江口克彦の名言

江口克彦のプロフィール

江口克彦、えぐち・かつひこ。日本の経営者、政治家。「PHP研究所」「江口オフィス」社長。愛知県出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、松下電器産業(のちのパナソニック)に入社。松下幸之助秘書、PHP研究所秘書室長、取締役、常務、専務などを経て社長に就任。また、参議院議員を1期務めた。

江口克彦の名言 一覧

会社の仕事を公の仕事だと社員の訴え続け、理解してもらうことは経営者の極めて重要な責務です。会社が公のものであるならば、私たちは個人のためだけに仕事をするのではありません。社会の人々のため、社会の発展のため、人々の幸せのために仕事をするのだということになります。経営者がそのことを訴え続ければ、社員の人たちも自分たち自身のためだけではない、社会のために働いているのだと考えるようになるでしょう。いわば公に尽くす心意気というものが社員の中に生まれてくるのです。そのような会社であればこそ一段と発展するでしょうし、当然不正や不祥事など行わず、社会的な尊敬も得られることでしょう。


経営の基本であるヒト、モノ、カネ、情報、これはすべて公のものです。そうであるとすれば天下のヒト、モノ、カネ、情報をあずかって営む企業というものは、これまた天下のものと考えるのが当然ではないでしょうか?法律上は個人のものと言えるかもしれませんが、しかしその本質はとうてい個人のものとは言えません。公のものです。そうであるなら、企業は社会のため世間の人々の役に立つような働きをしなければならないのは自明のことです。


人生で実力がものをいうと言われるが、松下幸之助さんは実力は10%、運が90%だと言っていた。日本人として生まれたのも、この時代に生まれたのも自分の意志ではない。生まれた家も、環境も、言わば運命で自分が決めたものではない。確かに松下さんの言うとおり、運が90%だと言っても過言ではないだろう。


松下(幸之助)さんは父親が米相場で失敗し全財産を失ったこと、小学校を4年で中退したこと、家族をすべて亡くしたこと、自身も肺尖カタルにかかったことなど、こういうことが、自分にとっては運が強かったことだと解釈していた。なぜならば、父親の失敗のお陰で、船場(せんば)に出て、商売の勉強ができたこと、小学校4年中退で勉強できなかったことによって、多くの人たちにものを尋ねることを身につけ、それが衆知を集める経営を考え出したこと。また、身体が弱かったために、そのお陰で事業部制、言わば会社内会社を考え、そのことによって人材を育成することができたこと。だから、私がなんと不幸な、と思うことを、松下さんは自分の運の強さの証しとしてよく話をしていた。私が否定的に不運、不幸と受け止めることを、松下さんは、「だから自分は運が強い」という解釈をする。大肯定をする。そういう普通であれば否定的にとらえるところを大肯定するところが、非常に私には興味深かった。


「運がいい」ということと「運が強い」ということは違う。「運がいい」というのは、たまたま「幸運」に恵まれること。例えば、宝くじに当たったとか、お店に行ったら思いがけず3割引の日だったり。まあ、偶然に左右されるもの、一時的なものということである。しかし、「運が強い」「強運」というのは、いい運が継続されるということだと思う。では、「運を強くする」には、どうしたらいいのか。人生には、いいこともあれば、悪いこともある。それを、すべてひっくるめて運が強い、あるいは運がいいと受け止めること。言い換えれば、いいことも悪いことも、「大肯定すること」によって、運を強くすることができるということである。


江口克彦の経歴・略歴

江口克彦、えぐち・かつひこ。日本の経営者、政治家。「PHP研究所」「江口オフィス」社長。愛知県出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、松下電器産業(のちのパナソニック)に入社。松下幸之助秘書、PHP研究所秘書室長、取締役、常務、専務などを経て社長に就任。また、参議院議員を1期務めた。

他の記事も読んでみる

加藤秀一(不動産コンサルタント)

ハガキや手紙に書くためには、人の話もしっかり聴かなくてはなりません。メモを取ることも増えました。


安田弘

たとえ国籍や宗教が違っても、必ず、人間力の高い人はいる。そうした人たちは、分をわきまえ、周囲の人とうまく役割分担しながら、いい所を引き出しあう。


米山公啓

日本の男性に足りないのは「聞き役」を受け入れる覚悟。聞き役になるのは苦痛です。しかし、それでも黙って5分間、相手の話を聞き、「大変だったね」「よかったね」と相づちを打つことから、共感する姿勢は生まれていく。


山元賢治

歳を取るにつれて、時間が経つのがどんどん速く感じるようになります。その加速度は残酷です。今いる場所にあぐらをかいて、うまくいかないことを他人のせいにしている人は、何もできないままに人生を終えてしまいますよ。


宗次徳二

会長時代の私が店におもむいて接客を見るとき、まずは働いているスタッフの数を見ました。私は「ゆとりシフト」を組めと指導していたのです。お客様が店に入ったとき、その瞬間に、いらっしゃいませと言えないような従業員の配置では駄目だからです。値下げをしたり、こだわりの味を出すよりも、飲食店は基本的なサービスをきちんと守らなくてはなりません。


太田昭宏

どういう風になるだろうと想像して、日本企業が後れを取らないように、先端を走れるように持っていけるかどうか。構想力と、科学技術を理解する力を政治家は少なくとも持っていなくちゃならない。今、制度設計を誤ってはいけない。政治も企業も、経済界も一致して、世界の中の最先端を切り開けるものにしなければいけない。


野村亮太

お手本とまったく同じことをする必要はありません。「これを自分がやるとしたら、どうすればいいだろうか」「自分に合うようにするには、どう変えたらいいだろうか」と省察するようにしましょう。


田中邦彦

年俸や報酬は一定の目標をクリアして得られるものですが、私どものようなマニュアルを中心とする業務では個人プレーよりもチーム力を評価の基準としています。ただ、サプライズもなければ面白くありません。そこで社内で決めた利益目標を達成した場合、幹部の社員全員に一律給料の二倍を支給することもあります。


平山郁夫

何事も好調な時にニコニコしているのは当たり前。うまくいっていない時こそ、笑顔で乗り切れるかどうかにその人の真価が問われる。


南部靖之

創業した当時、就職難の時代で、とくに大卒女子の就職率は16%でした。難関を突破して入社しても昇進で男性に大差をつけられ、さらに結婚して退職すると、もう一度働きたいと思っても再就職は不可能でした。そんな女性に雇用の場を提供することが、私の最初のビジネスでした。ターゲットを「子育てを終えた30代の女性」に絞り、雇用形態が正社員かパート、アルバイトしかなかった時代に、派遣という新しい雇用形態を企業に提案しました。


丹羽宇一郎

伊藤忠の社長を辞めた頃に考えたのですが、残りの人生は社会のため、国のために使おうと決めました。だからある意味、覚悟はできていた。


大津司郎

本当にアフリカでビジネスがしたいなら、リスクをとって人が行かなくてはなりません。世界のスタンダードもリスクオンの方向です。残念ながら、自衛隊やメディアを含めた日本人は、危険に対する経験値があまりに低い。日本にいればテロや戦争を身近に感じることがないので、当然と言えば当然です。ですが、この先もテロの危険がないかと言えば、そうではない。日本人の危機管理能力が上がり、世界で勝負できるような日がくることを願っています。


永守重信

一つの仕事をやり始めたら、完了させるまでやり抜かなくてはいけない。目標の7~8割までやって満足して、ほかの仕事に移って食い散らかす人が意外と多いのですが、途中でやめたら70点、80点ではなく、0点でしかない。


南部靖之

新規事業のための営業も毎日のようにしていますし、役員会や経営会議にも出席します。それからなんといっても、社員と触れ合う時間を多くとるようにしていますね。


富野由悠季

一番いけないのは、頑張らないでただ「欲しい欲しい」と言っていること。それではなにも起きませんし、なにもできません。


ページの先頭へ