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森内俊之の名言

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森内俊之のプロフィール

森内俊之、もりうち・としゆき。日本の将棋棋士。神奈川県出身。小学3年で将棋を開始。小学6年で奨励会に入会。16歳でプロ入り。永世名人のタイトルを獲得。また、日本将棋連盟棋士会副会長、日本将棋連盟専務理事などを務めた。

森内俊之の名言 一覧

将棋だけが人生じゃないと思って盤の前に座れるようになった時、自然体で自分の将棋が指せるようになった気がしました。


子供の頃から将棋で一番強くなりたい、競争相手に勝ちたいと思い続けてきました。


体力や反射神経などは若手棋士の方が勝っています。私の方はこれまでの経験を生かし、バランスの取れた判断力という総合的な部分で勝負することが多くなってくるでしょうね。


やはり1回勝てた経験は大きなもので、「1」から「2」へは、すんなりいきやすい。本当に難しいのは「0」を「1」にすること。とにかく一度、力を出し切り、成功を経験する。これが自分を成長させる早道。


楽勝なんてつまらない。勝ち負けの数字よりも内容にこだわりたい。


人生は登っていく時期もあれば、必ず下っていく時期もある。


経験を積むとミスを避けるような指し方もできるようになる。しかし、ミスを避ける指し方では勝てない相手もいる。リスクをとらない勝負をしていると自分の力が伸びていかない。


将棋には無限の可能性があって、終わりがありません。いつまでも挑戦し続けることの楽しさを感じていたい。それが今の正直な気持ちです。


将棋は多くの仕事と同じく、一度の負けですべてが終わるわけではありません。ペース配分を考えず、全力投球をし、終盤の考えられないポカで負けた若い頃の経験も、自分の力を底上げする財産になっています。


最近のタイトル戦では、勝ち負けのどちらでも充実感を感じる対局が多くなっています。余裕があるからか、負けているときでも発見があります。


最終局を指せること自体がありがたいと考えて勝負に臨みました。

【覚え書き|2011年の名人戦で三連勝後、三連敗し、最終局を向かえたことを振り返って】


最盛期にある若手との対戦から、彼らにしかない感覚を学び、自分たちの世代がもうひと頑張りする。そうすれば、若い世代がさらにレベルアップして、将棋界が盛り上がっていくはず。そのためにも精一杯、第一線で戦っていたい。


ミスを恐れずに挑戦者の気持ちで指し、ミスを繰り返さないことが大切。そのために必要なのは、1回目のミスを許容する余裕。ちょっとくらいいいかと受け止め、意識を転換させる。すると結果的に、それがミスを減らすことにつながる。


小学6年生でプロ棋士を養成する奨励会に入りました。奨励会の先輩方からは勝負の世界について教えられ、自分はこの先ずっと勝ち負けを背負って生きていく世界に入ったのだという覚悟が固まっていきました。また、同じ道を志している仲間ができたのも財産です。


最初に名人になった翌年、A級順位1位で名人位への挑戦権を手に入れた羽生(善治)さんにストレートで負けました。プロである以上、負けて嬉しい将棋というものはありません。しかし、このときは自分のすべてを出し切ったという充足感のある負けでした。


幸い私は、名人位の通算獲得数8期を数え、永世名人の資格を得、40代初の竜王位の獲得も果たすことができました。言わば、棋士として一番上まで登ったわけですから、今後はいかに階段を降りていくかが課題になってくると思います。


30歳までの残り時間を感じる焦りのなか、やるだけのことはやろうと将棋の指し方を改善しました。以前の私の将棋は要領が悪かったんです。こだわりが強く、勝負において損をしていた。野球の投手に例えるなら、打者27人を三球三振で抑えようとしていた。1回から全力投球のため、終盤に集中力が落ち、ミスをしてしまう。配分を考えて指せばいいとわかっていても、力加減を調整することを良しとしなかった。その考えを改め、序盤の形については研究によって攻守のパターンをつかみ、後半戦に力を温存するようにしたのです。結果、31歳で初めてタイトルとなる名人位を獲得することができました。


若い頃、負けた悔しさを自分の中で消化できず、東京から横浜まで走って帰ったことがあります。しかもスーツに革靴で……。いまはじっくり負けの内容を分析してます。


羽生(善治)さんは、私にとって常に追いかけるべき特別な存在。同じ年に奨励会入りはしたものの、彼は1年半も早く四段になり、中3でプロデビュー。力の差は開くばかりで、四段となった日もプロ棋士になった喜びはありましたが、達成感よりも早く追いつきたいという気持ちのほうが強かった。しかし、そう思える存在がいるのは幸せなこと。同期や同世代に強い棋士がいるからこそ、頑張れたし、成長することができた。


森内俊之の経歴・略歴

森内俊之、もりうち・としゆき。日本の将棋棋士。神奈川県出身。小学3年で将棋を開始。小学6年で奨励会に入会。16歳でプロ入り。永世名人のタイトルを獲得。また、日本将棋連盟棋士会副会長、日本将棋連盟専務理事などを務めた。

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