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橋下徹の名言

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橋下徹のプロフィール

橋下徹、はしもと・とおる。日本の政治家、弁護士、タレント。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業年に司法試験に合格。樺島法律事務所勤務後、独立し橋下綜合法律事務所を開設。テレビの法律バラエティ番組に出演し、タレントとしても活躍したのち、政治家に転身。大阪府知事、大阪市長、大阪維新の会代表を務めた。

橋下徹の名言 一覧

正直に言って将来のことなど100%完璧にわかるわけがない。それでも今現在、目の前にある問題を解決するために、とにかく新しい道に一歩踏み出すことが改革というもの。


初めは厳しめのことを言っておいて、現実問題で悩む姿をしっかり示し、もがき苦しみながら解決策を見つけていくのが政治家の使命だと思う。


政治家はきれいな言葉を吐く文学者や道徳家じゃない。目の前の課題を解決するために、泥臭く、もがきながら実行する実務家だ。


意味のない議論を延々と続ける人たちは、それがもはや議論では収束できない「価値観の違い」であることに気付いていない。


立場・価値観というのは論理的に絶対的に正しいというものがない。自分の価値観はどちらなのかというある意味単純なもの。好き嫌いに近い。


統治機構が変わるときには、すさまじい戦争を経なければ変わらない。体制を維持したい勢力が話し合って変わることはあり得ない。


反発があるのは改革が進んでいるということ。


そこまでやるか、というところまでどんどんやれば、民意は後押ししてくれる。


できることをやっても「変化」に過ぎない。できないことをやるのが「改革」だ。


政治家は究極のところ、自分を語る仕事。


僕の性格、しつこいですから。やるといったらとことんまでやる。


一部の学者がセンサー。右と言えば左をやればいい。


嫌われることを恐れていたら、改革はできない。


全体の環境改善を行うためには、一人ひとりの細かな遵法意識を高めていかなければならない。


いったん目標を決めたら、ルールの範囲内であれば、どんな手段を使ってでも実現する。これが僕の、弁護士になったときからずっと貫いてきたやり方。


目標を決めて、手段を考えて、徹底的に準備する。これが僕の行動パターン。


居酒屋で隣に座った人に説明して、理解してもらえるかという視点で説明してほしい。


実際、政治をやってみてつくづく感じました。コメンテーターやコンサルや評論家、学者がいっていることは、ほぼ実現不可能な絵空事だと。


政治家に100%完璧なものはない。現状と、新しく一歩を踏み出そうとしていることを比較して、よりましなほうを選択するのが政治選択というものだ。現状と新しい選択肢の二者を比較してよりましな選択をするのが賢明な政治選択というものだ。


大阪府知事・大阪市長時代、僕は政治家と官僚との役割分担を徹底した。官僚がやることには限界がある。大きな変革や事態の打開はできない。だから特に官僚が「できないこと」は政治家である僕がやらなければならないものとして、僕自身が積極的に乗り出した。官僚にはない「政治力」をフルに使って事態を動かし、局面打開をはかった。


対立関係、緊張関係にある国同士においては、意思疎通を図るメカニズムがどれだけ重要か。そして、意思疎通を図るメカニズムの最高峰のものは、国のトップ同士の意思疎通メカニズムである。


組織のトップ同士が直接コミュニケーションをとることは、組織同士の交渉においては最強のツールだ。組織間での交渉決裂、さらには激しい紛争事態に陥ることを防ぐための唯一の手段だと言っていい。大きな組織同士の交渉になればなるほど、トップ同士の意思疎通の環境をつくっておくことが重要になるんだ。


国家の指導者、政治的リーダーの最重要使命は戦争を避けることだ。外交の目的は戦争を避けることである。そして戦争を避けながら、自国の利益を追求する能力こそが、国家の指導者に最も求められる能力であり、それができる指導者が最優秀指導者だ。きれいなフレーズを吐きちらす指導者が最も優秀なわけではない。


一番やってはいけないことは現場での勝手なルール変更だ。ルールが現場の作業に合わないからといって、現場が正式なプロセスを経ずにルールを事実上変える。重大な不祥事事案のほとんどは、このような現場の対応から起きている。


挑戦して失敗することに対しては拍手を送る組織にしたい。


どんなにいい政策を出しても、どんなにいい政治家が出てきても、統治機構や行政機構という国のシステムがマッチしなければ何も実現できません。


「変わる必要はない」「変わるつもりはない」と、いまの体制のままでいいという人はまだごまんといます。これを変えようと思ったら、相当気合が入ったメンバーが集まらないといけません。


いままでの選挙のスタイルというのは、有権者の皆さんにいかに美味しいリンゴを与えるかどうかだったと思うんです。しかし、今度の選挙は美味しいリンゴを与えるのではなく、美味しいリンゴの木がなる土壌や畑をどうつくり替えていくかを、国民の皆さんにしっかり示すべきだと思っています。ただ、畑の耕し方とか肥料を与えるタイミングというのは、なかなか説明が難しい話なんですけどね(笑)。


いまの税制はとにかくわかりにくい。統治機構にしても社会保障の仕組みにしても、わかりにくいことで役人の仕事が増え、役人の数はどんどん増えるんです。


国は口ばっかり出して、現場のことを何もわかっていない。いまの日本のありとあらゆる領域は、民主主義の名のもとに「決定できない」「決定してないから責任をとらない」という枠組み・仕組みになっている。知事や市町村長の仕事もそうですし、教育行政も誰が責任を取っているのかわからないような仕組みになっている。僕はこうしたおかしな仕組みを変えて「決定できる民主主義、責任をとる民主主義」にしたいのです。


僕は大阪市役所の「所長」にすぎません。そこをわきまえておかないとしっぺ返しを食らいますから。


僕は単にストレス発散といいますか、頭にきたことをツイッターで発散しているだけです。いまは時間の都合で返信しませんから、フォロワーから「何で橋下さんはちゃんと返信して答えないの?自分の一方的な発信ばかりでコミュニケーションになっていない」とよく言われるのですが、あれは僕の独り言です。嫌だったらフォローを外してください。


確かに僕は公人ですし、報道の自由というものは最大限尊重しなければいけないと思っています。だから何を書いてもらっても構わない。しかし、家族や子供のことにまで踏み込むのはどうなのかと問題提起し続けました。それでもバカ週刊誌はまったく聞く耳持たずで、いろいろなことが報道されました。ただ、そうしたなかで現代社会における反論の道具というものが、僕ら政治家にも与えられた。反論の道具が与えられた以上、メディアは一層厳しく公人に迫っていけばいいと思うんです。


僕は「酢豚のパイナップルと共産党は大嫌いだ」と公言していますが、共産党の思想信条とは関係なく、共産党機関紙の「しんぶん赤旗」にまで目を通します。大嫌いな共産党が何を考えているか、何を発信しているかを知るためです。


原理原則を見極めていれば、どんな質問に対してもペーパー(想定問答集)なしで答えられます。話が膨らみすぎて、記者から言葉尻をつかまえられるという苦い経験もたくさんしましたが、本質のところで間違ったことは一度もありません。


何かを変えるには既存政党の抵抗を受けるのは明らかですし、それが大胆な改革であればあるほど水面下の調整で済ませるなど絶対に無理。だから、必然的に完全協調路線はとれない。


なぜ僕は、あえて完全協調路線をとらなかったのか。簡単な話で、既存の政党はすべてなんらかの既得権益と結びついています。だから、何かを変えるときには必ずどこかから反発が出る。行政側があらゆる反発にすべて妥協してしまうなら、それは協調とはいわず「馴れ合い」です。


新聞の社説も、コメンテーターや学者の意見も自分の意見こそが絶対的に正しいといわんばかりですが、どれも一つの意見にしかすぎず、どの意見が正しいかなんてわからない。


「いうだけじゃダメなんだ!」身に染みてそう感じました。だったら、いうだけじゃなく自分でやるしかない。政治家になろうと決めたのは、そんな思いが心の奥底から湧き上がってきたから。


政治家自らも役人と議論できるまで徹底して勉強し、外部有識者のサポートを得ながら役人と議論する。そして政治家としてはあくまでも大きな方向性を示すことが自分の使命だと認識しながら、具体的な制度設計や実務は役人に任せる。これが役所組織を動かす黄金法則。民間企業において経営陣が組織を動かす要諦も、この黄金法則と変わらないだろう。


専門家レベルではないにせよ勉強することは必要だし、いろいろな経験を積んでおかなければならない。これらの勉強や経験は適切な論点設定や追加の論点設定をするときにも必要なことだ。そして当該問題の領域とは全く異なる領域の事柄が、腑に落ちる手助けや論点設定の役に立ってくれることも多い。


傍から見れば直感みたいなもんだけど、直感は侮れない。もちろん、やみくもな直感じゃなくて、自分のこれまで歩んできた人生において積み重ねた経験・思考を基にした直感だ。まあトップの判断なんて結局こんなものなんだよね。


政治家は原理原則として、人から好かれる人間でなければいけません。敵が多い僕のような人間は、所詮ワンポイント・リリーフ。


大阪市民の皆さんの(大阪都構想に対する)住民投票の判断を僕は大変、重く受け止めています。政治家ですから、負けは負けと潔く認めます。相手を叩き潰すつもりで戦争を仕掛けて、逆に叩き潰されたわけです。反対派とも徹底的に議論した結論です。これが民主主義というもの。住民投票を通じて、民主主義の素晴らしさを感じることができました。


  1. 議論が平行線になってきたら、議論当事者の価値観を整理する。
  2. 価値観が決定的に異なるのであれば、それは価値観の違いとしてこれ以上の議論が無意味であることを相互に納得する。
  3. それでもあえて議論をして解を得ようとするなら、どちらの価値観(土俵)で議論するかを決める。その際どちらの価値観が正しいかを議論しても無意味。どちらの価値観に拠って立つかをエイヤーで決めるだけ。

この3か条が、議論が平行線になったときに、意味のない議論の時間を避け、問題解決への糸口を見つける黄金の問題解決法だ。


原則、人の立場・価値観というものは、どちらが論理的に絶対的に正しくどちらが論理的に絶対的に間違っているのかという議論をやっても意味がないんだよね。「意見の違いはそれぞれの価値観の違いですね」と言ってしまえば、もうそれ以上議論しても無意味なことがはっきりするのに、複雑で高尚な小難しい問題になればなるほど、その意見の違いが、議論によって収束するものなのか、それとも価値観の違いであってもはや議論によっては収束するものではないものかが見えなくなってくる。


議論の当事者の立場・価値観が根本的に、決定的に異なるのであれば、いくら議論をやっても妥協の余地はなく、延々平行線。これは議論の中身の問題というよりも、どちらの立場・価値観に立つかの問題。すなわち議論には土俵があるんだよね。同じ土俵に乗らないと意味のある議論にはならない。そもそも議論の当事者が考えている土俵が違うのであれば、まずどちらの土俵で議論するかを決めなければならない。これができない人たちの議論は永遠に解決の光が見えない自己主張と批判の応酬になるだけ。


国会などで議論をする際に、自称インテリは「議論を尽くせ」「話し合いで解決しろ」「数で押し切るな」とばかり叫ぶ。それが民主主義だ、と。でもね、問題には話し合いで解決できるものと、できないものがある。自称インテリ以外の、日々問題を解決しなければならない人たちは、延々の議論は避けなければならない。そのためには、意味のある議論と意味のない議論の峻別能力が最も必要とされる。


いちいち言われなくてもちゃんとできる人はもちろんいるだろうけど、でもいちいち言わなければできない人もたくさんいる。「自由が大事だ!」と単純に言う人たちは、あらゆる人間が何もしなくてもルールを守り、自らを律する人間であり、そんな人間を信じることが重要だと、きれいごとばかり言う人。こういうきれいごとを言う人たちは、善人ぶっているのか、世間を知らないのか。自由を謳歌できる社会を維持するためには、各人が必死に努力して他人の自由を侵害しないようルールを守る必要がある。自由を享受するためには自らルールを遵守する努力が必要なんだよ。


僕はニューヨーク市の立て直しに尽力したジュリアーニ元市長の「割れ窓理論」を支持している。治安や環境が悪い街を立て直すのは、口で言うのは簡単だが、本気でやろうと思ったら想像を絶する労力が必要になる。自称インテリたちは、「街をよくしよう!」なんて能天気にスローガンをほざくだけだけど、実際にやろうとしたら、一生分のエネルギーを投じなければならないようなことなんだ。ジュリアーニ氏は、街の立て直しは、まずはゴミのポイ捨てと落書きを徹底してなくすことからだと主張する。細かなルール遵守の積み重ねが治安向上につながる、と。スローガンを叫ぶだけでは街は変わらない。もちろんそれも重要だけど、街全体の「雰囲気」から変えていかなければならない。そのスタートはゴミのポイ捨てと落書きを徹底してなくすこと。


新しい方向性に問題があるのは当然だ。ただそれが現状と比べてどうなのか、という思考が事態を前進させるためには絶対に必要。新しい方向性に潜む問題点ばかりをあげつらって、現状がよりましになるチャンスを逃したら目も当てられない。現状がましになるチャンスを逃すだけでなく、さらに悪い方向に向かってしまえば最悪だ。


改革に対しては当然、反対や批判が起きるが、それらはほとんど将来への不安を「完全に」解消するべきだという非現実的な主張に基づいている。結局、改革に反対するメディアや自称インテリは、目の前に横たわっている「現在の問題」には寛容なんだ。その半面、問題を解決するために一歩踏み出すことによる「将来への不安」には、驚くほど神経質。その将来への不安を完全に払拭することがない限り、現在の問題を容認してでも現状維持を選んでしまうのが改革反対派というものである。結局将来への不安を過度に意識しすぎて、現在の問題を放置してしまう。


小池(百合子)都政が現在、様々な現実的な課題にぶつかって膠着しているのは、具体的な行政実務を役人に任せていないからだろうし、実務において生じる課題を役人に洗い出させていないからであろう。現実の課題がわからなければ対策を講じることもできず、結局物事は進まない。確かに役人に最初から丸投げして任せっきりにしてしまうと、これまでのやり方をそのまま踏襲し現状維持となり、改革などはできない。しかし役人を完全に排除すると、旧民主党が陥ったように実務が滞る。丸投げせずに、排除もしない。この役人との仕事の役割分担、距離感がむちゃくちゃ難しいんだよね。


現実の行政実務は、現在の法令や既存の制度との整合性を図ったり、利害関係人との膨大な調整を行ったりしていかなければならず、ここでは役人にその力をフルに発揮してもらわなければ現実の物事は1ミリたりとも進まない。僕は政治家時代、外部有識者の意見を聞きながら大きな方向性を示す一方、具体的な実務は役人に任せるという方法を採っていた。僕が示す方向性の中で具体的に物事を進めるにあたって生じ得る課題を、役人には徹底して挙げてもらい、その対処方法を考えてもらう。その際、僕が示す方向性についてどうしても修正が必要なのであれば、適宜修正する。こんなやり方で僕は大阪府政改革、市政改革を進めてきた。


政治のメッセージの出し方としては、人を喜ばせてから落胆させるのは最悪のやり方。批判や落胆を招いても最初に現実の課題をしっかりと提示して、そこから解決に向かって進んでいくのが政治の本来の姿だと思う。現実無視の理想論だけでかっこをつけて、困っている人を喜ばせるだけ喜ばせておいて、「現実的にはやっぱりそれはできませんでした」「私が言っていたことはそういう趣旨ではありません」などと訂正するのは政治家として最もやってはいけないこと。


有権者1人が持つ投票用紙はペラペラのちっちゃな紙切れにすぎない。でもその力の大きさっていうのは、僕自身が政治家になって初めてわかった。この1票を獲得することがどれだけ大変か。それに比べれば、本を読んで勉強して小難しいことをしゃべるほうがはるかに楽で簡単だね。だからこそ、若い人たちには、この1票を最大限にうまく使ってほしい。若い人たちにはもっともっとこの1票でもって、政治家に危機感を与え、政治家の尻を叩き、自分たちの世代のために政治家を働かせてほしい。


自称インテリの中には、今回の衆議院議員総選挙は棄権するようにと呼び掛けていた奴までいる。僕も学生時代や社会人になりたての頃は、棄権というか、その意識すら持たずに選挙を完全に無視していたこともあった。これは選挙の力を知らない世間知らずが陥る誤り。投票したい候補者がいなければ、白票でもいいんだ。白票は白紙委任状ではない。今回は入れたい候補者がいなかったから白票にしただけで、入れたい候補者が現れればきちんと入れますよ、という意思表示。投票を放棄したわけではないという、きちんとした意思表示なんだ。他方、棄権は最悪。投票を放棄したことの意思表示で、それは政治に対しての白紙委任となる。


政治指導者や企業トップは、膨大な知識・情報を自ら獲得する必要はない。当該問題を考えるにあたってどのポイントで検討すべきなのか、いわゆる論点設定能力があればいい。検討すべき論点が適切に設定されれば、あとはその論点について専門家に分析・検討してもらえばいいからだ。


専門家たちが散々議論しても結論が出なかった問題、あるいは誰も確信を持てないという問題、そこへ判断を下すのがトップというもの。つまり理屈で判断できるレベルの問題であれば、トップが乗り出すまでもなく、しかるべき段階で判断が下されているはず。理屈で簡単に解が見出せないからこそトップの判断が求められる。


政治指導者や企業トップは、「正しいことは何か」を的確に判断する力よりも、「正しいことを言うのは誰か」を判断する力を持つことが重要だ。判断に必要な論点を設定して、その論点について専門家の意見を聞くにしても、トップが専門家と同じレベルまで自ら深く勉強するなんて無理。トップが専門家と同じレベルの専門的知見を持っているなら、そもそも専門家など不要になってしまう。だから専門家の意見の中身について、トップが専門的に検討することは無駄なので辞めた方がいい。トップは「正しいことを言うのは誰か」という視点で判断するしかない。


僕が大阪府知事に就任したときに、府庁のある幹部から、まずこう言われたね。「知事、私たちを信じて、役所組織にのびのびと仕事をさせてください。府庁組織が一番円滑に回っていたのは横山ノック知事のときです。横山知事は、すべて『よきにはからえ』『責任は俺が取る』という姿勢でした」この幹部の言葉を聞いて、大阪府庁では「よきにはからえ」は厳禁だと肝に銘じたよ(笑)。ここでもし僕が官僚組織の上に乗っかって「よきにはからえ」という親分肌の組織マネジメントをしていたら、これまでの大阪府政と何も変わらない。官僚では解決・対応できない課題が放置されたままになる。


きちんとした検討もせずに過剰対応のルール(行動基準)を設定してしまうと、必ずそのルールは形骸化し、組織が適切に動かなくなる。たとえば役所の仕事には個人情報の漏洩がつきものだ。「不必要なメールアドレスを対外的に発信してしまった」「不必要な個人情報を書面に記載してしまった」などなど。あれだけの膨大な事務作業を毎日やっているのだから、何らかのミスは生じる。そのときに対応策として必ず持ち上がるのが「ダブルチェック」。2人の目でチェックする、というものだ。このダブルチェックを取り入れると、個人情報漏洩の事件が発生するたびに、その事務作業は2人でやる行動基準になってしまい、倍の人手がかかる。しかし、役所の人手もそこまで余っているわけではない。いつの間にかダブルチェックのルールは形骸化し、建前では2人が関わっている形になっているが、2人がしっかり目を凝らしてチェックするような姿勢ではなくなってくる。これは役所に限らず、巨大組織、いや組織の性だと思う。問題が発生すると、それに対応するための行動基準をつくる。しかしその行動基準がいつの間にか形骸化してしまって、また同じミスが生じる。


橋下徹の経歴・略歴

橋下徹、はしもと・とおる。日本の政治家、弁護士、タレント。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業年に司法試験に合格。樺島法律事務所勤務後、独立し橋下綜合法律事務所を開設。テレビの法律バラエティ番組に出演し、タレントとしても活躍したのち、政治家に転身。大阪府知事、大阪市長、大阪維新の会代表を務めた。