樺島弘明の名言

樺島弘明のプロフィール

樺島弘明、かばしま・ひろあき。日本の経営者。「エル・ティー・エス」社長。神奈川県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、アイエヌジー生命保険、アイ・キュー・スリー、ラーニング・テクノロジー・コンサルティングなどを経てエル・ティー・エス設立に参画。取締役を経て社長に就任。

樺島弘明の名言 一覧

ビジネスは結果が全てだと思います。しかし、人生はプロセスイコール結果のようなところがあり、結果が出た・出ないも大事ですが、プロセスにどれだけの喜びや感動が詰まっているかが非常に大事です。


今、当社が意識しているのは中堅・中小企業に対するデジタル活用の支援です。多くの仕事に取り組んでいると、その会社独自のものと、各企業で共通化できるものとが見えてきます。今、共通化できる部分をパッケージ化して提供していこうとしています。営業コストゼロで我々の経験をパッケージ化したものをご提供することができます。


我々は売り上げや利益の伸びを求めるよりも、とにかく今は日本のIT業界の「見える化」を進めていきたい。どこにどういう企業があり、どういうサービスを手掛けていて、どの領域でどの技術や製品が流行しているのか、どの会社同士がつながっているのかなどを「見える化」していくことが非常に重要だと考えています。


大手自動車会社が初期の主なお客様でした。このお客様はITコンサル業界で一番要求水準が高いと言われていますから、そこで高い評価をいただけたことが大きかったですね。


コンサルとして高い能力を持つ人を育てるには時間がかかります。ですから優秀な人を採用して育成しようということで、10年前から新卒採用を始め、毎年10人ずつ増やしていった感じです。


前年比3倍、5倍というビジネスもやろうと思えばできましたが、年20%程度が一番無理がありませんでした。


ビジネスでは結果を重視し、人生ではより良いプロセスで今後も多くの方々に喜びと感動を提供してきたい。


どの企業も人材不足で困っておられます。それを解消するためにアサインナビという子会社を設立し、課題を持つ企業と、解決手段を持つ企業・個人をマッチングさせるためのプラットフォームをつくりました。現在、IT業界を中心に2800社、2800名の人材に活用していただいており、毎月1000以上のマッチングが行われています。


仕事の品質だけでなく、ポジショニングも大きかったのではないでしょうか。業務改革やシステム導入プロジェクトでは、発注者がリテラシーを持ってベンダーなど外部の力を使いことなすことが大事なのですが、我々は発注者側について、変革計画の立案、ベンダーの選定から携わっていました。そうすると、顧客だけでなく、大手コンサルやベンダーの人達も、当社が関わったプロジェクトは健全に運営され成功していくと評価してくださるようになりました。その評価が、次の仕事につながっていった形です。


日本で存在感のあるプロフェッショナルサービス会社になるためには、最初にコンサル集団を創り、次に周辺事業を始める、という順序が大切と考えました。結果、それが見えましたから今はアサインナビや、企業のデジタル活用の領域でRPA(業務自動化による生産性向上)など、コンサルの枠を超えたサービス展開を始めています。


まだ2合目くらいですね。2030年にアジアで5本の指に入るプロフェッショナルサービス会社になるという目標を掲げています。さらに次の10年ではグローバルでブランド力のある企業に持っていこうと。


日本のIT業界には2~3万社ありますが、大手・準大手と呼ばれるのは1000社ほどです。そのうち200社近くがアサインナビの会員になっています。それ以外に中堅・中小企業の2600社が会員になっており、アサインナビを通じて新しいクライアント開拓が実現できることで、会員企業の事業成長に貢献しています。たとえば4年前にアサインナビの会員になったある企業さんは、当時社員数10名ほどでしたが、今は100名近くに成長しています。アサインナビを通して営業が効率化され、大手企業などに直接つながることができるようになりました。魅力的な仕事があると採用力も上がるのです。


IT業界の営業は、一般的に効率がよくありません。多くの企業を回って、お試しの仕事をし、そこで評価されれば正式に仕事がもらえるということで非常に時間がかかります。そして自分の人脈でしか営業できない面もあります。技術力があっても営業力のない企業は成長が難しい。しかし今は実力があれば、アサインナビに登録すればいいという形になっています。このプラットフォームは、良い企業、良い人に良い仕事がきちんと入ってくるようにマッチングさせることで、全体としてみんなが幸せになるように設計しています。


就職活動時には、将来的にベンチャーキャピタリストになりたいと思っていました。ただ、ベンチャーキャピタルに入社するとサラリーマンになってしまうので、金融、コンサルティング、ベンチャーの3つを経験し、30歳を過ぎたところでベンチャーキャピタリストになろうと考えました。まずは法人向け金融ということで外資系生保に入りました。その後、外資系コンサルティング会社に転職しようかとも思いましたが、ベンチャー企業に入社し、その企業が倒産の危機を迎えたことで、今の会社を興したという経緯です。


プロフェッショナルサービス会社のつくり方としては、戦略コンサルのように規模よりも影響力重視のやり方と、会計・システム系コンサルのようにグローバルで大量の人員を使うやり方などがあると思いますが、我々はどちらでもなく、プラットフォームを持ちながら、我々の力を活用してもらえる領域をビジネスパートナーと共に創って広げていくという第3の道で成長していこうと考えています。


プロフェッショナルサービス事業では、デジタル活用領域のサービスが非常に増えています。多くの場合、コンサル会社やテック系の企業はプロジェクト予算で仕事をしていますから、終了すると去っていきます。しかし我々は、プロジェクト後も顧客企業に残り、業務や経営の可視化、改善に取り組んでいます。これは定常業務ですから年間契約で、景気変動に左右されない収益で、当社としても重要なサービスです。たとえば自動車、商社など多くの大企業の経営企画室、IT企画部、業務改革室などと毎年様々な仕事をしています。我々は定常業務を押さえていますから、ITプロジェクトやRPA(業務自動化による生産性向上)の導入などのプロジェクトの計画をお客様と一緒に立案し、コンペをせずに入っていくことができます。


創業当時、社長だった人が体調を崩してしまい、出社することができなくなりました。その時銀行から「お金が引き落としできません」という連絡が来て、驚いて確認すると銀行にはお金がありませんでした。借入金は運転資金として消えていたのです。冷静に考えれば、それはそうだなと思うのですが、当時の私はプロジェクトの方で忙しく、資金周りは社長が見ており、把握していませんでした。7000万円というお金を返済しなければならなくなったのです。そこから私が社長に就任し、本当のベンチャー企業経営が始まったという感じです。私を含め、主力メンバーの給与は3か月ゼロにし、翌年1年間は、お互い新卒1年目の給与を言い合って、その水準に合わせました。結果、1年半で7000万円を完済しましたから、稼ぎまくったという感じですね。1年で4、5日しか休みませんでした。その時に、借金を返済するだけの日々は面白くないと感じました。やはり日本国籍で、この分野で存在感のある会社を創ることにチャレンジしようということで、ベンチャーキャピタルを回って資金を集め始めました。ITバブルの時期に手堅く収益を稼いで、お客様からの評判もよかったということで投資していただけました。


当社が昨年末に上場した際、社員に配ったストックオプションの数、従業員が持ち株会に入っている比率、上場セレモニー当日に鐘を叩いた人数など、様々なことが1位でした。鐘を鳴らすのは5回ですが、当社はそれを18人で行いました。VIPルームに入ることができるのは12人のところ、交渉して入れていただきました(笑)。優秀で、気持ちのいいメンバーが集まってくれて、様々なことを乗り越えて上場した時に、その日を創業者や役員だけが達成感を味わえるイベントにしては駄目だと考えました。それで鐘を叩く人数を増やし、関係者の家族も呼びました。また、パーティには創業時にお世話になったお客様や歴代の顧問陣など、多くの方々をお招きして、お礼を伝えました。


樺島弘明の経歴・略歴

樺島弘明、かばしま・ひろあき。日本の経営者。「エル・ティー・エス」社長。神奈川県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、アイエヌジー生命保険、アイ・キュー・スリー、ラーニング・テクノロジー・コンサルティングなどを経てエル・ティー・エス設立に参画。取締役を経て社長に就任。

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