金田一秀穂の名言

金田一秀穂のプロフィール

金田一秀穂、きんだいち・ひでほ。日本の言語学者。「杏林大学外国語学部」教授。東京都出身。上智大学文学部心理学科卒業、東京外国語大学大学院博士課程修了。大連外国語学院日本語教師、ハーバード大学客員研究員などを経て杏林大学外国語学部教授。祖父は言語学者・金田一京助、父は国語学者・金田一春彦。

金田一秀穂の名言 一覧

あえて黙って怒りを表現してみる。言葉で怒りを表すのが苦手な人は、黙るのも手。「空気を読む」のが得意な日本人同士なら、あえてムスッと黙る方が効果を発揮することも多い。


「自分は正しい」を疑ってみる。怒るということは、自分の考えを押しつけることにもなり得る。怒り出す前に「そもそも自分が正しいのか」という自己批判の気持ちを忘れずに。


敬語は「こういうシーンでこの言葉を使えば正しい」なんて言えない。いくら正しい敬語を使っても、腹が立つ相手はいる。逆に敬語が多少間違っていても、敬う気持ちが伝わるときはあるんです。


人が成長するには、時にとことんまで考えてみることも必要。解決策が見つかったり、より強い自分になれる可能性だってあるはず。


言葉は常に変化するもの。そう公言している僕は、いわゆる若者言葉に寛容です。「ら抜き」とか「カワイイ」とか、別にいいじゃん、と思ってしまう。


話す人、表情、場面などによって、言葉はその意味を劇的に変えてしまう。罵倒していないつもりでも、声のトーンや言い方で相手を傷つけてしまうということもある。言葉はそれほど強いものなんです。


もし不幸にも、キタナイ言葉を言われる立場になってしまったら、変に言い返そうとムキになるのではなく、「すいません」とかなんとか、さっさと謝っちゃうのが一番だと思います。「ああ、この人はかわいそうな人なんだ」と思いながらね。


寅さんの有名な台詞「それを言っちゃあおしめえよ」。人は誰しもプライドがある。それを壊してまで本音で話すのは、どんな場合でも得策ではない。


一番エライと思われる人を中心に話の花が咲くようにするには、質問すればいい。「教えを請う」という雑談スタイルは、下から目線の典型的な話法ですから。


褒めることは評価すること。目上の人を褒めることは、目上の人を評価することにあたり失礼になる。評価の要素を抜いて「ほうっ!」など感嘆の声を使いましょう。


人には承認欲求がある。しかし、いつも承認されているポイントには慣れてしまう。「そこに注目してくれたんだ!?」と意外な長所を褒めよう。


怒っている相手、悲しんでいる相手に、いきなり言い訳をはじめても聞く耳を持ってくれない。まずは「そうですよね」と受け入れ、認め、必要なら謝る。


「価値ある情報を伝えなければ」「意味のないことは話しちゃダメだ」……。そんな堅苦しい態度だと雑談やムダ話ができなくなる。ラクにゆるく、意味ない話を!


目についたことを面白がるのがムダ話上手になる第一歩。「スピード」や「合理化」なんて言葉は忘れよう。なんでも面白がる好奇心はネタ集めにも繋がります。


用件を伝えたい時でもいきなり核心から話し始めない。天気、最近の出来事など軽い話題から話し始める。まずは、会話する相手と「仲良く」なることから。


知らない人同士がいると緊張しますが、「こんにちは」と一言でも声がけすると、ほっと安心しますよね。声がけは、ふっとストレスを緩和させる効果がある。


毒蝮三太夫さんの毒舌は、おばあさんに面と向かって「くそばばあ!」とか言いながら喜ばれるわけでしょ。極端だけれど、まさにあれは「敬う気持ち」に満ちているからなんです、きっと。みなさんもあまり「正しい敬語」にとらわれず、気持ちを伝える努力を意識した方がいい。


怒りにはユーモアを忘れない。怒りの狙いは、「相手に要求や改善を聞き入れてもらう」こと。ユーモアは聞く耳を開かせる武器。笑いのエッセンスを忍ばせ、上手に怒ろう。


人は自分と同じ言葉を話す相手を好きになるもの。言葉が通じ合うことは「あなたと私は仲間ですよ」という意思表示になるからです。相手の言葉で「つかむ」のはハリウッドスターの常套手段。「コンニチハ」というだけで盛り上がるでしょ(笑)。


僕は「言葉は道具」という意識を持つことを勧めています。道具なんだから、どうせなら、自分にとっていい結果が出るように使いましょう。自分自身を鼓舞したい時は「俺はできる」と口にしたり、やたらと「疲れた」と言わないように気をつける、とかね。


自分を「頑張れる奴」と定義して歯を食いしばるか。それとも「バカ」と定義して甘えるか。どちらが人を伸ばすかは明らか。だから、言葉を発する時は、それが「プラスになるのかマイナスになるのか」と、一歩引いて見る目を養うことが、とても大切。


商談でも会議でも、相手の本音を意識して会議に滑り込ませてみよう。「お、キミもそう思っていたか」と心の距離が縮まり、仕事がしやすくなる。


いわゆるデキる人というのは、そう簡単に本音では話していない。むしろ、建前を「本音っぽく」話せる人ほどうまく人の心をつかんでいる。それは、相手の本音を代弁できているということなんです。


本来「建前」とは、全部壊してしまっていいものではないんです。いわば、社会の秩序を保つ額縁の役割を果たしているわけですからね。本音の世界の残酷さや乱暴さを閉じ込める役割が、建前にはあると思います。


今は、本音が求められている時代なのかもしれませんね。けれど、僕は本音を尊重しすぎる風潮には不安を感じるんです。そもそも、「本音」を話すことは本来すごく難しく、そして危険なことのはずだと思うからです。本音を求めると、それが人を傷つけることもある。言っていいことと悪いことはある。


「誰かの紹介」というコネも、口説きには有効な一手ですよね。紹介してくれた人との関係が頭にちらついて、やっぱり断りづらいもんね(笑)。


私たちは普段、仕事で頻繁に口説き、口説かれていますね。そして、その成否が、仕事の成果を左右しています。ビジネスの世界では、お願いしたり、説得したり、交渉したりするとき、日常的に「口説き」ます。したがって、口説く能力に長けた人は、すなわち、仕事がデキる人と言えるわけです。


人の心を動かすこと。これこそが、口説きの本質。口説くのが上手く、仕事が出来る人は、「お客様の気持ち」や「同僚の考え方」などの心理に敏感で、良く理解しているはず。その上で、相手の心の琴線に触れるツボを刺激して、心を動かしているのでしょう。


普通の人が普通の雑談をするなら「多少の地雷を踏むことを気にしすぎなくてよい」と思っています。「失礼にならないか」とビクビクしていたら、つまらない雑談しかできませんからね。そもそも多少の雑談の失態で憤慨するような人は、放っておいていい。大丈夫。きっとそれはつまらない人ですから。


感嘆のため息はとても便利なんです。嬉しいときの「わー」とか、風呂に入ったときの「あ゛~」とか、感情が高ぶった時に自然に発してしまうこれらは、いわば原始の声。つまり動物的な鳴き声なんです。評価のように、左脳的な要素を抜きに、単に感動を伝えられるというわけです。


人がもっとも多く情報を得るコミュニケーション手段は、言語ではなく「非言語コミュニケーション」。言葉そのものより、それを伝えるときの態度や表情、声のトーンからこそ、人は多くのことを感じ取る。だから、感嘆のため息や声でも褒め称える感情を十分に伝えられる。


日本人には「褒める」のも「褒められる」のも苦手だといいます。謙遜を美徳とする感覚が影響しているのかもしれませんが、褒められるとどこかくすぐったく感じてしまう。ただ、そんな日本人も、褒められたらやはり嬉しいもの。人間関係の潤滑油として日本人同士ももっと意識的に褒めていいと思う。


仕事などで言い訳せざるを得ない場面があるでしょう。そんなときは、何か言いたくなるのをぐっとこらえることです。そしてまず謝っちゃう。その後、いうべき弁明を添える。これが正しい言い訳のやり方です。


ムダ話には価値があり、得することが多い。理由は簡単。ムダ話には、「人と人をつなげる力」があるからです。たとえ伝えたいことがあっても、ストレートに放つ言葉は響かない。むしろムダ話によって人の心は潤され、通い合う。


そもそも「正義」って何でしょうか。絶対的な悪がないように絶対的な正義などないですよね。自分が信じるものを「正義だ」と考えれば、異なる文化や違う宗教を信じている人が「不正義」に映ることがままあります。戦争などの争いごとのスタートはたいていこれです。文化や信じるものが違うだけなのに、「我こそが正義だ」と考えた途端、そこに争いが生まれてしまうわけです。


あらゆる言葉は「人と人との関係をよくするため」のもの。これを言語学では「ファティック」といいます。僕の祖父、金田一京助の言葉を借りれば、「心と心を湿らす」のが言葉です。だから、皆さんもこれからもムダ話を続け、多くのよい関係を築いていってほしいと思います。


毒舌をはく対象は、わかりやすくいえば「権威を持つ相手」でなければならない。例えば、イギリス人はことあるごとに、女王や王室を茶化すジョークをいいますよね。日本人の我々からするとあまりに辛辣だし、自虐的で驚くほどですが、あれはイギリス王室が、イギリスの庶民にとって絶対的な権威だからこそ成り立つことなんでしょう。


受け入れられる毒舌は、意地の悪い皮肉なんだけれど、「言われてみればそうだよね」とヒザを打つような納得感や、「うまいこというねえ」とうなるような風刺がある、ということ。「一本取られたな」と思わせるような笑い。悪態のネガティブなパワーを覆すようなユーモアがなければ、毒舌はただの悪口になってしまいます。


「受け入れられる毒舌」として成立するためには、大きく三つの条件があると僕は考えます。一つ目は、言うまでもなく「ユーモア」。二つ目の条件は「毒をはく相手を選ぶこと」。三つ目の条件は「毒舌をはく人の立ち位置」。


メディアの中で文字となって広く消費されると、新しい言葉や、意味が変わった表現も力強く流布していく。「新聞でも書いているんだから……」と古い価値観のオトナまで取り込み、「当たり前の表現だ」と残っていくわけですね。逆から見てみると、それだけ力があるだけにマスコミが文字化する言葉には気をつけたほうがいいのかもしれません。「増える外国人犯罪」とか「キレやすい老人」とか。新聞や雑誌の見出しになると、そこに統計的なデータがなくとも、力強く染み込んでいきます。いつのまにか既成事実となって、広く当たり前のこととして残っていく。言葉、というより文字にはそれくらいの力があるわけですから。


残る言葉と残らない言葉。その差はどこにあるのでしょう。流行語が、その後、一般的な言葉として残るときは、それが「言葉の欠落を埋めた」とき。言葉で言い表せないビミョーな感情。それを言い表す日本語を持ち合わせていない状態があるわけです。その言葉の欠落を埋めるような表現が生まれたとき、隙間を埋めるパズルのピースのように、新しい言葉が今後も使われる表現として残る可能性が高い。「ずっと表現したかったけれど、いい言い回しがなかったんだよ!」とスッキリしますからね。


考えてみれば、「流行語」なんて呼ばれた途端、使われなくなる言葉は多いもの。なぜなら流行語みたいな新しい言葉は、たいてい「仲間言葉」から生まれるから。仲間言葉とは特定の仲間うちだけで使われる言葉、いわば「隠語」のようなもの。それが流行語になって誰も彼も意味がわかったら隠語の意味がなくなるよね。すると本来その言葉を使っていた集団が、その言葉を使うのをやめてしまうわけ。


残る言葉で大事な要素に「音としての響きのよさ」も無視できません。たとえば「だらしない」という言葉。これ、本当は「しだらない」が正しいのを知っていますか? 江戸時代、ちょっと粋な奴が「だらしない」と、言葉を入れ替えて使うようになった。すると「お! そっちのほうがより、しまりがなく聞こえるね!」なんて具合にウケたため、「だらしない」のほうが言葉として広まり、残ったと言われています。いわば「ザギン(銀座)でシースー(寿司)でも食べようか!」みたいな言葉が、響きが良いってんで、そのまま残ったという話なんです。


「つかみ」で最も大切なのは「目の前の相手がどんなことで『つかんでほしいか』を察知する力」。よく、聞いてもいないのに「いやあ日曜日にゴルフに行って焼けちゃって」とか、「このジャケット、昨日買ったんです」なんて唐突に話してくる人がいますね。これは「私はこの話がしたい」というサイン。ならば「ゴルフいいですね。スコアは?」とか、「お似合いですねえ」などと踏み込んで、文字通り「つかんであげる」。大事なのは相手が何を話したがっているか察すること。それをうまくつかめれば、ぐぐっと心の距離は縮まる。


「つかみ」の段階では「広く浅い」ネタほど重宝する。まだ良く知らない間柄で、お互いに探り合っている状態の中、「新潟の出身なんです」と聞いた時、すかさず「坂口安吾が有名ですね」と言えるかどうか。その違いは大きいものです。別に作家じゃなくても、野球選手でも戦国武将でもいいのですが、「広く浅い知識」をストックしておくのは、みなさんが考える以上に大切なことです。


セールストークでも雑談でも、そしてもちろん講演などでも、誰かに何かを伝えたいときは「最初にどんな話をするか」がとても大切。最初のちょっとした雑談やマクラで、すっと相手の心をつかむ術を知っていることは、大きな強みになる。心をつかまれた相手は「面白い! お前の話を聞いてやろう」と、たとえ初対面でも、ハナから親しく話せる距離感で聞いてくれるようになるからです。


みなさん「言霊」ってどんなイメージを持っていますか? 結構あやしいものと見ている人もいるかもしれませんね。でも、じつは教育心理学の世界では、昔から真剣に分析されているんです。「ピグマリオン効果」というのがそれ。「キミはできる子だ」と教師から期待の言葉をかけられた子どもは成績がどんどん上がる。逆に「ダメな子だ」と言われ続けた子は、言葉どおり、どんどん成績が落ちる、という実験結果が残っています。いわば、言葉による暗示。それが「言霊」の正体です。つまり、言葉には現実を動かす力があるということになりますね。


今の学生を見ていて、少し気になるのが、やたらと自虐的な言葉を使うこと。「どうせ、バカなんで」とか「僕らはゆとり世代ですから」とかね。成績が悪い訳でもない学生が、そんな言葉を使うのはやめなさい、と僕は注意します。なぜなら「言葉は人を縛る」からです。「俺はバカだから」なんて言っていると、本当にバカになってしまう。昔からこれを「言霊」なんて言うわけです。


デマは「そうあって欲しい」「そうであったら面白いな」という、人々の願望から生まれ出るものです。たとえば、世の中に不満を抱えていたら「誰のせいだ?」と人々はスケープゴートを求める。そこにふっと「これはあの人たちのせいに違いない!」と、いかにもありそうな情報が入り込むと、簡単に広がってしまう。冤罪、バッシング、炎上……、こうした例は枚挙にいとまがないよね。


「ウソも方便」という言葉があります。「時と場合によってはウソも必要」ってことだけど、その意味をもう一度よく考えたほうがいいかもしれませんね。その目的をしっかり見定めておかないと危険なデマに踊らされる。ウソをつくほうも、正しく楽しい目的で使わないと恐ろしい事態を招きかねない。ウソはそれほど強い力を持つことは覚えておいたほうがいいでしょうね。


「建前」という言葉は少し誤解されている部分がある。多くの人は、建前と聞くと、「本音」の反対、つまり「表向きの考え方」の意味をイメージするんじゃないかな? 確かに、辞書をひくとその意味が出てくるしね。でもそれだけじゃないんです。「基本的な方針・原則」とい意味も辞書にはしっかりと書かれているんですね。つまり、壊してはいけないもの、守るべきものという意味も、「建前」には含まれているというわけです。


相手の心を動かすことが、口説くことの本質。そのために口説く相手を良く知り、心を動かすための「カード」を持つ必要がある。相手の本を読むことしかり、コネをつくることしかり。そうやって得たカードで、相手にもメリットがあると提示する。いわば、相手の心を上手にくすぐることが、うまい口説き方と言えるでしょう。


僕が仕事で「口説かれる」場合、次のような言葉には、ぐっときます。「先生の本が大好きで何冊も読んでいます。そこでぜひこんなお話を……」とか「先生のラジオを聞かせていただいてすごく面白くて、そのテーマでぜひ講演を」とか。褒めてくれたり、ファンだなんていわれると「断りづらく」なる。そう。いってみると、口説くというのは、きわめてソフトな「脅迫」みたいなものかもしれませんね。


「どう褒められたらうれしいか」を意識すると、褒め方にぐっと深さが出てくる。褒めるには相手がどんな反応をするか考えることが必要。よりポジティブな反応を得るにはどう褒めればいいか。当然、日頃の観察眼も必要。しっかりと相手を慮(おもんぱか)るような誠実さがあれば、自然と上手い褒め言葉が出てくると思います。


言葉によるコミュニケーションを「何らかの価値ある情報を伝えることだ」と考える人は多いでしょう。けれど違う。「あなたと親しくなりたい」そんなつながりを生むことこそが会話の目的。極端な話、意味なんてなくていい。初対面同士でも心をもみほぐし、互いの気持ちを近づけることこそ、言葉の本質で、それがムダ話なんです。だから何だか仕事がうまくいかない。友人や異性とうまくつきあえない――。そんなときは、もしかしたらすべてムダ話ができていないからなのかもしれませんよ。


世の中には、ムダなことなど、ひとつもありません。私なんて大学を卒業した後3年間、就職もせずぶらぶらと過ごしていましたからね。朝遅く起き、パチンコに行き、稼いだお金で本を買い、読みふける日々。じつにムダに見えますよね。けれど、そのムダが、今にいたる道を開いた。「このままじゃ腐ってしまうなあ」と危機感を抱いて、「えいや!」と日本を脱出。アメリカや中国で日本語教師となり、それを機に日本語にさらに強い興味を抱くようになりました。


『論語』には「直(ちょく)」という言葉が出てきます。素直や正直のことです。いかにも良い言葉ですが、孔子はあえて「直であることはもちろん良いことだけど、それは人に迷惑をかけることにもなる」と説いています。正直であることは結構だけれど、通り一遍で物事を捉えるのは「考えが足りないんだよ」といっているわけです。だから怒りたくなる時でもすぐに声を荒げたりせず、少し立ち止まって、相手の立場に思いを馳せたほうがいいよね。たとえば部下がミスをしたのは何か事情があったのかもしれない。家族に何かあったとか、体調がすぐれなかったとか、あなたが見ている以外の「その人」というものがあるわけだからね。


最近の若者は、「怒られ耐性」が低い。たとえばレポートも「ここはこうしたほうがいい」と言っただけで「駄目出しされた」と大騒ぎしてしまいますから。でもこれは、もしかしたら、駄目出しばかりする人が増え、若者が萎縮してしまっているからかもしれませんね。否定することに熱心な人が目立つ世の中になった気がします。「ではどうすればいいか」と解決にまで踏み込む声は少ない。駄目出しだけでは、相手が聞く耳を持てるはずがありません。怒る立場にいる上司や親などは気をつけたいものです。


こんにちは。金田一秀穂です。「金田一」というと、京助とか晴彦とかいろいろいますが、私はその3代目なんです。あと耕助って人もいますね。彼と私は……、まったく関係ありません(笑)。

僕は講演会に呼ばれると、こんな「つかみ」で始めることが多いんです。自己紹介をかねて、ふふっと笑わせてリラックスしてもらいたいと思うからです。こうして場の空気を柔らかくできれば、聴衆のみなさんに「聞く態勢」になってもらえますからね。


僕はあえて言いたい。お金の使い方に、若いうちからこだわってほしいと。例えば、A5クラスの和牛を食べてみるとか、本場ウィーンでオペラを観ちゃう、とかね。こういう若い時の背伸びが、のちのち、いい話のネタとなって甦ってくるんじゃないだろうか。「大人になってからでもいいか」って? いやいや。感性の鈍る僕くらいの歳になるとオペラを観ても「こんなもんか」で終わっちゃう。サシのきれいな高級和牛だって、食べるたびに胃がもたれて全然おいしくない(笑)。お金は若いうちに使ってナンボですよ。


ややこしいことに、罵倒語は、使われ続けるうちに意味がどんどん薄まっていくことがあるんです。たとえば、日本語だと「クソ」。「畜生」「このやろう」といった意味で使われますが、単に舌打ちのような軽い意味で使われることも多い。「クソうまい!」とか「クソ面白い」とかいい意味になることすらある。同じように英語の「Fuck」も時に「Cool」といういい意味で使われることがありますね。つまり慣用句になっているわけです。使い続けるうちに、言葉に慣れてしまって、本来の意味が失われているんですね。


罵倒語に選ばれている言葉を冷静に見直してみると、人々が何に対して差別意識を持っているかが、あぶり出されてきます。加えて、その時代、時代で、どんな事が罵倒語になるか、という考察も面白い。最近だと「使えない」なんて言葉がありますが、これを言われるとやっぱりキツいよね。機能的だったり便利なものがもてはやされる今だからこそ、こういう言われ方に、人は傷つくんでしょうね。


前にホストの人に聞いたんだけどね、彼らは女性を褒める時、必ず相手が気にかけていそうなところを褒めるんだそうです。キレイな女性に「キレイだね」は効かない。けれど、ちょっと凝ったネイルを「すごくかわいいね」と褒めると「でしょ」と盛り上がる。僕の場合だと、教え子の留学生に「日本語上手いね」とは絶対に言わない。皆それなりに日本語が上手いから色々なところで褒められ慣れているんです。この褒め方では心に響きません。だから「アクセント」とか「滑舌」とか、相手がちょっと意表を突かれる部分を指摘する。こうして彼らの学習意欲を刺激するようにしています。褒めるとはちょっと違いますが、根っこの考え方は一緒。


夕方のニュースなどでよくある「ゴミ捨て」マナーを注意するルポも大嫌い。夜中にゴミ捨て場じゃない場所に勝手にゴミを捨てる人を、張り込んだレポーターが注意するというやつ。「あなた今、何を捨てました? ゴミを捨てるなと書いてあったの、読めなかったんですか?」と怒り口調で畳み掛ける。「うるせえ!」とレポーターに逆ギレする人が多いけど、僕も同感。「うるせえ!」と思います(笑)。もちろん、不法投棄はよくない。でも、夜中にゴミを捨てざるをえないなんらかの事情があるかもしれない。もしかしたらゴミ捨てのルールや仕組みに改善すべき点があるのかもしれない。こうした議論にまで辿り着くならいいけれど、まったくその気はない。TV局、または視聴者がただ「正義の側に立ちたいだけ」に見えてしまいます。


「保育園落ちた日本死ね!」と題された匿名のブログが、話題になりましたね。確かに言葉はキタナイ(笑)。でも、待機児童問題を普通に訴えてもあそこまで話題になったかどうか……。僕には、作者があえてキタナイ言葉で当事者の不満を書いたように思える。だからこそ状況が動いた。「怒る」という行為は、本来、感情を露わにして非難して終わりではありません。問題をあきらかにし、改善させることが狙いなわけです。その意味で「日本死ね」は、いい怒り方だと思います。怒ることは手段であり目的ではないんです。


明石家さんまさんって、素人の話を引き出すのが抜群にうまいでしょ? 昔やっていた『恋のから騒ぎ』などの番組でも、若い女性がとりとめもない話を始めても「ほう」「ほんまか」「それで?」としっかり相槌を打ち、まず話にノる。そして、ピントのボケた話になっても「オチ、ないんかい!」「なんやねん、それ!」とツッコむと同時に「ヒャーァハッハッ」と自ら大笑いすることでその発言を、正面から否定せず、笑いに変えてしまう。だから、さほど面白くない話も面白く響き、素人の女性たちは「さんまさんのツッコミを受けたい!」「面白いと思われたい!」と、どんどん発言を繰り出すし、出来る限り奇抜なネタをひねり出そうとするわけです。これ、「会社の企画会議」だとしたら最高だと思いませんか? 皆が我先にとボケあって、参加者が常識からハズレるような斬新な企画、面白いネタを競い合うように言ってくれるわけですから。会議の参加者が意見を出しはじめたら、多少危なっかしくても「ほうほう」「そうなの?」とまずさんまさんのようにノってみる。そうすることで、相手をどんどんノセていく。そうやって優れたアイデアを引き出していくわけです。


普段めったに会う機会のない上役や、憧れの芸能人などを前に、あなたはどんな態度をとりますか? 緊張のあまり、体が縮こまったりするでしょ? あるいは、自然と声が高くなったり、中には、会話の最中に、歯の間から息を吸う「すーっ」という音を立てる人もいるかもしれませんね。じつは、これらは全て敬意をあらわすボディランゲージなんです。人は70%以上の情報を、言葉ではなく、視覚的なインプットから得ています。仮に、うまく敬語を使えなくても、これらのボディランゲージで、「敬意」は伝わっているというわけです。逆に考えると、こういうボディランゲージを使っている時のあなたの「気持ち」を覚えておくといいかもしれません。そこには本当の「敬意」があるということですから。その気持ちを大事にすれば、大きな問題になることはないでしょう。


敬語で大事なのは、言葉そのものではない。敬語は、文字通り、相手を敬うときに使う言葉です。いわば、敬うための「手段」でしかない。ところが、逆に考えてしまう人がいる。「敬語を使えば、相手を敬っている」と、目的と手段をはき違えてしまっている。だから、いくら正しい敬語を使われていても、冷たく感じてしまうことって、ありませんか? お高くとまった高級レストランとか、やたらおしゃれな洋服屋とかさ。尊敬語も謙譲語も完璧で丁寧に話すけど、なにか鼻持ちならない店員さんっているじゃないですか。「こんな店、二度とくるか」とわざと思わせるような。それって、敬語の意味をなしてない。言葉は正しい。けれど、客を敬っていないんですよ。


金田一秀穂の経歴・略歴

金田一秀穂、きんだいち・ひでほ。日本の言語学者。「杏林大学外国語学部」教授。東京都出身。上智大学文学部心理学科卒業、東京外国語大学大学院博士課程修了。大連外国語学院日本語教師、ハーバード大学客員研究員などを経て杏林大学外国語学部教授。祖父は言語学者・金田一京助、父は国語学者・金田一春彦。

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