松田丈志の名言

松田丈志のプロフィール

松田丈志、まつだ・たけし。日本の競泳選手。宮崎県出身。中京大学卒業。4歳から水泳を開始。リオデジャネイロ五輪男子800mフリーリレー、ロンドン五輪男子200mバタフライ、北京五輪男子200mバタフライでそれぞれ銅メダルを、ロンドン五輪男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得。

松田丈志の名言 一覧

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僕より速い選手はたくさんいた。でも、諦めずに続けたことでチャンスが巡ってきた。


現役時代も今も感じているのは、応援してくれる人たちの思いを背負うから、自分を超えていけるということ。自分のためだけに頑張るという向き合い方には、限界がある。


迷ったときは必ず「この瞬間、自分にとってベストの行動はなにか?」と問いかけるようにしています。それが次の一歩を踏み出す原動力になります。今ここでやるべきことがある、と。


チームのことに気を配ると不思議と自分の辛さが紛れました。後輩の悩みを聞くうちに「辛いのは自分だけじゃない」と気づかされ、自身の悩みが和らいだこともありました。


五輪の決勝で実力が発揮できない選手は、自ら崩れることが多い。ライバルでなく自分に挑める選手ほど集中して自滅せず、周りからの応援を自らを乗り越える力に変えられる選手ほど、0.1秒を縮められる。



競泳を通じて、結果を出す人は時間も負荷もかけて圧倒的な努力をしていることを知りました。コーチや選手といった周りから応援される選手ほど、その力を自分のエネルギーに変えていることも学んだ。


1人だったら心が折れていたかもしれない。伴走者のようにつき合ってくれた人がいたから、モチベーションが上がりにくい期間を乗り越えられた。


一流のスイマーは、圧倒的な量や質の練習をこなし、努力し続けている。


練習量はもちろん、練習に向き合う姿勢は誰にも負けていないという自負がありました。逆に言えば、自分にはそれしかなかった。


チームメイトとワイワイと冗談を言いながらも、協調しながらキツい練習に取り組めば、メンタルは折れづらい。1人では乗り越えられない壁を乗り越えられる。


能力差は99%は同じ。あとはすべてのアスリートが4年間をかけ、本気で臨むオリンピックの場で100%の力を発揮できるかどうか。99%と100%はほぼ同じですが、出る結果には歴然とした違いがあり、選手としての評価も変わってきます。


自分たちで動かなければ何も変わらない。とにかく競技に向けた環境を整えるため、自分のやれることは全部やろう、と。



結局、自分のことばかり考える選手は視野が狭い。周りのことを考えることで視野が広がり、自身も成長していく。何よりも、周りを見渡して配慮できるような人間性を持った選手は魅力的ですよね。


メダルを獲得した(北島)康介さんやチームメートと自分は何が違ったのかと、ずっと考えた。


「この選手のためなら力になりたい」。そう思わせる選手ほど結果を出していると気づいた時、五輪でメダルを獲るには仲間の力が必須で、応援されるような選手にならなければと思った。


チーム皆が「メダル獲得」という目標を共有すれば、「チームの中で自分にできる役割はこれかな」と選手それぞれが意識し始めます。そうなった時のチームは強い。実際にロンドン五輪では、戦後最多の11個のメダルを獲得しました。代表コーチ陣はそこまで計算して、キャプテンを含めた役割分担を考えていたと思います。


幼い頃から誰かと切磋琢磨する環境で練習してこなかった僕は、自分の成功や成長だけに集中するような超個人主義でした。でも、ロンドン五輪の前年にキャプテンという役割を与えられると、おのずと「仲間のため、チームのために何ができるか」と考えるようになった。


苦しい練習を乗り越えるためのモチベーションを維持できたのは、「コーチが僕のために頑張ってくれるから頑張れる」「丈志が頑張るから私も頑張れる」といった、僕と久世(由美子)コーチとの信頼関係が大きかったと思います。


最終的には「挑戦する」「挑戦しない」の2択しかない。であれば、泥臭くてもいいから厳しくて辛い練習をして挑戦する人でありたいと思えた。そう思えたのも、周りで応援してくれる人たちに応えたいという気持ちが大きかったから。周りの支えがあったからこそ、僕は重い腰を上げて腹をくくれたのだと思っています。


北京五輪の200mバタフライで銅メダルを獲得してからも、「五輪で圧倒的なパフォーマンスを発揮できる選手は何をしているのか」とよく考えました。あのマイケル・フェルプスに勝たなければ世界一にはなれなかったので。


できるだけ他のコーチや選手から学ぼうとしたし、久世コーチにも受け身の姿勢で接するのではなく、自分の意見を言うようにしました。そんなふうに変われたのも、1人で何もかも乗り越えてやろうというストイックさだけで競泳と向き合うことに、限界を感じていたからかもしれません。


僕の場合は、一生懸命やってくれるコーチの思いに応えたいというところから始まり、自分の家族、コーチの家族、スポンサーの方々、ファンの皆さん、支えてくれるすべての人を思うことで、大きなことを成し遂げることができた。人は応援されることで、壁を乗り越えられるのだと思います。これからもその思いを胸に頑張ります。


自分は速いと思ったことはないんですよ。どの年代でもライバルがいて、県内でも勝てない子がいて、その壁を超えたと思ったら、次は九州大会で、全国大会で、世界大会でより速い人とぶつかる。逆に言うと、自分に圧倒的な強さがなかったからこそ、次の目標、その次の目標を立て、タイムが縮まること、世界ランキングが上がることを喜び、長く競技を続けていくことができたのかもしれません。


夢だった金メダルには届かなかったけど、「勝ち負けよりも自分に挑戦することの大切さ」を体感しながら学んだことは自信となり、今後のセカンドキャリアに生きると信じています。競泳の技術だけでなく、挨拶や感謝することの大切さといった、当たり前だけど人として大事なことも口を酸っぱく言い続けてくれた久世(由美子)コーチには、本当に感謝しているんです。


日本代表キャプテンという役割にのしかかる責任は決して軽くはありません。だけどそれを重荷に感じすぎると、変な緊張が伝わってチームにいい影響をもたらさない。だから僕は「与えられたポジションが自分を成長させてくれる」と考えました。自分にプラスになることがチームにもプラスに働くと信じて、楽しんでキャプテンを務めようと。


「応援したいと思われる選手」とは、例えば自分の出場種目がなくても観客席に来てチームメイトを応援するような選手です。自分のことだけを考えている選手は、ホテルで体を休めて自分の出番に備えようとしますよね。1人で練習してきた僕も昔は後者でした。あとは、どんな立場の人にも変わらない態度で接したり、勝っても負けてもきちんとインタビューに答えたりできる選手でしょうか。


僕は4歳の頃から、宮崎県延岡市の東海(とうみ)スイミングクラブで久世由美子コーチの指導を受けながら練習してきました。ビニールハウスの中に作ったプールは有名ですが、温水プールになったのも僕が高校に入ってからです。宮崎でもさすがに冬は超寒くて、夏は超暑い。そんな環境の中、競い合う選手もおらず、黙々と1人で練習してきました。おのずと自分と向き合う時間が多くなり、自分で自分を追い込める力が身につきました。だから、恵まれた環境でチームメートと一緒に練習している選手は甘く思えて、負ける気がしなかった。負けてたまるもんかという気持ちで試合に挑んでいました。


アテネ五輪が、僕の成長スピードを上げた最初のターニングポイントになりました。400m自由形で日本人として40年ぶりに決勝進出を果たしましたが、帰国した成田空港で報道陣のフラッシュや歓声を浴びているメダリストたちの姿を見て、五輪とは、メダルを獲得しなければ居心地が悪いものなのだと感じました。メダルを獲れない悔しさを初めて味わったんです。


ある時、海外合宿で五輪金メダリストのライアン・ロクテと一緒に練習する機会がありました。彼のドルフィンキックの速さには定評がありましたが、技術的な秘密を知りたくて「どんなふうにドルフィンキックをしているの?」と聞いたんです。水中での蹴り方を説明してもらい、見本も見せてもらいましたが、そこに秘密はなかった。その代わり、ドルフィンキックの練習にかける時間が驚くほど多く、強度も高かった。僕の1日の練習では10のうち1ぐらいをドルフィンキックに充てていましたが、彼は3~4ぐらいの時間をかけていた。僕も強化したい部分は、徹底的に練習するようにしました。


松田丈志の経歴・略歴

松田丈志、まつだ・たけし。日本の競泳選手。宮崎県出身。中京大学卒業。4歳から水泳を開始。リオデジャネイロ五輪男子800mフリーリレー、ロンドン五輪男子200mバタフライ、北京五輪男子200mバタフライでそれぞれ銅メダルを、ロンドン五輪男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得。

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