枡野俊明の名言

枡野俊明のプロフィール

枡野俊明、ますの・しゅんみょう。日本の僧、作庭家。曹洞宗建功寺住職。神奈川県出身。玉川大学農学部農学科卒業後、曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)僧堂で修業。その後、造園設計会社の日本造園設計を設立。禅と日本庭園をテーマとした造園設計を行い、国内外で高い評価を得た。そのほか、ブリティッシュコロンビア大学特別教授、多摩美術大学環境デザイン学科教授などを務めた。主な受賞にブリティッシュコロンビア大学特別功労賞、日本造園学会賞(設計作品部門)、芸術選奨新人賞(美術部門)、カナダ政府カナダ総督褒章、ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章ほか。

枡野俊明の名言 一覧

一生懸命に考え工夫すれば、何かしら方法は見つかるはず。人間、窮地に追い込まれると頭を使いますから、知恵を振り絞ればいい。

掃除は心を整えるためのスイッチ。何も考えず、ただ一心に掃除に打ち込む時間を持てば、くよくよした気持ちも拭い去られるはず。

物事は「原因」と「縁」が結びついて結果につながる。日頃から努力を続けているからこそ結びつく。

いずれチャンスは訪れます。そのチャンスを取り逃がさないために、日頃から力を尽くす努力をして、チャンスをつかむ準備を整えましょう。

今やらなければならないことに没頭することが、成果に結びつく。

今、この一瞬を一生懸命に生きる。このシンプルな考え方こそ、あなたを助ける最良の方法。

失敗した時ほど、マイナスをプラスに転じるように頭を切り替えることが何よりも大事。

人と比べて決めるものではなく、自分が良いと信じて選んだものこそ、幸せにつながる。

「人は人、自分は自分」と考えられれば、余計な不安を抱えずに生きていける。

一心に努めていれば、しかるべき時に必ず道は開く。

実践は格好の練習の場。時には、苦手なものに正面から立ち向かう勇気も必要。

積もった塵は、心の塵でもある。身辺を整えるということは心を磨き、整えることにつながる。

指示する人が先頭に立って動く姿を見せれば、その姿を見て納得した周りの人も動き始める。

部下が自分を慕い、ついてきてくれるようになるには、指示を出すだけでなく、自ら率先して仕事に取り組む姿勢を見せることが重要。

人間が変えようと思っても変えられないものがあるという事実を受け入れられれば、不安や妬みなどの感情はすーっと引いていく。

余計な思考を限りなくシンプルに削り、本質を見出せば人はもっとラクに生きることができる。

規則正しい生活を送り、生活態度を整えれば、疲れていても心が穏やかになるため、疲れが表面に出にくくなる。

人の心を育むのは普段の生活態度にほかならない。

世の中、思い通りに物事が進まない確率の方が高い。そうした現実に気づき、受け入れるには時間と経験が必要。

理想を目標にすれば、日々精進するための大きな原動力になる。

当たり前と思っていることが、いかにありがたいか。それを感謝する気持ちが持てるようになると、同じことの繰り返しだと思っていた毎日が、新鮮に思えてくる。

心が穏やかな状態だからこそ、集中して能力が出し切れる。

100%同じ価値観の人間などあり得ません。80%同じであれば御の字、通常は50%もいかないと私は思っています。

もし、周囲に学歴で評価する人がいるなら、器が小さい人だと思えばいい。ありのままの自分を受け入れ、自分の尺度で考えましょう。

他人の評価ばかり意識し、今をおろそかにしては、未来の高い評価にはつながりません。今すべきことにコツコツと努力し、未来の成果につなげてほしい。

一致団結して得られた成果は、個人で獲得した成果よりも、チームに与える活力は大きい。

自分の能力を高めることで、今の上司は評価してくれないとしても、未来の上司はきっと評価してくれるでしょう。

未来への不安はその人の妄想に過ぎず、実体がないものに不安を感じていても何の進歩もないと気づければ、今なすべきことに集中できるはず。

人を引きつける魅力とは、当人からにじみ出てくるものです。少なくとも魅力的に思われることを目的に行動する人には、備わりにくい。

何かの結果を求めて働くのではなく、日々の仕事をひとつひとつこなすことによって未来は開けるのです。ときにはいい加減な日があってもいい。完璧でなくても努力を継続するほうが、最終的には大きな目標に到達できるはずです。

過去の失敗がトラウマとなり、新しい仕事に踏み出せない人がいます。しかし過去は過去、悔やんだところで何も変わるはずはないのですから、放っておけばいいのです。

上司や部下に「どうも反りが合わない」と感じたら、尊敬できる面を探し、相手より先に褒めることです。褒められて嫌な人はいません。それどころか、褒めてくれた相手の長所を見ようとするものです。

肝の据わった人間になるには、自分のなすことひとつひとつを丁寧に、納得がいくように進めることです。極端な言い方をすれば、ひとつひとつの所作に命をかけるのです。

禅語に「常行一直心」という言葉があります。「直心」とは読んで字のごとく、真っ直ぐな心のこと。どんなときも、どんなことがあっても、清らかな心で目の前の物事に一心不乱に打ち込む。そうすると、ものごとの本質が見えてきて、自分の生き方に揺るぎない自信が持てるようになります。自信がつけば、周りの意見に振りまわされることはなくなるでしょう。

私は庭園デザイナーとして日本庭園をつくっていますが、初めてご一緒する庭師さんたちとはできるだけ早く信頼関係を築くように努めます。現場で地下足袋と軍手を身につけ、率先して動くこともあります。口先だけでは、誰も信順してくれません。禅では理論と実践が一致する「行解相応(ぎょうげそうおう)」を理想としています。「こんな庭をつくりたい」と自ら行動して初めて、周囲の人を巻き込むことができるのです。

失敗を恐れて、いまの能力でこなせる仕事をつづけても進歩がありません。能力以上の仕事に挑戦してこそ成長があるのです。難しい仕事にチャレンジすれば、一度や二度の失敗はあって当然です。

心の疲れを取り除き、気力を充実させるには、私たち禅僧の修行が参考になると思います。規則正しい生活を送り、姿勢と呼吸を整えるのです。禅僧は、起床から就寝まで毎日決まった生活を送っています。朝早くから掃除で身体を動かし、読経で大きな声を出し、腹式呼吸を繰り返します。腹八分で満腹になるまで食べることはありません。野菜中心の食事ですから、肌がきめ細かくツヤツヤしています。

この世にあなたと同じ人間はいません。同僚と成績を比べても意味がないのです。禅では、他と比較して心をとらわれることを「妄想(もうぞう)」と呼んでいます。対して、そこから自由になり、目の前のことに集中することを「莫妄想(まくもうぞう)」といいます。大きな成果は、我を忘れて仕事に没頭した「莫妄想」のときに得られるもの。自分が主体となり、いわば自分の色に仕事を染めることができた結果です。

人間関係につまずいたら、すぐに相手のせいにしてはいけません。自らを省みることが大切です。

禅では「前後際断(ぜんごさいだん)」といって、過去は過去、現在は現在、未来は未来と区別し、それぞれが連続したものではないと考えます。過去のことはいまさら取り繕うことができません。もう終わったことだと断ち切り、いまなすべきことに集中するのです。ミスを犯しても引きずってはいけません。目の前の仕事に必死に取り組むことが大切です。

本当に役立つ斬新な発想は、思いがけない瞬間に浮かんでくるものです。私目身の経験で言えば、庭園づくりに活かすアイデアは、お風呂に入っているとき、新幹線や飛行機に乗っているときなどによくひらめきます。じっと考え込むこともありますが、同じ場所で考え続けても、すぐに行き詰まってしまいます。

売上ノルマはいったん忘れましょう。その代わり、別の目標を立てるのです。この仕事は誰に喜ばれるかを基準に考えてみてください。

お客さんから信頼されない原因は、簡単に言えば、お客さんの立場になりきれていないから。相手の気持ちになることがヘソ(秘訣)です。

自分に合った仕事を求めて、会社を転々と移っていく人がいます。他人の仕事は楽しそうに見えるのに、自分の仕事にはなぜか興味がわかない。そうした人は次の会社に移っても、しばらくすると不満を感じてしまうものです。目の前のことに主体的に取り組めない限り、永遠に天職に巡り合うことはないでしょう。

「あの技術は彼にしかわからない」「彼女の司会はいつ見てもいいね」と、何かひとつ得意技があれば、その人は「職場になくてはならない存在」になります。仕事で何も見つからなければ、接待の宴会芸でもかまいません。大切なのは得意分野を見つけて伸ばすこと。自分だけでなく、同僚の得意技も見つけて褒めてあげれば、あなたの株はさらに上がるはずです。

目標を意識しすぎると「やらされ感」ばかりが膨らみ、仕事の楽しさや喜びが奪われます。売上は、必死に努力した結果、伸びていくもの。目を向けるべきは努力のほうで、結果ではありません。先に数字を掲げ、どうすれば達成できるかと考えるのは順序が逆です。

課題に対して必死に努力できるときは、自分のやる気など意識することはありません。要は、どれだけ主体的になれるかにかかっているのです。

オフィスで考え込んでもアイデアが浮かばないときは、気分転換に出かけるのが一番です。屋上で深呼吸し、運動する。公園を歩き、自然に触れる。そうやってぐーっと狭まった思考を広げるのです。

禅では心を整えるために、まず自らの所作を整えます。正しい立ち居振る舞いは、心を穏やかにし、充実した生き方の基本となるものです。「行住坐臥」とは歩く・止まる・座る・横になることですが、立ち居振る舞いの基本です。日常生活でまずこの四つを意識し、正しく美しく振る舞うように努めてください。例えば、歩き方。背中を丸めてうつむいて歩くと、考え方もネガティブになりがちです。胸を張って正面に目を向け、真っ直ぐに歩いてみましょう。デスクワークが多い人は、座っている姿勢を正しく保ってください。頭のてっぺんから尾てい骨までが一直線になるように意識し、背もたれに背中をつけないで座ります。正しい姿勢が保てたら、次に呼吸を整えます。臍下丹田(おへその下75ミリあたり)に意識を集中します。ポイントは息を吐ききることです。吐ききったら、あとは身体が自然に吸うのに任せます。呼吸の長さは一分間に7~8回が目安です。深い呼吸を続けると身体が温まってくるのがわかります。この腹式呼吸ができれば、正しい姿勢がとれていると思っていいでしょう。鏡を見て疲れが顔に出ていたら、まずは姿勢と呼吸を意識することから始めてみましょう。

病気は「気の病」と書くように、心と深く関係しています。心は、肉体にさまざまなかたちで表れてきます。次々と新しいことにチャレンジしていく人は、どれだけ忙しく働いても、見た目にも疲れを感じさせません。

自信がない自分を克服しようと、大それた目標を掲げる人もいますが、途中で挫折しては意味がありません。いまの自分にはほんの少し難しいこと、むしろ小さな目標を着実にクリアしつづけたほうが、滅多なことでは揺るがない確固たる自信が身につくのです。

なかなか自分に自信が持てないという人には、毎朝、掃除することをおすすめします。一日きりで終わらせては意味がありません。毎日、習慣づけることが大切です。毎朝の掃除を三カ月も続ければ、背筋がすっと伸び、自分の見た目も変わってきます。背筋が伸びれば、凛として自信に満ちあふれた印象を与えます。そして毎日の掃除は、心をきれいにしてくれます。心がきれいになると、表情は明るくなり、堂々と振る舞えるようになります。さらに魅力的な印象を与えて、同じように明るい人たちが周りに集まってきます。

どんなに高学歴でも、人がついてこなければ大きな仕事は成し遂げられません。

ありのままの自分で生きている人は魅力的に映ります。その人を応援してくれる人も増えていくでしょう。人間的な魅力があれば、大勢の人が集まり、仕事の成果も大きくなるはずです。

劣等感が消えないのは、ありのままの自分を受け入れていないことが原因です。他人に少しでもよくみられたい、いま以上に評価されたいと思うのは、プラスアルファの自分を演じているから。その邪念が心を乱し、自分本来の力を発揮できないこともあります。

入社試験では、いまでも学歴で優劣を判断されることがあります。しかし5年10年と勤めれば、仕事の実績が重視され、出身校など誰も気にしなくなるはずです。ビジネスの世界では結果を出し続けることが重要であり、自分がなすべきことにうち込めば結果は自ずとついてくるでしょう。

日本人はもともと協調性に富み、チームワークが優れています。ビジネスでもスポーツでも、世界の無台に出れば団体戦に強いことがよくわかります。チームワークを支えるのは、「我見(がけん=我執)」を離れた心なのです。

私たちは本来、清らかで汚れのない心を持っています。しかし、いつの間にか「あれが欲しい」「これを手に入れたい」という執着や、「自分が、自分が」といった我欲で心を覆ってしまいます。禅では「我見(がけん)」と呼びますが、心にそういう垢が溜まっているのです。みんなを受け入れてはじめて、みんなから受け入れられる。自分より他人のことを考え、ともに支え合おうとする姿勢は、執着や我欲から離れたところにあります。

仕事が忙しくてすれ違いになることが多くても、家族全員で食卓を囲み、最近の出来事や思っていることを話し合える場をつくりたいものです。そうやってコミュニケーションを重ねれば、会話する時間がとれない日があっても、「仕事で頑張ってるな」と相手のことを受け入れられるのです。

最近は「以心伝心」という言葉もあまり使われなくなりました。心を以て、心に伝える。もともとは禅語で、言葉を介さなくても、思っていることが相手に伝わり、お互いに理解し合えるという意味です。本当に親しい人とは、会話しなくても気持ちが通じ合える、わかり合えると思いたいのが人間です。少なくとも家族の間ではそうありたいと誰もが願うはずです。しかし家族でも、一足飛びに以心伝心の関係になるのは難しいことです。親子でもそうですし、もともと違う環境で育った夫婦はなおさらです。だから、日々の会話が大切なのです。

コミュニケーションの基本は会話です。昔のお父さんなら「いちいち言葉を交わすのは面倒だ、家族だから黙っていてもわかるだろう」と考えたかもしれませんが、時代は変わっています。

若者と話すなかで、お互いの価値観がぶつかることもあるでしょう。反対の意見が出たときこそ真剣に耳を傾け、話し合う。異なる価値観を無視するのでなく、すべてを受け入れて自らの心に改めて問いかけることが大切なのです。

遺産相続などの「相続」という言葉はもともと仏教用語です。師の教えを次の代に受け継いでいくという意味です。金銭やモノではなく、師からの教え(法)を伝えていったのです。

部下と飲みに行って職場の上下関係を持ち出すと煙たがられます。相手のためにアドバイスしたいと本気で思うなら、会社での立場を離れて接することです。

「最近の若者は、飲みに誘っても断る」会社でも年配社員の方はよくこう嘆きます。上司からすれば、本当に予定があるのか、ただ飲みに行くのが嫌で断られたのかはわかりません。ところが、若手社員のほうにも言い分があります。急に「今日、飲みに行こう」と誘われても、上司から重要な話があるのか、単なる憂さ晴らしの相手をさせられるのかわかりません。もし重要な話だと知っていたら断らないでしょうし、先約があれば「明日ではどうですか?」と打診されるはずです。つまり、飲みに誘うところからコミュニケーション不足の弊害が表れているのです。「どうしても伝えたい話があるんだが、今夜飲みに行かないか。仕事のヒントになると思うんだ」そのように言って誘ってみるのはどうでしょうか。若手社員も仕事に役立つ話が聞けるなら、上司や先輩と飲みに行きたいはずです。

「いまの若者は……」という言い方は、いつの時代にも聞かれます。しかし、実際に若者と接すると、一般的なイメージと違う面がたくさん見えてきます。東日本大震災で大勢の若者がボランティア活動に進んで参加したことなどは、その好例でしょう。

世の中には他人のことを軽く見て、なめた態度をとる人もいます。相手に敬意を払わず、常に見下せるきっかけを探しているタイプです。その人自身の未熟さが原因なので相手にしないのが一番ですが、職場ではどうしても接しなければならない場面が出てきます。そのときは、肝の据わった態度をとりましょう。どっしり構えて、何がこようと大丈夫、かまわないという気持ちでいることです。相手は自分の投げかけにどう反応するかで、見下すきっかけを探しています。その挑発にいちいち反応しなければ、そのうち諦めて「この人はちょっと違うな」と一目置かれるかもしれません。

もし特定の人にバカにされるなら、相手はあなたを敵視しているかもしれません。足の引っ張り合いはエネルギーの浪費です。巻き込まれたら損するばかり。自分の評価も下げかねません。

「一日なさざれぱ、一日食らわず」。これが労働に対する禅の捉え方です。なすべきことを行わなければ、食事をしてはいけない。唐の時代に活躍した百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という禅僧が、労働も坐禅と同じく修行の一つだと位置づけました。

働きがいは、自分が社会に役立ち、社会から存在を認められたときに最も大きくなります。しかし、どれだけ社会に貢献しているかを客観的に知る機会は多くありません。主体的に仕事をし、自分との約束をクリアしていくことでも、働きがいを得ることができます。

目の前の課題に打ち込めないのは、「明日がある」と思っているからです。大病を患って余命わずかと宣告された人は、「やる気が出ない」などとは言いません。残された時間を精一杯に生きようとします。モチベーションが上がらないと悩むのは、心のどこかに余裕があって、必死になれないことの裏返しです。

一日の時間に余裕を持つことで、アイデアは湧きやすくなります。とくに朝は重要です。誰でも起床してすぐは頭が働きません。遅刻するぎりぎりまで寝て、朝食もとらずに家を飛び出す毎日では、アイデアを思いつく余裕はありません。まずは30分、早起きをしてみましょう。掃除をする、早めに家を出てバス停ひとつ分を歩くなど、わずかな時間の余裕で、季節の移ろいや自然の変化を感じることができるはずです。「柔軟心(にゅうなんしん)」という禅の言葉があります。固定観念や思い込みをすべて捨て去った自由な心のことを言います。偏った見方をしていると、目に見えているものに気づかないことがあります。頭をつかわずに五感をフル活用して世界を感じるときに、素晴らしいアイデアは浮かぶものなのです。

アイデアを出すときに大切なことは、頭で考えるのではなく、五感を使って自然を感じ、変化を感じることです。オフィスで数値やデータに振りまわされていると、ものごとの本質が見えなくなってしまいます。私たちが生活する世界に同じ日は一日としてありません。見慣れた風景でも必すどこか変化しているのです。自然をよく観祭すると、思いがけないところにアイデアは転がっています。500系新幹線の先頭形状は小魚を補食するカワセミのくちばしがモデルですし、関西大学が研究を進める「痛くない注射針」は、蚊に血を吸われても気つきにくいことをヒントにしているそうです。アイデアに詰まったら、いつも出合う自然をじっくり眺めてみてください。

庭園をデザインする際、私はその庭に来られる方の気持ちになって考えていきます。例えば、とても景色のいい敷地に庭をつくるとしましょう。建物や庭をめぐった最後にパッと眺望が開け、素晴らしい景色が広がるような場所です。その景色はいわばメーンディッシュです。最も印象を強くするために、その直前の空間を徹底的に絞り込みます。日本的な空間づくりの基本は開閉を繰り返すこと。そうすることで、見る人に美しい景色を予感させるのです。庭を見終わった最後に、美しかったと満足してほしい。庭園デザインのヘソ(秘訣)はここにあります。そこに答えを出すのが、デザイナーとしての私の使命です。

どんな仕事にも、見落としてはならない大切なポイントがあります。私は「へソ」と呼んでいますが、経験を積むほど素早くヘソをつかめるようになります。

自分がミスを犯したとき、どう対処するかが重要です。ミスが発覚したらまず謝る。「ごめんなさい」でも「皆さん、ご迷惑をおかけしました」でもいいのですぐに頭を下げます。素直に謝るという行為は、人間関係を良好に保つだけでなく、自ら肝に銘じて同じ過ちを繰り返さない効果もあります。ミスを指摘されても謝らない人は、深く反省する機会を失います。たび重なれば、屈理屈をこれて自分を正当化する癖がついてしまう。たとえその場は言い逃れできても、同じミスを犯せば完全に信用を失います。それよりは「ごめんなさい」と気持ちよく謝って、二度と同じ失敗を繰り返さない人のほうがはるかに信頼されるはずです。失敗そのものはマイナスですが、次の仕事に活かして成功を収めればプラスに転じるのです。

自分はどこまで仕事にエネルギーを注ぎ込んでいるかを振り返ってみてください。なかなかミスがなくならないというのなら、おそらく誠心誠意に取り組んでいたとは言えないはずです。大げさに言えば、仕事に命をかけていればミスは必ず減ります。もちろん、そのような姿勢の問題とは別に、ミスを防ぐ仕組みも必要です。職場でお互いにチェックしあう、上司にチェックしてもらうなどの体制を築いていく方法です。

信頼関係が成立していれば、たとえ叱られても、不思議と腹が立ちません。しかし、的外れな指摘を受けると、頭にカッと血がのぼることもあるでしょう。そこで何か言い返せば、相手への批判になりかねませんから、冷静に「わかりました」と答えて、3回深く呼吸するといいでしょう。おへその75ミリほど下の臍下丹田(せいかたんでん)に呼吸を落とすと心が静まります。私の知り合いは、相手が怒ったら腹の中で「ありがとさん」と3回繰り返すそうです。頭で考えるから血がのぼるのです。腹に留めることをぜひ覚えましょう。

人づかいが上手な上司は、部下の長所を見極め、その人に合った仕事を与えます。しかしすべての上司がそうではありません。部下の適性など考えないで仕事を命じ、うまくできないと低く評価する上司もいます。そんな上司の下で仕事を嫌々こなしていると、成長は止まってしまいます。そうならないためには、上司の要求をこなす一方で、自分流の仕事をプラスしていけばよいのです。上司が用意した評価の土俵とは別に自分の土俵を設定し、勝負していく。そうやって自分を高めれば、次の上司、次の次の上司が認めてくれるかもしれません。

どんな仕事でも、必死に努力すれば、7割はできるようになります。さらに上のレベルに到達するには才能や環境が影響しますが、自分がどこまでいけるかは7割に達して初めてわかることです。まずは7割の完成度を目指しましょう。そのためには売上以外の目標を立て、いまの仕事に「莫妄想(まくもうぞう=何事にもとらわれていない集中した状態)」の心で打ち込むことが重要です。

私は講演会で「皆さんは何のために働いていますか?」とよく尋ねます。家族のため、いい暮らしをするため……、さまざまな答えが返ってきます。そこで「もし一生遊んで暮らせる大金を稼いだらどうしますか?」と質問すると、「誰かに感謝される仕事をしたい」と多くの人が答えます。贅沢三味の暮らしを送っても、すぐに飽きてしまうと容易に想像できるからでしょう。仕事を通して世の中の役に立ち、その対価が自分の収入になるからこそ、働きがいが生まれるのです。

まずは10日続けると決め、続いたらもう10日と延ばしていく。一歩一歩進めば、ある時、変化を感じたり、振り返った時の長い道のりを見てうれしくなったりします。やり遂げた瞬間、少なからず自信が生まれる。それが本来の自分だと思えれば、他人の目を気にすることなく、何事にも退かない決心が持てるようになります。もう一段上のチャレンジができるのです。

初めから遠いゴールを見れば、その道のりの長さにおののき、前に進めなくなってしまうこともあります。まずは足元を見て、今日、自分ができることに集中してみましょう。

重要なのは、目の前のことに一生懸命に取り組み、縁が来た時に、ぽんと捕まえられるだけの準備を怠らないこと。縁をつかむ原因は、人間性かもしれないし、お金かもしれません。

縁というのは、10人いれば10人平等にやってきます。「縁がない」という言葉がよく使われますが、それは縁を結ぶ原因がないからです。日々の努力でその原因となるものを、あなたは作っているでしょうか。

上司と意見が合わないのなら、真意を探ってみましょう。仕事をより良いものにしようという熱意が勝りすぎているのかもしれない。あるいは、あなたを奮起させようと、あえて視点を変えた指導をしているのかもしれません。自分の意見を押し通すのではなく、一呼吸置いて、相手の真意を探るクセをつけるだけでも、今までと違うものが見えてくるはずです。

物事を二極で捉えるのではなく、その次元を超えた領域で俯瞰することが禅の考え方でもあります。「処処全真(しょしょぜんしん)」という教えは、見るもの、聞くものはすべて真実であり、個人の思惑を超えたところによる因縁から成るものと説く。そう感じられれば、心は柔らかくなります。

自分と合わない部分があると思うなら、それはそれでいいのです。合わない部分は真実として受け止め、合う部分に焦点を当てて接するだけでも、苦手意識は軽減するはずです。

最初は、苦手意識が拭えず、顔がこわばってしまうかもしれません。でも、いつも穏やかな顔でいたわりの言葉をかけていれば、相手は攻撃的になりません。「調子はいかがですか?」などと、一言こちらから話しかけてみるだけでいいのです。自分も穏やかに過ごせます。

人の背後には、その人の良さが隠れているものです。でも、色眼鏡をかけると、それが見えなくなってしまいます。まずは、色眼鏡を外して真っ白な心で、上司に接してみてください。できれば、この上司のいいところを見つけようと意識しながら。

どういう生き方をしたいのか。自分がこの世を去る時に何が残るのか、その時、どんな人間でありたいのか。お世話になった方々や家族たちに何を残せるのか。そうしたことに思いを巡らし、だからこそ、私はこういう一生を送りたいのだと見通す。このような事柄を、真剣に考える時間を持つことは大事。

自分の力を発揮できる土俵。広い世の中、そうした場所はいくらでもあります。1か所にこだわらず、視野を広げてみることが大切なのです。何らかの事情で、愛着のある土俵に上がれなくなったら、隣の土俵に上がって勝負すればいい。視野を広げれば、あなたが幸せに感じる土俵をきっと見つけられるはずです。

人間、生まれたときは誰しも裸です。衣類もお金も地位もありません。天災などで家や衣類、働き場所、少しずつ手に入れてきたすべてを失うのは、非常に悲しいこと。しかし、その負の感情を「命をいただいた」とプラスに転じるような思考に変えてはじめて、前に踏み出すことができる。「もう一度生まれた状態に戻った。自分には無限の可能性がある。だから一歩を踏み出そう」と考えられるようになればいい。

どうすることもできない最大級の出来事が天災です。人間の力を超えた地球の叫び声ですから、何もできないのは当然。悔やみ続けても何も変わらないのも事実。時間をかけて、ありのままを受け入れていくしかない。

禅では実践を最も重んじています。そのことを教えているのが「冷暖自知(れいだんじち)」という禅語です。器に入っている水は見ているだけでは冷たいのか温かいのかはわからない。考えるより動くことが大事なのです。

過去は取り返せないのだから、失敗した原因だけをしっかりつかんで、あとはいっさい考えない。考えてもしょうがないのだから、今やるべきことに集中すること。それでも、頭に浮かんできてしまうものもある。それは留めない。留めると、どうしようかと考えてしまうので、浮かんだものを流す感覚です。

お釈迦様も欲をゼロにしろとは言っていません。足ることを知れば穏やかでいられるということです。飛び交う情報に惑わされ、他人と比較をするから、劣等感を感じ、不安を呼び、苦しみ悩んでしまうわけです。

執着には終わりがありません。お釈迦様が亡くなられる前に説かれた説法をまとめた『遺教経(ゆいきょうぎょう)』というお経に「知足(ちそく)」ということが説かれています。どんなに裕福な環境でも満足を知らなければ満たされない。地面に伏したような生活をしていても、これで充分だと感じることができれば、幸せを感じられると。

禅の考え方の基本は、マイナスなものをプラスに転じて考えるということでもあります。無理難題を押しつけられたと受け取るか、乗り越えて成長するチャンスととらえるか。

何事も好嫌、優劣、勝負と白黒をつけるのも問題です。仏教は中道といって、黒白を決めません。干渉せず、お互いに成り立つようにグレーでいきましょうというのが仏教のスタイルです。

相手の評価が気になるのは、他人と自分を比較しているからです。しかし、本来人間の価値は比べようがありません。自分の本分を生きればいいのだと、意志を強く持つことです。

人それぞれ、生き方も価値観も違うと言うことを大前提に、相手のいいところを見たつきあいが大事ですが、そのうえで、何も無理してまでつきあうこともない、という精神的な強さも必要です。

「理解してもらう」「評価してもらう」というように、相手を動かそうとすると悩みが生まれてきます。理解されたいのなら、まずは一生懸命伝える努力をしてみる。それでも理解してもらえないときは、「あ、そういうものか」と割り切ってしまうことも大切。

自らよくありたいと思い行動するのはいいことですが、人からよく見られたいという意識があると、無理を招き疲れてしまう。ありのままの自分でおつきあいをすべき。

過去・現在・未来の三世のうち、私たちが生きているのは現在です。今、息をし終わった瞬間、すべてが過去になります。学歴という既に過ぎ去った事実に心を留めるのは、過去に生きる人。実にもったいない時間の過ごし方であり、生産性の低い過ごし方です。

今やるべきことに一生懸命に取り組む人の生き方は、実に魅力的です。人間的な魅力に磨きをかければ、たくさんの人が応援してくれます。多くの応援は、生きていくうえで様々な助けとなり、成果にも結びつきやすくなる。

チームの足並みが揃わない。そう嘆くより、いま一度メンバーの能力や性格を見つめ直し、それぞれが活躍できるような環境や、評価の仕方を考えてみてはいかがでしょうか。

今あるべき姿がすべてを表しているのではなく、角度を変えれば、また違う強みが見えてくる。この世に存在するものはすべて、何かしらの役割を果たしている。

全員の能力のレベルが同じということはあり得ません。それを前提に考えると、各人の持ち味が生かせる適材適所の役割を与え、スペシャリストを育てるマネジメントの方がチーム力は上がる。

チームがうまく機能しないのは、メンバー全員の目指すべき方向性が共有しきれておらず、それぞれが違う方向を向いている場合があるのではと感じます。

余裕がない一日の始まりは、縁の初めが悪いので、どんどん悪い縁につながっていく可能性があります。初めにいい縁を結ぶためにも、朝に掃除をすることは有効なのです。

何よりも大事なのは、続けること。いつも部屋をきれいにしていることは、いつも整った心でいることです。しかし、忙しい毎日の中で、すべての部屋を掃除しようと思うと長く続きません。いつもより少しだけ早起きして、窓を開けて新鮮な空気を吸い込み、10分なら10分、5分なら5分というように、掃除の時間をあらかじめ予定に組み込んでおきましょう。そして、今日は玄関だけ、翌日はキッチン周り、その次はトイレのみと、場所を小分けにして、決めた時間内でしっかりと心を込めて掃除する。まずは、朝に掃除をするという習慣を身につけましょう。

禅には「清風払無塵(せいふう はらいて ちりなし)」という言葉があります。塵は心を縛っている煩悩や雑念を指しており、清らかな風が吹けばその塵はどこかに飛んでいき、残るのは清らかな心だけだという意味です。塵や埃が拭い去られるからこそ、気持ちのいい爽快感を得られる。

物事がなんとなくうまくいかないとき、負の気分を変えたいときなどには朝の掃除をお勧めします。身の回りがきれいになると、誰もが「ああ、気持ちいい」と、すがすがしい気持ちになるはずです。

頭に血が上りそうなことを言われたら、へそから75mmほど下の丹田に力を入れて呼吸し、「ありがとさん」と3回唱えてみてください。不思議と気持ちが少し収まり、感情的な発言をせずに済むはずです。

上司や部下と互いに認め合えず、イライラしてしまう時は、相手の良い面を見つけるように意識しましょう。そしてこちらから先に褒めてみる。褒められて嫌な気になる人はそうはいないはず。

率先して動いて手本を見せれば、最初はぎこちなかった現場も、時間が経つにつれて変わり、職人さんたちは私に協力しようという雰囲気になっていただけます。周りから協力、支持を得たいのであれば、自ら渦中に入っていくことが何よりも大事。

人間は上司や部下から評価されるためだけに働いているわけではありません。「この仕事をして誰に喜ばれるか」を基準に考えられれば、「評価の呪縛」から少なからず解き放たれるはず。「仕事を通じて社会に貢献する」「人々の暮らしに役立つ」。ここに価値を見いだせれば、評価よりやりがいが大きくなり、前進できるでしょう。

仕事で失敗したという事実は、いくら悔やんでも、引きずっても変えようがありません。まずその事実を素直に受け入れて、原因を自分なりに明らかにすることが次の成果につながる。

終わったことは断ち切り、失敗の原因を自分なりに明らかにすることを大事にする。その経験を積み重ねれば、同じようなお題を突きつけられた時に、判断を見誤らなくなる。

なかなか結果が出ない人ほど、過去の失敗にとらわれている場合が多いように思います。「あの時、ああしなければよかった……」と、取り返しのつかない失敗に引きずられて前進できなかったり、変化することを恐れたりする。いくら悔やんでも過去は変えられません。

初めにいい縁を結ぶと成長しやすくなる。いい縁が向こうから来るのです。これを「縁起がいい」と言います。最初の縁を大事にし、どのように結ぶかが肝心です。最初の縁を大事にしなかった人は、縁が悪い方へ転がっていきます。自分で縁起を悪くしているのです。

同じ仕事でも取りかかる人の考え方によって、面白くなるかならないかが変わってくる。例えば、「面白くするにはどうすればいいか」という前向きな考えでどんな仕事も選り好みせずに挑戦する人は、必ずその経験が血肉となる。そして、このような人はチャンスをつかみやすい。

大切なのは、深くゆっくりと呼吸すること。へそから指4本ぶん下にある「丹田(たんでん)」を意識しながら、深く息を吸い、ゆっくりと吐いていく。これを繰り返すことで、感情が腹に留まり、頭までせり上がるのを防ぐことができます。呼吸をしながら「大丈夫、大丈夫、大丈夫」などと3回唱えると、より心を落ち着かせることができます。

無心に物事に取り組み続けると、与えられた仕事や目標に対する「やらされ感」が薄まってきます。人はどうしても、与えられた仕事や目標に対して、「なぜ、私がこんなことを……」といった不満を抱きがちです。しかし、目の前の仕事に没頭することができれば、自分なりの試みを楽しんで行うことができるようになります。

先の目標のことばかりを考えると、どうしても「できなかったらどうしよう」などといった未来に対する不安がよぎってしまい、目の前の仕事に集中できなくなるもの。すると、自分の持つ本来の力を発揮できなくなってしまう。一方、目の前にある仕事に無心に取り組めば、未来に対する不安にさいなまれずに集中することができます。結果的に、目標を達成しやすくなる。

目標と上手に折り合いをつけて心穏やかに過ごすことは、不可能ではありません。禅の世界では、目標を先に設定してそれを達成すべく努力するという、一般社会とは反対の考え方をします。「今、できること」をそのつど一心に行なっていけば、結果は自ずとついてくる、という考え方をするのです。

背中が丸く覇気がない人と、若々しく自信があるように見える人では、どちらと一緒に仕事をしたいでしょうか。疲れが顔に出ると、ビジネスにおいてもプラスに働きません。

人は妄想するからこそ、要らぬ不安や心配事を抱えてしまいます。他人をうらやむ気持ちや、自分はダメだという気持ちも実はすべて妄想であり、それにとらわれ、現状が変わらないのは、バカバカしいですよね。

人と比較することを、禅の世界では「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉で戒めています。意味は「妄想するなかれ」。つまり、「無意味なことをいつまでもクヨクヨと考えるな」です。

「驚かせてやろう」「引きつけてやろう」などという下心を持って取り組む人は、それが必ず表面に浮き出てきます。下心が少しでも見えてくると、人々は警戒し、距離を置くようになる。謀(はかりごと)は魅力を消し去る。

ひた向きに自分の本分を全うしていれば、その結果が人を喜ばせ、引きつける要因になる。雑念にとらわれず、ただひた向きに取り組む姿こそ、人を感動させる。

苦労したからこそ、人の苦労が分かるようになり、悲しみを味わったからこそ、人の悲しみが分かるようになる。苦労せずに得られた結果より、苦労があるからこそ得られた喜びは大きい。つまり、苦労は人間としての幅を増していく。

昨年は苦労が多く、仕事で結果が出せなかった人、苦労が報われなかったと嘆いている人もいるかもしれません。しかし、焦るあまり、準備が整っていない時に道を作ろうとするのは、季節外れに咲いた花のようなものです。昨年は咲かなかったけれど、今年は花が開いてかなえたかったことが成し遂げられるかもしれない。

「春来草自生(はるきたらば くさおのずからしょうず)」という禅語があります。これは、「春になれば自然に草木は芽生えてくる」という意味であり、人間の計らいとは全く関係なく季節は巡ることを指します。春が来ない冬は絶対にありません。

相手の意見を聞く時も、相づちを打つだけでなく、「それはこうですよね」と相手の言葉を繰り返す。そうすると、相手も「私の話を聞いてくれている」という気持ちになります。そのうえで「私の視点ではこのようなことも考えられます」と言えば、しこりが残るやり取りにはならないはずです。

「無心是我師(むしん これ わが し)」という禅語があります。無心というのは思慮分別を打ち払うこと。「これが絶対に正しい」と一方的に主張してしまうのは、分別をしているからです。本来、双方に一理あるはずで、どちらが「善し」でどちらが「悪し」というのはない。自らの意見に執着しすぎない心構えができればおのずと、双方の言い分を拾い合えるような柔軟性や余裕が生まれてくるのではないかと思います。

立場を変えて見れば相手の意見も正しいと思えるかもしれず、自身の論点とのズレも発見できるかもしれない。そうすれば、聞く耳を持ち、場を読む目も必要だと思えるはずです。

自分の体だと思っているものは、細胞レベルから始まる様々なパーツがたまたま組み合わさった総体や概念に過ぎず、それを「自分」と呼称しているだけなのです。社会や企業の中にいる自分もその細胞のようなもので、1人では何もできません。そう捉えれば、自分の立場では何をすべきで何が求められるかを考える必要があり、必ずしも自分の意見をすべて押し通すことだけが正しいのではないと思えるはずです。

僧侶も仏教の教えをお伝えすることが仕事の1つですが、私も若い頃からうまく話せたわけではない。ひとえに訓練による慣れでした。「人前で話すのは嫌だな」と思うとなかなか上達しないもの。「これは自分で通らなければならない道だ」と前向きに捉え、実践で経験を積むと、相手が面白がる部分が見えてきます。

無心でひたすら成すべきことを一生懸命やっていると、「それっていいよれ」と思う人が集まってくる。一方、「こう言えば、相手が喜んで近寄ってくる」などの作為が見えると、人は用心して構えてしまう。

人の手間が見えるアナログな礼状は、デジタルが主流の今だからこそ、人の心をつかむように思います。字が下手でも自筆で書かれた方がいい。さらに言えば、筆ペンで書くことをお勧めします。私自身、多くの封書やおはがきを頂く中で、最も目につくのが筆ペンで書かれた文字ですから。

気が散って目の前のことに集中できないときは、時間を決めて思い切り息抜きをしてしまうのも手です。禅の教えには、「喫茶喫飯(きっさ きっぱん)」という言葉があります。茶を飲むときは茶に、ご飯を食べるときはご飯に集中する。今、行なっていることと「一つになる」べし、という教えです。たとえば、休暇でリフレッシュしているにもかかわらず、「仕事のメールをチェックしたい」と考えるのは、もってのほか。働くときは全力で働き、遊ぶときは全力で遊ぶ。これが、「無心」と言われる禅の境地なのです。

「あいつは運がいい」などとよく言いますが、実は、運、すなわち縁は、風が吹くように誰にでも平等に訪れます。それに気づかない人は、自分の中の目的意識や何がしたいのかという動機がぼやけているのかもしれません。気づける人ほど、日頃から目的意識を持って行動し、常に船の帆を広げているからこそ、縁を追い風に進むことができる。結果、「運がいい」「チャンスをつかんだ」などと周囲から見える。仕事を選り好みせず、普段の努力を怠らないというのは、当たり前のようですが、とても大事なことなのです。

上司が「こんな新しい仕事があるのだが、誰か手をあげてくれないか」と言ったとします。明らかにその仕事は大変そう。自分の能力が10だとして、やり遂げるには12の能力が必要かもしれません。しかし、人間というのは必死に取り組むと、自分が思う以上のことができてしまうもの。そこで手をあげてチャレンジすれば、自分で努力するという原因と、この仕事をやってみないかと言った上司との縁が結ばれます。結果につながれば、自分の能力が12に上がり、次は14の能力が必要な仕事に挑戦できる。すぐに結果が出なくても、努力を怠らなければ、あなたの姿勢は上司に伝わるでしょう。

禅には、2本の梅の木を題材にした例え話があります。梅の花は春の暖かい風が吹くと咲き始めます。しかし、早春の気候は気まぐれで、暖かくなったり寒くなったりするもの。春風が吹いたら支度をしようと考え、何も備えていなかった梅の木は、突然、春風が吹いてもすぐに花を咲かせることはできない。もたもたしているうちに、翌日にはまた寒くなり、結局、存分に花を開けないまま春が過ぎてしまう。一方、春風が吹いた瞬間きれいな花をポッと咲かせることができるのは、寒い冬の間、咲かせる準備をしていた木。言うなれば、この梅の木はチャンスをものにしたわけです。

枡野俊明の経歴・略歴

枡野俊明、ますの・しゅんみょう。日本の僧、作庭家。曹洞宗建功寺住職。神奈川県出身。玉川大学農学部農学科卒業後、曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)僧堂で修業。その後、造園設計会社の日本造園設計を設立。禅と日本庭園をテーマとした造園設計を行い、国内外で高い評価を得た。そのほか、ブリティッシュコロンビア大学特別教授、多摩美術大学環境デザイン学科教授などを務めた。主な受賞にブリティッシュコロンビア大学特別功労賞、日本造園学会賞(設計作品部門)、芸術選奨新人賞(美術部門)、カナダ政府カナダ総督褒章、ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章ほか。

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