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深田剛の名言

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深田剛のプロフィール

深田剛、ふかだ・つよし。日本の経営者。支払い代行サービス会社「フィデック(のちのアクリーティブ)」創業者。熊本県出身。熊本大学法学部卒業後、伊藤忠商事に入社。金融・保険・物流カンパニーに所属したのち、伊藤忠ファイナンスに出向。その後、同社を退職しフィデックを設立。同社を大きく成長させた。

深田剛の名言 一覧

どんなにいいサービスや、モデルであってもタイミングがずれてしまうと元も子もありません。


ベンチャーは「ここまでは出来ないな」と思わせることが大切です。そうすれば大企業は自分で参入せずに、一緒に組むほうがいいと思います。


ストック型のビジネスをすることが大切です。そうでないと、年度が変わった段階でゼロになり、もう一度ゼロから積み上げなくてはいけなくなります。やはりそのまま去年のお客様に継続して付き合ってもらえるようにしなければいけません。ずっと続くようなストック型のビジネスです。次の年になっても切られない仕組み作りをする必要があります。


ベンチャーは、競合の参入障壁というものを考えておかなければいけません。ある程度成長した段階で、大企業が参入して上手くいかなくなるという話は良くあります。ビジネスモデルの中に他人が入れない、真似できないような要素を中に持っておかないと非常に怖いです。それが、いわゆるブラックボックスというものです。


深田剛の経歴・略歴

深田剛、ふかだ・つよし。日本の経営者。支払い代行サービス会社「フィデック(のちのアクリーティブ)」創業者。熊本県出身。熊本大学法学部卒業後、伊藤忠商事に入社。金融・保険・物流カンパニーに所属したのち、伊藤忠ファイナンスに出向。その後、同社を退職しフィデックを設立。同社を大きく成長させた。

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