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長榮周作(長栄周作)の名言

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長榮周作(長栄周作)のプロフィール

長榮周作、長栄周作、ながえ・しゅうさく。日本の経営者。「パナソニック」会長、「松下電工」社長。愛媛県出身。愛媛大学工学部電気工学科卒業後、松下電工に入社。ナショップ照明事業部商品企画開発部照明商品技術開発担当主査・次長、施設・屋外照明事業部商品企画開発部次長・部長、インドネシア子会社P.T.MABEL社長、SUNX(のちのパナソニック・デバイスSUNX)社長、松下電工(のちのパナソニック電工)照明デバイス開発事業部経営執行役事業部長、松下電工社長などを経てパナソニック会長に就任。そのほか(社)日本建材・住宅設備産業協会会長などを務めた。

長榮周作(長栄周作)の名言 一覧

何よりもまず、素直な心で基礎を形成しておかなければ、大きく成長していくことは難しい。


複数の道から、進むべき道を選択しなければいけなくなった時には、衆知をしっかりと集めた上で、リーダーがより正しい道を選んでいくことが肝要。


一度や二度却下されたくらいで諦めたりせず、何度でも挑戦して上司を攻略しなさい。A案が駄目ならB案、それが駄目ならC案を出して、上司が首を縦に振るまで粘り続け、工夫し続けなさい。


私はできるだけ「君ならどう考える?」と尋ねるようにしている。部下に自分で考えるように仕向け、同時に、そこで学びを深めた部下から「より良い知恵」を集めることができる。


構造改革だけでなく、成長戦略も同時に練っていかなければならない。新しい事業を他社に先駆けてスタートさせるためには、思い切った先行投資をすることも大切になる。


正しい仕事をしても、それが通らないことが世の中ではよくあります。そんなときは、正攻法でいくのではなく、攻め方を変える。失敗しても、しつこくやり方を変化させていく。


正しいと思ったことは、途中で諦めてはいけない。たとえ諦めざるをえない状況になったとしても、自分から匙を投げてはいけない。


基礎ができていなければ、決して強くはなれません。高校の剣道部時代は、先生や先輩から「何事も基本が大切」ということを体で教えてもらった日々でした。


リーダーは会社のトップとしてではなく、人間として尊敬されなくてはならない。それには普段の言動が重要です。部下が挨拶しても知らんぷりでは、「なんやこの人」と思われてしまいます。


困難なことでも、一通り経験しておけば、次に同じようなことが起こったとき、対処が可能です。


挨拶するのは上司からでもいい、気づいた方からすればいいんです。そうした細かいことを大切にするのが、人間として尊敬されるリーダーです。


分からないことをそのままにして次に進まない、これが「守」です。基本をきちんと押さえてから応用に進む、これが「破」ですよね。ここまではいいのですが、「離」がなかなかむずかしい。「離」に達するのは一筋縄ではいきません。ただひとつ、これが大事ではないかと思うのは、「自分のすべてを捨てて向かっていく」ということです。


仕事も、無心で取り組むことができたとき、「守破離」の「離」に達するのではないでしょうか。


29万人の社員一人ひとりと向き合うわけにはいきませんが、できるだけ職場を回って、社員の声を聞くようにしています。特に若手社員とは懇談会を開き、「何を言ってもいいよ」と前置きした上で、自由に意見を言ってもらっています。


今、会長職として求められるリーダーシップとは何か、と問われれば、29万人の社員が気持ちよく働ける環境をつくることではないか、と考えています。


先のことを見通すのは、いかなる経営者にとってもむずかしいことですが、経験があれば、それをベースにリーダーシップを発揮していけるのです。


海外に工場をつくるときは、工場を建てる前にまず、現地に合わせた品質基準をつくらなければならない。そうしなければ、競争には勝てません。


現地のニーズに合わせた商品をつくることが大切です。どれほどよい商品でも、日本のニーズに合わせたものは、現地の消費者には受け入れられません。


私はかつて、インドネシアの関連会社で仕事をしたことがありますが、ここではショッキングなことがいろいろ起こりました。現地の事情や社員の考え方が、日本とはまったく違いますから。しかしそのおかげで、国内にいたのでは決してできない経験をすることもできました。


社長はいつもニコニコしているほうが、仕事ははかどると思っています。社員が率先して意見を言い合いますし、会議も前進します。


パナソニック電工社長に就任したとき、心に決めたことがあります。「決して怒らないでおこう」ということです。腹が立っても、部下をどなりつけない。社長が上から叱責してしまうと、部下は萎縮して意見を言わなくなってしまいますからね。企業のトップがどなったことで、重要な会議がストップしてしまった場面を、私は何度となく見てきました。しかし、これでは衆知を集めることなどかないません。


私が若かったころ、ある上司から「書類は6~7割できていたらそれでいい。走りながら修正していけばいいのだから」と言われことがありました。確かに、6割できたら次のことに着手したほうが、仕事をスピードアップできます。それに、今日できることは今日中にやってしまったほうが、明日を気持ちよく迎えられますしね。


私は仕事のことで部下に相談されても、すぐに答えを教えたりはしません。「君はどうしたいんだ?」と必ず聞き返します。そうすれば、部下は自分で考え、決めようとする。迷うたびに上司が答えを言ってしまったら、指示待ち人間ばかりが増え、正しい仕事を粘り強く実現していける部下は育ちません。


商品企画の部署にいたとき私の上司は、簡単にOKを出すような人ではありませんでした。何度も企画を突き返される中で、大いに鍛えられました。私はある意味、上司に恵まれていたと言えます。


迷った時は、自分たちが果たすべき社会的な使命と照らし合わせて、「より正しい」と思うほうを選ぶよう努めてきた。100%の満足が得られないにしても、「より正しい」道を選んでおけば、概ね事業はよい方向に進むもの。


部下の指導においては、丹羽(正治・松下電工)社長に学んだ「掘り抜き井戸」の話をすることがあります。「掘り抜き井戸」とは、水が湧き出るまで決して諦めずに穴を掘り続けること。掘る努力を続けても、水脈に到達する前のところで諦めてしまったら、それまでの努力が無駄に終わってしまうということ。


旧松下電工は非常に風通しのいい会社で、私は若手の頃から上司に対してどんどん自分の意見を述べていました。あとで気づいたのですが、若手でも遠慮せずに意見を述べられる雰囲気がつくられていたということは、その上司が、私のような若手社員から「衆知を集めて」いたのではないかと思います。


創業者の理念や経営哲学は、普遍的真理として今後も受け継いでいかなければなりません。一方で、個々の具体的な事業に関しては、情勢の変化に柔軟に対応していくことが重要です。非常に好調だった事業が、一年か二年のうちに赤字に転落するのも珍しいことではありません。そんな時には素早く見切りをつけて、新規事業に入れ替えていく必要があります。


私は「怒ったり叱ったりせずに、相手の話をよく聞く」姿勢を貫いてきました。もしもリーダーが部下を叱り飛ばしたら、萎縮したり、あるいは反感を買ったりして、部下は意見を言えなくなってしまうでしょう。それでは正しい情報やよい知恵が集まりにくくなります。こちらの気持ちや意図がなかなか伝わらず、もどかしい思いをすることもありますが、それでも我慢し、怒らずにじっくりと話を聞くことが大事だろうと考えています。


創業者(松下幸之助)は、松下電器を創業した初期の頃、ソケットやプラグの材料である「練物(ねりもの)」の原料や製法を全社員に公開しました。技術の流出を防ぐ意味で当時はそうした情報は社員に隠されることが一般的だったため、「ガラス張り経営」の先駆であるとよくいわれます。私としては、そこには全社員と情報を共有して、より優れた知恵を集めるという意図もあったのではないかと推察しています。


人によって教え方が異なりますから、すべてをそのまま受け取っていると、わけがわからなくなってしまう場合もあります。そこで混乱したまま放置せず、しっかりと自分の頭で考えることで、自分なりの剣道、自分なりのビジネスのノウハウを構築できるのではないでしょうか。まずはしっかり受け止め、そこから独自色を出していく。


幼い頃、父親から剣道を習っていた時、「教えられたことは素直な心で聞きなさい。素直でない人間は大成しない」とよく言われていました。父からのその教えを受けて育ったおかげで、結果として、剣道がそれなりに上達できたと実感しています。とらわれない心で素直に受け止めることによって、自己成長に確実につなげられる。


長榮周作(長栄周作)の経歴・略歴

長榮周作、長栄周作、ながえ・しゅうさく。日本の経営者。「パナソニック」会長、「松下電工」社長。愛媛県出身。愛媛大学工学部電気工学科卒業後、松下電工に入社。ナショップ照明事業部商品企画開発部照明商品技術開発担当主査・次長、施設・屋外照明事業部商品企画開発部次長・部長、インドネシア子会社P.T.MABEL社長、SUNX(のちのパナソニック・デバイスSUNX)社長、松下電工(のちのパナソニック電工)照明デバイス開発事業部経営執行役事業部長、松下電工社長などを経てパナソニック会長に就任。そのほか(社)日本建材・住宅設備産業協会会長などを務めた。