は得られるものです。その上で、本の内容を要約しましょう。すると「どんな本?」と聞かれても概要を説明できるようになります。さらにその内容に関するアンテナが立つので、新聞などを読んだときに、関連情報が目に飛び込んでくるようになります。すると、どんどん知識が増えていき、知識が深まっていくのです。


失言を避けるための3つの心得

  1. 「ここだけの話」は通用しない。「人の口に戸は立てられない」と肝に銘じ、どんな場であれ、相手が誰であれ、ネガティブな話は避ける。
  2. 安請け合いと謙遜しすぎに注意。相手にいい顔をしようとするほど、かえって信頼を失うことになる。
  3. 間が持たなくても、相手のプライベートに踏み込まない。相手が自慢気味にすなら聞き役に徹すればいいが、自分からは触れないのが吉だ。

不用意な発言をした政治家が、国会やメディアで叩かれて窮地に立たされる。残念ながら昔も今も良くある光景だ。世間からは「本音が出た」「おごり」などと非難されるのが常だが、基本的に悪気はないだろう。恐らく根底にあるのは「サービス精神」だ。たいていの失言は、講演会など自身の支持者に囲まれた場で生まれる。そういう聴衆に「面白かった」と思ってもらいたい一心で、オープンな場では言えない裏話やきわどい意見を、しかも誇張や脚色を交えて披露してしまうわけだ。彼らを他山の石、または反面教師とさせていただくことは重要だろう。私たちの日常でも、やはりまったく悪気はないのに、たったひと言の失言で相手からの信用を失ったり、誰かを傷つけてしまったりすることはよくある。


パーティーは、日常の仕事で必要な「コミュニケーション力」を鍛える場にもなる。初めて会う相手をできるだけ早く正確にプロファイリングすることは、社会人として欠かせない能力の1つだ。信用できるか、仕事ができそうか、自分に何を望んでいるかを短時間で見抜けなければ、大きなチャンスを逃したり、落とし穴にはまったりしかねない。つまり人間観察力が問われる。パーティー会場なら、これをゲーム感覚で楽しめる。事前の情報がゼロの中で、相手の身なりや仕草、ちょっとした雑談から人となりを探ってみよう。


パーティーに出席する目的は、「主催者への義理を果たす」ことに加え、「普段会わない人と交流する」こと、さらに「人脈づくり」だろう。だが無理矢理、積極的にならなくてもいい。ひと言も発せずに帰るのは寂しいが、誰彼かまわず話しかける必要もない。それよりも、「誰か1人と話ができればいい」くらいに考えること。狙い目は、同じく壁際でぽつねんとしている人だ。孤独な人同士が仲良くなるというのは、学校の教室でもよくあること。さり気なく近づいて、「随分盛大なパーティーですね」「どういう関係でご出席されているんですか」「こういう場はなかなか慣れなくて……」などと声をかける。わざとらしさは否めないが、これがパーティーにおけるコミュニケーションというもの。アルコールの力を借りつつ、「パーティーの恥はかき捨て」の精神で臨んでみよう。相手も社会人ならわきまえているはずだ。


対上司でストレスをためない実践的な方法、それは上司のみならず、社内のすべての相手に敬語を使うこと。上司と敬語で話すのは当たり前。一方で部下や後輩に対してはタメ口で話す人が多いだろう。しかし極端な場合、昨日まで部下だった人が今日から上司になることもあり得る。その時、急に敬語で話すのは抵抗があるはずだ。ならば最初から、分け隔てなく敬語で話す習慣をつければいい。これはある意味で、天下無敵のコミュニケーション術だ。人間関係は、言葉の細部に宿る。どういう敬語を使うかで、関係性や相手に対する感情も伝わる。それを逆手に取り、とりあえず丁寧な言葉さえ使っておけば、どんな相手でも決して悪い気はしない。つまり、余計な敵を作らない。


『論語』の中には「其の位に在らざれば、其の政(まつりごと)を謀らず」という言葉がある。「その役職に就いていないなら、余計な口出しはするな」ということ。誰が上司であれ、部下は適度なコミュニケーションを取りつつ、指示があれば素直に従い、自分の職務を全うすれば十分。上司の方針に異議があるなら、自身が上司になった時に改めればいい。これが、組織内の人間関係を円滑に保つ秘訣だ。


頼み方の大前提は、熱意や誠意といった「情」を見せること。自分はその仕事のためにどこまでエネルギーを注いできたか、なぜ人の力が必要なのかを文書や口頭で示す必要がある。単純に本人が楽または得をするための依頼なら、相手も自分本位で考える。しかし第三者のためだったり、努力している様子がうかがえたりすれば、多少無理をしてでも支援したくなる。それが世の常というものだ。人に何かを頼む際には、まずこの点を自問してみる必要があるだろう。


大切なのは送信やプリントアウト前のチェック。読み直すだけでは確認漏れになりがちなので、あらかじめ「チェックリスト」を作っておけばいい。誤字・脱字はもちろん、「礼儀」「要件」「熱意」3要素は整っているか、日付や宛名に間違いはないか等々、どんな文書でも注意点はほぼ同じ。リストがあれば漏れを防げます。また、仕上げに音読し、流れやリズム感を確認するのも効果的。


ビジネス文章を書くときも「型」を持つといいでしょう。ビジネス文書に欠かせないのは、「礼儀」「要件」「熱意」の3要素。ビジネスパーソンなら、これまで多くの文書を送受信してきたはず。その中から、3要素が整っているものを「良例」としてピックアップし保存しておく。いざ自分が書く時には、それをフォーマットにして必要な部分だけ加筆・修正すればいい。これが「型」を持つということです。こうした良例はあくまで上手な文章の参考なので、文脈に合わせて、自分でアレンジして使いましょう。


昨今、職場で「孤独」を感じているビジネスパーソンは少なくないらしい。個々人で行う仕事が増えたうえ、人間関係も希薄。だから仕事がキツくても、何か悩みを抱えていても、本音で相談できる相手がいなかったりする。しかし、そういう濃い関係はそもそも必要ないのかもしれない。むしろ人に依存しすぎるあまり、傷ついたりケンカ別れしたりすることもある。それよりも、まずは自立心や向上心をしっかり持つこと、そして周囲の人に期待しすぎないこと。


「もっと強くなりたい」とか「逆境に立ち向かう勇気が欲しい」と思う時、最も即効性のある「カンフル剤」は本だろう。それも自己啓発書やビジネス書より、古今東西の偉人たちの自伝や評伝の方が刺激的だ。何しろ世に名を残すくらいだから、とてつもない困難を乗り越えて何かを成し遂げたことは間違いない。中でもおすすめの1冊を挙げるなら、福澤諭吉の『福翁自伝』だ。力強い生き方に刺激を受けるという意味でも、話し言葉としての日本語を学ぶうえでも、私は「すべての日本人必読の書」だと思っている。


トラブルについて上司に報告する時は、まずできるだけ簡潔に、結論だけスパッと報告するのが正しい。前フリも、細かい経緯の説明も不要。せいぜい10秒以内で言い切ると肝に銘じよう。トラブルやミスを起こした当事者なのに他人事のように聞こえる恐れがある場合には、最後に「すみません」と添えることも忘れずに。そこから先は、上司に聞かれたことに答えていく形でいい。


コミュニケーションは「能力」と言うより「技」。「能力」と言うと持って生まれたものが大きいイメージがありますが、「技」は学習して練習することで誰でも身につけることが可能。コミュニケーションも技であり、体系的、理論的に学べば誰でも身につけることができる。じつは私も学生時代はコミュニケーションがお世辞にも上手だとは言えない学生でした。友達も少なく孤高を気取っていましたが、これではいけないと。社会人になって意識的に訓練し、自分自身コミュニケーション力を高めてきたという経験があります。


これからの時代、コミュニケーションの上手な人と下手な人の二極化がますます進むと見ています。たとえば上司と飲みに行ってコミュニケーションするのがストレスになる人と、それを楽しめる人。前者はますます上司と疎遠になるでしょうし、後者は上司から可愛がられるから、ますますコミュニケーションが取りやすくなる。そうなると当然ですが入ってくる情報の質と量が違ってきます。また本人のコミュニケーション力自体も場数を踏むことで上がりますから、同僚とのコミュニケーションや取引先や得意先などとの人間関係にも影響するでしょう。結果、仕事の成果に大きな差が出る。


たとえば企画書を書いて上司に提出する。どうもいい顔をしない。そこで自分の考えを主張するのではなく、どこに問題があるかポイントを指摘してもらう。即座にその点を修正して企画書を書きなおし、「これで大丈夫ですか」と確認をする。こういう人は印象がいいですよ。まじめに改善しようという素直さと前向きさ。上司からしたら可愛い人物に映ります。新しい職場や人間関係の中に入ったら、修正力があることを逆にアピールしましょう。うちのスタイルはこうなんだと言われたら、それに合わせて、修正し確認する。すると周囲はこの人は修正力と適応力がある人だということで安心するのです。


コミュニケーションの基本は相手の存在を認め、受け入れること。教育実習に行く学生に私はよくアドバイスするのですが、「初日に学生全員の顔と名前を一致させなさい」と。できる学生がいるんです。すると最後実習が終わって評価表に「初日に生徒の名前を全部覚えていた、とてもやる気と情熱に溢れていた」と書かれていて、非常に評価が高かった。新しい環境の中に溶け込むには、できるだけ早く名前と顔を一致させて、会話の中でさりげなく相手の名前を挟んでやる。自分の名前を覚えてくれていると印象がガラリと変わります。


ある新入社員が実際にやって効果があったのが「挨拶」。そんなことはやっているよと言うかもしれませんが、朝職場で漠然と全体に「おはようございます」と言う人が多いのでは? 彼は席につくまで、職場の一人ひとりに丁寧に挨拶して行く。それもあまり大声ではなく、相手の邪魔にならない程度に。自分にしっかり挨拶してくれたという気持ちになると、人はその相手に好感を持ちます。


先日大学で、学生の方から「しっかり出欠を取って欲しい」と要望があり、びっくりしました。時代も変わったんですね。そこで私は出席票を配るようにしたのですが、その紙の裏に授業に対する感想や要望を書き込んでもらうようにしました。厳しいクレームはありませんが、授業の進め方の提案だとか、建設的なものが多い。そういう意見をフィードバックして、次の授業をさらにブラッシュアップ! お互いがハッピーになれるコミュニケーションを、皆さんも意識的に作り上げて行って欲しいと思います。


テニスのコーチをやっていた時、サーブでもどう打つかという指導より、実際に打ってもらって、いま1メートルアウトしたよ、何十センチアウトだよと、結果の数字だけ伝えるようにしました。すると自然と修正が利いて、入るようになってくるんです。これって人間関係でも同じ。ある会話をしていて急に相手の機嫌が悪くなったと。何がいけなかったのか自分なりに反省して、次に修正してみる。この繰り返しで、次第にいいコミュニケーションができるようになる。


準備を怠らない人は、自然に「融通力」が身に付きます。準備をすることというのは、こんな状況のときにはこうしようというシミュレーションをすること。それが「融通力」につながる。誰でも融通の利く人と仕事をしたいと願います。たとえば打ち合わせの時に、何かこちらから提示したときにいちいち「社に持ち帰って検討します」なんて言われたら、「子供の使いか?」って思ってしまう。そんなときに、「最終確認は社に戻って取りますが、仮に対応ができた場合は、こういう風に進めることができると思います。最悪ノーとなった場合はこんな展開になると思います」というように、ケースに分けてシミュレーションをされたらどうでしょう。もっと早い人はその場で携帯で社に電話をかけて確認を取ってしまう。


自分で自分を評価できるようになるには、「これさえ守っておけばOK」という自分ルールを決めることです。たとえば人に会ったときは必ず名前を呼んで挨拶しようとか、SNSの誘いはリアルな友達だけに限定しようなど。こうして「これさえ守っておけば迷惑はかけないだろう」といったラインを決めてしまい、あとはそれを粛々と守る。逆に言えば、自分ルールを守ればあとは自由にできるということ。これなら人目を気にして一喜一憂するより、はるかにストレスは軽くなります。


齋藤孝(教育学者)の経歴・略歴

齋藤孝、さいとう・たかし。日本の教育学者。明治大学文学部教授。静岡県出身。東京大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科後期博士課程単位取得後、明治大学文学部教職課程助教授を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論。著書『声に出して読みたい日本語』は150万部を超えるベストセラーとなった。そのほか、日本語教育、ビジネス、コミュニケーションに関連した一般書籍を多数執筆。テレビで幼児教育番組の監修や、ニュース番組のコメンテーターとしても活躍した。

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