米田功の名言

米田功のプロフィール

米田功、よねだ・いさお。日本の体操選手。大阪府出身。8歳から体操を開始。順天堂大学卒業。アテネ五輪団体総合で金メダル、同鉄棒で銅メダルを獲得。

米田功の名言 一覧

本気で練習に取り組むと、自分にはできないことが多いことに気づきました。それまで、得意なことしか練習してこなかったツケですね。でも、どうやったら勝てるか考え、さらに体操にのめり込みました。


苦しくても下を向かないこと。心は行動に影響されます。下を向くことでキツさが増幅される。ツラいときは顔を上げましょう。苦しさは身体には出さないほうがいいんです。


試合のとき緊張と興奮で鉄棒を握る手が震えることがあります。でもそんな時ジタバタせず、目の前の一つ一つを淡々とこなすことに専念する。


スランプからの脱出を目的にするのではなく、別の目標を設定し、それを達成するための方策に目を向けると、不調から抜け出せる。


僕にとって最も困難だったのは決勝当日ではなく、普段の日常。練習をこなすモチベーションをいかに毎日保つか。それが一番の難問だった。


もし私がシドニー五輪代表に落選していなけれは、お祭り気分のキャプテンだったでしょう。「カッコよく勝とうぜ」といって、みんなの気持ちを理解しようとしないで終わったかもしれません。


参考にしたのは柔道日本代表です。彼らがあれだけのメダルを獲れるのは大きなプレッシャーがあるからです。そこで、みんなで話しあって目標は金メダルと宣言しました。私は誰よりも早く練習場に入って、緊張感のある雰囲気をつくったんです。


極限の状況では、いつも以上に興奮したり緊張するのは当たり前。アドレナリンが出て交感裡経が活発になっている反応に過ぎない。それを不安や恐怖にしてしまうのは、結局自分に本当の自信がないから。自信があれば震えさえもエネルギーにできる。


当時の僕にとってオリンピックは「行くべき」ものであって、どうしても「行きたい」ものではなかった。だから練習もいまひとつ身に入らなかった。結局、僕よりも行きたいという気持ちが強い人がいたということ。

【覚え書き|シドニー五輪で選考落ちしたことについて】


どんなに緊張しても歩くことは誰でもできますよね。僕らはまさに歩くことと同じくらいになるまで技を身に付けてきたという自負がありました。たとえ寝起きで寝ぼけていても完璧に演技ができる。その自信があるからこそ、どんなに緊張していても怖じ気づくことなく、演技ができたんだと思います。


お風呂が好きで、湯につかりながら紙にいろいろ書くんです。いま欲しい物、なりたいもの。書いているうちに自分自身がよく分かってきます。僕は車が好きで、あえて試乗会に行く。すると、やっぱり欲しくなる。今度の大会で優勝できたら賞金で買えるな、じゃあ頑張ろうとか(笑)。


井上康生選手や高橋尚子さん、活躍した人を見て、自分も人を感動させる選手になりたいと。彼らの本だけでなく経営者の本や自己啓発本を読み、自分が何をしたいのか、どうなりたいのかを今一度振り返った。


ケガで不調だったとき、バルセロナ五輪での古賀稔彦選手の試合を見たんです。左膝に大怪我をしているのに優勝したのを見て気づいたんです。「必ず勝つ!」という目的があれば、ケガは問題じゃないんだ、と。私は心の中でケガやスランプのことはかり考えて、「ムリ」と自分を縛っていたんでしょうね。


学生時代は練習しないで勝つことがカッコイイと勘違いしてたんです。とくに大学時代は、ロクに練習をしなくても、大会で優勝できていた。ところが、当然選ばれると思っていたシドニー五輪の代表から外れてしまったんです。本当にショックでした。それからは、一番自分に合っていないと思っていた、最後まで頑張ることをやろうと考えが変わりました。


「五輪でメダル」という目標を掲げ、「そのために足りない点」を戦略ノートに書き出しました。たとえば「自分に足りないのは脚力」「シドニーのメンバーは○点。自分はあと○点必要」と具体的に課題を書きました。すると、気持ちが前向きに変わった。書き出すと、やることがいっぱいあって、スランプにばかり目を向けていられなくなった。


米田功の経歴・略歴

米田功、よねだ・いさお。日本の体操選手。大阪府出身。8歳から体操を開始。順天堂大学卒業。アテネ五輪団体総合で金メダル、同鉄棒で銅メダルを獲得。

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