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横田南嶺の名言

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横田南嶺のプロフィール

横田南嶺、よこた・なんれい。日本の僧(臨済宗円覚寺派)。臨済宗円覚寺派管長。和歌山県出身。筑波大学卒業。円覚寺僧堂師家などを経て臨済宗円覚寺派管長に就任。

横田南嶺の名言 一覧

この世の中は不合理だらけです。なぜ震災に遭うのか、なぜうちの子が交通事故に遭うのかと言われても、誰か理論で説明ができますか。そういう理論で説明できないことに、人間は立ち向かっていかなければならない。それを受け入れて生きていくしかない。ならば、徹底的に叩きつけられて、否定されることに平気になって、それでも自分は生きていけるんだという精神を身につけさせるのが禅の教育です。


特に上に立つ人は孤独です。孤独との戦いといってもいいでしょう。常に全体を感じ取り、何事も腹で受け止めて、腹で考えていく覚悟が必要。


大事なのは、目に見える情報や耳から聞こえる情報をいったん遮断し、頭で考えるのでなく腹で受け止めて考えてみること。


未明暁天の空は実に美しい。清浄で霊気に満ちあふれ、霊光に輝いています。まさに神仏とともにある歓びの時間です。そんなとき私たち人間は大宇宙の申し子であると実感します。


私は仏教の経典の中でも『般若心経』に心をひかれます。『般若心経』は最初から最後まで全部が否定。すべてに「空」とか「無」という言葉をつけて否定します。否定して、ではどうすればいいのかというと、期待をしないのです。否定の先に何かあるだろうという期待さえもしない。


敵も攻めざるをえなかった、味方も戦わざるをえなかった。それはどちらも不幸なことで、戦没者という意味では同じです。それらを全部包み込んでいるのが仏様の世界です。仏様の世界は、自分たちの都合のいいものだけを集めて、都合の悪いものを切り捨てるという世界ではありません。


お釈迦様の最期も、沙羅双樹(さらそうじゅ)があったとか、時ならぬ花が咲いたとか、後の人が美しく書き残しましたが、おそらく旅先で苦しみながら亡くなったのではないでしょうか。三代前の管長であった朝比奈宗源老師が「死ぬ時までカッコつけるな」とおっしゃいました。死はどういうものかを考えても、答えが出るものではありません。それを見つめ続け、坐禅をし続けて、最後にバタンと逝く。こういうものではないかと思います。頭で考えて死に対抗しようとしても、それは無駄でしょうね。


何のためかとか、あまり考えすぎてもいかがかと思います。私自身そんなに意識して考えることはありません。何かのために生まれてきたわけではないし、管長になろうと思って生きてきたわけでもありません。ただこうして生まれてきたという事実があって、目の前に与えられていることがあって、それに精一杯取り組んでいくというだけです。与えられたところで、精一杯皆さんのために少しでも尽くしていこうということではないでしょうか。


私は昨年、解剖学者の養老孟司先生にお話を聞いて、なるほどと思ったことがあります。この頃、アレルギーの子供が大変増えているのですが、その理由の一つが抗生物質のせいだと、養老先生はおっしゃるのですね。子供が持っている良い菌も悪い菌も、薬で全部殺してしまう。体の中で良い菌と悪い菌がバランスをとっていたから健康が保たれていたのに、全部殺して無菌状態にするので、アレルギーを引き起こすのだということでした。


人の存在は、たとえるなら大海に浮かぶ泡のように、はかなくあやういもの。しかし、泡は海と一体であり、果ては大気になります。自然はすべてつながり、一体となって切り離せないものです。そのつながりの一部に自分が存在しています。頭で考えて自分を守ろうとするから、心に不安と動揺が生まれます。全体の中の一部として、与えられた役割を精一杯務めることが大切でしょう。


難しいのは、今の若い人を見ていると、禅の自己否定をいじめやパワハラのように感じてしまう場合があることです。厳しく指導しているうちに自信をなくしてしまう人もいます。禅は自己否定ですが、決していじめているわけではない。その裏には、その人にたくましく生きてほしいという慈愛があるのですが、育て方も難しい時代になってきました。


現代は進化思想の影響が残り、より大きく、より強く、どこまでも成長していくという時代になっていますね。たとえばアメリカなどはその典型といえましょう。日本人も明治維新によって開国し、西洋列強の強さを知ったことで、最初は自衛のために戦わざるをえなかった。それがだんだん力をつけるうちに、より強く、より広く、より大きくという考えに走っていったような気がします。進化思想に影響されすぎたというか。


白隠(白隠慧鶴、はくいん・えかく。江戸時代中期の禅僧)については、人によって好き嫌いが分かれます。ただ私にとっては、白隠が修行時代の手本なのです。それは白隠が普通の人以上に、死に対して恐れを持っていたからです。恐れをどう克服していくのか。白隠は体がボロボロになるまで修行し続けました。そして42歳の時、庭で鳴いているコオロギの声を聞いて大悟(悟りを開くこと)します。その時の歌が「衣やうすき 食やとぼしき きりぎりす 聞きすてかねて もる涙かな」。これは別に虫に同情しているだけではありません。その時代の多くの人たちの苦しみが、白隠の耳に聞こえてきたと思うのです。だから後の半生は人々のために、あの膨大な書を書いたり、絵を描いたりしたのでしょう。それまでは、高僧が書く書や絵は清らかで近寄りがたいものでした。でも、白隠のものは泥臭い。人々の中に入っていく大地性や生命力に溢れている。その泥臭さが嫌だという人もいますが、私はこの生命力が、白隠の大きな魅力だと思います。


北条時宗自身は元々気の弱い性格だったと文献に書かれています。でも18歳で国政を任せられ、20代で文永の役、30代で弘安の役に直面します。若い青年が一人で国難に立ち向かうのはかなり大変だったと思います。だから参禅を繰り返し、自分の心を見つめる鍛練をして乗り越えていくわけです。中国からわざわざ無学祖元をお招きし、元軍と日本軍の戦死者の両方を弔うために円覚寺を創建しました。まさに、一命を投げ打っても守るべきものがある。その意味では元軍も、日本軍も、時宗も同じでした。


北条時宗公の三回忌の際に、仏光国師は「時宗公は40年未満の生涯ながらその功績は70歳を越えて生きた人にも勝る。感情的になることなく、驕ることもない立派な人物だ」と、賛辞を連ねた膨大な漢文を遺しています。長命が尊くて短命がかわいそうだというのも進化思想なんです。時宗公はまさしく命を使い切ったんですね。ただ長生きがいいとか、健康に価値があるとかではなく、何に自分の人生を使い切るかという価値観こそ大切だと思うのです。その意味で、私は本当の日本の精神、後に武士道といわれるものの根本を時宗公に感じています。


元寇の時の日本のリーダーは、鎌倉幕府第八代執権の北条時宗公です。彼は18歳の若さで執権に就き、文永の役が起きた時は24歳でした。二度の元寇は、日本に甚大な損害をもたらしました。特に元軍の通り道だった壱岐や対馬では、多数の住民が虐殺されました。一方で、弘安の役の元軍の軍勢は14万人と記録にありますが、そのうち4万人が蒙古と高麗の兵士で、残りの10万人は蒙古に滅ぼされた南宋の兵士でした。彼らは日本には何の恨みもないのに、不幸にして前線に立たされて死なざるをえなかった。そういう人たちも平等に供養して、御霊を鎮めるために時宗公が建てたのが円覚寺です。


横田南嶺の経歴・略歴

横田南嶺、よこた・なんれい。日本の僧(臨済宗円覚寺派)。臨済宗円覚寺派管長。和歌山県出身。筑波大学卒業。円覚寺僧堂師家などを経て臨済宗円覚寺派管長に就任。

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