名言DB

9,557 人 / 112,978 名言

荒俣宏の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

荒俣宏のプロフィール

荒俣宏、あらまた・ひろし。日本の博物学者、小説家、翻訳家、コレクター、タレント。東京出身。慶應義塾大学法学部在学中、仲間とともに怪奇幻想文学同人誌『リトル・ウィアード』を刊行。『怪奇幻想の文学』の編集翻訳解説を担当。大学卒業後、日魯漁業(のちのマルハニチロ)に入社。プログラマーとして9年間在籍しながら、怪奇幻想文学の執筆・翻訳を行う。ニチロ退社後、作家・翻訳家として活躍。『帝都物語シリーズ』はベストセラーとなり、映画化もされた。そのほか、玉川大学客員教授、武蔵野美術大学客員教授、サイバー大学客員教授などを務めた。

荒俣宏の名言 一覧

チャンスはどんな人にも必ず訪れています。問題はそのチャンスをモノにできる力が身についているかどうか。


30代で、貯金が500万円あるなんて、自慢にもなんにもならないですよ。それは自分になんの投資もしてこなかったという証でしょう。貯金なんかする金があるなら自分に使わなきゃ! だって未来なんて、わからないんだから。たとえ失敗しても、そのぶん新しい自分を見つけられるはず。まずは投資しなきゃ、いまの自分に。


何度失敗してもめげない、理想的なモデルが日本にいるじゃないですか。寅さんですよ、寅さん。


生物収集も漫画家になることも断念していなかったから、どんどん自分の時間がなくなっていく。だから、ほかのことは諦めざるをえない。小学校のころには「金持ちになる」「女の子にモテる」というのはきっぱり諦めました。世の中、「ギブ&テイク」だから、諦めないと好きなことには集中できない。


子供のころから関心のあるものには人一倍集中できる反面、興味のないものは見向きもしないタイプで。よく先生にも叱られましたよ。学校では、ストライクを投げることを求められるのに、僕は「どうしてカーブは曲がるんだろう」って、そっちのほうの面白さにのめり込むような子供でしたから。


現在の若い人たちを見ると、世の中に合わせて「自分を変えよう」と焦っている人が多いように思います。それが悪いことだとは言いませんが、何かを成し遂げたいことがある人は、むしろ「自分を変えないこと」に力を注ぐべきです。自分が変わらずに、周りが変わるのを待てるかどうか、そこに成功の分水嶺があるような気がします。


僕の30代の初めと終わりを比べると、たしかに劇的な変化といえるかもしれません。しかし僕は、変わったのは自分ではなく、世の中の方だと思います。なにしろ、以前は1円ももらえなかった原稿で生活できるようになり、テレビにまで出るようになったのですから。30代を通して、変わらずに好きな道を追究したからこそ、いまの僕があるのです。


32歳のときにサラリーマンを辞めたのですが、それも仕事で身につけたコンピュータの知識があれば、会社を辞めてもなんとかやっていけるだろうと考えたためです。相変わらず、自分のやりたいことで生計を立てられるとは考えていませんでした。


自分のやりたいことのためには、何かを諦めなくてはなりません。会社の仕事も、睡眠時間を削ることも、30歳当時の僕は、必要な犠牲だと考えていました。


子供のころから変人扱いされ、無視されていただけに、自分は一生、友達がいないまま死んでいくんだなと。これ(友達をつくること)も諦めた(笑)。でも、寂しいと思ったことはないですよ。なぜなら、平井(呈一)先生のような師匠をやたらゲットしていましたから。博物学の分野では、「日本野鳥の会」を創設した中西悟堂先生も師匠でした。高校1年のときには平井先生から「僕よりも若い人がいいだろう」と、幻想文学にくわしい、評論家・翻訳者の紀田順一郎先生を紹介してもらいましてね。紀田先生も師匠です。


『帝都物語』がヒットしたときには自分でもビックリしたけど、それまで大貧乏だったから、1億円も印税が入っちゃうと、つい嬉しくなって。高い本をガンガン買いまくって、みんな使っちゃった。翌年、収入の85%も税金に取られるなんて知らずに(笑)。税金を払わなきゃいけないから、また何千万円か稼がなきゃいけない。しばらくは年に20冊を目標にして原稿を書くはめになりました。でも、あの大失敗も自己投資の一つです。そこから新たな作品が生まれていったんですからね。


会社員時代、一番行きたくないコンピューター室に配属替えになって。3日でやめようと思った。第一、コンピューター用語なんてまったくわからない。ところがね、業務をはじめてコンピューターにトラブルが発生したとするでしょう。はじめは「このポンコツめ!」と思う。しかし、よくよく調べてみると、プログラムを組んだ自分のミスだとわかる。すると「自分がいかに愚かか」に気づかせてくれる、一種のバロメーターであると気づき、俄然、コンピューターが面白くなったのです。


大学卒業後は日魯漁業(のちのマルハニチロ)に入ってサラリーマン生活へ。でも、それも仮の姿でね。当時は55歳定年でしたから、33年我慢して定年を迎えたら博物学や漫画、文学を思う存分やろうという壮大な計画を立てていたんです。33年ぐらい、たいした期間じゃないだろうと(笑)。それに漁業の会社だから、年中、魚の博物学に近いことができるだろうと思いましてね。ところが配属されたのは、船の資材の積み込みをやる部署。3日でやめようと思ったら、これが意外にも面白かったんです。たとえば、資材発注リストに「海別」と書いてある。なんて読むかわかりますか? 船員用語で「キャベツ」って読むんです。「これは新しい国語だ!」なんて面白がっていたら、あっという間に7、8か月が経ちましてね。


我々団塊の世代というのは、生まれたときには何もない時代でしたからね。何か欲しくても、諦めるか、我慢するしかなかった。基本的に無いというところからスタートしているという点が、いまの若い子たちと一番ちがうところなんじゃないでしょうか。実際、中学を卒業すると半分ぐらいは、すぐ就職でした。お金がないから、諦めが簡単につく時代だったんです。しかし一面では、しぶとい面もあってね。「ひとつ諦めるかわり、ほかは諦めないぞ」って。それこそ転んでも、ただでは起きない(笑)。


結局、日魯には9年半ほどもいて、32歳のときに退職しました。会社員が次のステップへ移ろうとしたら、35、36歳がギリギリじゃないですか。で、辞めたわけです。退職後はコンピューターのプログラマーとして食っていこうと漠然と考えていた。ところが退職して3、4か月後、平凡社に「大百科事典を作るから、スタッフとして参加してくれないか」と誘われた。この仕事をやらせてもらったお陰で、博物学好きの性格が爆発して、本格的な博物学への道を歩みはじめるんです。当時は、あまりの忙しさに家に帰るのが面倒になって、平凡社の仮眠室に寝泊まり。そのうち、もう会社に住み着くようになってね。あまりの居心地のよさに、結局、22年ぐらい住み着いたのかな(笑)。なんといっても平凡社には膨大な図書館があったのがよかった。『本草綱目』をはじめ、博物学の古典が山のようにありましたからね。


中学3年生の頃、古本屋を回り幻想文学の本を探し求めたんですけど、どこにもなくてね。大胆にも、『世界恐怖小説全集』の解説を書いていた、翻訳家の平井呈一先生に葉書を言いたんです。「弟子にしてください」って(笑)。ところが驚いたことに返事が来ましてね。「あなたは珍しい中学生だ。日本ではこの分野の作品はなかなか普及していない。私は小泉八雲作品の翻訳をライフワークにしているが、怪奇、幻想系文学は日本語で読もうと思っても出版は望み薄なので、原書で読むことをおすすめする」と言いてある。英語は大嫌いだったんですけど、「それなら、勉強しよう」と。日本橋の丸善に洋書を買いに行き、辞書を引き引き読み出したんです。でも、最初はさっぱりわからない(笑)。短編集に切り替え、毎晩、読み続けていたら10冊目くらいから理解できるようになってきた。高校2年には、かなり読めるようになっていました。


中学3年のときに、おたふく風邪で5日ほど学校を休んでいたらね、新聞のチラシが目に入った。ある出版社が潰れて、そこのゾッキ本(投げ売り本)がデパートで売りに出ているという。安いうえに、『吸血鬼』とか『幽霊島』という魅力的なタイトルが並んでいる。それでその『世界恐怖小説全集』という本を注文したんですよ。それが、のちの私の運命をも左右する、幻想文学との出会いだったのです。あの全集は、僕にとって「お宝」でしたね。タイトルから、はじめは怪談話が収められているとばかり思っていたら、人間の心理や、この世にはなんとも不思議な現象があるという奥深い内容が書いてある。


荒俣宏の経歴・略歴

荒俣宏、あらまた・ひろし。日本の博物学者、小説家、翻訳家、コレクター、タレント。東京出身。慶應義塾大学法学部在学中、仲間とともに怪奇幻想文学同人誌『リトル・ウィアード』を刊行。『怪奇幻想の文学』の編集翻訳解説を担当。大学卒業後、日魯漁業(のちのマルハニチロ)に入社。プログラマーとして9年間在籍しながら、怪奇幻想文学の執筆・翻訳を行う。ニチロ退社後、作家・翻訳家として活躍。『帝都物語シリーズ』はベストセラーとなり、映画化もされた。そのほか、玉川大学客員教授、武蔵野美術大学客員教授、サイバー大学客員教授などを務めた。

他の記事も読んでみる

藤井佐和子

「自分は人間関係で悩んでいる。だから転職したい」とはっきりおっしゃる方は、そう多くはありません。みなさん、最初は仕事のやりがいや待遇などを話題にされるのですが、もっと詳しく聞いていくと、じつは人間関係が一番大きな問題だった、というのはよくあること。本人が意識している・いないに関わらず、人間関係は仕事のモチベーションに大きく関係しているということでしょう。


齋藤孝(教育学者)

雑談は、相手に話の主導権を渡した方が盛り上がります。相手本位の会話になるようにこちらがサポートする。それには、相手の話にひたすら質問で返すのがとても効果的です。


内山真

2000年以降、大規模な調査や長年の経過観察の結果、不眠があらゆる病気の悪化要因になることがわかってきた。たとえば、ある時点で寝つきが悪かったり、夜中に目が覚める不眠の症状がある人とそうでない人を比較すると、4年後には高血圧を発症する確率が2倍になる。また、企業の健診データを用いた働き盛りの男性対象の研究では、寝つきが悪い人は8年後に糖尿病になる確率が3倍高いというデータもある。


伊藤雅俊(味の素)

調味料や加工食品を海外に浸透させるには、自分たちの食文化を相手に伝えるのではなく、相手の食文化を理解して、その中に我々が持つ素材をどのように組み合わせてもらえば、料理がより美味しくなるかを訴求しなければなりません。


北尾吉孝

古典というと、若い人は「難しそうだし、すぐに役に立つわけでもないし」と敬遠しがちですが、急がず回れという言葉もあります。読む人によって響き方の異なる中国古典は、すぐに役立つと宣伝されるハウツー本などより、じつはずっと即効性があり役立つと言うべきです。ビジネスの上でも、個人生活の上でも、判断や行動のものさしとなるものだからです。


藤川太(ファイナンシャルプランナー)

子供たちは親が思っている以上にしっかりしています。家族の目的が共有されれば、率先して家計に協力してくれることもあるわけです。お金の話をうやむやにしてしまうのは、結局、子供の金銭管理という概念を育てないことになります。学校では金銭管理の習慣は教えてくれません。家庭でしか教えられないのです。もちろん状況は変わりますから、毎年ライフプランは更新すべきでしょう。


高畠靖雄

中学時代の柔道の先生が卒業間際に贈ってくれたのが、「人生、迷ったら困難な方を選びなさい」です。これまでの人生を振り返っても、楽な道を選んで良いことはないと実感しています。この言葉は常に頭の片隅にあり、何かを決断する時の指針になっています。


江上治

正規・非正規を問わず、不遇な現状に悩んでいる人は、現状の世界でお金を得ていくのが正解なのか、今一度、考えてみてほしい。置かれた場所で咲くだけが自分の生き方なのか、ということである。


稲盛和夫

JALの経営再建時、京セラで私が編み出した独自の管理会計システム(アメーバ経営)も導入しましたが、何といっても、哲学が浸透していったことで、幹部、社員は自己犠牲を厭わないようになりました。みんな他人のために喜々として働くようになり、それにつれて業績もみるみる向上していきました。


井上和幸(ヘッドハンター)

「ゼクシィ」は400億円事業に成長しましたが、当初担当者が提案しては経営陣から却下されるということの繰り返しだったのです。それでもあきらめないで食い下がるから、ゴーサインを出したところ結果的には大成功。「ホットペッパー」と並んで、バブル崩壊後の苦境を救うリクルートの救世主になりました。


鈴木貴博(コンサルタント)

戦略思考をするためには難しい考え方やツールは必要なく、「なぜ」を何度も繰り返せばいいのです。たとえば、売上げが減っているとする。「なぜ売上げが減っているんだろう」と考えると、売れる数量が減っているのか、単価が下がっているのか、といった可能性が見えてくる。仮に単価が落ちているとしたら、もう一回「なぜ?」と考えてみる。すると、単純にデフレだから、あるいは競合が価格競争を仕掛けているから、といった可能性が見えてきます。


奥山清行

なぜプロが結果を出せるかといえば、それは圧倒的な量をこなしていることが大きいのです。僕は『エンツォ・フェラーリ』のデザイン・スケッチを15分で描き上げたのですが、そのただ一枚のスケッチの背景には、それまでの何千、何万という数のスケッチを描いた蓄積があります。