青木均一の名言

青木均一のプロフィール

青木均一、あおき・きんいち。日本の経営者。東京電力社長・会長。静岡県出身。東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業後、繊維商社の東京毛織、土管メーカー日本陶管で工場長・取締役を経て、品川白煉瓦(後の品川リフラクトリーズ)に移り、支配人、専務、社長を務めた。また、日本耐火煉瓦統制の社長を兼任した。太平洋戦争後、東京電力取締役から社長・会長を務めた。そのほか、日本耐火煉瓦工業組合会理事長、国家公安委員長、経団連常任理事なども務めた経営者。

青木均一の名言 一覧

いままでは自己を主張しすぎて、人に容れられなかった。今度は人の言うことを聞くことによって、自分というものを受け入れられた。世の中とはこうしたものだ。自分一人で生きているものではない。大勢の感情の集まりが世の中だ。しからば自分の意見を通そうと思うなら、まず聞いてやるのが順序だ。


私の経営の重点は、ひと口に言えば技術の尊重であり、科学的経営でもあるということに尽きる。


勝てば官軍、負ければ賊軍であり、いかに苦心して会社を経営しても、会社業績があがらなければなんにもならない。こうなると同じ努力をしても、その当たる場面とときによって、ずいぶん運不運がわかれるものだ。
【覚書き|日本陶管、品川白煉瓦時代に青木氏が仕えた伊藤多兵衛氏について語った言葉。伊藤氏は品川白煉瓦の経営再建に貢献したが、金解禁の不況時に亡くなったため、株主たちから悪党呼ばわりされた】


人に大きな去就の問題を勧めるときには、もちろん自らの一切を犠牲にする覚悟がなければいけないだろう。


私は品川(品川白煉瓦)の経営状態、とくに生産関係の調査を中心にしてときどき工場を見て回っていた。私は陶管(日本陶管)でやったと同じように、各工場ごとに設備の内容を分析し、どこにネックがあるかを確かめ、再建に対しておぼろげながら対策は持っていた。
【覚書き|品川白煉瓦に経営再建を託されたときを振り返っての発言】


新たに苅谷に新しい工場を建てることになった。建築業者が見積もりを出したら、その一人が夜分訪ねてきて、紙に包んだものを置いていこうとする。これは何だと聞いたら、あなた様に対するご挨拶だと言うので、開けてみたら現金が入っている。私は怒って紙包みを突き返した。私たちの観念では、仕事に関連してモノやカネをもらったり、やったりすることは悪いことだと考えていたし、また教わってきてもいた。現代はこの考えは少しルーズになったように感ぜられる。


信長を研究することによって信長の偉さを知った。私は秀吉びいきであり、いまでも変わらないが、信長がなかったら秀吉は出なかっただろう。しかし秀吉はなくても、信長は出ていた。稀代の大器であり、天才児である。信長を知ったことは、私にとっても得るところが多かった。
【覚書き|日本陶管高浜工場長時代を振り返っての発言。同工場は桶狭間に近く、青木氏は古戦場を直接見に行ったことをきっかけに信長を研究することになった】


不思議といえば不思議な現象だ。私は高浜へ来て一切自己を主張しなかった。ひたすら人の言うことを聞いた。それがかえって私の信頼を増し、私の人望をつくった。世の中とはこうしたものだ。私は初めて世の中という難問題に対する回答を、この地の果てと思ったところで得た。
【覚書き|日本陶管高浜工場長に就任したときを振り返っての発言】


私は朝早くから工場に行き、職長たちと親しみ、晩は職長たちを呼んで茶菓をだして話を聞いた。経営の核心を知るために、原価を的確に知りたく、原価計算も研究した。私のこうした仕事ぶりは、周囲に好感をもって迎えられた。職長たちも、今度の人は前の人たちとは違う、よく話の分かる人だと褒めてくれた。
【覚書き|日本陶管で高浜工場長に就任したときを振り返っての発言】


青木均一の経歴・略歴

青木均一、あおき・きんいち。日本の経営者。東京電力社長・会長。静岡県出身。東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業後、繊維商社の東京毛織、土管メーカー日本陶管で工場長・取締役を経て、品川白煉瓦(後の品川リフラクトリーズ)に移り、支配人、専務、社長を務めた。また、日本耐火煉瓦統制の社長を兼任した。太平洋戦争後、東京電力取締役から社長・会長を務めた。そのほか、日本耐火煉瓦工業組合会理事長、国家公安委員長、経団連常任理事なども務めた経営者。

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