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米村でんじろう(米村傳治郎)の名言

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米村でんじろう(米村傳治郎)のプロフィール

米村傳治郎、よねむら・でんじろう。日本のサイエンスプロデューサー、サイエンスライター。千葉県出身。東京学芸大学教育学部卒業、東京学芸大学大学院理科教育専攻科修了。自由学園講師、都立高校教諭を経て、サイエンス・プロデューサーとなる。テレビなどで興味深い実験を行い、科学の面白さを教えた。主な著書に『米村傳治郎のおもしろ科学館』『NHKやってみようなんでも実験』『親子で遊ぶ科学手品100』など。科学技術庁長官賞などを受賞。

米村でんじろう(米村傳治郎)の名言 一覧

思うように進まないことがたくさんあります。その時は、苦しくても諦めずにやり続けること。そして、八方塞がりになって迷った時は、必ず初心に立ち帰ること。


捨てるものが大きければ、入ってくるものも大きい。


面白い発見は得てして偶然性が高く、遭遇するもの。でも遭遇するには試行錯誤しなければならない。知識からムリヤリ出そうとしても、出てくるものではない。


試行錯誤をしていると、原理を知らなくても感覚でわかるようになる。手で考えるってこういうこと。


何か新しいものが生まれるとしたら、山ほど失敗を繰り返す経験が必要。


やり続ければ、「しょうもないもの」も、「しょうもあるもの」に変わる。


決断は良くも悪くも自分次第。仕事を変えようと勇気を出したら、意外に簡単なことでした。


何かを捨てると、次への本気度が周囲へ伝わる。


多少やりたいことと違う方向性の仕事の話が来ても、断らずにやってみたらそれがまた次の仕事、次の仕事につながっていった。


科学の面白さってただ話すよりも、実際の実験を見せたほうがわかりやすいし、お客さまも楽しいでしょ。


流れに逆らわず、素直に、誠実にずっと身を任せ続けてきたら、今の場所にたどり着いていた。


周囲が反対したとしても、本気なら絶対にやるべき。あなたが誰かを応援したいと思っても、本気の覚悟を確認できないと信用できないでしょう。


僕は60歳になりましたが、40歳で独立した当時を思い返すと、本当に若かった(笑)。40代なんてまだ人生の折り返し地点、まだまだ若い!


「科学=遊び」という感性を根付かせたい。


教師を辞めてから、仕事がなくなるのが不安で、来た仕事は片っ端から受けていました。


座右の銘は「不思議と思う気持ちを大切に」です。子供の頃に感じた外の世界に対する好奇心や驚きを多くの人に伝えたい。あるいは、再び感じさせたい。


いま、このままではまずいと思っていることがあります。それは仕事が忙しくなり、試行錯誤の時間が減っていることです。新しい実験のアイデアは、直接成果には結びつかないかもしれない試行錯誤の時間を設けないと生まれてきません。アイデアが枯渇するとみんなに喜んでもらえなくなるし、自分自身もやりがいを感じられなくなります。さらに仕事を楽しいものにしていくために、意識的に無駄な時間をつくる。いまの僕にはそれが求められていると思っています。


僕のキャリアは、周りが与えてくれたものです。仕事ってそういうものだと思います。自分が「こうしたい」と決めたことしかやらないと、自己の可能性を狭めてしまいます。それよりは、自分を取り巻く人々の求めに素直に呼応して、与えられた仕事に夢中になって取り組む方が、新しい展開が訪れ、仕事も楽しくなると思います。


独立してサイエンス・プロデューサーになったのは、教職に向いていないと痛感したからです。僕は理科教育には熱心でしたが、生活指導や進路指導などの教員一般に求められる業務に対しては、どうしても前向きになれませんでした。教員としては、かなり問題を抱えていたと思います(笑)。それなら、自分の本当の得意分野だけで勝負してみようと考えたわけです。ただし当時は将来の青写真なんて何も描いていませんでした。


生徒は僕の実験を見て、表面的に面白いと感じてくれただろうけど、科学的関心を高める指導ができたかどうかまでは不明です。しかし、自分がやれることをやるという思いで取り組んでいました。


教師時代、僕は他校の理科の先生と定期的な自主研究会を開き、子供の科学的関心を高める理科実験のあり方などの意見交換や、ディスカッションをする場を設けていました。仲間と集まり話すことで、理科教育に対する思いを持続していたような気がします。


僕は人から評価されることにすごく飢えていたんだと思います。僕は大学浪人や就職浪人をしていることもあって、人一倍、劣等感が強いんです。ですから、自分がユニークな実験を思いついて披露することによって、生徒が喜んでくれるということに、大きなやりがいを感じていました。人に喜んでもらえるというのは、いまでも自分の仕事を支えているモチベーションになっています。


僕は見た目も怖そうじゃないし、当時は話術で人を惹きつけるほどの能力も持っていませんでした。だから生徒はちっとも教壇の方を向いてくれず、やりたい放題でした。そこで生徒の興味を引くために始めたのが、インパクトのある実験です。静電気をためておいてから生徒に手をつながせ、ビリビリッと感電させる実験とか、教壇から火を噴くとか、とにかく生徒が少しでも関心を示してくれる実験ができないか、常に考えていました。
【覚書き|教員時代を振り返っての発言】


現在の仕事の満足度は100点満点中、好きな仕事とをしている点では80~90点です。少しマンネリ感が出てきたという点では、新たなアイデアの開発も含めて50点です。


50代に入ると、積み上げてきたものに頼ることもできます。マンネリによってこなれ、うまくいく面もある。ただ、それは「もう新しいものが出せなくなるんじゃないか」「自分が枯れていく」という怖さと表裏一体でもある。そんな思いにとらわれないためにも、体を動かして、手を動かす。


最近、漠然とした夢として持っているのは、実験という表現活動を未来へ残すこと。社会的に科学を楽しむ文化を根付かせることができれば、「でんじろう先生」の活動を若い人に引き継ぐことができる。一代でおしまいでは無責任です。バトンを渡すために何ができるか。新たな試行錯誤を始めているところです。


最初に打ち立てた志にうそをつかず、こだわりすぎに注意して、世の中のニーズに対して柔軟に変化していけばいい。そこにお客さまやお取引先への確かな誠実さがありさえすれば、あなたの独立人生は継続していけると思います。


独立する前に、勝算などないですし、今のような仕事をするなんて想像もしていなかったです。ただ、実際に教師を辞めたことを宣言したら周囲が動き出し、いろんな人との関係性が変わっていきました。


生徒たちにどうやって授業に興味を持ってもらうか考え、とりあえず面白いことをやって興味を引くことにしました。みんなに手をつながせて静電気で軽く感電させてみたり、自然観察で外に連れ出して、野山の草花や椎の実をビーカーで茹でて食べさせてみたり。物理も自然科学ですからね。とにかく思いつくことからやってみました。最初は全然話を聞いていなかった生徒が感電して面白がったり、摘んできた野草が食べられるのか真剣に調べたり、自ら考えた授業に反応があることに、大きなやりがいを感じました。


教師を辞めて独立したとき、なんとか希望を実現しようと、周囲に「辞めました。科学の楽しさを伝える仕事をしたいと思っています」と報告ついでに伝えていった。すると、「本当に辞めたのか!」という応援もあったんでしょう。いきなり思わぬ話が舞い込んできたんです。教員時代から教育番組のお手伝いをしていたプロダクションから、社会問題化している理科・科学離れの現状を追うドキュメンタリー制作が決まった。そこで、僕の活動を追いかけて、撮影したい、と。これがNHK総合の夜9時から放送されたんです。すると、講演やサイエンスショーの依頼が次々舞い込んできた。まったくの青天の霹靂ですよ。企画制作の裏方仕事を始めるつもりが、自分が人前に出る側になってしまったという。慌てましたが、ここで10年間、生徒を喜ばせるためにあれこれ調べ、がむしゃらに作ってきた実験の経験、その蓄積が支えになってくれました。


研究室に配属されてもダメな自分に対するコンプレックスはなかなか払拭されませんでした。そんななか、小さな転機となったのは導入されたばかりのパソコンです。教授に頼まれ、教材のプログラムを作るうち、気づいたことがありました。パソコンはぽつぽつとプログラムを打ち込むと、正直に応えてくれますよね。1字でも間違えれば、バグで動かない。その明瞭さがよかった。当時、雑にしか物事をやっていなかった僕は、丁寧に時間をかければ、やった分だけ伸びること、積み上げる大切さを学んだ。そして、自分のペースで物事に取り組めば、人の役に立てるんだ、とも気づけたんですね。


世間から「でんじろう先生」がどう見えるかわからないですけど、実際には先のしれない不安を抱えています。科学を楽しく見せるという現在の手法の将来性、イベント、番組出演が今後も続くのだろうか。お客さんは喜んでくれているだろうか、と。また、先端科学の世界で活躍している研究者、技術者から見れば、僕らがやっていることは、何の役にも立たないと言われちゃうかもしれないな……とも思っている。だけど、そうした不安の一方で、誇りもあるわけです。これは一般の人に科学への門戸を開く一種のアートなんだ、と。児童の理科離れ、科学離れが指摘される中で、実験という表現活動を行う。それは映像作りや絵画、音楽と同じように意味のあることのはずで。実験だからこそ、伝わる不思議さ、驚き、キレがあり、見ている人へ感動を与えることができる。一種の創作活動なんだと胸を張る気持ちもあります。


米村でんじろう(米村傳治郎)の経歴・略歴

米村傳治郎、よねむら・でんじろう。日本のサイエンスプロデューサー、サイエンスライター。千葉県出身。東京学芸大学教育学部卒業、東京学芸大学大学院理科教育専攻科修了。自由学園講師、都立高校教諭を経て、サイエンス・プロデューサーとなる。テレビなどで興味深い実験を行い、科学の面白さを教えた。主な著書に『米村傳治郎のおもしろ科学館』『NHKやってみようなんでも実験』『親子で遊ぶ科学手品100』など。科学技術庁長官賞などを受賞。