阿部寛の名言

阿部寛のプロフィール

阿部寛、あべ・ひろし。日本の俳優、モデル。神奈川県横浜市出身。中央大学理工学部電気工学科在学中、ノンノボーイフレンド大賞に応募し優勝。以降『ノンノ』や『メンズノンノ』でモデルとして活躍。映画『はいからさんが通る』で俳優デビュー。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞、毎日映画コンクール男優主演賞、京都国際映画祭三船敏郎賞、橋田賞ほか多数受賞。

阿部寛の名言 一覧

ピンチは簡単には乗り切れないということはわかっています。何とか越えようとあがいても、大抵空回りになってしまいますから。でも、その努力が大切なんです。空回りした数だけ、ちゃんと自分の宝になるんですよ。


仕事はどんなことでも、手を抜きたくない。手を抜くと、抜いた分だけダメになる。自分のことを上手い俳優なんて思ったことはないですから。


自分にはムリだと思うような役柄のオファーをもらった時ほど、演じたあとに掴むものは多い。


毎回、死に物狂いで仕事に取り組んだら、そのぶん燃焼しますし、結果的にできてもできなくても自分が掴むものは確実にあった。


「自分の仕事を好きになる」ことが、成功するための近道。


お金って、欲しいなって思うと逃げていっちゃうと思うんだよね。追ってはいけないものですよ。


役者は技術だけじゃなくて、いままで生きてきた人生の塊みたいなものが出る。


自分の役は作品のクオリティを含めて、周囲と戦ってでも自分自身で守らなければいけない。


与えられた役ですから、イメージしている人物に近づくように痩せるのはあたりまえのことですよ(笑)。

【覚え書き|役作りのため1日で7kg痩せたことについて】


40歳を過ぎ、面と向かって怒ってくれる人も少なくなってきました。だから、自分で自分に厳しくなるしかない。毎回新しいチャレンジ、試練のつもりで現場に臨んでいます。


映画やテレビで主役の話が来たりして、軌道に乗り始めたなと思っても、苦しかった時代を忘れず、とにかく全力投球することを心がけています。


先輩方と一緒に仕事をさせていただくときは、世間話をしながらも、その人の役者としての考え方や姿勢を参考にしようといつも考えています。こちらが聞けば、タダですごいことを教えてくれます(笑)。結局、自分がアンテナを立てているかどうかが大事なんだと思います。


目標にしている役者さんはたくさんいます。年齢が上になればなるほど、役者というのは厳選されていくものなんです。20代よりも30代、30代よりも40代になるほど有名な役者さんが減っていくのは、それだけ第一線で活躍し続けていくことが難しいからです。僕よりも上の年代の役者さんたちは、長い間モチベーションを保って続けてこられた方たちばかりですから、みなさん目標になります。


将来のイメージをそれほど明確には持っていません。ただ、自分より10歳ぐらい上の先輩の方たちのことはよく観察しています。そうした先輩方の役者としての情熱や立ち位置、仕事ぶりなどを見ながら、「10年後、自分はどうなっていたいか」をなんとなくイメージしています。


自分を客観視することは確かに難しいです。それにはやはり、相談できる相手が必要です。自分が考えていることを何でも話せる人が一人いるかいないかで、全然違う気がします。別に意見を言ってくれなくてもいい、聞いてくれるだけでいいんです。取り留めもなく話しているうちに、自分の中で考えがまとまっていくんです。


20代後半で仕事がなくなった時期、いただいた仕事は何でもやるようにしました。そして、どんな仕事でも、やるからには必ず何かお土産を持ち帰って自分の肥やしにしてやろうと。そうやって仕事に取り組んでいくうちに、仕事に対する楽しさや、やりがいをどんどん感じることができるようになったんです。


観る人が新鮮な気持ちで楽しんでもらえる作品をつくるということを、いつも自分のテーマにしています。それに僕自身、同じところで満足したくないという気持ちもあります。勝算のあることだけを繰り返すのは、飽きてしまうんです。


20代後半のころは完全に落ちていました。仕事はほとんどない状態、雑誌の「あの人はいま」みたいな企画で何度か対象になったこともあります(笑)。でも追い込まれたときに、初めて自分の置かれた状況や位置を真剣に考えたんです。最初は自分には何が足りないんだろうと考えました。それだけだとマイナス思考に陥ってしまうので、次に自分が有利なところは何だろうと考え、ひとつひとつ挙げていきました。


いま振り返ると、ただ単に仕事に恵まれていた最初のころは何も楽しくなかったんですよ。この世界にポンと飛び込んできて、あまり苦労せずに一瞬にして多くのものを手に入れてしまって。幸せなことですが、楽しさがわからなかった。でも、逆境に追い込まれたからこそ、仕事の大切さがわかり、自分の位置を客観的に見ることができるようになった。周囲からの評価や自分の実力も含めて、ありのままの自分を認めることができたあのときが、僕の本当のスタートだったような気がします。
【覚書き|20代後半で仕事がなくなって深く考えた時期を振り返っての発言】


僕はラクしてこの世界に入った人間。学生時代からメンズノンノのモデルをして、表紙までやらせていただいて、アッという間に役者にもなれた。でも、段々、人から飽きられてきた。つくづく自分は武器を持たずに、この世界に入ったんだと身に染みましたね。どうするか模索する日々が続いたんです。


僕はモデルから俳優になるとき「この世界に向かないよ」って人に言われました。自分でもそう思いますけど(笑)。でも、向かないと言われながら続けてきたことがひとつの力というかエネルギーになってきたところがある。その意味でマイナスの言葉もアリですよ。はねのけて頑張れば役立ちますからね。


そのときはうるさいと思っても、20代、30代で怒られた言葉が役に立ってくる。「ああそういえば」、とちょっとした合間にふと思い出す。身に染みてわかるようになる。真剣な言葉は頭に残る。


気をつけたことは、同じような役はやらないということ。コメディーに出たら、次はシリアス、次はまた違うキャラクターと変えていきました。ひとつの役を演じ終えたら、また似た役を演じてイメージを固めたくなかったんです。


僕は昔から仕事が好きなので、情熱だけは誰にも負けないと思っているんですよ。情熱があれば、挑戦する意識も強くなる。だから自分が挑戦しても挑戦しても挑戦しきれない、ハードルが高くて手が届かない仕事にこそ意欲をかきたてられます。


たぶん、どんな仕事でも50代なら脂がのりきっているはずですよ。いままで失敗も含めて相当な経験を蓄積してますからね。僕自身、何歳になっても自分の力を信じて、上に上がろうとする気持ちを大事にしていくつもりです。


決して順風満帆にやってこられたわけではありません。仕事がなくて悩んだり、もらった役を思うように演じられなかったり。それでも、僕を信じて支えてくれた方々にチャンスをいただけたのでここまでやってこられたと思います。


30代になって、意識を変えたんです。とにかく、いろんな仕事に自分から飛び込んでいきました。お話をいただいたものはすべて受けて、得意だろうが不得意だろうが、自分に合わないとか関係なく飛び込んで、現場からなにかを得て帰ろうとガムシャラにやってきましたね。最初はわからずに入っていきましたけれども、自分の中で固まっていくものが徐々にできてきたんです。


最近は、他の俳優やスタッフとのコミュニケーションの重要性を痛感しています。きっかけは、「コースト・オブ・ユートピア」という舞台を経験したこと。9時間にも及ぶ上演時間で、稽古の時から追い込まれました。もう限界だと感じたある日の昼休みに、ふと自分の楽屋を出て、気分転換に他の役者やスタッフが集まる部屋に行ってみたんです。そのまま雑談をしながら、一緒に昼ご飯を食べました。すると、悩んでいた気持ちが少しラクになったんです。それから、毎日皆でご飯を食べて、時間を共有するようにしました。段々と、自分だけで抱えていたプレッシャーが軽くなったし、皆のサポートも以前より増してきました。おかげで過酷な舞台も乗り切れたんです。「自分を豊かにしてくれるのは、皆と一緒にやっているからだ」と強く思いました。恥ずかしながら、40代になってから気付きました(笑)。


阿部寛の経歴・略歴

阿部寛、あべ・ひろし。日本の俳優、モデル。神奈川県横浜市出身。中央大学理工学部電気工学科在学中、ノンノボーイフレンド大賞に応募し優勝。以降『ノンノ』や『メンズノンノ』でモデルとして活躍。映画『はいからさんが通る』で俳優デビュー。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞、毎日映画コンクール男優主演賞、京都国際映画祭三船敏郎賞、橋田賞ほか多数受賞。

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