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梅原誠の名言

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梅原誠のプロフィール

梅原誠、うめはら・まこと。日本の経営者。「シチズンホールディングス」社長。岩手県出身。東北大学工学部精密工学科卒業後、シチズン時計(のちのシチズンホールディングス)に入社。精機事業部産業機械営業部長、シチズン・マシナリー・ヨーロッパ社長、シチズン時計取締役、常務などを経て社長に就任。

梅原誠の名言 一覧

どんな形であれ夢があることで、人生は豊かな方に転がる。


「机上で考える前に手で考えろ」。大学の教授からの言葉でいまも記憶に残っている。理論武装する前に手で触れ、考えろ。ものづくりの基本です。


夢を持っているか? 自信を持とう。君なら必ず夢を叶えられる。


僕はいろんな人の注意や言葉との出会いにインスパイアされて生かされてきた。


強くギラギラ持つのも夢だけれど、淡くぼんやり持ち続けるのもまた夢です。でも夢を持たなければ何も変わりません。


お客様の文句の中から機械の改良のヒントを得られた。


悲観的な思考で仕事にあたっていたら、夢なんて持てないし楽しくもない。「これは自分の問題なんだから、楽しんで取り組もう」と、常に前向きに挑戦してみること。その意識が大切。


人が本来持っている力は誰かに引き出されるものだ。人の本質には無限の可能性がある。それに気づいて、奮い立たせるような言葉をかければ、力は引き出せる。これこそが最も大切な、リーダーの仕事。


高い技術力はある。しっかりと顧客のウォンツを見つけ、高付加価値な創造型の仕事をしよう。


入社8年目、営業部門へ異動になりました。配属された時は上司を恨みましたよ。「技術者で入社したはずなのに、なぜオレが?」と憤った。しかし、これも商社勤務の義兄に話すと、「むしろ取引先や社会を知るチャンスだよ」と言われて、踏みとどまった。


僕が子供の頃、ずっと母親から前向きな言葉をかけられ続けて育ちました。「お前はもっとできる」「伸びるよ」と、呪文のように吹きこまれた。だから宿題も真面目にこなせた。試験勉強も運動も、何にでも挑戦できた。


「おぬし、夢持っていますか?」。かつて我が社のテレビCMで、俳優の仲代達矢さんに使っていただいたキャッチコピーです。僕はこの言葉が好きでね。社長に就任した後も社員たちに同じセリフを繰り返し唱えてきました。


私は強い意志で人生を切り開いたというよりも、他人から助けられ、大きな力に導かれてここまで来たような気がします。ただ、それでも「自分の夢を持った方がよい」とだけは断言できます。


仕事の失敗もたくさんありますが、それについては、良かれと信じてやったことだと割り切っていました。最終的にうまくいけば、「終わりよければすべてよし」となりますから。


入社する前から希望していた、時計の開発か生産技術部門に配属されるものと信じこんでいたのに、フタを開ければ時計の部品をつくる機械の部署。しかも設計部門だった。僕は不器用で、とくに図面に線を引く作業が大の苦手。だから「設計なんてやってられない!」と、ずっとふてくされていた。ただ、ある日、図書室で見かけた『設計論』という本に「人生設計も設計だ」との言葉があった。考えてみれば単に線を引く作業ではなく、会社の仕組みや組織を考え、組み立てることもすべて設計。そう考えるようになると、仕事が楽しくなり、前向きに考えられるようになった。


ファッション性と高級感を持たせるため、薄型フルメタル化した電波腕時計の開発に挑んだ。技術者にとっては苦闘の日々ですよ。「金属の中にアンテナを入れて、電波なんて拾えるはずがない」「そんなものムリだ!」。私も技術者だった経験があるから、彼らの思いが痛いほどわかる。でも私は突き返し続けました。「君たちの技術があればできる!」「夢を叶えよう!」。結果として、こうしたやりとりがブレイクスルーになり、フルメタルの、デザイン的に制約のない電波腕時計を産み出した。


僕は社長就任後、社員の意識改革に最も力を入れた。一番の問題はね、目先のことしか見えなくなっていたことなんですよ。競合に明け暮れ、ライバルメーカーの動向ばかりに目が向いてしまっていた。そして「お客様が何を求めているか」という、最も大切な視点をないがしろにしていた。それでは二度と浮き上がれるはずがないですよね。


梅原誠の経歴・略歴

梅原誠、うめはら・まこと。日本の経営者。「シチズンホールディングス」社長。岩手県出身。東北大学工学部精密工学科卒業後、シチズン時計(のちのシチズンホールディングス)に入社。精機事業部産業機械営業部長、シチズン・マシナリー・ヨーロッパ社長、シチズン時計取締役、常務などを経て社長に就任。

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