藤崎一郎の名言

藤崎一郎のプロフィール

藤崎一郎、ふじさき・いちろう。日本の外交官。駐米大使。鹿児島県生まれ、神奈川県育ち。慶應義塾大学経済学部在学中に外務公務員I種試験合格。外務省に入省。米国ブラウン大学、スタンフォード大学に留学。在インドネシア大使館三等書記官、OECD代表部一等書記官、大蔵省主計局主計官補佐、情報調査局安全保障政策室長、情報調査局分析課長、経済局国際エネルギー課長、在英国日本国大使館参事官兼ロンドン総領事、外務大臣官房参事官、外務大臣官房在外公館課長、外務大臣官房会計課長、アジア局外務参事官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使(政務担当)、北米局長、外務審議官、ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使、在アメリカ合衆国特命全権大使などを歴任した。そのほか日米協会会長、世界貿易センター東京副会長などを務めた。

藤崎一郎の名言 一覧

人と人のつながりで欠かせない視点、それは「あまり短期で考えるな」ということです。


40年以上の外交官生活の半分は霞が関、半分は在外公館でした。振り返って思うのは、結局外交は人と人のつながりだということです。


国内、国外のいい仲間たちと一緒に働いたこと。それが私の財産です。


政府の役人同士であれば、お互いにそれぞれの国益を背負っています。でも決して相手をミスリードせず、できる範囲で相手のことも考えて行動していれば、自然と信頼関係は築かれていくものです。個人的信頼関係があるか否かで情報交換も交渉も、決定的に違ってきます。


外国の要人や交渉相手と信頼関係を築こうという場合、結局1対1の関係が大事になります。パーティーなどで交際範囲を広めることは大事です。しかし、その中でこれはという相手とは、1対1ないし双方の奥さんも交えた会合を重ねていくことで友達になるのです。休日などによくお互いの家や町の喫茶店でビールを飲みながら話し込んだものです。


駐米大使時代、米国務省への外務省の若手職員の派遣が始まりました。大使館に挨拶に来た職員に言いました。「君はこの2年間この大使館に来てもいけないし、ここの職員と食事してもいけない。情報なんて一切よこしてはいけない。それより米国の役人はどう物事を考えるのかを見ること、そして米政府の中に友達がいるようにする。それが一番意味があることだよ」と。


藤崎一郎の経歴・略歴

藤崎一郎、ふじさき・いちろう。日本の外交官。駐米大使。鹿児島県生まれ、神奈川県育ち。慶應義塾大学経済学部在学中に外務公務員I種試験合格。外務省に入省。米国ブラウン大学、スタンフォード大学に留学。在インドネシア大使館三等書記官、OECD代表部一等書記官、大蔵省主計局主計官補佐、情報調査局安全保障政策室長、情報調査局分析課長、経済局国際エネルギー課長、在英国日本国大使館参事官兼ロンドン総領事、外務大臣官房参事官、外務大臣官房在外公館課長、外務大臣官房会計課長、アジア局外務参事官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使(政務担当)、北米局長、外務審議官、ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使、在アメリカ合衆国特命全権大使などを歴任した。そのほか日米協会会長、世界貿易センター東京副会長などを務めた。

他の記事も読んでみる

出口治明

ビジネスマンに成り立ての頃、ある先輩に「管理職になったら、部下の言うことを良く聞くこと」と教わりました。「賛成か反対か、部下の意見をちゃんと聞けと言うことですね」と聞くと、「そうではない」と言いました。「賛否のような結論は、話を聞かなくても数秒でわかる。大事なのはなぜ反対なのか、なぜ賛成なのか。部下の考え方のパターンを知らないと、その部下を上手に使えないだろう」と言うわけです。


松田正男

成績アップシステムは各学習単元のつながりを示した系統図に基づき、生徒はどこでつまづいているのかを的確に分析します。生徒の理解していない分野を、学習単元ごとに把握でいるのです。弱点を図示することにより、理解できない原因となっている単元がわかり、復習すべきポイントが明確になり、効率よく学習することができるのです。


福沢諭吉

カゲロウは朝に生まれて夕に死すというといえども、人間の寿命に比べてさしたる相違にあらず。蚤と蟻と背比べしても、大衆の目より見れば大小なく、一秒時の遅速を争うも百年の勘定の上には論ずるに足らず。されば宇宙無辺の考えをもってひとり自ら観ずれば、日月も小なり、地球も微なり。まして人間ごとき無知無力、見る影もなきうじ虫同様の小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、たちまち消えて痕なきのみ。


小林幸雄(経営者)

大手はすべて、資本主義の自由圏に出て事業をしていました。後追いの企業として、同じ土俵で戦おうとしても、出遅れは否めません。そこで、私は、まだ他社が進出していない社会主義国に注目しました。アメリカだけでなく、西ドイツ、イギリス、フランスなどの自由圏の大国は、すでに他社がコネクションを作っていました。大手がすでにコネクションを作っている中で、我々が行っても相手にしてもらえない。だとすれば、スイスやポルトガル、スペインなどの比較的小さな国、そして鉄のカーテンで閉ざされ、未踏の地である共産圏であれば、何かあるだろうと考えました。閉ざされた世界で、医療や医薬の水準もわかりません。しかし、他社とは異なる戦略で、大鵬薬品のポジションを確立しようと、共産圏の研究所を回り始めたのです。


高見のっぽ(ノッポさん)

「ノッポさん」の名前が重荷で捨てようとしたこともありました。それでも今、こうして当時の帽子をかぶっているのは、「ノッポさん」として伝えるべきことがあると思うからです。


浅野忠信

自分が望んだ仕事だけでは成長がない気がする。うまくいったとしても、自分の想像の範囲内で、それ以上の何かが生まれない。


大東隆行

いま、おかげさまで、お客さんがたくさん来てくれます。注文が立て込んで、忙しさに追い込まれることもたくさんあります。つい、不機嫌な顔をする店長や従業員が出てきます。それが一番いけません。そんなお店で料理を食べるお客さんの身になってください。不機嫌な従業員には声をかけにくいし、だいたい、料理がちっとも美味しく感じられません。だから僕は、「初心を忘れるな。お客さんが来てくれたことをありがたいと思って仕事をしろ」と言っています。


安永竜夫

資源プラントの建設現場は大体が砂漠かジャングルかツンドラだ。そんな過酷な地域に出かけていって、ハードな交渉をしてきた。いい経験をしたと思うのは、30代後半でプロジェクトリーダーを務めた「黒海横断パイプラインプロジェクト」だ。交渉が長引き、疲れとストレスで痛風の発作が出て、足を引きずりながら交渉のテーブルに着いたことも。でも交渉相手からは「早く帰りたいからそんな(足を引きずる)格好をしているのか」と非難された。海外ビジネスは戦いだと痛感したが、同時に商社マンとしてのプロ意識も養えたと思う。


宗雪雅幸

富士フィルムが大きく変貌することに成功したのは、貿易自由化の危機の時期を経てなのです。自由化が進む中で、世界企業として生き残っていくにはどうしたらいいかと本気で考えた。あのとき、企業として生き残れるかどうかの瀬戸際で本当に真剣に考えた結果が、いま良い影響を及ぼしています。厳しいコスト削減とユニークな商品開発を大切にする問う発想は、貿易自由化に伴う競争の恩恵と言っていい。


植村直己

みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです。


越智直正

ぼくは、「われわれの会社もいつ潰れるかわからない」ということを常に頭に置いています。


渡辺捷昭

意見と意見がぶつかり合い、火花が散ることも珍しくありません。しかし、議論をしているうちに問題意識が次第に共有され、部署ごとの垣根を越えてチームとしてベストの選択をすることができるのです。これを私は「仲良く喧嘩する」と呼んでいます。役員も常日頃からこの「仲良く喧嘩する」をやっています。常務や専務が大部屋に集まって侃々諤々(かんかんがくがく)議論を展開するのです。


冨田和成

時給で稼ぐ行為にはデメリットが3つあります。最大のデメリットは商品が自分の時間である限り、売り上げに上限があることです。もう一つのデメリットは時間を売り過ぎると機会損失の恐れがあること。最後のデメリットは、時間売りのマーケットは得てして買い手市場なので単価が安いこと。


本田健

お金になりづらい分野でも、飛び向けている人は社会から評価され、相応の収入を得ています。たとえば百ます計算の陰山英男先生はもともと小学校の普通の先生でしたが、いまや講演で全国に引っ張りだこです。


嶋津良智

私の場合、緊急の場合を除き、朝の9~10時、昼の1~2時、夕方の5~6時の1日3回しか報連相を受けないと決めています。私からの指示や連絡もこの時間内で行ないます。それ以外の時間は、私も部下も自分の仕事に集中することで、仕事の効率を上げるようにしています。


ページの先頭へ