梅宮辰夫の名言

梅宮辰夫のプロフィール

梅宮辰夫、うめみや・たつお。日本の俳優、タレント。満州国ハルビン特別市出身。日本大学法学部中退。大学在学中にスカウトされデビュー。映画、テレビドラマ、バラエティ番組などで活躍。

梅宮辰夫の名言 一覧

人生の前半でやり尽くせたのは幸せだよな。だから、踏ん切りがついて生き方を変えられたんじゃないか。未練たらしく、まだまだやりてえって煩悩があったら、切り替えられなかったと思うよ。

梅宮辰夫の名言|やり尽くしたから踏ん切りがついて生き方を変えられた

意識的に計画を立ててやってきたことがなにもない。でも後悔はしていないよ。死ぬまで完成されない男もたくさんいるわけだから。その都度、変わりながら歩めばいいんだよ。

梅宮辰夫の名言|その都度、変わりながら歩めばいいんだよ

役者はいろんな役を演じるのであって、ヤクザ役が似合うからといってヤクザなわけじゃない。先生役がハマリ役の人が、必ずしも温厚な性格とはかぎらないしね。役はあくまで役なんだよ。

梅宮辰夫の名言|役はあくまで役

僕は、30代半ばを境に生き方をがらりと変えた。仕事が終わったら、すぐに家に帰る。外にいてもなんの収穫もないんだ、と決めつけた。それまでの僕は、20歳でデビューしてから毎晩、銀座に行っていた。いまとなっては恥ずかしいけど、遊びまくっていたよ。それをある日突然、止めたんだ。

梅宮辰夫の名言|生き方をがらりと変える

友達から「おまえはあいかわらずだな」「全然変わってないな」と言われて、喜んでいいのは30歳までだよ。女はどうか知らないけど、男はある時期がきたら変わらなくちゃいけない。その変化はなだらかでも、極端でもいいけどね。年を取るに従って、人間、完成に近づいていくわけだから。全然、変わらない、同じことしてるねっていうのは、愚の骨頂だと思うんだ。

梅宮辰夫の名言|全然、変わらない、同じことしてるねっていうのは愚の骨頂

僕も72歳だよ。仕事をリタイアしても当然の年。本音を言えば、65歳ぐらいで芸能界から引退するつもりでいたんだよ。ところが、孫が生まれてから1年で、娘が離婚した。ちょうど1歳。辞めようと思っているときに父親がいなくなっちゃって。「当分はオレが父親代わりをしてやる」と言って、もう8年だよ。女房から「頑張ってちょうだいよ」と言われれば、孫のためにも稼げるうちは稼いでやろうと思うしね。オレが家族を守ってやらなきゃって。その覚悟は、30代半ばからいまも変わっていないよ。

梅宮辰夫の名言|オレが家族を守らなきゃという覚悟は、30代半ばからいまも変わっていない

この年になって思うのは、蓄えるってことにもっと意識的になっていても良かったなということ。知人の大物俳優で、この10年は何年かに1本、気に入った仕事しかやっていない方がいます。さすがだなと思う反面、経済的なことはどうなっているのだろう。あのベースをどうやって築いているのだろうと不思議でね。あるとき、知人に聞いてみた。そうしたら不動産の賃貸収入が十分にあると言うんだ。大スターで、おおらかな役者さんがきちんと準備をしていたんだと。それを知ってからは、宵越しの金は持たないの類いできてしまった自分を反省したよ。ただ、もしいまの僕が30代の自分にアドバイスしたとしても、聞く耳を持たなかったとも思う。なんとかなるよってね。性格だから。それがまた昔の芸能界には合っていたんだ。

梅宮辰夫の名言|蓄えるってことにもっと意識的になっていても良かったな

みなさんの中で、役者・梅宮辰夫は「仁義なき戦い」の印象が強いかもしれないけど、僕の神髄は不良と女たらしを兼ねた役。ソープの帝王、スケコマシの帝王、後家殺しの帝王。主演作のタイトルが「いろ」「ひも」「ダニ」「かも」だからね(笑)。(高倉)健さんや(菅原)文太のやったヤクザ役とは違って、僕のほうは女を食いモノにする役ばっかり。ある作品じゃ、大原麗子演じる女が東北から東京に出てくるんだよ。こっちは上野駅で網を張っていてね、引っかけて、やっちゃって、ソープに叩き売る。本当にひどいだろ。それでも最後に死んだりなんかするときには、お客さんから「かわいそう」「なんで死んじゃうの」と共感を呼んでいた。あんな役でもそういう反応が引き出せたのは、懸命だったからだろうな。

梅宮辰夫の名言|ひどい役でも共感を引き出せたのは懸命だったからだろうな

いまの芸能界のことは、かなり醒めた目で見ている。昔とどちらがいいかはさておき、人間関係が希薄になってるのは間違いないよ。テレビの仕事は午前中にテレビ朝日、午後からフジテレビ、夜は日本テレビと売れっ子ほど、慌ただしい。同じ釜の飯を食うという意識は生まれないよ。でも、映画の世界は、1本撮るのに少なくとも45日はかかる。僕がいた東映という映画会社には、高倉健さん、菅原文太、松方弘樹、山城新伍と仲間がたくさんいた。みんな忙しいよ。でも、同じ釜の飯を食ってきたって連帯感があった。その絆はとっても強いもんだったよ。

梅宮辰夫の名言|同じ釜の飯を食ってきたって連帯感があった。その絆はとっても強いもんだった。

30代半ば、肺がんが見つかった。僕は、1日4箱近く吸っていたタバコをやめ、生活を改めた。幸運にも治療を始めて1年半でがんは体から消えていった。でも、一度、がんになったということは、また胃がんや大腸がんになるかもしれない。どっちみち長くはないのだろうと思ったわけ。そしたら、1分1秒でも家族と一緒にいてやろうという気持ちが強くなった。だから、京都の撮影所で仕事をしていても、ホテルには泊まらず、最終の新幹線で家に帰る。0時に着いて、次の日は朝4時過ぎに起きて始発の新幹線。寝不足だったけど、子供と女房の顔を見たかった。撮影所は往復の交通費を出さなきゃいけないし、朝の撮影開始時間が遅れるし、なんとか泊まってくれと言ってきた。毎晩一緒に飲み歩いていた仲間からは「友達なくすぞ」とも言われたよ。でも、しょうがない。僕はこう言うわけだ。「オレが死んだら、オレの家族をおまえが見てくれるのか? わりぃけど、家族が一番大事なんだ」と。

梅宮辰夫の名言|わりぃけど、家族が一番大事なんだ

梅宮辰夫の経歴・略歴

梅宮辰夫、うめみや・たつお。日本の俳優、タレント。満州国ハルビン特別市出身。日本大学法学部中退。大学在学中にスカウトされデビュー。映画、テレビドラマ、バラエティ番組などで活躍。

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