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豊田昌洋の名言

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豊田昌洋のプロフィール

豊田昌洋、とよだ・まさひろ。日本の経営者。「エア・ウォーター」社長・会長。三重県出身。京都大学法学部卒業後、大同酸素(のちのエア・ウォーター)に入社。取締役、常務、専務、タテホ化学工業社長、大同ほくさん副社長・社長などを経てエア・ウォーター会長に就任。そのほか日本産業ガス協会会長を務めた。

豊田昌洋の名言 一覧

「黒字はリスクだ。将来性があるかないかと考えなさい」と話しています。その観点でグループ内の全社を見直しています。常に事業の形を変えて、一歩前へというのが私の信条です。


伸びる人は、反応の早い人。そういう人間が経験を積むと、仕事を任せても安心できます。こういう人は伸びると思います。


伸びる人材とは問題点をはっきり言う人間。そういう人は物事の原点をしっかり分析でき、問題点がはっきりわかった上で挑戦する。こちらは一言言うだけで安心できますし、だんだん難しい仕事を与えられるようになっていく。


とにかく新しいことに取り組まなくてはならない。事業は壁を破り続けなければならない。そのために何をするかが問われる。


牛を売らずしてミルクを売れ。


絡まった議論を解決するコツは、まず相手の意見を聞き、それをうまくほどいてこちらの考えを通す。大事なのは形にとらわれるのでなく「何が本質か」ということです。


合併の時には組織を一本化することが大事。両社の顔を立てて同じ機能の部を2つ作るなどという会社もありますが得策ではない。我々は指揮命令系統を常に一本化してきました。


M&Aで自分にないものを取り込んでいく。単に、互いの良い所をプラスしてというのではなく、自分たちとは違う事業分野や企業風土を吸収して、全く新しいものをつくり出していく。


組織のナンバー2に求められる役割は、方針が示されたら、構想を実現するために、仕組みと行動計画をきちんと立てて、それを実行していくこと。


企業は成長し続けなければいけない。常に成長し続けるには、ねずみの集団のような経営が必要。哺乳動物の中で、一番種が繁栄しているのは、ねずみやリス、ヤマアラシなどの齧歯類(げっしるい)。環境に適合できるサイズと機能を小哺乳類は備え持っている。


地域ごとにきちんと地域と一体となった仕事をしようとしています。幸い、今、地方創生の話で風は地域に流れていますから、人の少ない地域ではそこの自治体と組んで仕事をしていく。人の多い都会ではマーケットを見て仕事をしようということで、その地域らしい基盤をつくっていく。


M&Aは小さいところから大きく育てる。キラリと光るものがあればいい。M&Aは足し算ではなくて、一緒になることで企業価値を高めていく。だから、飛躍ができる掛け算であるべき。


マネジメント、管理者は自らの「ナンバー2」をつくっていくことが大事だ。ナンバー2をつくり、自分の知識や経験、考え方を全て教え込んでおかなければならない。同じ考えの下で事業を進めることが重要なのです。


「ねずみの集団経営」。私は当社の経営スタイルをこう呼んでいます。それぞれの事業規模は大きくありませんが、祖業の産業ガスから病院設備、農業、食品、基礎化学品、エアゾールと領域がとにかく広いからです。


当社は中小規模のM&Aを繰り返してきました。いまでは傘下の企業数は243社。手当たり次第ではなく、いくつかの判断基準があります。最も重要なのは、今後の成長性があるかという点。


当社はM&A(企業の合併・買収)をしていますが、その事業に将来性があるかという1点を見ています。その時、業績がよくても、将来マーケットがなくなる恐れのあるものには絶対に手を出しません。逆に、今は業績が悪くとも将来性があるものには取り組もうと。


ねずみは地球最古の哺乳類と言われています。それだけ生命力・環境適応力が強く、ためらわずにいろいろなことに取り組み、1匹で生きています。それが事業の原点だという意味でねずみと言っており、それが集団になれば強い組織になるというのが「ねずみの集団経営」の意味です。


私が若い頃は、ガスを売るだけでしたが、それだけでは絶対に駄目。我々はガスの製造も、メンテナンスも全て技術として持っているのだから、総合的にお客様にご提供し、それを買っていただくようにしようと考えた。


我々は変化を見込んで供給体制、事業のあり方そのものを変えてきました。従来の沿岸大型プラントから小型プラントへ。これは物流とユーザーの変化を見て、事業の戦略を変えていったというところがポイントです。


合併に際し、両社のいい部分を新会社で採り入れようとは一切考えなかった。新しい風土を作る。合併の成功はそこから。そして組織を一本化するガバナンス、リーダーシップの確立が重要。やはり新しい酒は新しい革袋に盛らなくてはならない。


私は、我が社の経営の形を1枚の織物のように考えています。主要8事業を事業の縦糸とすれば、8つの地域事業会社は横糸。そうやって、縦糸と横糸が重なり合い、補完し合う中から、絶妙な強度の伸縮性を備えた事業という織物が生まれる。そこには地域ごとに違う風合いや色合いに特色のある織物が期待できるわけです。


当社は大企業の子会社を買収することが多い。大企業はしっかりとした事業計画を作りますが、ある程度の利益を出し続ければ、それでよしとされます。だから子会社には伸びしろがあることが多いが、その潜在力を生かせていない。子会社の主要ポストは親会社に占められ、本当は優秀なのに腐って横を向いている人材が少なくないからです。そこで、当社は少人数しか相手企業に派遣せず、子会社の優秀な人材を引き上げ、風土を変えることに重きを置いています。


いかにカネをかけずに売り上げを増やすかを志向するのが通常の企業買収ですが、私はM&Aをそのような「足し算」では見ていま公せん。M&Aは一緒になることで価値を高め、さらに飛躍できる「掛け算」であるべきだと考えているからです。だから、現時点でいくら利益を出していても成長の余地がない会社には手を付けません。


私は青木(弘・当時社長)に言われたことには、聞いた瞬間に全て「結構です。それでやりましょう」と言っていました。絶対に反対はしない。実現させる方法は自分で考えて、それを伝えれば青木は「いいよ」と言ってくれる。青木は自分の言うことが実現しさえすれば、あとは任せてくれる人です。トップの言うことに反対したら、組織はダメになります。最後、物事を決めるのは青木です。山に登れと言われたら、登り方は自分で考えるということです。


私がタテホの再建に行った時、従業員を集めて3つの哲学の話をし、これに基づいて行動して欲しいという話をした。第1に「シンプルシンキング」。単純に考えろという意味ではなく、シンプルに見て本質を見抜けということです。第2に「クイックレスポンス」。返事はできるだけ早く、できない時には期限付きの保留にすること。第3に「アクトファースト」です。これは現場第一です。問題が起きた時は現場に飛んでいけと。この3つを行動指針としたんです。


契約では往々にして「決める」と言われた後でも、会社に戻ったら「駄目だった」と言われることが多い。だから、「決める」と言われた時に一札取っておく必要がある。例えば、印字した契約書に肉筆で「仮」と書いて、それにサインをしてもらう。相手が「私にはそこまでの権限がないから嫌だ」と言われた時には、「そうおっしゃらずに、私もサインをしますから」と言うと、大抵サインしていただける。私がサインをしますということにどういう意味があるかというと言葉の綾ですね。


合理化を進めているうちに様々な標語が社内から出てくるようになりました。ある時、「赤穂から名古屋まで」と書かれたものを目にしました。何かと聞くと、フォークリフトが工場内を1日に走る走行距離だということでした。コンサルタントというのは面白い表現でやる気を盛り上げるものだと思いましたね。「では次は赤穂から京都までに距離を縮めましょう」と鼓舞していました。それが達成できたら、みんな嬉しいですよね。一事が万事、そういう調子で合理化を進めました。


まず、東京から合理化を手掛けることができるコンサルタントを呼び、社内の各部門から9人を選抜して「合理化チーム」をつくりました。彼らの指導で合理化活動に取り組んだのです。5人ずつくらいのグループに分けて、一人一人に仕事の合理化を叩き込んだのです。3日間の講習を何回か行ったこともありますが、そうするうちに見違えるように会社が変わったのです。当時20代の若手社員ばかりでしたが、この時の経験を基に、今は彼らが一人前になって会社を引っ張ってくれています。


我々はM&Aをする時、業績の数字で判断しません。その会社を買収することによって、我々にどんなプラスがあるのか、我々の手でどのように会社を変えられるか。そこがポイントです。変えることができる自信がなければ買収しません。


タテホ工業の再建に取りかかったとき、言葉で何を言ってもダメだろうと考えて、まずは工場の施設を新しくすることにしました。当時、最も売れていた電融マグネシアの工場にあった十数基の釜を一新する一方、別の工場に13基あった電融炉を6基に集約することにしました。設備投資は約30億円です。当時タテホの売上高が約50億円ですから大変な投資です。あちこちから文句を言われましたが、この投資をしなければ会社は潰れると考えました。次第に、タテホの社内も前向きな雰囲気になりました。


頭のいい人は、自分で考えるからいけないんです。私は、トップの方針について疑いを持ったことがないです。これはもう正しいんだと。私が持っていないものをこの人は持っている。だから、この人の言う通りにやると。ただ残念ながら、トップは具体的な手段についての発想はありませんから、それはこちらが引き受ける。仕組みをつくって、手段をつくって、行動計画を立てていく。それでコツコツやっていくと。


私が大学を卒業したころは就職難の時代でした。何社か落ちた後、父が「大学に行ったら募集が1社あったから、すぐに申し込め」と言って持ってきたのが大同酸素でした。すぐに大学に向かったら、事務室の方から友人が歩いてきました。聞くと「大同酸素の募集があると聞いて行ったけれども事務で断られた」と言うんです。大学に3人の推薦を要求してきたところに、すでに9人を推薦していて、これ以上は駄目だから帰ってくれと言われたと言います。私は逆に、その前情報があれば話ができると考えました。事務室に行ったら案の定、同じことを言われましたが「10人がちょうどきりがいい」と押し問答をして、最終的に書類を受け取ってもらいました(笑)。そこが私の人生の分かれ目であり、常に注意深くいかなければならないと肝に銘じた時でもありました。


雪印食品の牛肉産地偽装事件が起きた時、青木(弘・会長)が入院をしていてお見舞いに行ったら、ベッドの上で新聞を読んでいました。そこで「雪印食品は困っているじゃないか。何か考えたのか?」と言うんです。私は考えていなかったわけですが、青木は「こういう会社をきちんと引き受けるのが我々の役割だ」と。この分野の経験はありませんでしたが、調べてみるとマーケットが壊れたわけではありませんでしたし、技術力もある。こうした工場が手に入るならばいいのではないかと考えました。破綻前の北海道工場には約300人が働いていましたが、地元との話の中で半分でもいいから雇用して欲しいとおっしゃるので半分の人員を雇用しました。


豊田昌洋の経歴・略歴

豊田昌洋、とよだ・まさひろ。日本の経営者。「エア・ウォーター」社長・会長。三重県出身。京都大学法学部卒業後、大同酸素(のちのエア・ウォーター)に入社。取締役、常務、専務、タテホ化学工業社長、大同ほくさん副社長・社長などを経てエア・ウォーター会長に就任。そのほか日本産業ガス協会会長を務めた。