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高橋茂雄の名言

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高橋茂雄のプロフィール

高橋茂雄、たかはし・しげお。日本のお笑い芸人。京都府出身。立命館大学産業社会学部卒業。柔道部の先輩・八木真澄とお笑いコンビ「サバンナ」を結成。テレビや劇場で活躍した。

高橋茂雄の名言 一覧

僕なら、なるべく相手の長所を見つける努力をするかなぁ。その人の良いところばっかり見るようにしたら、好きになれそうでしょ。


イライラするやつがいたら、おかんの目線でその人を見るようにしてます。すると途端におもろくなって、仕方ないな、可愛いやつやなとなるんです。名づけて「おかん変換」(笑)。


後輩で好きなタイプは「隙のあるやつ」っていうのかな。自分のミスや失敗談をさらけ出せる人。後輩に自慢話をされても面白くないでしょ。「俺、仕事できますよ!」なんて見栄を張ったらダメ。「じゃ、やってみろや」ってなるでしょ。弱いところを見せられる人間の方がかわいがられますよね。


僕たちの世界でも仕事をたくさん頼まれる人は、ほんまに感じがええ。それって、周りを客観的に見ていて、気遣いができているからやないですか。


他人のアイデアを押さえつけるのはアカン。逆に、そのアイデアが膨らむように仕向けるべきやと思います。「それええね。でも、こうしたらもっと面白いんやないですか?」としゃべります。それから自分のネタを出したらええんちゃいますか? その方が説得力もあり通りやすい。要はネガティブじゃなくてポジティブに意見を出すことやと思います。


たまに「俺この前の舞台でメッチャウケたわ」とか「合コンでモテて……」なんていうヤツがいますが、誰も他人の成功した話なんて聞きとうないんです。後輩を客観的に見ていても、可愛がられるヤツというのは「スキ」がある人。「おまえ、アホやな」と言われるくらいのほうがちょうどいい。完璧な人は仕事はできるんやろうけど人間味がなくて「こいつと飯行こう」とか「一緒にいて、居ごこちがいい」とはなりません。


叱られたらアフターフォローしておくといい。たとえば「昨日はメチャメチャ怖かったです。もう電車に飛び込もうかと思いましたわ」と言えば「そこまでせんでええがな」となり、互いに後味が良くなります。


その場しのぎで要領よく切り抜けようとしても絶対バレます。逆に「小賢しいねん、よけい腹立つわ!」とそっぽを向かれかねません。失敗したときは「まあええ、次頑張れや」と言ってもらえるまで謝るしかない。


旅行の話なんかをして、空気が良くなったところでネタの打ち合わせに入っていくことも多い。その方がええネタを考えつきやすいんです。


挨拶は基本中の基本ですが、無理矢理話しかける必要はないと思います。たとえば、ステージの合間に「あの映画、もう観はった?」と聞いて返事をしてくれない場合、それは「いま疲れているから話しかけるな」というサインかもしれないと察するべきやと思います。


感じの良さは工夫で何とかするものというより、その人が持っている空気。それは日頃の態度や行動から出ることやから、急にええ人に思われたいと思ってやってみても、無理なんです。


飲み会の席で先輩に「アホ、酔いすぎやねん」と怒られたことは何回もあります。でも、それは注意であって、けっして嫌われたわけではありません。そこできちんと反省したら、それ以上に可愛がってもらえることもあります。


日テレさんにもお世話になってますし、大阪の局にも、どこの局にも足を向けて寝られません。(間)寛平師匠にも(千原)ジュニアさんにも大勢の先輩方にも、どこにも足を向けられないので、最終的には立って寝なあかんな、と思ってます(笑)。


「太鼓持ち芸人」と呼ばれますが、仕事がほしくてやってるわけじゃないんですよ。大好きな先輩に、その気持ちを伝えたいだけなんです。


「この人のこと、もっと知りたいなぁ」と思って、好きな人と一緒にいるうちに距離が縮まってきますよね。僕は、それで自然と仲良くなれるんです。嫌いな人とは無理ですもん。でも、「この人イヤやなぁ」っていう人は、僕の周りにはあまりいないんですよ。


最近、僕が大事にしているのが、年賀状です。ある番組をきっかけに筆ペン習字にハマり、2年前から、年賀状を全部手書きで書くようになりました。黒、金、赤と3色を使い分けて、相手によって文面やデザインは全部変えます。「この人なら、何を書いたら喜んでくれるかなぁ」と相手のことを考えている時間がたまらなく楽しいんですね。僕の場合は、手渡しが基本。元日に番組で会う人や、正月に会う予定がある人をあらかじめ想定しておいて、1枚ずつ渡してます。ニヤッとしながら、「ありがとうな」と言ってもらうのがうれしい。もらって迷惑そうな人なんて、絶対にいませんよね。自然にほころぶようなあの感じが、年賀状ならではで、いいんですよ。


間寛平師匠も僕に転機を与えてくださった大恩人です。当時、33歳になった僕は、東京に行きたいと思いつつ、大阪で番組を持って、ご飯も食べられるようになっていたので、踏ん切りをつけられずにいました。そんなとき、コントライブでご一緒していた(間)寛平師匠が59歳にして「高橋、俺、アースマラソンに行ってくるわ」と言い出しました。東京にビビってる自分とはえらい違い。「仕事全部なくなってもええから行くわ。家の右から出て、地球一周して左から帰ってきたらおもろいやろ」って。僕は寛平師匠に手紙を書きました。「師匠の姿を見て、東京行きを決めました。師匠がゴールされるまでには、東京で一緒に仕事ができるような芸人になっときます」と。


高橋茂雄の経歴・略歴

高橋茂雄、たかはし・しげお。日本のお笑い芸人。京都府出身。立命館大学産業社会学部卒業。柔道部の先輩・八木真澄とお笑いコンビ「サバンナ」を結成。テレビや劇場で活躍した。

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