穂村弘の名言

穂村弘のプロフィール

穂村弘、ほむら・ひろし。日本の歌人。北海道出身。北海道大学文I系に入学するも退学し、上智大学文学部英文学科に入学。在学中から短歌をつくり始め、連作「シンジケート」で角川短歌賞次席を獲得。卒業後、システムエンジニアとして就職。在職中に同世代の歌人たちと知り合う。歌誌「かばん」に入会。ニューウェーブ短歌の推進者として活躍した。そのほか『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、『楽しい一日』で第43回短歌研究賞、石井陽子とコラボレーションしたメディアアート作品『火よ、さわれるの』でアルス・エレクトロニカインタラクティブ部門栄誉賞などを受賞。

穂村弘の名言 一覧

音楽や映画の人も多いと思うけど、自分の「好き」のど真ん中を知ることができるのは、僕にとっては読書。これからも、自分は何者なのか、世界とは何なのかを知る読書の旅に終わりはないと思います。

本というのは問いに対する答えそのものを求めるだけではなく、我々が生きる世界に対する作者のスタンスを知るためのものでもある。

根気がないと何事も続けることはできません。でも希望がないと、その根気さえ出てこないものです。

お金や社会的な評価とは直接関係のないものの中にこそ、あなたの生きる意味を支えてくれる何かが見つかるのではないかと思うのです。

僕もある友人に、「短歌なんかやっていても意味がないんじゃないか」とこぼしたことがありました。すると友人は、「でも、米粒に字を書く人だっているんだよな」と言ったのをいまでもよく覚えています。多くの人に関心を示されなくても、その人にとっては意味を持つ行為は確かにある。30代の僕は、そういう気持ちで短歌に希望を持ち続けていた、といえるかもしれません。

20代の後半にさしかかったころ、「このままでは何もしないまま終わってしまう」という焦りを感じるようになりました。それまで、未来は感覚的に無限に近いイメージだったのに、30という年齢が迫ってくると急に「有限の現実」が迫ってくる。それは一種の恐怖です。貯金をはたいて自費出版で初めて歌集を出したのも、そんな気持ちがあったからでした。僕は会社ではまったくダメ社員でしたから、他にはなんの希望も見いだせなかったのです。

希望がないと、根気さえ出てこないものです。現代は希望を持ちづらい時代だといわれています。いまの若い世代が、希望を持ちやすかった時代を生きてきた大人から、「根気を持て!」といわれても、耳を貸す気になれないのもわかる気がします。

昔、古本屋で、ある本に手を伸ばしたら「君にはまだ早い」って声をかけられたことがあって、その時は「僕のこと知らないのに、なぜわかる」って思ったけどね(笑)。いい店って、独特の文脈みたいなものがあって、店主と客が無言のうちに互いの力量を推し量るような雰囲気があるんだよね。

よくいうコストパフォーマンスって、想定されている時間軸が短すぎて「共感できるもの」と「いいもの」がほぼ同義になってしまっている。でも、すぐに共感できるものが、そんなにいいものとは限らないと思うのね。共感は、現状の自分をほぼ変化させないから。得体の知れない衝撃的な魅力によって自分を変化させるもののほうがロングスパンで見れば得なんじゃないか。そういうロングスパンの価値観を選択するパワーを、我々は失いつつあるんじゃないか。

何かをやろうとした時に、自分の才能や可能性の有無を考えても意味がない。人は無限にそれを考えてしまうけれど、結局は託すしかなくて、でもそれはすごく怖くて。例えば、自分は曲がった植物が好きだけど、お店中に曲がった植物を置いてやっていけるんだろうかなんて、いくら考えたってたぶんわからない。でも曲がった蔓がいかに生命力に満ちて魅力的かを語るとき、彼は輝いていたし、こちらが植物に詳しくなくても、そのパッションはわかるから説得される。カッコいいよね、そういう人って。

パブリックイメージって、どんなにズレていても、覆すのが難しいですよね。僕、藤圭子が好きなんだけど、何かの本の中で本人は「黒髪で人形のようなって絶対に言われる。でもデビューの時、私は茶髪だった」って。そういえば確かに茶髪だったんです。でも僕の脳内でも黒髪になっている。明らかに事実とズレていても払拭できないイメージがあって。

年齢とともに広い意味での変化はありますね。これは全く適切な例じゃないけれど若い頃は友達が自殺したら取り返しのつかない混乱を覚えて収拾がつかなかったのに、いまは自分も遠からず死ぬんだから時間差があるだけで向こうでまた会おうみたいに感じるようになりました。人としても作家としても、それでいいのか? とは思いますけど。会社を辞めることも結婚することも20代の頃は一生の問題だったのが、40、50代になると一生ものの問題なんてなくなりますからね。

学校や会社で普通に使われる散文は「社会」と繋がっている。それに対して、詩歌の言葉は「世界」と繋がっているのだ。私たちは物心ついた時から「社会」的にきちんとチューニングを合わせることを要求されて、幼稚園や学校や会社で長年訓練を受けてくる。しかし一方で、その訓練の結果、私たちは子供の頃もっていたような「世界」を直接味わう感覚を衰弱させてしまう。旅行やギャンブルや恋愛といった反「社会」的な時空間でだけ、「世界」に直接触れる自らの命を強く実感できるのはそのためだ。

感動モノって、初めから現実を肯定しているものが多くて、人はなぜ生まれてくるのかといった根源的な問いに対する渇望を満たしてくれないから、僕が期待するものではないんですね。でも今みたいに社会全体が息苦しくなって精神的余裕がなくなると、答え探しの過程を省いた「たったひとつの○○」みたいなわかりやすい本が売れるのもよくわかる。根源的な問いの答えが見えなければ家族とか仕事とか目の前のものをクローズアップして一気に楽になれる解決方法を求める気持ちになると思う。でも、そういう人も心の深い所には同じ渇望があるはずなので、実は遠回りをしていることにならないか。僕はその渇望が意識化されているというか囚われているから、最も根源的なものにコミットできそうな本を選んでしまうんです。

中学生の頃の必死の思い込みに比べると薄れた気がしますけど、『西遊記』の三蔵法師が教典を求めるように本を読んでいる感覚は今もあります。僕にとって本はいわゆるエンターテインメントではなく、キャラクターやストーリーより言葉の感触や文体を重視しているので、書評もあらすじの紹介よりも引用が多くなります。一冊の本から自分にとっての宝石を切り出すのが楽しいんですね。

穂村弘の経歴・略歴

穂村弘、ほむら・ひろし。日本の歌人。北海道出身。北海道大学文I系に入学するも退学し、上智大学文学部英文学科に入学。在学中から短歌をつくり始め、連作「シンジケート」で角川短歌賞次席を獲得。卒業後、システムエンジニアとして就職。在職中に同世代の歌人たちと知り合う。歌誌「かばん」に入会。ニューウェーブ短歌の推進者として活躍した。そのほか『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、『楽しい一日』で第43回短歌研究賞、石井陽子とコラボレーションしたメディアアート作品『火よ、さわれるの』でアルス・エレクトロニカインタラクティブ部門栄誉賞などを受賞。

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