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童門冬二の名言

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童門冬二のプロフィール

童門冬二、どうもん・ふゆじ。日本の小説家、作家。東京出身。東海大学附属旧制中学卒業。海軍少年飛行兵の特攻隊に入隊。目黒区役所係員、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任したのち退官。52歳前後から本格的な作家活動に入る。小説・ノンフィクション問わず多くの著作を執筆。

童門冬二の名言 一覧

作品は「何を書いたか」が大切で、「誰が書いたか」は二の次だろう。しかし私にとって作品を信ずることは書き手を信ずることだ。


歴史を学び続けたことが、壁を乗り越えるさまざまな糧になった。


自分に学ぶことも大事。それまで自分が生きてきた間に積み上げてきたものが誰にもあるはず。それを信ずるのです。


大切なのは、考えるだけにとどまらず、行動すること。


どんなに厳しい状況に置かれても、徹底して自分の出番を待っていたのが桂小五郎という男でしょう。徳川家康に似て、社会の動き、世の中の潮流を見抜く鋭い力がありました。やがて自分の出番がくるという考えは、自分を信じ切る気持ちが強かったと言い換えてもいいかもしれません。


投獄されたら、普通の人なら落ち込んで頭を抱えるでしょう。僻んだり、誰かを恨んだりするに違いありません。でも、吉田松陰は自らの不幸な「事件」を逆用して、自分は死んでも後輩を育てようと決心したのです。「一粒の麦が死なずに落ちていれば、それはあくまでもただ一粒の麦だ。しかし、一粒の麦が死んで肥やしになれば多くの麦が育つ」。吉田にはそうした思想哲学があり、それを実践したことによって、自らも敗者復活できたのだと思います。


人には賢愚の差はあるけれど、ひとつやふたつは優れた才能を持っている。それを育てれば一人前の人間になれる。吉田松陰はそうした信念を持って、俳句・和歌などを得意とする入牢者を活用して、つらい牢を楽しい場所に変えてしまいます。そのことで、獄中の雰囲気は絶望的なものから一気にモラール(士気・意欲)が高まったのです。こうした取り組みはその後、藩全体に浸透していきました。


「人は誰もが、その年齢まで書かれた一冊の本である」と僕は考えています。それまでよほどいいかげんに生きてこない限り、自分という本の中には、読み返すに値する箇所が必ず1つはあります。


厳しい状況を乗り越えるために必要なのは自己信仰、自分を信ずることに尽きます。どんなに不安定な状況に追い込まれても、それを乗り越える力は自分には残っているのだと信じ続けること。


純文学の世界から足を洗って以降も、同人誌や小さな出版社などに歴史物を寄稿することは続けていました。仕事をしながら歴史物を書く。当然、時間は足りません。睡眠時間を削りつつ編み出したのは、いくつものことを同時に行う。酒でも読書でも「チャンポンでいけ」というのが僕の流儀です。


伊能忠敬のように第2の人生を歩む準備を整えてから歩き出す方がいい。忠敬は伊能家の財政を立て直す実績を示してから、好きな天文学の道を究めたいと幕府の天文方の門をたたきました。


日本人には一つの考え方の癖があります。「何を」という内容を重んずるのか、あるいは「誰が」それをやっているかという人を重視するのか、どちらかを選ぶ際、後者をとる癖です。たとえどんなによいことであっても、やり手が気に食わなければ人はついてきません。


情報収集は補佐役にやってもらいながらも、トップも個人的にブレーンを持つなど、自分でも情報収集をするべき。補佐役から上がってきた選択肢と自分が出した選択肢とを照合し、ぴたりと一致するところがあれば、それが正解なのだろうと思います。


「決断力」はトップ(リーダー)固有の権限です。企業規模の大小を問わず、最終的な決定権は委任できませんし、してもいけません。決断する権限は社長が絶対に手放してはいけないものであり、補佐役も介入してはいけない。


トップの決断には、背後に理念がなければなりません。何をしたいかというポリシーがあるからこそ、それがものさしになって決断を促していく。そして、決断は観念論だけではだめです。現実に即した情報をきちんと踏まえて行なうことが肝心。


大名の黒田家に、「異見会」というのがあった。藩主と家臣が、その場では全く平等の立場でいま起こっている重要課題について自由に討論する、という慣習である。それだけでなく、家中で言われている藩主の評判なども話題にし、特に「トップの耳の痛いこと」を選んで耳に入れる、という目的も持っていた。そして、トップはどんなことを言われても、決して怒らないことを会議に入る前に神棚に誓わせられていた。


おかゆでなく、握り飯の粒になれ。おかゆは組織に埋没している状態だが、握り飯の粒は組織に帰属していても自己主張をしている状態のこと。組織にいても、自主性や創造性を残しておく。今の時代、何が起こるか分からない。その時に、組織の論理で伸び切って自由裁量できる余地が残っていなかったら、不測の事態に対処できなくなります。


考えてみれば、我々は常に不安定な状況に置かれています。安定しているように見えて、実はいつ壊れてもおかしくないような状態にある。不安定に陥らないようにといくら準備をしていても、100%想定通りにいくことなどあり得ない。備えを怠ってはいけませんが、想定外のことが起きたら、目前にある事実をまず正直に認めること。突き付けられた厳しい現実を乗り越える力は、これまでの学びから生まれます。


小学校5年生のとき、先生が歴史の授業でヤマタノオロチとスサノオノミコトの神話にある背景を、説明してくれました。歴史とはリアリズム、実生活を見ることだと教わりました。その教えは今につながります。僕の歴史小説は歴史を借りた現代小説。織田信長や徳川家康が今生きていたら、どうするかをつづったものです。ITや飛行機、新幹線もない時代のことをそのまま書いても役に立つわけがない(笑)。


私たちがよく使う「風土」は、国土や国民性などの地理上の情景をいいますが、「風度」は心の情景のことをいいます。この言葉はある中国文学者によると、中国の古い言葉だそうです。風度が高い、または低いというのは、その人の人徳の度合いを示しています。古代中国で民衆から尊敬されていた人たちは、風度を高めようと自己研鑽を積んできたのです。この風度があれば、内容に多少納得がいかなくても人は従ってくれるのです。「うちの社長は凄い。歩く姿にオーラがある」とか、「うちの課長はいつもお客様のことを考えている。言っていることに説得力がある」などと部下がしみじみ思うような、にじみ出る風格を確立しなければだめだということです。


「風度」とは、人格、器量、風格、魅力、カリスマ性などが混合されて発せられる全体的な雰囲気のことで、「この人なら」「あの人らしい」と周囲に思わせるもので、一種のオーラでもある。今のIT社会でもこの「風度」というのは最も必要なリーダーの条件だ。ITが発達すれば人間対人間の触れあいが薄れていく。そのためにかつてあったような、「スキンシップ」による、たとえば後輩や部下に対するリーダーシップはなかなか発揮しにくい。だが、どんなにIT社会が発達しても、人間である限り「風度」には必ず心を動かされる。しかしその「風度」はある日あるとき完成し、それを一生持ち続けて活用できる代物ではない。年齢・立場・職位などによって次々と変わり、その人間にとって生涯追求するものである。


童門冬二の経歴・略歴

童門冬二、どうもん・ふゆじ。日本の小説家、作家。東京出身。東海大学附属旧制中学卒業。海軍少年飛行兵の特攻隊に入隊。目黒区役所係員、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任したのち退官。52歳前後から本格的な作家活動に入る。小説・ノンフィクション問わず多くの著作を執筆。