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葛西紀明の名言

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葛西紀明のプロフィール

葛西紀明、かさい・のりあき。日本のスキージャンプ選手。北海道出身。10歳でジャンプを開始。東海大学付属第四高等学校卒業後、地崎工業に入社。リレハンメル五輪・ソチ五輪ラージヒル団体で銀メダルを獲得。アルベールビル五輪から8連続五輪出場、W杯最年長優勝、五輪スキージャンプ最年長メダリストとしてギネスブックに登録された。

葛西紀明の名言 一覧

目標に向けて努力すると同時に、チャンスをつかむ、良い流れに乗るということが大事。


「勝ちたい」「負けて悔しい」という気持ちはやる気に火をつける。


自分がしっかり準備をし、心身ともにいいコンディションを保っていないと運も回ってこない。


過去のやり方を棚上げし、心機一転、環境を変えることを決めた。
【覚え書き|2002年頃、スランプに陥った時を振り返って】


コンスタントに結果を出すコツは、心技体のコンディションを安定させること、自身のベースを崩さないこと。


何をやっても結果が出ないのは、自身の思考にとどまっているせいだ。であれば、柔軟な思考で、ゼロベースから新しいことにチャレンジするしかない。


スランプ脱出のカギは、柔軟な思考で、自ら変化しようと努めること。そして、自分を信じて、目の前のことに愚直に取り組むこと。


「自分の夢」だけでは、続けられなかったはずです。「金メダル獲得」は、家族、会社の社員、ファンの方々の夢でもある。だから、私は努力し続けられます。


周囲の期待を感じると、「飛びたい」という欲求はさらに強くなった。「誰かに期待されている」「必要とされている」という状態は、モチベーションを高め、パワーを生む。


自分の夢は努力で叶える。


ソルトレイクシティ五輪で散々打ちのめされ、どん底まで落ちたので、自分が変わることへの不安や恐怖を抱えている場合ではありませんでした。


ソルトレークや長野の経験があるからこそ生まれた「悔しさ」を失意にせず、「原動力」に変えてここまできました。


小3でジャンプを始めた時、初めて登ったジャンプ台の高さに怖さを感じました。でも、「どのくらい飛べるのかな?」とワクワクもした。結局、その気持ちは今も変わらず、「どのくらいいけるかな?」と心が躍ってしまう。誰よりも遠くにきれいに飛び、飛距離を出すことに快感を覚えています。


ジャンプの前は常に緊張します。同時にジャンプ台の上でワクワクもしています。というのも、「誰よりも遠くに、きれいに飛びたい」という思いが原点にあるからです。


「なぜ、同世代の選手が引退するなか、競技を続けているんですか?」と聞かれると、長野の夜の(五輪団体メンバーから外された)ことが思い浮かびます。負けたくないという気持ち、家族の支え、会社の支え、日々のトレーニング。そういったものが全部、競技を続ける方向に自分を導いているんだと思います。


20代からやってきたトレーニングもムダだったわけではなく、体力、筋力の土台となって長いジャンプ人生を支え続けてくれています。ただ、30歳というタイミングでフィンランド人のコーチから量より質を重視した疲れの残らないトレーニング法を学べたことは、大きな転機でした。


もともと引退したら監督・コーチをやってみたい気持ちはありましたし、後輩たちを早く世界一に育ててあげたいとも思っていました。それに、後輩に教えながら「自分もここに気をつけよう」などと気づくこともたくさんあります。

【覚え書き|現役を続けながら土屋ホームスキー部監督を務めていることについて】


つらいときはもちろんありますが、「練習しなければ勝てない」「強い選手はもっと頑張っているぞ」と自分に言い聞かせながらやっています。でも、「つらいこと」も実は好きなんですよ。練習しながら「つらい」と思うと、「でも、これが成績に、勝利につながるんだ」と思えば嬉しくなるし、やる気も出ます。


長野五輪以降、スキー板やジャンプスーツの規定など、日本人に不利だと言われた大幅なルール改正がありました。でもそれを批判しても何も変わらない。どう対応すればベストか考える「探究心」が大事です。私はこれが得意で、いつも楽しみながら考えています。


メンタルトレーニングでは、大会で飛ぶ姿から表彰台で喜ぶ姿までをイメージし、本番に挑みました。五輪の試合の朝も、メダルを獲った姿を想像して泣いていました(笑)。


現在の所属先である土屋ホームに入社し、朝礼で「成功への十訓」という社訓を、声に出して唱えていました。その中に、「逆境こそ天が自分に与えた最大のチャンスである」という言葉があり、それが心に染みました。度重なる試練が訪れても、その言葉が自分を支えてくれた。


私は頑固な性格で、考えを曲げないタイプ。でも、どん底まで落ちた私は、コーチの提案を受け入れるしか復活の道はなかった。積極的に自分を変化させようと努めた結果、思考がかなり柔軟になり、前向きになりました。


ジャンプ競技は、重心の位置や姿勢、タイミングなどを数秒間で考えなければならず、かなり頭が疲れるスポーツです。疲れた状態が続くといい思考は生まれず、いいジャンプにもつながりません。定期的に脳をリセットすることで、新たな思考が生まれやすく、集中力も増します。


手帳には毎年目標を書き込んでいます。大事なのは、できるだけリアルに書くことです。たとえば、「この大会で何位に入る。すると、これだけの賞金が手に入るので、そのお金で新しいテレビを買う」といったことまで書き込んでいます。実際に先日、賞金でテレビを買いましたよ。書くことによって目標は「計画」に変わり、モチベーションがアップします。すると、ちゃんと思い描いたように叶っていく傾向があるのです。


生来の負けず嫌いなので、悔しい経験はなかなか忘れられないですね。今も、長野のジャンプ台に行くとあのとき(長野五輪団体のメンバーから外されたとき)の写真が飾ってありますから、それを見るたびに悔しい気持ちがよみがえります(笑)。ただ、その悔しさや「勝ちたい」という気持ちが自分を奮い立たせてくれるのも事実。そうしてトレーニングをすれば、それが確実に実力アップにつながり、自信ややる気につながっていきます。


私も何度か経験しましたが、調子が悪い時ほど、トップ選手のフォームのマネをしたくなる。しかしそれは、すべての歯車を狂わせ、自分のベースを崩す場合があります。ベースとは、子供の頃から慣れ親しんでいるテイクオフ(踏み切り)動作といった、自身の土台となる長所です。変えていいのは、目線や飛び出した時の方向、空中での体勢など。まずは自分のベースを知り、それは変えずにトップ選手のいいところをうまく取り入れるといった「取捨選択能力」と、「対応力」が大事。


生きるために必死だった母や妹の「想像を絶する苦しみ」を思うと、競技で多少辛いことがあっても、「自分の辛さや悩みなんてちっぽけだ。きっとラクに乗り越えられる」と思えました。だって私は好きなジャンプを続けているだけですから。母と妹、家計を支えてくれた姉、家族全員が、今日までの私を支えてくれたのだと思います。


フィンランドで合宿をした時の休養日は、ただ休むのではなく、夏はバギーに乗り、冬はスノーモービルや犬ぞりに乗って皆で楽しみました。それまでは、四六時中、ジャンプ競技のことだけを考え、午前・午後・夜もトレーニングしていないと不安でした、しかし、ジャンプから離れて息抜きをすれば、脳が覚醒されるように、頭がシャキッとした。これは新たな発見でした。


ジャンプは一瞬で終わる競技だけど、飛び終わったあとには肉体的にも精神的にもすごく疲れるんです。もし一日中ジャンプのことばかり考えていたら、身体より先に頭が疲れてしまって、やりたいこともできなくなってしまいます。ですから、競技が終わったらできるだけジャンプのことを考えないようにしています。時間があるときは温泉やショッピングに行ったり、おいしいものを食べたり、リラックスして過ごします。そうすればトレーニング中にもやる気を維持できるし、試合のときには集中できます。努力を続けることは大事ですが、その一方で頭と心をリフレッシュさせることも必要。そのほうが、モチベーションが続くと思います。


理不尽だなと思うことはしょっちゅうです。実際に、風のせいで何度も泣かされました。「なんで、前の選手まではいい風だったのに、自分のときは変わるんだ」と。でも、そのたびに、「いつかいいときが来る」「きっと、オリンピックのときに来るぞ」と自分に言い聞かせてきました。そうすると本当に、大舞台で自分のときに急に風向きが良くなったり、「我慢して良かった」と思う瞬間がやって来るのです。ソチでメダルを取るまで、22年もかかりましたが、チャンスを信じる気持ちを失わなかったからこそモチベーションを維持できたのだと思います。


ソルトレイクシティオリンピックが散々な結果に終わりました。それは、「もう、自分にはこれ以上進歩はないかもしれない」と、すっかりモチベーションを失ってしまうほどの挫折でした。しかし、打ちのめされたことで、もう一度ゼロからやり直そうという気持ちになり、新しいものを受け入れてみる気持ちになったのです。それ以降は、モチベーションを良い状態で保ち続けられています。「やる気が出ない」という人ほど新しいことに目を向けてチャレンジしてみてほしい。


葛西紀明の経歴・略歴

葛西紀明、かさい・のりあき。日本のスキージャンプ選手。北海道出身。10歳でジャンプを開始。東海大学付属第四高等学校卒業後、地崎工業に入社。リレハンメル五輪・ソチ五輪ラージヒル団体で銀メダルを獲得。アルベールビル五輪から8連続五輪出場、W杯最年長優勝、五輪スキージャンプ最年長メダリストとしてギネスブックに登録された。