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野口健の名言

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野口健のプロフィール

野口健、のぐち・けん。日本の登山家。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身。父の仕事(外交官)により幼少期を海外で過ごす。カイロ日本人学校小学部、イギリスの立教英国学院小学部・高等部を経て亜細亜大学に入学。イギリス時代、喧嘩で停学処分を受けたときに登山家植村直己の著書と出会い登山家を志す。亜細亜大学在学中、登山活動を開始し、各地で最年少登頂記録を樹立。25歳のときに七大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立。山に登るだけでなく、ネパールの山岳民族シェルパ族の支援や登山清掃活動などに尽力した。

野口健の名言 一覧

自分が正しいと思ったことでも、現場で「これは違う」と思ったら軌道修正。軽いといえば軽いですけどね。この感覚はすごく大事だと思います。


立場によって意見が変わる。極端な例で言うと富士山に不法投棄する人にだって理由がある。それを考えないと落としどころは見つからない。


人生は前に進むものですが、たまに戻るのもいい。そうじゃないとどこに向かって走っているかわからなくなりますからね。


失敗とか弱さをさらけ出すと、助けてくれる人が現れる。大人になって学んだ「人の巻き込み方」のコツです。多くの人を巻き込むと、自分一人頑張るだけではとうてい実現できない大きなことも形に出来るんです。


成功への近道なんていうものは「ない」と思いますね。まず冒険は「行ける環境」を作ることから難しい。


大自然を相手にしたら「必ずできる」はありえない。山も人間の身体も自然のものである以上、登れる時は登れるし、無理な場合は無理。それで良い。


成功に至るには、近道どころか、細かいコツコツした努力の延長線上にしかないと思う。


自分で自分を追い詰め過ぎてはダメ。苦しいときは、「人生は51%成功すればいいんだ」と、自分の中のチャンネルをちょっと変えること。


失敗からの学びや、コツコツとした努力は必ず成功に繋がっていく。


いまでも孤独だなあと感じる夜はあります。でもベッドの中で孤独な自分と向き合う時間は大切。その葛藤を経て自分が決めるからこそ自由を得られる。


講演会に呼ばれると、大抵グリーン車。それに慣れるのは怖いこと。だからよく八ヶ岳に行って、登山家としての原点を思い出します。


メディア露出が多い分、登山専門家からの風当たりはキツかった。ムカついたけど、いま考えるとありがたい指摘も多かったですね。


最初は信用してくれなくても、細々とでも続けていれば、こいつインチキじゃないって思ってくれる人が出てくる。人が変わっていくのが肌で感じられるんですよ。


僕は昔から植村直己冒険賞に憧れていたんだけど、ずっと受賞できなかった。ところが2007年にエベレストに登ったら受賞の話が突然きたんです。確かにエベレストはハードな山だけど、僕の登頂は世界初でも記録的でもない。受賞の理由を山岳会所属の選考委員に聞くと、エベレストの清掃登山があったと。2000年に僕が清掃登山を始めた頃は、山岳会には清掃登山に対して批判的な人も多かった。売名行為だとかね。でもそこであきらめずに続けて、ネパール政府も動かした。そういう活動を山岳会もそろそろ認めざるを得ないと、その選考委員に言われたんです。その時に、人は変わるんだと思った。


何かを始めようとするといろんな立場の人がかかわってくる。立場が変われば当然意見も異なる。自分が正しいと思うことが他の人にとって正しいわけではないんですね。例えば清掃登山といっても、そこには山小屋のオーナーがいて町長がいて、さらに官公庁やNPOといった組織がある。彼らとの折り合いをどう付けるか。相手にするのは自然ではなく実は人間だったんです。シェルパ基金にしてもそうでしたね。


成功したければ、努力をコツコツ積み重ねるしかない。皆さんがテレビで見る「登頂に成功して旗を広げている映像」は、山頂に滞在できるたった15分間だけの姿。それまでに長い準備、数年間の努力があるわけです。


1回目のエベレストで登頂できなくて良かったと思っています。もし幸運が重なってサラッと登れてしまったら、23歳で最年少記録ですよ。そこから得るものはなかったでしょうね。それどころか、「オレは天才だ」とひどい勘違いをしていたかもしれない。もっと難しい山に無謀な挑戦をして、死んでいたかもしれない。


長い人生をトータルで考えて、49%失敗しても、僕の基準で51%成功できれば、それでOK。追い詰められた気分が、そう思った途端にスーッと楽になりました。51%では消極的に感じるかもしれないけど、いろんな挑戦をしてきて、過半数を成功させるのも難しいのが現実です。人生は簡単じゃないですから。


日本人は社会問題で自分の意見を主張する人が少ないように思えます。自分の好きなように生きていくだけでは、社会人としての責務を果たしているとはいえません。社会的な課題を自分たちの問題と意識し、行動する人が増えることを願っています。


いろいろな活動を始めた20代の頃の自分なら、真正面からぶつかっていたと思います。当時は自分の感じている正しいことは、みんなもそう思うもんだと考えていたので。ところが、立場が変われば捉え方も変わる。正しさは1つじゃないし、自分の考え=社会でもないよねって。大切なのは、まず必要な活動を始めて動き出すこと。それから落とし所を探していくようになりました。


昔は逃げちゃいけない、ここでがむしゃらに戦おうとしていたんですよ。それが今は1つの活動に対して行き詰まったとき、パッと離れて別の活動に専念するようになった。しばらく経つと、何が苦しかったのかがわかり、解決策も見えてくるんです。これは複数の活動を同時に進めている利点かな……と思えるようになりました。


本当にしんどくなったら、一度、離れてみる。日本にいるとき、僕はよく16歳のときに初めて登った八ヶ岳の麓(ふもと)の宿へ泊まりに行きます。何があるわけじゃないですけど、高校生の頃に初めてピッケルを持ったときの気持ちを思い出すんです。昔の自分には戻れないけど、あのとき、この部屋で俺は何を思っていたのかなってことを考える。すると、自分の中のブレに気づくんです。


登頂に失敗したら多くの批判がメディアに載りました。悔しくて悔しくて、僕は批判をノートに全部書き出した。でも、1週間後にまた読むと、「意味のある批判」と「単なる批判」の違いがわかった。しかも、「意味のある批判」は、痛いところを突いている。その批判を赤で丸く囲んでいくと、自分の弱点が見えてくる。足りない部分が明確になる。


彼らの成功と失敗の「基準」と、現場の僕らの「基準」はイコールではない。生きてる場所が違うから。現場で、「他人の基準」に合わせていたら、僕らは死ぬわけです。実際、植村直己さんもそうだったかもしれないし、僕は40人ぐらい先輩や友人を亡くしています。だから、「他人の基準」に合わせるのはもうやめようと決めました。

【覚え書き|2度目のエベレスト登頂失敗で糾弾されたときを振り返って】


登山家に限らず、アスリートや芸能などの世界では、スポンサーの支援で生活できる人もいます。私は違って、講演や著作など様々な活動から生活費や遠征費を稼ぎ出せないといけません。でも、その方がよかったと思います。我々は様々な利害が絡み合う現実の中で生きています。登山という狭い世界に閉じ籠もっていれば、そんなことも知らずにいたかもしれません。


モチベーションが下がっていた頃、仕事で出会ったのがレミオロメンの藤巻亮太さんでした。彼もプロとして10年やって、自分の求める音楽について葛藤していた時期で。意気投合して、彼と一緒に毎年、旅行に出るようになったんです。山も登ったし、アフリカにも行きました。僻地への冒険ですね。その旅の間、藤巻さんが写真を撮っていて、僕も中高は写真部で、昔の夢がカメラマンになることだったのを思い出したんです。登山家になってからは撮っていなかったけど、もう一回やってみよう、と。


学生の頃、僕は世界最年少での7大陸最高峰登頂を目指し、スポンサーを集め、でもエベレスト登頂に2度失敗しました。若造が生意気言ってと思われていましたからボロクソに言われるわけですよ。そのとき身につけた習慣がボロクソ日記です。ボロクソに言われたことだけを書く日記帳。本当の僕は暗くてね。ねちっこいんですよ。そして、「こんにゃろー」とか言いながら、日記帳を部屋の壁にぶん投げ、踏んづける。これでスッキリするんです。でも1~2週間後、改めて日記帳を広げると、ひとつ、ふたつ「仰るとおり」と感じる言葉が見つかる。理想通りにしたいという思いが強すぎるダメな自分に気づかされて、人はいろんな角度から分析してくれるんだな、と。


1つの活動は必ず次につながっていくんですね。去年、熊本地震の後、被災地でテント村を開設したのもそうです。一昨年のネパール大地震のとき、僕はエベレストのベースキャンプに向かう標高4500メートルの斜面で被災しました。すぐに支援プロジェクトを立ち上げ、日本とヒマラヤを行き来して、心身ともに疲れ果てて帰国していたとき、熊本で地震が起きたんです。正直、ヒマラヤと同時に熊本を支援するのはムリだと思いました。だけど、自分が動かなくていいのかという葛藤もありました。そこにヒマラヤで一緒に活動してきたシェルパから電話があったんです。「ほんの少ししかお金を送れないけど、日本の皆さんに恩返しがしたい」と。「やるか、やらないか」で悩み、やらないとしても「自分が納得する理由」を探していた自分の背中がドンと押されました。


富士山やヒマラヤでの清掃登山、沖縄での戦没者の遺骨収集など、批判も受けながら、でも「やるべきことだ」と思って始め、様々な活動を続けてきました。どの活動も始めた以上は続けなければいけないし、一時の正義感だけではつまずきます。やっぱり自分がワクワクしている時間がないとバランスが取れないんです。そういう意味でカメラはすごく役立っている。視点を変えて、距離を置くことや、客観的に物事を見ることの大切さを教えてくれました。


30代後半から40歳にかけて、だんだん自分のモチベーションも下がってきて、あるときから人前に出て喋るのがしんどいなと思うようになったんですよ。かといって、野口健が講演で「人生に困っています」「私はつらいんです」「疲れています」とボヤくのは、聞きたくないですよね。パブリックイメージを裏切らないためには、元気でいなくちゃいけないし、何か新しいことに挑戦していかなくちゃいけない。それが、20代、30代前半まではなかったしんどさでした。そのとき実感したのは、人生で一番大事なのはモチベーションだってことです。気持ちが切れてしまうと、行動力も出ない。


野口健の経歴・略歴

野口健、のぐち・けん。日本の登山家。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身。父の仕事(外交官)により幼少期を海外で過ごす。カイロ日本人学校小学部、イギリスの立教英国学院小学部・高等部を経て亜細亜大学に入学。イギリス時代、喧嘩で停学処分を受けたときに登山家植村直己の著書と出会い登山家を志す。亜細亜大学在学中、登山活動を開始し、各地で最年少登頂記録を樹立。25歳のときに七大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立。山に登るだけでなく、ネパールの山岳民族シェルパ族の支援や登山清掃活動などに尽力した。