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石坂典子の名言

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石坂典子のプロフィール

石坂典子、いしざか・のりこ。日本の経営者。リサイクル会社「石坂産業」社長。東京出身。高校卒業後、米国大学への短期留学を経て家業の石坂産業に入社。社長に就任し、同社の環境対策を行った。

石坂典子の名言 一覧

やはり大事なのは謙虚さです。謙虚な心を持ち、批判されても前向きな姿勢を持つということが大事なのではないかと思います。


今やっている事を当たり前にやっていて許されないのだったら、やり方、仕組みを変えていかなければいけない。


私は社員に「毎日が外部審査を受けている」と言っているんです。(見学に来た)一般の人たちの声が聞こえてくれば、全てを直せなくても、大変貴重で経営のヒントになるものがあります。社長が毎日、工場を巡回するよりも、一般の方たちに来てもらった方が、普通では得られなかった情報がたくさん得られます。


私が社長に就任して最初に取り組んだ社内改革は、「挨拶」と「整理整頓」「清掃」。それがスタートでした。


周りの方から「女性だからできるんだよ」と言われることは多いです。


ブランドを高めることは、ビジネス上の利益にもつながる。


人はブランドにはお金を払います。他の業者にはない独自性や業界で突出したものを持っていれば、それがブランドになって、その会社に仕事を依頼しようと思うはず。


地域貢献は永続企業になるための投資。


地域社会からバッシングされても、相手が悪いということではなくて、私たちの何が悪いのか。まず自分に落とし込んでみる。社員に問題があっても、会社として何が悪かったんだろうか。何でも相手のせいではなくて、自分事に置き換えて考えていく。そういった謙虚さがあることが成長につながったなと思えます。


かつて当社には経営理念がなかったので、創業者である父親に作ってもらいました。父が紙切れに書いたのは「謙虚な心、前向きな姿勢、そして努力と奉仕」。でも、この経営理念なくして今はなかったと、つくづく思います。


環境を変えていくのは、教育でしか変えられない。環境イコール教育である、というところから、環境教育に携わっていこうって決めた。


そもそも男性、女性と分けて考えるほうがおかしい。管理職もうちは半分が女性なんですね。別に女性を増やそうとか、そういうことは考えてないですね。適材適所を考えていたら、そこは女性だったということだけで。


ダイオキシン騒動時のバッシングは、私たちが今後どのように変わっていかなければならないかという業界の変え方と言いましょうか、そういうことを考えるきっかけになりました。それと、社会にどのように見せていくかという2つの軸です。これをやらないといけないというのを痛感しました。


嫌なものは下の人たちにやらせればいいと思っていたり、川上ビジネスは川下ビジネスを見ないといった複層的な問題があると思うんです。それが我々の成長を阻害していると感じます。


社長としてまず取り組んだのは、会社のイメージを良くし、ブランドを高めることです。私は子供の頃、産廃処理業者の娘だと周りからバカにされた経験があります。当社に入社してからも、産廃処理業者がいかに下層の仕事だと見られているかを、イヤというほど感じさせられました。産廃処理は絶対に世の中に必要な仕事なのに、これでは次の世代を担おうという人が現われないという危機感もありました。


今、とくに注力しているのは、地域の人たちと一緒に里山を保全する活動です。直接、利益になるわけではありません。しかし、地域の人たちに支持されることがブランドになり、会社が継続していくことにつながるのだと信じています。


「謙虚な心、前向きな姿勢、そして努力と奉仕」。この経営理念は朝礼などで社員にも唱和させています。シンプルな言葉ではあるのですが、謙虚さと前向きでもって、常に前を向き、ひたすらに努力する。そして、社会に奉仕していくと。やはり地域社会にどうやって奉仕していくかということを考える、いいきっかけづくりにもなりました。


中でも私がすごいことだなと思ったのは、(産廃処理工場見学をしたことで)今まで自分の子供を就職させたくないと言われていた私たちのような会社にお世話になりたいと親御さんが言ってくれるようになったことです。この活動を通して「いつかこの会社にお世話になりたい」とまで言ってくれるようになりました。


今まで産廃処理施設を見たことがある人は、ほとんどいませんでした。ですから、私たちは工場自体を見学できるようにしたんです。昨年でいうと、全国から3万人の人たちが見学に来てくれました。そうすると、今までは業界の関係者しか来なかった廃棄物の処理施設に一般の方たちが来てくれるようになります。産廃という仕事はどういう仕事かを知ってもらえることができるわけです。もちろん、私たちの課題に対して意見も出てきます。


父親が裸一貫で起こしてきて、誰よりも朝早く来て、仕事を指示してやってきたわけですから。父そのものが経営方針みたいなものだった。だけど、うちは家業から企業への転換期に差しかかっていたし、父に経営方針というのを作って欲しいと頼んだんです。やはり創業者が作るべきだと思いましてね。


昔の三富地区は水がなくて、昔の人は雑木林をつくることで、地下の水脈を引き上げたんです。根っこの力によって。昔の人たちは自然と共生して生活を営んできた。そういう歴史背景で、私たちのコーポレートスローガンは、「自然と美しく生きる」です。いまは人の生活の利便性によって、ゴミが出されるわけで、私たちも人と自然と技術が共生できる環境づくりを企業体としてやっていこうと。


製造業さんたちが知恵を振り絞って新しい商品を作るのと同じぐらい、廃棄物の処理にも知恵を使ってきました。それらの新しい商品はいずれ廃棄物になって出てくるじゃないですか。だから、同じように技術と頭のある人たちがいないとリサイクルなどできないのです。それでも価格の面で叩かれてしまう。そうすると、こちらも環境を整えることができません。そして労働環境が厳しいままであれば、この業界に入って来る人もいない。そして人が集まらない。負の連鎖が起きてしまうのです。


私の父は、本当に即断即決というか、決断が早いんです。決めて実行できるというところのスピード感が石坂の強みだと思いましたし、多分、中小企業の強みなんだと思うんですよ。役所とか大手企業だと決断が遅いとかね。そういう問題があるように、組織が大きくなると問題になることが、中小企業って社長の一言で雰囲気を変えられるわけですから。そう思うと、社長次第で会社がどうにでもなるというのを、父の背中を見て学んだし、ある意味、それはすごいことだなと。それが会社に入って、父親を見た最初の印象でした。


自分たちが出したゴミを誰がどこで処理をすべきなのか。もっと根本的に考えていく社会とは何かなと思いました。そこでまずは自分たちの仕事の中で速やかに改善すべきことは改善する。ですから、まずは見た目を変えようと。そしてこの仕事をやっていく上で、やはり環境を変えていくのは教育でしか変えられないと考えました。


もっと地元に貢献できることはないかなと考えていたときに目が向いたのが、裏の雑木林でした。里山と言われているものです。もともとは農業用の森でした。落葉樹を植えることで落ち葉を堆肥にし、農業に循環させるために作った里山でした。最近は落ち葉堆肥もしなくなって森の荒廃化が進んでいたんです。ジャングルになっていくと不法投棄が増えます。その不法投棄のゴミ集めをボランティアで始めたのが15年前でした。この活動を毎年続けていきながら今では東京スカイツリーの高さまでゴミを集めてきました。


ブランド品がない私たちが何をもって会社のブランドを作っていくか。業界で話題になり、業界の人たちが見学に来てくれる。そうなると、社員の意識も変わります。今まで誰にも見られない環境で働いていて、1日中ゴミの選別をしていた社員が常に誰かに見られて声をかけられたり、評価されるようになる。そうすると、働き方が変わります。もっと頑張ろうと思いますし、もっといいところを見せようという意識が芽生えて、結果として社員のモチベーションは上がります。そして今では「石坂で働いている社員は明るい」と言われるようになりました。


ゴミを出すのは簡単です。ところがこのゴミを処理する価格要求がすごいんです。今年のお正月に最初にお会いした取引先の方から言われた言葉も「石坂さん、もっと価格を下げてよ」と価格の話でした。価格を下げることに何の価値があるのかなと疑問に思っています。価格を下げるということは、付加価値生産性を下げることになり、研究開発や職場環境の改善等の投資資金を創出できないビジネスになるからです。そういった理解が多くの人々の間であまり広まっていないと。廃棄物処理会社に勤めていると言ったら、すぐに「3Kでしょ」と言われてしまいます。きついし、汚いし、大学を出て行かせるような会社ではないとまで言われてしまうわけです。問題なのは国民の意識だと思います。やはり廃棄物に対する価値観や考え方が正しく理解されていません。このことが全ての元凶になっているのではないかと思います。


原動力はこの仕事に対するプライドですかね。この業界はどんどん変わっていきますが、一方で規制産業、設備投資するのも住民の同意をもらってきてくれといわれてしまう。で、住民さんはわからないから反対しがち。すると新しい設備投資ができない。いま、新しい破砕機を一台入れたいと。農業機械のクボタさんがつくった機械なんですが、入れたいといっても前例がないからと許可がもらえず、いま5年目に入ります。時代の変化と廃棄物処理の技術変化が伴っていないのが現状です。それでも前を向いていきたい。いま、四大卒で他の会社の内定をもらっているのに入社してくれた社員がいます。見学会など経営の公開で会社の評価が変わってきている手応えがあります。


大切なのは自分たちの仕事の本質を人に伝えていくこと。父は、いい仕事をしていたら、お客さんがついてきてくれるからという職人的な発想。だから一生懸命やっておけば間違いない、と言うんだけれども、地域社会は理解してくれないという面もある。お客さんもコスト主義で、廃棄物だから処理費用は安くしてくれと料金値下げを要求してくる。そうした体力消耗戦では、事業に必要な投資の原資が生まれてこない。だから、自分たちの仕事を可視化し、多くの人たちに見せるということをやりたかった。そういう父にやれていない事が、私にはできるのじゃないかなと思った。


つらいなと思ったことは、父親を説得するときですかね。本当は父親を助けるために入った仕事、父親が望むところを手伝いたいと思って来たのに、仕事を通して意見が合わなくなることがある。言い合いになると寂しいですよね。親子喧嘩をするために入ったのではないと思いながら、でも説得したいという自分の思いと、頑と聞かない父親と。父は一代で事業をやってきた人なので、自分の道というのがあるじゃないですか。ところが親子であれど、やはり道標が違うところがあるわけです。そこをどう話していくかということで、やはり父が興した会社だから父が言うようにやろうと自分に言い聞かせてきたこともたくさんあります。まあ時間軸の中で、上手くやっていく方法を互いに見つけて、父は口を出さなかったりして任せていこうと覚悟を決める。だから継ぐよりも、継がせる方が大変だと思いました。


私は創業者の娘ですから、父親の背中を見て育ってきています。裸一貫から、ダンプ1台から始めてきた父です。すごい仕事だなというのは、この会社に入るときまで分からなかった。人様が嫌がる仕事、汚いゴミを分ける仕事をする社員さんたちを見たんですね。当時は露天ですよ。屋根もかかっていない。冬は寒い。夏は暑い。雨の日もカッパを着て仕事をしてゴミを分けているんですよ。普通の人はやりたがらない仕事ですね。そういう仕事をやって、社会に埋める廃棄物を減らしていくという、この人たちの報われる環境というのがあるのかって思ったのが最初でした。


あるとき、同業者の社長さんで「自分たちは被害者だから」と言う方がいました。なぜならば、ゴミを一生懸命に片付けているのに、周囲からはバッシングされてしまう。許認可も受けさせてもらえず、むしろ自分たちは被害者なんだと。でもそれは違うと思うんです。自分たちのことを被害者と言うならば、被害者と思われないような仕組みを作っていかないといけないと私は思ったんです。今やっていることが許されないのであれば、それを変えていかないといけません。


(父は経営者として)素晴らしいなと思いました。ただ、父がやれなかったことがあります。それは産業廃棄物処理業の社会的な意義を人々に伝えていくということです。父は職人的な発想でしたから営業しないスタイルなんです。いい仕事をしていたら、お客様はついてきてくれる。そういう考え方なんです。ですから、一生懸命やっていれば間違いないという考えです。しかし、残念ながら地域社会はそれを理解してくれるわけではありません。私はそれを理解してもらうためには我々の仕事を伝えていくしかないと考えました。つまり可視化です。ですから、私は多くの人たちに我々の仕事を見せることをやりたかった。それは父がやれなかったことであり、私にできることではないかと思いました。それで社長をやらせて欲しいと言ったんです。


父(創業者)は本当に即断即決の人で、物事を決めるのがとても早い。さらに、決めたことを実行できるというスピード感もあり、それが当社の強みだと思いましたし、中小企業の強みなんだと思うんですよ。役所や大手企業では決裁が遅いといった問題があるように、組織が大きくなると問題になることが、中小企業では社長の一言で雰囲気を変えられるわけですからね。そう思うと、社長次第で会社は変わるということを父の背中を見て学びましたね。ですから、会社に入って父親を見た最初の印象は、ある意味ですごいなというものでした。


石坂典子の経歴・略歴

石坂典子、いしざか・のりこ。日本の経営者。リサイクル会社「石坂産業」社長。東京出身。高校卒業後、米国大学への短期留学を経て家業の石坂産業に入社。社長に就任し、同社の環境対策を行った。