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米津玄師の名言

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米津玄師のプロフィール

米津玄師、よねづ・けんし。日本のミュージシャン、イラストレーター。徳島県出身。中学時代に音楽活動を開始。「ハチ」名義でボーカロイドを使ったオリジナル楽曲を動画サイトに投稿。「マトリョシカ」「パンダヒーロー」などのミリオン再生を越えるヒット曲を数多く生み出した。その後、『サンタマリア』をリリースしてメジャーソロデビュー。ミュージック・ジャケット大賞、日本レコード大賞優秀アルバム賞、CDショップ大賞、ドラマアカデミー賞 ドラマソング賞を受賞。

米津玄師の名言 一覧

言葉を尽くすっていうことは、すごく大事なことだと思っていて。対面にいる人に音楽を届けるためには、その周りにあるものも、ちゃんと説明しなければいけない瞬間もある。


自分の気持ちを言葉や音楽にする行為って、やっぱり自己表現なんですよ。自分のこと、自分が美しいと思っているものについて、他の人にも知って欲しいという欲求だと思うので。


作品を発表することで責任が生じることは確かなわけで。そういう意味で、音楽家は音楽だけをやっていればいい、自分の気持ちのいいことばかりやっていれば成立する、という時代でもないと思うんですね。音楽は文化の一部だし、文化の一部、社会の一員として、自分も何かやっていかなければならない。自分や身近な人達がいまよりいい形で生きていくためには、どうしたらいいだろうってことはよく考えます。


マンガが好きで絵を描くのも好きだったから、自分でやれるんなら全部やるのが手っ取り早いと思っただけ。動画の世界に流すのだから、「絵があって、音楽がある」というのが必然のフォーマットだと思っていたので、そこにとくに疑問は抱かなかったんです。


子供の頃はマンガ家になりたかったんです。最初に読んだマンガは『ドラえもん』。小学生になってからは『週刊少年ジャンプ』を読むようになって。「物語」というものに対する興味が昔から強くて、自分もこういうお話をつくりたい、ということはずっと思っていましたね。


自分一人でここまで来た、なんてことはひとつも思ってないです。いろんな人が支えてきてくれたし、いろんな時の運もあった。それを逃さないだけの努力をしてきたという自負もあるけれども、でもそれだけでは絶対なかった。だから俺自身がいろんな漫画や音楽に人生を救われてきたように、生きていく上での信じられる言葉みたいなものを、音楽を通じて誰かに届けることができたら。


うちにパソコンがやってきて、インターネットが開通したのが小5のときだったんです。当時、フラッシュアニメが流行ってたんですよ。「バンプ・オブ・チキン」の音楽に合わせて勝手にアニメーションをつける、みたいなことなんですけど、そこで初めて音楽というものに出会った。そこから「バンプ」「スピッツ」「アジアン・カンフー・ジェネレーション」といった邦楽ロックにどんどんハマっていきましたね。俺にとっての音楽って、最初から画面の中で流れてるものだったんです。パソコンの向こう、インターネットの向こう側からやってくるものだった。


(『HUNTER×HUNTER』は不定期連載だけど)それでもやっぱり、抜群に面白いんですよ。ずっと不定期連載が許されているっていうことは、それだけマンガとして魅力があるっていうわけで。休載の理由は置いといて、もう今じゃこの不定期連載のスタイルが逆にいいかな、とすら思うようになりました。だってマンガの週刊連載ってすごく大変だっていうじゃないですか。この作者の場合は、1年に何か月かだけ雑誌で連載して、残りの時間はお話を考える時間に徹する、というサイクルでいいんじゃないでしょうか。それで面白いものが生まれるなら、きっとそっちのほうがいいはず。


曲をつくりたい気持ちがどんどん強くなって、中2のときにバンドを組んだんです。最初から誰かのコピーじゃなくてオリジナル曲をずっとやっていたんですけど、周りのメンバーに「ベースのフレーズ考えて」とかいきなり無理を言ったりしてたので、めっちゃ戸惑われてたでしょうね(笑)。ステージに立ってライブがしたいという欲求はなくて、ただ単純に音楽をつくりたかった。でもそのためのフォーマットとして、当時はバンドの形態しか知らなかったんです。


もっといろんな人に自分の音楽を聴いてもらうためにはどうしたらいいだろう、っていうことをずっと考えていたから、新しく生まれたボーカロイドの空間が盛り上がっているのがすごく楽しそうに見えた。当時のボカロ界隈はまだ混沌としていて、「ボカロが歌っている」というただ一点だけでギリギリつながっている、多種多様な音楽性を持った人間がたくさんいた。すごく刺激的な空間だったし、この先どうなるのかも全然わからなかったけど、自分の音楽をボカロに歌わせてここに投下したら、いろんな人に聴いてもらえるんじゃないかなって。ボカロに移った途端に、いろんな人に曲を聴いてもらえるようになったこともすごくうれしかった。


米津玄師の経歴・略歴

米津玄師、よねづ・けんし。日本のミュージシャン、イラストレーター。徳島県出身。中学時代に音楽活動を開始。「ハチ」名義でボーカロイドを使ったオリジナル楽曲を動画サイトに投稿。「マトリョシカ」「パンダヒーロー」などのミリオン再生を越えるヒット曲を数多く生み出した。その後、『サンタマリア』をリリースしてメジャーソロデビュー。ミュージック・ジャケット大賞、日本レコード大賞優秀アルバム賞、CDショップ大賞、ドラマアカデミー賞 ドラマソング賞を受賞。

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