福沢諭吉の名言

福沢諭吉のプロフィール

福沢諭吉、ふくざわ・ゆきち。日本の武士、蘭学者、著述家、教育者。慶應義塾大学の設立者。幕末、明治初期に数多くの人材を教育し、明治六大教育家のひとりに数えらた。また、一般向けの本を多数執筆し、啓蒙活動を行った。著書に『学問のすゝめ』『西洋事情』『福翁自伝』『福翁百話』ほか。

福沢諭吉の名言 一覧

学校は人にものを教えるところにあらず。ただその天資の発達を妨げずして、よくこれを発育するための具なり。

福沢諭吉の名言|学校は人にものを教えるところにあらず

猿に見せるつもりで書け。俺などはいつも猿に見せるつもりで書いているが、世の中はそれでちょうどいいのだ。

福沢諭吉の名言|文章のコツはサルに見せるつもりで

自活の道を知らない者は、独立した男子ではない。

福沢諭吉の名言|自活の道を知らない者は、独立した男子ではない。

空想というのは実行の根源であって、人間社会の進歩は、すべて空から実を生じたものである。

福沢諭吉の名言|人間社会の進歩は、すべて空から実を生じたもの

水があまりに清ければ、魚は棲めない。人は知的であり過ぎれば、友を得るのが難しい。友人を受け入れるには、度量が広く、多少ぼんやりとしているところもあったほうがいい。

福沢諭吉の名言|友人を得られる人、得られない人

自ら労して自ら食うは、人生独立の本源なり。

福沢諭吉の名言|自分で労働して生活することは独立の源

金銭は独立の基本なり。これを卑しむべからず。

福沢諭吉の名言|お金は独立の基本

人間は、負けるとわかっていても戦わねばならないときがある。だから、たとえ負けても勝っても、男子は男子なり。勝負をもって人物を評することなかれ。

福沢諭吉の名言|勝ち負けで人物を評価してはいけない

苦は楽の種で、楽は苦の前兆である。

福沢諭吉の名言|苦は楽の種で、楽は苦の前兆である。

愚民の上に苛酷な政府がある。良民の上には良い政府がある。

福沢諭吉の名言|愚民の上に苛酷な政府がある。良民の上には良い政府がある

自ら動こうとしないものを、導くことはできない。

福沢諭吉の名言|自ら動こうとしないものを、導くことはできない

世間の物事は、進歩しないものは必ず後退し、後退しないものは必ず進歩します。進歩も後退もせずに一か所にとどまっているものなどあるわけがありません。

福沢諭吉の名言|進歩しないものは必ず後退する

学問の本質は、生活にどう活用するかということです。活用のない学問は、何も学問しなかったのと同じです。

福沢諭吉の名言|活用のない学問は、何も学問しなかったのと同じ

今年がだめであったら、また来年に期待しましょう。

福沢諭吉の名言|今年がだめであったら、また来年に期待しましょう。

生まれるということは死ぬということの約束であって、死も格別驚くことではない。

福沢諭吉の名言|生まれるということは死ぬということの約束

本日喜びの中にありながら、いつか悲しむ時のあることを忘れてはなりません。

福沢諭吉の名言|逆境を忘れないことが大切

望みがなかったら、世の中に仕事に励む人がいなくなってしまいます。明日の幸せが見えれば、今日の不幸を慰めることができます。来年の楽しみが見えれば、今年の苦しみを忍ぶことができます。

福沢諭吉の名言|苦しい状況を乗り切るために必要なこと

所詮、世の中の出来事は生き物と同じで、その動きを前もって予測することは不可能です。ですから、賢明な人であっても、案外愚かな失敗をする者が多いのです。

福沢諭吉の名言|賢明な人でも失敗する

自由と我がままとの境界は、他人に迷惑を掛けるのと掛けないのとの間にあります。

福沢諭吉の名言|自由とわがままの境界

楽の一方にだけ心を奪われ、俗に言う丸儲けしようとしては、丸損してしまうことを忘れてはならない。

福沢諭吉の名言|丸儲けしようとすると丸損する

学問の道に入ったならば大いに学問すべきです。農業を志したなら豪農になりなさい。商人になるならば大商人になりなさい。学問をする者は、小さな安楽に満足してはなりません。

福沢諭吉の名言|やるならとことんやることが大切

仕事というのは、偶然できるものではありません。善い事も悪い事も、すべて人間のこれをやろうという意思があってこそできるのです。

福沢諭吉の名言|仕事はこれをやろうという意思があってこそできる

事を行うには、時機の善し悪しがあります。チャンスに恵まれなければ、どんなに有能な人でもその力を発揮することはできません。

福沢諭吉の名言|事を行うには、時機の善し悪しがある

周囲を見てごらんなさい。世界中、昔から今に至るまで、暗殺で事がうまくいき、世の中の幸福が増したという事例は、ひとつも見当たりません。

福沢諭吉の名言|暗殺で事がうまくいき、世の中の幸福が増したという事例はひとつもない

理論的に見込みがあれば試みるべきです。やってもみないで、まずその成果を疑うような人は、勇気ある人とは言えません。

福沢諭吉の名言|見込みがあれば試みるべき

説明の一番いい方法は、自ら実例を示すことです。百回の説明も、一回の実例を示すことに及びません。

福沢諭吉の名言|説明の一番いい方法は、自ら実例を示すことです

いま、国が富強であるのを幸いと、貧しく弱い国へ無理難題を持ち掛けるというのは、いわゆる力士が腕力で病人の腕をへし折るのと同じで、国の権義(権利と義務)から言っても許してはならない暴挙です。

福沢諭吉の名言|力での外交は暴挙

貧富強弱の状態は、天が決めた約束ではありません。人間が努力するかしないかによって移り変わるもので、今日の愚人も、明日は知者ともなりますし、昔は富んで強かった人も、今の世では貧しい弱者にもなりましょう。

福沢諭吉の名言|貧富強弱の状態は努力するかしないかによって移り変わるもの

江戸時代、寺子屋の教科書として使われた『実語教(じつごきょう)』という本に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあります。つまり、賢人と愚人との違いは、学ぶか学ばないかによって決まるのです。

福沢諭吉の名言|賢人と愚人との違いは、学ぶか学ばないかによって決まる

人の表情は家の門のようなもので、広く人と交わって自由に客が訪れるようにするためには、まず門を開き、入口を掃除して打ち水をし、とにかく、来訪者が気持ちよく入れるようにすることが大切です。

福沢諭吉の名言|表情は家の門と同じ

日本人として独立のできていない者は、外国人と交わっても、独立した権義(権利と義務)の主張は不可能である。

福沢諭吉の名言|外国人と交渉するために必要なこと

人間は、お互い接してみなければ心を通じ合うことはできません。相手と心が通じなければ人物を理解することは不可能です。

福沢諭吉の名言|人間は、お互い接してみなければ心を通じ合うことはできません。

非常に重大な事から些細な事に至るまで、他人の働きにくちばしをいれたかったら、試みに自分の身をその働きの場所に置いて自分ができるかどうか振り返ってみなければなりません。

福沢諭吉の名言|他人に口出ししたいときは、まず自分でそれをやってから

人望は、力量によって得られるものではありません。また、財産をたくさん持っているということで得られるものでもありません。その人の才能と知恵の活発な働きと正直な道徳心によって、徐々に得られるものなのです。

福沢諭吉の名言|人望を得る方法

独立の気なき者は、必ず人に依頼する。人に依頼する者は、必ず人を恐れる。人を恐れる者は、必ず人にへつらう。

福沢諭吉の名言|独立心を持て

人生は芝居のごとし、上手な俳優が貧乏になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。

福沢諭吉の名言|人生は芝居のようなもの

宇宙の間に我が地球が存在するのは、大海に浮かべるケシの一粒というも中々おろかなり。我々の名づけて人間と称する動物は、このケシつぶの上で生まれまた死するものにして、生まれてその生まれるゆえんを知らず、死してその死するゆえんを知らず、よって来たるところを知らず、去ってゆくところを知らず、五・六尺の身体わずかに百年の寿命も得がたし。塵のごとく埃のごとくたまり水に浮沈するボウフラの如し。

福沢諭吉の名言・格言|大きなスケールで世界を見るとわかること

カゲロウは朝に生まれて夕に死すというといえども、人間の寿命に比べてさしたる相違にあらず。蚤と蟻と背比べしても、大衆の目より見れば大小なく、一秒時の遅速を争うも百年の勘定の上には論ずるに足らず。されば宇宙無辺の考えをもってひとり自ら観ずれば、日月も小なり、地球も微なり。まして人間ごとき無知無力、見る影もなきうじ虫同様の小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、たちまち消えて痕なきのみ。

福沢諭吉の名言・格言|宇宙から比べればすべては些細なこと

しかるにかの凡俗の俗世界に貴賎貧富、栄枯盛衰などとて孜々(しし)経営して心身の労するその有様は、庭に塚築く蟻の群衆が驟雨(しゅうう)の襲い来るを知らざるがごとく、夏の青草に翻々(ほんぽん)たるバッタがにわかに秋風の寒きに驚くがごとく、おかしくもまた浅ましき次第なれども、すでに世界に生まれでたる上は、うじ虫ながらも相応の覚悟なきを得ず。

福沢諭吉の名言・格言|俗事に心を費やしすぎるのは滑稽なこと

人生本来戯れと知りながら、この一場の戯れを戯れとせずしてあたかも真面目に勤め、貧苦を去って富楽に志し、同類の邪魔せずして自ら安楽を求め、五十、七十の寿命も永きものと思うて、父母につかえ夫婦相楽しみ、子孫の計をなし、また戸外の公益を謀り、生涯一点の過失なからんことに心掛くるこそ、うじ虫の本分なれ。否、蛆虫のことにあらず、万物の霊として人間の一人誇るところのものなり。

福沢諭吉の名言・格言|人生を真面目にとらえすぎてはいけない

ただ戯れと知りつつ戯れれば心安くして戯れの極端に走ることなきのみか、時にあるいは俗界百戯の中に雑居してひとり戯れざるもまた可なり。人間の安心法はおよそこの辺にありて大なる過ちなかるべし。

福沢諭吉の名言・格言|人生は戯れにすぎない

四畳半くらいの部屋に何十人もおれば空気が濁る。濁ればどうするか。窓を開けて空気を入れ替えねばならぬ。新しい空気になれば窓を閉める。またしばらくすれば濁る。濁ればそこにいる人の意見がどうあろうと、開けて悪い空気は抜かねばならぬ。世の中も同じ、好むと好まざるにかかわらず、窮屈になったらちょっと窓を開けねばならぬ。人間の生活はそんなことの繰り返しである。
【覚書き|社会主義革命について語った言葉。社会秩序を乱すのはよくないがという前置きをしてから上記発言を行った】

福沢諭吉の名言|人間の歴史の流れ

学校の卒業などということは大して意義はない。

福沢諭吉の名言|学校卒業は大して意義はない

「足ることを知る」という教えは、一個人の私に適している場合はあるかもしれないが、国としては、千万年の間に一日たりとも満足の日があってはならない。多欲多情ますます足らないことに不満を持って、一心不乱に前進することこそ国の栄える基である。

福沢諭吉の名言|国は足るを知ってはいけない

世間の人たちと交際するに当たって、特に被害を受けることもなく自身の独立を妨げることもない限りは、言行の鋭い矛先を包み込んで外見を優しくし、知らない事は知らないとして、人に質問するのはもちろんのこと、その質問に対する答えに愚説があっても、すぐにそれを退けてしまわずに丁寧に耳を傾けるべきである。

福沢諭吉の名言|人の意見を聞くこときに大切なこと

立派な人物にとって交際面で大切なのは、小事にこだわらず磊落(らいらく)であること。時には無責任な放言や悪口・叱声があったとしても、それらはすべて空砲であるべきで実弾を込めてはならない。言葉の中に、ほんの少しであっても実弾を込めて弱点をねらい撃てば、どんな小さな散弾でも相手に与える苦痛はきわめて大きい。

福沢諭吉の名言|人と接するときに大切なこと

遠方に離れている友人が1年も2年も音信不通であったのが、何か心に感ずることがあったのか、あるいは大切な用事ができたのか、突然手紙を寄せて、こまごまと言葉を書き連ねたとて、それによって友情がにわかに発生するものではない。それよりも、普段に格別用事がなくても、時々簡単な短文でお互いに音信を交わす習慣を続けていれば、何かの時の大事に臨んで、ちょっとした一言で用が足りるという便利さがある。

福沢諭吉の名言|良い人間関係を築くには

事業で一番大切なのは、信用できる人物を得て取り締まりの手を省くという事にある。番頭や手代が商売しながら取り締まりの事も兼ねるのは、大工と普請奉行と二役を勤めるのと同じことなのだから、たとえ給料を高くしても主人にとってはるかに得であり、結局、双方共に利益となるであろう。

福沢諭吉の名言|事業で一番大切なこと

西洋の諸強国が海外に兵士を駐屯させる場合、その地には公認の遊女が必ず居る。そうでないときは、政府筋からひそかに賤業婦の往来に便宜を与えて必要に応ずるという。遊女の弊害は大きくないわけではないが、これを禁じて兵士の気が荒くなった場合の弊害は更に大きなものになるので、その利害を比較して、遊女の醜業を黙認するのである。

福沢諭吉の名言|利害を比較することが大切

仕事のほうからやってきて人を求めることはない。こちらから進んで求めるのでなければ、結局は仕事にはめぐりあえないだろう。

福沢諭吉の名言|自分から求めなければ仕事には巡り会えない

ネズミをよく捕る猫は爪を隠すという。隠すのはよいが、生涯隠し続けてネズミを捕らなければ爪がないのに等しい。猫の爪は隠してはならない。捕り物の大小にかかわらず腕前を試す機会があったなら、それを無駄にせずに功名を現すべきである。

福沢諭吉の名言|猫の爪は隠してはならない

利益の側からだけ見ても、人の信用こそ商売での利益の根源なのだから、人に雇われる者は、自分の利益になる重要なことなのだと思って正直に働き、主人もまた、その正直の代償として報酬を多くすべきである。

福沢諭吉の名言|正直に働く

単に専門の学者だけが出現しても、それを活用する国民がなくては、その学問も実際の役には立たない。

福沢諭吉の名言|学問は使う人がいなければ役に立たない

慈悲の情に乏しく、廉恥の心を失い、道理の世界を逸して財貨をむさぼることを「吝」と名付け、一身一家の生計を綿密に立てて外見の見栄を張らないことを「倹」と言う。

福沢諭吉の名言|ケチと倹約の違い

教育家の配慮がどんなに行き届いても、生まれ付きの愚者を知者に変えることはできないのはもちろん、どんなに勉強を勧めても、天賦の能力にない学問や技能を身に付けさせることは、望んでも到底無理である。それぞれの人の遺伝がどういうものであるかを十分観察して、その人の到達可能なところの限界にまで到達させ、その後に大切なことは、これまでの成果を荒らして薪のような人物にしないように、よく注意することである。

福沢諭吉の名言|教育で大切なこと

人生において偶然に得たものは、また偶然に失うこともある。

福沢諭吉の名言|人生において偶然に得たものは、また偶然に失うこともある。

世間の教育家と称する者たちは、ややもすれば自分の信ずるところに偏りがちで、教育に極端に重きを置き過ぎ、ひたすら勉強勉強と唱えて、勉強さえすれば愚者も変じて知者となるようにはやし立てる者が多い。しかし、実際の教育の効能は、生まれ付き備わっている能力の生育を助けて、よい方向に導き、到達可能なところまで到達させるということだけにある。

福沢諭吉の名言|教育の本来の目的

人生の途上ですでに独立して自力で生活している人に対しては、たとえ親子の間でも、やたらに干渉すべきではない。ましてや他人に対しては言うまでもない。

福沢諭吉の名言|自力で生活している人に干渉すべきではない

「額に汗して食らう」とは我々が片時も忘れてはならない教えである。たとえどんな身分の人であっても、この世に生きていく限りは、生きるのに必要な衣食を得るための労働をしなければならない。人間の世界は、労働と物品とを交換して商売するという世界であり、これに決して逆らってはならない。

福沢諭吉の名言|どんな身分の人でも額に汗して生計を立てることを忘れてはいけない

時には二人の意見が異なることがあっても、自分の意見が是か非か、自ら心の中で裁判すれば、他人に判断してもらうような面倒を掛けなくとも、早速に落ち着くところに落ち着くであろう。

福沢諭吉の名言|自分と相手の双方の主張を冷静に見比べてみることが大切

深山幽谷に隠れ住んでいわゆる仙人にでもなれば別の話だが、いやしくも同じ人間の仲間が集まって浮世の衣食住を共にする以上は、自分の一身一家を維持すると共に、仲間の人たちに対する義務も果たさなければならない。

福沢諭吉の名言|社会に対する義務を果たすことが重要

今の時代において何を善とし何を悪とするかと尋ねられれば、人に対して、その人の好まないことを仕向けないのが善であり、それと反対の行為が悪であると答えよう。

福沢諭吉の名言|善とは、悪とは

十人に会って、その中の一人とたまたま友人になれれば、二十人と会えば二人の友人を得ることができるという勘定になります。人を知り、人に知られる源は、その辺りにあるのです。

福沢諭吉の名言|人脈を広くする秘訣

碁・将棋の晴れの勝負に、ぜひとも勝とうとする人はかえって敗北して、無心の人が勝利することが多い。その理由は、勝負を軽く見るのと重く見るのとの違いで、無心の人は、もともと晴れの勝負を晴れと思わず、これくらいの争いに負けてもどうということはないと覚悟しているので、決断が速く駆け引きも活発になるのである。

福沢諭吉の名言|勝とうとすると負ける

人間の一生というのは、見る影もないウジ虫と同じで、朝の露の乾く間もない50年か70年の間を、何とはなしに遊びながら生きて、やがて死んでいくまでのことだから、自分の身をはじめすべての物事を軽く見て、やたらに真面目すぎないほうがよい。

福沢諭吉の名言|気楽に生きることが大切

人間がもともと持っている、苦労を避けて安楽を好むという心をそのまま成長させていけば、善に従う道につながるであろう。やたらに悪いことをしようとして苦労する人は、不徳というよりもむしろ無知と評すべきである。

福沢諭吉の名言|悪人は不徳と言うよりも無知

心の働きは、努力して進めれば進歩しないものはありません。その進歩の仕方は、手足を使ってその筋力を強くする肉体の鍛錬と同じです。話し方や容貌も心の働きですから、これをいい加減にしていては上達するわけがありません。

福沢諭吉の名言|心も筋肉と同じようにすれば鍛えられる

表情と容貌を快適にして、第一印象で人に嫌われないようにすることが大切です。肩をそびやかしながら愛想笑いをしたり、相手の気に入られようとひたすら媚を売ったりといった態度は、もちろんやめるべきですが、苦虫を噛みつぶして熊の胆を飲んだような、黙っていると褒められて笑うと損をすると思っているような、年中胸の痛みを患っているような、生涯父母の喪に服しているような表情も避けるべきでしょう。

福沢諭吉の名言|第一印象が大切

学生の中には、日本語は不便で、文章でも演説でも表現しにくいので、英語で書いたり話したりするなどと、取るに足りない馬鹿なことを言う者があります。この学生は、日本に生まれてまだ十分に日本語を使ったことのない男なのでしょう。母国語というのは、その国の物事が次第に複雑になるのに従って増加していくもので、少しも不自由を感じるはずのないものです。何はさておき、現代の日本人は、現代の日本語に習熟して話すことに上達するよう努力すべきです。

福沢諭吉の名言|外国語よりも母国語を十分に使えるようにすることが大切

人間社会には、人望の大小軽重はありますが、人に当てにされるような人でなければ何の役にも立ちません。

福沢諭吉の名言|人に当てにされるような人でなければ何の役にも立たない

学問に志す者は、学ばなくてはなりません。信じるべきか疑うべきか思い惑っているのではなく、まず学んでみることです。たくさんの書物を読み、たくさんの現実に接して、冷静に事物を見抜いて真実を求めるならば、信と疑の違いがはっきり見えてくるでしょう。昨日信じたものが今日の疑念となり、今日疑ったものが明日は氷解するということもありましょう。学問を志す者は、努力をしなければならないのです。

福沢諭吉の名言|信じるか疑うかを決める前に、まず学んでみることが大切

どんなに貧しく賤(いや)しい者でも、なぜ貧乏で賤しいか、その原因を知り、それが自分にあるということが分かれば、決して、やたらに他人を怨望したりはしません。

福沢諭吉の名言|嫉妬心を抑える秘訣は現状認識

人間の暮らしにかかわるすべてのことを、得か損かのソロバン勘定で決定してはなりません。大切なことは、経済の法則を用いるべき場所と、用いるべきでない場所とを、区別することです。

福沢諭吉の名言|損得で考えるべきことと、考えるべきではないことを区別することが大切

もしチャンスがあって、殺す側と殺される側とが数日間同じ場所で過ごし、お互いに隠すところなく本当の心のうちを吐露し合ったならば、どんな敵同士でも必ず和解し、そればかりでなく、無二の親友となることもあるでしょう。

福沢諭吉の名言|本心を話し合うことによって和解できる

孔子の時代というのは、明治を去ること二千年以上も昔、野蛮未開の世の中でしたから、教え方も、その時代の風俗人情に従わなければならず、一般の人心の水準を保つためには、よい方法ではないと知りつつも、人心を束縛するという便宜的な手段を取らなければなりませんでした。ですから、後世、孔子の教えを学ぶ人は、時代の思潮を考慮して取捨選択しなければなりません。二千年前の教えを、そのまま明治の時代にあてはめようとする者は、物事の価値を共に語り合うのにふさわしい人ではありません。

福沢諭吉の名言|古典を学ぶときに考慮する必要があること

人間の感情は、活動に自由がなければ、どうしても他人を怨望することになるのです。因果応報として明らかなのは、麦を蒔けば麦が生えるというようなものです。

福沢諭吉の名言|活動の自由がなければ他人を恨むようになる

現代の学校の経営者やそこに学ぶ者は、低レベルの学校と比較せずに、世界の一流の学校を見て、自分たちの長所短所を見極めなければなりません。

福沢諭吉の名言|一流と比べることが大切

生活が苦しいといっても、よく家計について考えれば、早く一時のお金を得て、それを使って小さな安楽を買うよりも、苦労して倹約を守り、大成する時を待つほうが、得策だと思います。

福沢諭吉の名言|将来を見据えて物事を考えることが大切

人間は、ただ一身一家の衣食が足りていることで満足してはいけない。人間の天性にはもっと高い務めを果たす力があるのだから、人間交際の仲間に入り、社会の一員として、その身分にふさわしい場で社会のために尽くさなければならない。

福沢諭吉の名言|一身一家の衣食が足りていることで満足してはいけない

昔から立派な人物で、心身を労して世のために尽くした人は、少なくありません。今日、そうした人物の心中を推測しますと、衣食住の豊かさだけで満足した人とは思われません。人間交際の義務を重んじて志したのは、高遠な理想にあったのです。

福沢諭吉の名言|立派な人物を動かしたのは高遠な理想

西洋の人の言った言葉があります。「世の人すべてが自分の生活に満足して、そこに安住するならば、今日の世界は、天地創造のときの世界と異なることがないだろう」と。この言葉は、まことにその通りです。

福沢諭吉の名言|満足してしまうことは停滞を生む

人間は、他人の権義(権利と義務)を妨げなければ自由自在に行動していいのです。好きな所へ行ったり、居たい所に滞在したり、あるいは働き、あるいは遊び、あるいはこの事をし、あるいはあの業をし、あるいは昼夜勉強するのも、あるいは何もしたくなければ終日寝ているのも、すべて他人には関係ないのですから、はたからかれこれ言う理由は全くありません。

福沢諭吉の名言|他人の権利と義務を妨げなければ自由に行動していい

人間はみな衣食のぜいたくを好みます。けれども、美しい衣服やうまい食べ物は、自然には生じません。それを得るためには働かなければなりません。ですから、人間の働きは、ほとんど情欲に促されてのことなのです。情欲がなければ人間は働きません。働かなければ安楽な幸福はあり得ません。

福沢諭吉の名言|人間は欲によって促される

安易に起こした内乱で政府を倒したとしても、それは、暴力をもって暴政に代え、愚力をもって愚政に代えたにすぎません。

福沢諭吉の名言|暴力による革命は、暴力をもって暴政に代え、愚力をもって愚政に代えるにすぎない

独立の気力のない者は、必ず他人を当てにします。他人を当てにする者は、他人の言動にびくびくして恐れます。他人を恐れる者は、必ず他人にお世辞を使います。いつも他人を恐れ他人にお世辞を使っている者は、だんだんそれに慣れてツラの皮が厚くなり、恥ずべき事も恥じず、言うべき事も言わず、人に会えば、ひたすら腰を低くしてペコペコするようになってしまいます。よく言う「習い性となる」というのはこうしたことで、一度身に付いた習性は、そう簡単には直りません。

福沢諭吉の名言|独立の気力のない者の悪癖

独立の気力のない者は、国を愛する気持ちも希薄である。外国から自国を守るには、自由独立の気風を全国に充満させ、国中の人たちが、身分上下の別なく、国の問題を自分の問題とし、知恵や身体の障害の有無にかかわらず、それぞれ国民としての務めを果たさなければなりません。

福沢諭吉の名言|外国から自国を守るには

人間の力量というものは、ただ読書からのみ得られるものではありません。読書は、学問をするための手段です。学問は、実際に事を行うための手段です。実地に体験して習熟するのでなければ、決して優れた力量は生まれません。

福沢諭吉の名言|学問は実地に体験して習熟する必要がある

国の文明は、形で評価してはなりません。学校といい、工業といい、陸軍といい、海軍といい、すべて文明の形だけです。この形を作るのは、さほど難しくありません。これらはただ金で買えますが、ここにもうひとつ、無形の物があります。その物というのは、目に見えず、耳に聞こえず、売買できず、貸借できず、すべての日本人の内にあってその作用は大変に強く、この物がなければ、学校以下の形ある文明も実際の役に立ちません。まことに、それは、文明の精神とも言うべき最も重要な物です。その物とは何でしょうか。私は、人民の独立の気力、これこそが、文明の精神であり、最も重要な物だと考えます。

福沢諭吉の名言|国家にとって最も必要なもの

国と国とは同等ですけれども、国民に独立の気力がなければ、独立国家としての権義(権利と義務)を世界に広めることなど、到底、不可能です。

福沢諭吉の名言|国家が独立するには国民に独立の気力がなければいけない

一家の生計を立てるのも学問です。商売をするのも学問です。時代の動きを察知するのもまた学問なのです。和漢洋の書物を読むことだけが学問であるという考え方は正しくありません。

福沢諭吉の名言|和漢洋の書物を読むことだけが学問であるという考え方は正しくない

知識や見聞を広めるためには、あるときは人の意見を聞き、あるときは自分自身の力の限りを尽くして考え、あるときは書物も読まなくてはなりません。ですから、学問をするためには文字を知ることが必要なのですが、昔から世間の人が思ってきたように、ただ文字を読むことだけが学問だというのは大きな間違いです。

福沢諭吉の名言|ただ文字を読むことだけが学問だというのは大きな間違い

国民が守るべき道徳上の義務を今よりも怠って、更に無学無知に陥れば、政府の法の規制は今よりも厳しくなるでしょうし、もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなりましょう。法が苛酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです。

福沢諭吉の名言|法律が苛酷になるか寛大になるかは国民の品性で決まる

無知無学な民ほど哀れな、そしてまた不快なものはありません。知恵がないということは、結局は恥を知らないということに行き着きます。自分の無知から貧窮に陥り、飢えや寒さに苦しむようになると、自分自身を反省せずに、周囲の金持ちを恨み、極端な者は、徒党を組んで強訴一揆などの暴動を起こすこともありました。恥を知らないと言いましょうか、法を恐れないと言いましょうか。国の法律によって自分の身の安全を保ち、無事に一家の生計を立てていながら、利益だけは受けて、私欲のためとなればすぐに法を破るというのは、なんと筋道の通らない話ではありませんか。

福沢諭吉の名言|無知無学は恥知らずに行き着く

人は生まれながらにして貴賤貧富の差があるのではありません。学問に励んだ賢人は、社会的に高い地位を得、経済的にも豊かになり、学ばなかった愚人は、貧しく、社会にも認めてもらえない人になるのです。

福沢諭吉の名言|社会で認めてもらうには

身分が高く偉い人は、当然経済的にも豊かであり、下層階級の人から見れば到底自分はなれない世界の人たちなのですが、そうした隔たりのできたのはどうしてなのでしょうか。その根源は、ただ、その人に学問の力があるかないかの違いだけであって、天が定めた約束事ではないのです。

福沢諭吉の名言|貧富の差の根源

福沢諭吉の経歴・略歴

福沢諭吉、ふくざわ・ゆきち。日本の武士、蘭学者、著述家、教育者。慶應義塾大学の設立者。幕末、明治初期に数多くの人材を教育し、明治六大教育家のひとりに数えらた。また、一般向けの本を多数執筆し、啓蒙活動を行った。著書に『学問のすゝめ』『西洋事情』『福翁自伝』『福翁百話』ほか。

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