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貫啓二の名言

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貫啓二のプロフィール

貫啓二、ぬき・けいじ。日本の経営者。「串カツ田中」社長。大阪府出身。トヨタ輸送を経て飲食業を開業。ショットバー、デザイナーズレストラン、懐石料理専門店などを経営したのち「串カツ田中」を開店。

貫啓二の名言 一覧

会社の成長のステージや環境の変化によって、新しい課題は次々に出てきます。不安は尽きませんが、先を見て変化することをやめなければ、成長し続けられると思っています。


最初の事業で大きな失敗をして、だらだらと血を流しまくったので、今も、「このままいくはずがない、どこかに落とし穴があるはずだ」という気持ちが常にあります。10年、20年先も存続できる会社であるためには、今日、何を改革しなければいけないかを考え、行動してきました。


本気だからこそ気になることがたくさん出てきて、それを次々に変えていく。模倣する側は気になるところもないので、ずっと同じか、うちの店を見に来るしかない。だからうちはトップで居続けられる。


トップでいるためには、変わり続けるしかない。


私は愛のない新業態を育てられない。だから串カツ田中のことだけを考えるのが、会社にとっても私にとってもいいと気付いた。


私は不安な性格で、いつかは飽きられるという、もやもやした気持ちをずっと抱えています。自分では「不安経営」と呼んでいますが、日々このままじゃいけないという思いで経営しています。


お客様とスタッフと会社の「三方良し」が重なれば、店を増やすことができ、成長できる。


働く時間を楽しんだのとそうでないとでは雲泥の差。自分が楽しめて、周囲からも「あなたがいてくれてよかった」と言われたら、気持ちいいですよね。


子供を楽しませるには、スタッフの元気や笑顔が不可欠。


4~5店舗に広がった時、我々の業態とそっくりの店が出てきました。でも、全然おいしくない。串カツに思い入れがなければ、ただパン粉を付けて揚げればいいと思うのかもしれません。


串カツ田中の店は、味、価格、衛生管理、スタッフの元気などの特徴がいくつも層になっています。


「串カツ田中の成功の秘訣は何ですか」と聞かれることがよくあるんですが、一言でいえば、「不安経営」をしてきた点にあると思います。おかげさまで今、順調に事業が拡大していますが、ちょっとでもあぐらをかいたら、お客様や社会から、「こんな会社はもういらないよ」と言われかねないと常に思っています。そもそも、串カツ田中が倒産の危機の中で生まれた業態だからです。


先日、昔好きだったラーメン店に20年ぶりに行きました。「変わらぬ味」を売りにしている店ですが、残念ながらおいしいと思えなかった。こちらの味覚が変化しているからです。「変わらないと言われるためには、変わり続けることが大事だ」という、人気ラーメン店「一風堂」創業者の河原成美さんの名言を、私は座右の銘にしています。


上場を目指すと決断したのは、いい会社になるための通過点ととらえていたから。コーポレートガバナンスやコンプライアンスの整備など、労力はかかりますが、どれも会社の成長に必要なことばかり。上場を目指したから楽に成長できた。


8年で130店舗以上に増やせたのは、軽装備での出店がカギになっています。新店の出店コストは1店舗当たり2500万円と低く抑えており、短期間で回収できます。ソースなどの食材も自社専用品をつくっているためスケールメリットが効き、仕入れコストの低下に繋がっています。


串カツ田中にとって子供は大事な存在。10~20年後、成長した子供たちが飲みに来てくれたり、自分の子供を連れてきてくれるかもしれない。串カツを日本の文化にしていくのに欠かせない。


串カツ田中は、これまでの経験から、店のオペレーションは極力シンプルにして、アルバイトだけでも回せるようにしたのも特徴です。トヨタ系の会社にいた経験を生かし、例えば厨房はしゃがまずに作業できるような設計にするなど、業務の効率化を追求しています。


店には「チンチロリンハイボール」というサービスがあります。振ったサイコロの目によって、ハイボールの価格を割り引くもので、注文があるとスタッフが鐘を鳴らしながら、「チンチロチャレンジャーです!」と声を出します。こうすると店が活気付いて、お客さんとの一体感が生まれます。声が小さいスタッフも自然に声が出て、盛り上がれるきっかけになります。


串カツ田中に来ると、ファミリー客の多さに気づく方も多いと思います。当初は20~40代を想定していましたが、子供連れが多かったのは予想外でした。子供は親がお酒を飲んでいる時に退屈してしまいますから、ソフトクリームを自分で巻かせてあげたり、自分で食べるおにぎりを握らせてあげたりというサービスを作りました。


創業時から変わっていないように見えるかもしれませんが、全く違うのです。特にメニューは飽きられないようにしてきました。お客さんに飽きられず、うまいと言ってもらい続けるために、串カツのソース、衣、油、素材の食べやすさ、サイドメニューまで、常に改善しています。私も新店を訪問する際など食べる機会が多くありますが、どうしても飽きてくる。それを変える目安の一つにしています。


お金がなかったため、1号店が世田谷でした。それがその後の多店舗展開の成功につながったと思います。周辺は夜になれば真っ暗になる住宅街。今思えば、「よくこんな場所に出店したな」という場所ですが、近くに住む人がリピーターとして支えてくださっています。ファミリー客も多く、食堂のように利用してもらっているのです。お金があり最初に東京・渋谷のような繁華街に出していたら、こうした住宅街での出店の可能性に気づかずに、JR山手線内の30~40店止まりだったでしょう。


私たちは考えました。我々を模倣した店でお客さんがおいしくないと感じたり、胸やけを起こしたりしたら、二度と串カツを食べてもらえなくなる。それでは串カツ田中の未来を潰してしまう、と。だから模倣店よりも先に、うちの串カツを食べてもらわなければということで、FC(フランチャイズチェーン)展開を始めました。もし模倣する店が出てこなければ、もっとゆっくり増やしていったでしょう。


倒産寸前、最後にできる範囲で挑戦しようと出店したのが、串カツ田中です。お金がなかったので、物件は居抜きで客席はパイプ椅子。場所も一等地ではなく、東京・世田谷にしました。広さは40平米余りに22席と小規模。厨房で必要な設備やレジはネットオークションで買い、自分たちで施工したこともあり、出店費用はわずか350万円ですみました。「月商400万円ぐらい行けばいい」。そんな予想を上回り、大繁盛。2か月で出店費用を回収できて、半年で月商800万円に到達しました。


今、何を改革すべきか。その答えは常に現場にあります。だから私は、社員全員と年1回、1対1で面談するようにしています。評価面談とかでは全くなくて、お互いを知るためにね。各地に足を運んで、250人余りの社員一人ひとりと1時間以上話します。でもそんな会話の中から、社員が抱えている仕事の困り事や不安が見えてくることが多々あります。言い換えれば「会社の弱点」ですよね。研修センター店もそこから生まれました。


私は1998年にトヨタ輸送を辞めて、大阪でバーを始めました。それからデザイナーズレストランを手掛け、2004年に東京の表参道で京料理の高級店をオープンしました。私なりに必死にやったつもりですが、業績が振るわず、リーマンショックが起きた08年には、本当に倒産寸前まで追い込まれました。10人ほどいた従業員も、副社長の田中以外、全員会社を辞めていきました。今思えば、事業を成功させたいという私の思い一つで会社を運営していたので、社員の気持ちや彼らの成長まで、思いが至っていませんでした。


倒産寸前、副社長以外の従業員が全員辞める。そんな状況の中、工面できるわずかな資金で打てる最後の一手が、串カツ田中だったんです。家賃の安い住宅地の居ぬき物件、丸椅子の客席。内装も自分たちで手掛け、出店費用はたったの350万円。勝算なんてありませんでしたが、ふたを開けてみたら、店の前に行列ができていた。


貫啓二の経歴・略歴

貫啓二、ぬき・けいじ。日本の経営者。「串カツ田中」社長。大阪府出身。トヨタ輸送を経て飲食業を開業。ショットバー、デザイナーズレストラン、懐石料理専門店などを経営したのち「串カツ田中」を開店。