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片山善博(政治家)の名言

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片山善博(政治家)のプロフィール

片山善博、かたやま・よしひろ。日本の政治家、官僚、大学教授。岡山県出身。東京大学法学部卒業後、自治省に入省。自治大臣秘書官、自治省国際交流企画官、固定資産税課長、府県税課長、鳥取県知事、地方制度調査会副会長、慶應義塾大学教授、総務大臣、早稲田大学公共経営大学院教授などを務めた。

片山善博(政治家)の名言 一覧

明治維新、終戦直後……。日本はダメになって初めて気づくんです。歴史からは学ぶことが多いですよ。


いずれ(官僚を)辞めることになるわけだから、その時に自分で道が切り開けるような素地をつくっておこうと思って、いろいろな勉強を続けていました。役所が終わると、上役の顔色をうかがうことなく、さっさと家に帰って(笑)。


日本人は政治家や行政にベストを求めすぎなんですよ。まずはベターを選ぶように心がけましょう。


先日、ある人がドイツ人に「日本には総理予報っていうのがあるんですか?」って言われたというんですよ。「毎日の天気予報の後に、総理予報っていうのがあるらしいね」と(笑)。「今日は○○で、明日は△△が総理だろう」って。ドイツらしい皮肉の効いた笑い話だけど、異常ですよ、毎年のように総理が替わる国なんて。


まあ、実態はいまもあまり変わってないですけど(笑)、私が自治省(のちの総務省)に入った当時は地方自治とは名ばかりで、中央の官庁が大半を牛耳っているし、「ああ、名ばかりの民主主義だ」とため息が出ることが山ほどありましたよ。ただ、「なんで、こうなんだ?」ということを、しつこく忘れないようにしてたんです。ところが、オジサンになると忘れてしまうんですよ。「まあ、こんなもんか」と。だから「変だな、おかしい」と思ったことは絶対忘れないようにしたんです。課長や局長に上がっていけば、改善できる立場になれるわけですから。


地方自治とは、誰のためにあるのか。住民のためです。重要なことを決めるには「住民投票」で決めるなど、もっと住民を登場させないと、この国の民主主義は機能しません。地方議会を見ると、よくわかるけど、議員が住民の意思を代表しているかというと、そんなことはない。あるのは議論ではなく根回し、しがらみ、利害、打算……はっきりいって江戸時代や明治のころと変わってませんよ。


鳥取県知事に当選すると、前知事のときに決まっていた「砂丘博物館」とか「カニ博物館」といった100億規模の事業が目白押しだったんです。そんなハコものをつくっても県民の暮らしがよくならない。だから中止、縮小にしたんです。一つのビッグ・プロジェクトがあれば、いろんな利害が渦巻いているわけですよ。誰が請け負うか、下請けから資材納入まで決まっていたそうですから。そういう人たちにとっては許し難いことでしょうけど、心を鬼にしてやったら、脅迫状まできました(笑)。でも、そういうブラックメールがくるというのは、表では言えないいろんなことがあるんだろうし……、そういう悪弊を断ち切るためにも「正しい選択なんだ」と自信を深め、ファイトがわきました。


結局、鳥取の県知事選に引っ張られ、自治省を辞めたわけですけど。さすがに、迷いましたよ。妻は絶対反対でしたし、子供6人も抱えて「もし、落ちたらどうしよう」と。最初はネガティブだったけど、最後は決断せざるを得なかったんです。まあ、いまだから打ち明けるけど、石破茂との関係もありました。彼は私より少し年下ですが、ずっと友達付き合いをしていました。私を引っ張り出すことに失敗すると、石破の面目が丸潰れになるという政治状況が、いつの間にかできていた。人生とは、自分だけでは決められなくなる局面もあるんです。だったら、そこで活路を見出すというか、ポジティブな面を選び取っていこうと思ったわけです。知事になれば、勉強してきた地方自治を実践できるという面もあるわけですから。


片山善博(政治家)の経歴・略歴

片山善博、かたやま・よしひろ。日本の政治家、官僚、大学教授。岡山県出身。東京大学法学部卒業後、自治省に入省。自治大臣秘書官、自治省国際交流企画官、固定資産税課長、府県税課長、鳥取県知事、地方制度調査会副会長、慶應義塾大学教授、総務大臣、早稲田大学公共経営大学院教授などを務めた。

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