名言DB

9,510 人 / 112,245 名言

芳井敬一の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

芳井敬一のプロフィール

芳井敬一、よしい・けいいち。日本の経営者。「大和ハウス工業」社長。大阪府出身。中央大学文学部哲学科卒業後、神戸製鋼所を経て、大和ハウス工業に入社。神戸建築営業所長、姫路支店長、金沢支店長、東京支社長、常務、専務などを経て社長に就任。

芳井敬一の名言 一覧

事業は時代や環境の中で変わっていく。でも、人を残していけば企業は必ず成長していけるはず。


家族の団らんが営業にとってリセットになります。私は「リセット上手は仕事上手」と言い続けています。


最終的に事業を現地化することが最大の貢献だと思っています。現地社員に大和ハウスのDNAを刷り込んでやっていくことが大事です。


中国では「品質」が欲しいという時代に変わってきましたから、いよいよ我々の出番です。彼らは「メイド・イン・ジャパン」を世界で最も評価していると言っていいでしょう。


「事業を通じて人を育てること」は当社の経営理念に掲げられていますが、業績を上げることは当たり前で、その上で人を育てることが会社の将来につながる。これは私の信念でもあります。


樋口(武男)会長から学んだことはたくさんありますが、とくに分け隔てをしない姿勢です。私が石川県の金沢支店長の時、受注活動をしていたお客様から、会長への講演依頼があり、来てもらうことになりました。ところが数百人規模の講演と思って当日行ってみると、場所は先方の食堂で、役員の方7、8人という状況です。正直「どうしよう」と思いました。1時間の枠だったのですが、普段の講演と全く同じ笑顔で1時間45分話してくれました。その時、状況で分け隔てせず、力を抜かない会長の姿に衝撃を受けました。当然、お客様は感激を通り越して感動しておられました。できるかは別として、最も学んだことです。


本当に営業に向いているのならば、厳しい会社で働いた方がいいと考えました。周りの人間に「大和ハウスを受ける」と話すと「やめておけ」と言われました。「厳しい」、「大変らしいぞ」というわけですが、私は大変さを求めていました。


1970年以降、中国を振り出しに米国など海外事業を始めましたが、中国しか残りませんでした。その反省もあり、その国で何がお役に立てるかを明確にしていこうと。我々は右から左にモノを動かして利益を取るのではなく、モノづくりから逃げてはならないということに強くこだわっています。


目標が5兆円であれば、これとこれをやれば5兆円に届くなということを考えてしまいますが、10兆円を覗くとそれでは足りないと気が付きます。だからこそやるべき道は、現存の軸の全てのエリアで1位を取ること。たとえば住宅事業で1位を獲ろうということです。


先日、米ニューヨークに行ったのですが、その日にニューヨーク株が大暴落しました。しかし、我々の米国のパートナーは織り込み済みという感じで「大したことはない。明日も下がるよ」と言います。慌てているのは我々だけで、彼らは市場の動きを読んでいる感じです。意外と米国経済はタフです。


「自分がいなくなったらあの部署の成績はだめになった」などという人がいるが、これは最も言ってはいけないことだ。これは人材を育てなかったということだ。


当社の創業者の理念の一つは「事業を通じて人を育てる」であり、私は「管理職の給料の半分は人を育てるためのものだ」といつも言っています。人口減、高齢化など、経営環境は厳しいといわれますが、人材が育っていれば何も怖くはありません。


部下の名前、性格、仕事ぶりはみんな覚えて、人によって育て方も変える。その時々の課題の与え方も変える。個人別にカルテを持って人を育てるのです。


社長就任時、最初に考えたのは「次の人に(社長の)バトンを渡すときまでに自分は何をしておかなければならないか」でした。就任したばかりなのに不思議に思えるかもしれません。でも、大事なのは企業は永続していかなければならないということです。


「逃げずに真正面からぶつかる」――強い覚悟と勇気が必要ですが、逃げないことは必ず人生の財産となる、そう教えてくれたのがラグビーです。


私は支店長公募育成研修や将来の経営幹部を育てる大和ハウス塾の1期生で、その頃から一貫して「人を育てる」ことを心掛けてきました。「100周年に売上高10兆円」の目標に向かうときに、実際に事業をするのは人です。とにかく人を育てていきたいと思います。


大和ハウスに入社して最初に配属されたのは大阪本店です。私は「遅れてきたルーキー」とよく言っていました。32歳で転職しましたが体育会で育ちましたので大学を卒業して2年目の人たちも先輩です。当然敬語で接しました。みんな親切でしたし、「この人は」という人にはお願いして同行してもらいました。教えてくれる人たちが多く、非常に「人」に恵まれましたね。


10年ほど神戸製鋼所のグループ会社で働いてから大和ハウスに転職しました。神戸製鋼所を辞めたとき、もう一度、人生を見直そうと適性検査を受けたところ、営業の適性が二重丸と出ました。大学卒業の時にやりたくない仕事が営業でしたが、逆にやってみようと。できれば上場会社で営業の厳しい会社でやりたいと。


将来はデジタル労働力、人を工場の機械が代替するということに取り組まなければいけないと考えています。当社は社名に「工業」と付いています。これは石橋オーナーがお客様に同じ品質を提供するんだということを目標としたことによります。創業当初から工業化ですから、ここはやるべき、やらねばならないことです。これは会社としてのDNAがあります。


米国は時間軸で言うと、我々よりも先か、同じです。何が必要か考えると難しいのですが、日本の品質の考え方が十分通じます。日本品質、「日本テイスト」を提供していきたい。私も様々な国へ行きましたが、日本人は特殊です。勤勉で、日本人だけが約束を守ります。日本人は「貴重品」だと思うんです。その良さは武器になります。


ここまでこられたのは、周囲の人に恵まれたからです。大学を出てから10年も経ていて営業の仕事は始めてという私に対して、周囲の人たちが親切に教えてくれました。もちろん私自身も学ぶ姿勢を持ち続けましたが、年下の人たちも聞けば何でも教えてくれた。そんな中で生きてきたから私も人を育てることを大切にしてきました。


当社は2055年に売上高10兆円を目指しています。今期の予想は約4兆円ですからまだだいぶあります。しかも37年後です。私はもう生きていないでしょう。ではどうすればいいのか。このメンバーなら必ず10兆円を達成してくれるという人材を育成していくことです。年齢の近い第1陣、さらにその下の第2陣、第3陣……と先を見越して育てていけば、彼らがやがて成し遂げてくれる。そういうふうに育てていくのです。


ラグビーでタックルしやすいのは、斜めに走ってくる相手。真正面から向かってくる相手は恐ろしく、とても強い。ならば「自分は常に真正面から行こう」と意を固め、物事と正対することを心掛けてきました。決してたやすいことではありませんが、会社を経営するうえでも正対することは大切で、物事の核をとらえることかでき、同時に新しい風景も見えてきます。


事業を進めると、認知度や期待度が変わり、情報ソースが変わっていきます。創業者の石橋信夫が、樋口(武男)会長に創業50周年に1兆5000億円の実現、さらに創業100周年で10兆円という目標を託したわけですが、おそらく当時は10兆円は見えていなかったと思います。しかし、樋口会長の下、村上(健治)社長、大野(直竹)社長と進み、第5次中計で売上高3兆9500億円まで来ました。ここまで来ると5兆円の風景が見えてくる。同時に10兆円を覗けるところまで来ているのかなと。


私がどういう場面でバトンを受け取ったかというと期の途中です。大野(直竹)前社長が健康上の理由で退任したことによるバトンですから、樋口(武男)会長、大野社長でつくった第5次中期経営計画を、大野が描いていたところで収めることが大事です。私は営業本部長として大野の横にいましたから、どの数字で収めたいかは共有できていたと思っています。自分がこの席を与えていただいて、まずそれが一番やるべきことだと思います。


実は大学時代、入部から半年ほどたった頃に、凄まじい練習に耐えかねて同期の部員たちと脱走を企てたことがあります。しかし、脱走直前に地元の仲間の顔が脳裏をよぎり、「泣いて見送ってくれた仲間に合わせる顔がない。やっぱり俺は行かない。逃げない」と、去っていく部員に別れを告げました。もしあの夜に逃げていたら、つらいことから目を背け、逃げ続ける人生になっていたかもしれません。


少年時代は野球に没頭していましたが、進学先の高校には野球部がなく、代わりに入部したのがラグビー部。大阪から上京した大学時代も寮生活でラグビーに明け暮れ、まさに汗にまみれた青春時代を過ごしました。日々の過酷な練習を通して、ラグビーが教えてくれたことは多くありますが、中でも「物事に正対すること」は今もなお、私の行動指針となっています。


働き方改革というわけではないのですが、今年の三が日は全国の店舗を休みにしました。私は東京本店長を4年半務めていましたが、その時も休みにしており、拡大した形です。休みにした結果、売り上げは落ちませんでした。私にはそもそも、お正月にどうして店を開けるんだろうという疑問がありました。お客様には家の購入動機があります。多いのはお子さんが学校に入学する時期に間に合わせたいという理由。それ以外には新しい家でお正月を迎えたいという理由もあります。ところが、当社の営業担当者のほとんどが、お正月を味わっていない。その人間がお客様に「お正月は新しい家で迎えましょう」と提案できるでしょうか。正月を味わって、その話ができる人間になって欲しいというのが、そもそもの私の考えです。東京本店長時代にデータを取ったところ、お正月の新規来場で契約に至る確率は、それほど高くないという結果が出ました。しかし、最初はみんな休むということを信じなかったですね。「本当はお店を開けるんですよね?」というので「開けるわけないだろう」と言っていたら、ある社員が来て「私だけ出ては駄目でしょうか」と。数字がないというんですが、もういいから休んでくれと(笑)。


芳井敬一の経歴・略歴

芳井敬一、よしい・けいいち。日本の経営者。「大和ハウス工業」社長。大阪府出身。中央大学文学部哲学科卒業後、神戸製鋼所を経て、大和ハウス工業に入社。神戸建築営業所長、姫路支店長、金沢支店長、東京支社長、常務、専務などを経て社長に就任。