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荒俣宏の名言

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荒俣宏のプロフィール

荒俣宏、あらまた・ひろし。日本の博物学者、小説家、翻訳家、コレクター、タレント。東京出身。慶應義塾大学法学部在学中、仲間とともに怪奇幻想文学同人誌『リトル・ウィアード』を刊行。『怪奇幻想の文学』の編集翻訳解説を担当。大学卒業後、日魯漁業(のちのマルハニチロ)に入社。プログラマーとして9年間在籍しながら、怪奇幻想文学の執筆・翻訳を行う。ニチロ退社後、作家・翻訳家として活躍。『帝都物語シリーズ』はベストセラーとなり、映画化もされた。そのほか、玉川大学客員教授、武蔵野美術大学客員教授、サイバー大学客員教授などを務めた。

荒俣宏の名言 一覧

チャンスはどんな人にも必ず訪れています。問題はそのチャンスをモノにできる力が身についているかどうか。


30代で、貯金が500万円あるなんて、自慢にもなんにもならないですよ。それは自分になんの投資もしてこなかったという証でしょう。貯金なんかする金があるなら自分に使わなきゃ! だって未来なんて、わからないんだから。たとえ失敗しても、そのぶん新しい自分を見つけられるはず。まずは投資しなきゃ、いまの自分に。


何度失敗してもめげない、理想的なモデルが日本にいるじゃないですか。寅さんですよ、寅さん。


生物収集も漫画家になることも断念していなかったから、どんどん自分の時間がなくなっていく。だから、ほかのことは諦めざるをえない。小学校のころには「金持ちになる」「女の子にモテる」というのはきっぱり諦めました。世の中、「ギブ&テイク」だから、諦めないと好きなことには集中できない。


子供のころから関心のあるものには人一倍集中できる反面、興味のないものは見向きもしないタイプで。よく先生にも叱られましたよ。学校では、ストライクを投げることを求められるのに、僕は「どうしてカーブは曲がるんだろう」って、そっちのほうの面白さにのめり込むような子供でしたから。


現在の若い人たちを見ると、世の中に合わせて「自分を変えよう」と焦っている人が多いように思います。それが悪いことだとは言いませんが、何かを成し遂げたいことがある人は、むしろ「自分を変えないこと」に力を注ぐべきです。自分が変わらずに、周りが変わるのを待てるかどうか、そこに成功の分水嶺があるような気がします。


僕の30代の初めと終わりを比べると、たしかに劇的な変化といえるかもしれません。しかし僕は、変わったのは自分ではなく、世の中の方だと思います。なにしろ、以前は1円ももらえなかった原稿で生活できるようになり、テレビにまで出るようになったのですから。30代を通して、変わらずに好きな道を追究したからこそ、いまの僕があるのです。


32歳のときにサラリーマンを辞めたのですが、それも仕事で身につけたコンピュータの知識があれば、会社を辞めてもなんとかやっていけるだろうと考えたためです。相変わらず、自分のやりたいことで生計を立てられるとは考えていませんでした。


自分のやりたいことのためには、何かを諦めなくてはなりません。会社の仕事も、睡眠時間を削ることも、30歳当時の僕は、必要な犠牲だと考えていました。


子供のころから変人扱いされ、無視されていただけに、自分は一生、友達がいないまま死んでいくんだなと。これ(友達をつくること)も諦めた(笑)。でも、寂しいと思ったことはないですよ。なぜなら、平井(呈一)先生のような師匠をやたらゲットしていましたから。博物学の分野では、「日本野鳥の会」を創設した中西悟堂先生も師匠でした。高校1年のときには平井先生から「僕よりも若い人がいいだろう」と、幻想文学にくわしい、評論家・翻訳者の紀田順一郎先生を紹介してもらいましてね。紀田先生も師匠です。


『帝都物語』がヒットしたときには自分でもビックリしたけど、それまで大貧乏だったから、1億円も印税が入っちゃうと、つい嬉しくなって。高い本をガンガン買いまくって、みんな使っちゃった。翌年、収入の85%も税金に取られるなんて知らずに(笑)。税金を払わなきゃいけないから、また何千万円か稼がなきゃいけない。しばらくは年に20冊を目標にして原稿を書くはめになりました。でも、あの大失敗も自己投資の一つです。そこから新たな作品が生まれていったんですからね。


会社員時代、一番行きたくないコンピューター室に配属替えになって。3日でやめようと思った。第一、コンピューター用語なんてまったくわからない。ところがね、業務をはじめてコンピューターにトラブルが発生したとするでしょう。はじめは「このポンコツめ!」と思う。しかし、よくよく調べてみると、プログラムを組んだ自分のミスだとわかる。すると「自分がいかに愚かか」に気づかせてくれる、一種のバロメーターであると気づき、俄然、コンピューターが面白くなったのです。


大学卒業後は日魯漁業(のちのマルハニチロ)に入ってサラリーマン生活へ。でも、それも仮の姿でね。当時は55歳定年でしたから、33年我慢して定年を迎えたら博物学や漫画、文学を思う存分やろうという壮大な計画を立てていたんです。33年ぐらい、たいした期間じゃないだろうと(笑)。それに漁業の会社だから、年中、魚の博物学に近いことができるだろうと思いましてね。ところが配属されたのは、船の資材の積み込みをやる部署。3日でやめようと思ったら、これが意外にも面白かったんです。たとえば、資材発注リストに「海別」と書いてある。なんて読むかわかりますか? 船員用語で「キャベツ」って読むんです。「これは新しい国語だ!」なんて面白がっていたら、あっという間に7、8か月が経ちましてね。


我々団塊の世代というのは、生まれたときには何もない時代でしたからね。何か欲しくても、諦めるか、我慢するしかなかった。基本的に無いというところからスタートしているという点が、いまの若い子たちと一番ちがうところなんじゃないでしょうか。実際、中学を卒業すると半分ぐらいは、すぐ就職でした。お金がないから、諦めが簡単につく時代だったんです。しかし一面では、しぶとい面もあってね。「ひとつ諦めるかわり、ほかは諦めないぞ」って。それこそ転んでも、ただでは起きない(笑)。


結局、日魯には9年半ほどもいて、32歳のときに退職しました。会社員が次のステップへ移ろうとしたら、35、36歳がギリギリじゃないですか。で、辞めたわけです。退職後はコンピューターのプログラマーとして食っていこうと漠然と考えていた。ところが退職して3、4か月後、平凡社に「大百科事典を作るから、スタッフとして参加してくれないか」と誘われた。この仕事をやらせてもらったお陰で、博物学好きの性格が爆発して、本格的な博物学への道を歩みはじめるんです。当時は、あまりの忙しさに家に帰るのが面倒になって、平凡社の仮眠室に寝泊まり。そのうち、もう会社に住み着くようになってね。あまりの居心地のよさに、結局、22年ぐらい住み着いたのかな(笑)。なんといっても平凡社には膨大な図書館があったのがよかった。『本草綱目』をはじめ、博物学の古典が山のようにありましたからね。


中学3年生の頃、古本屋を回り幻想文学の本を探し求めたんですけど、どこにもなくてね。大胆にも、『世界恐怖小説全集』の解説を書いていた、翻訳家の平井呈一先生に葉書を言いたんです。「弟子にしてください」って(笑)。ところが驚いたことに返事が来ましてね。「あなたは珍しい中学生だ。日本ではこの分野の作品はなかなか普及していない。私は小泉八雲作品の翻訳をライフワークにしているが、怪奇、幻想系文学は日本語で読もうと思っても出版は望み薄なので、原書で読むことをおすすめする」と言いてある。英語は大嫌いだったんですけど、「それなら、勉強しよう」と。日本橋の丸善に洋書を買いに行き、辞書を引き引き読み出したんです。でも、最初はさっぱりわからない(笑)。短編集に切り替え、毎晩、読み続けていたら10冊目くらいから理解できるようになってきた。高校2年には、かなり読めるようになっていました。


中学3年のときに、おたふく風邪で5日ほど学校を休んでいたらね、新聞のチラシが目に入った。ある出版社が潰れて、そこのゾッキ本(投げ売り本)がデパートで売りに出ているという。安いうえに、『吸血鬼』とか『幽霊島』という魅力的なタイトルが並んでいる。それでその『世界恐怖小説全集』という本を注文したんですよ。それが、のちの私の運命をも左右する、幻想文学との出会いだったのです。あの全集は、僕にとって「お宝」でしたね。タイトルから、はじめは怪談話が収められているとばかり思っていたら、人間の心理や、この世にはなんとも不思議な現象があるという奥深い内容が書いてある。


荒俣宏の経歴・略歴

荒俣宏、あらまた・ひろし。日本の博物学者、小説家、翻訳家、コレクター、タレント。東京出身。慶應義塾大学法学部在学中、仲間とともに怪奇幻想文学同人誌『リトル・ウィアード』を刊行。『怪奇幻想の文学』の編集翻訳解説を担当。大学卒業後、日魯漁業(のちのマルハニチロ)に入社。プログラマーとして9年間在籍しながら、怪奇幻想文学の執筆・翻訳を行う。ニチロ退社後、作家・翻訳家として活躍。『帝都物語シリーズ』はベストセラーとなり、映画化もされた。そのほか、玉川大学客員教授、武蔵野美術大学客員教授、サイバー大学客員教授などを務めた。

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