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松尾均の名言

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松尾均のプロフィール

松尾均、まつお・ひとし。日本の経営者。はとバスの社長。岡山県出身。中央大学法学部卒業後、東京都に就職。交通局経営企画室長、自動車部長、総務部長、次長、交通局長などを務める。その中で都営地下鉄、都バスなどを黒字化を成し遂げた。東京都退社後、はとバス社長に就任し、同社の立て直しを行った。

松尾均の名言 一覧

みなさんがいま輝いていないとしたら、光の当て方が違うだけなんです。きつくても、辛抱強く、いろいろ試せばいい。そうすれば必ず、あなたならではの「輝き方」が見つかるはずですよ。


私自身、はとバスに来る前は、長らく東京都で公務員としてやってきました。つらくて、キツいことも多々あった。だけど、「逃げない」で、ぶつかってきました。どんな仕事も結局は人と人がやるんだから、正直にぶつかりあえば必ず何とかなるんですよ。試行錯誤しながら、どうやればうまくいくか、光の当て方を考えてね。


できる限りフェイス・トゥ・フェイスを大事にすることが、サービスの原点ではないかと思っています。


人と人とのアナログなものを大切にする姿勢が、サービスの分野ではとくに重要だと思います。


私を含めた役員は、できるかぎり現場に行って、ツアーに参加してくださったお客様にご挨拶をするようにしています。ゴールデン・ウィークなどの繁忙期になれば、部門に関係なく手の空いている社員総出で、交通整理などにあたります。こうしたことを通じてお客様と直接接することで、いろんな発見ができると思うのです。


私は率先して社員の中に入っていくよう心がけています。向こうから見れば、ただのうるさいオヤジかもしれませんけどね(笑)。でも、そうして社員たちとも直接対話することが、社内のコミュニケーションの活性化に役立つと思っています。


アンケートはがきで重要なのは、そこに書かれているお客様の生の声です。それが、私たちを勇気づけてくれたり、新たな改善の手がかりになったりするのですから。


パンフレットが「私たちからお客様に出したラブレター」だとすると、利用したお客様から返ってきたアンケートはがきは、「ラブレターへの返信」です。だいたい、月に400~500枚はいただくでしょうか。私以下、担当役員で、一枚一枚、目を通します。そして、重要と思われるご意見やご要望に対してリアクションをとるわけです。


現在は「100年に1度の不況」といわれ、決していい話ばかりではありませんが、こうやったら不景気を乗り越えられる、というような都合のいい答えはあり得ないと思っています。できるだけ自分の目で確かめて、できることからひとつひとつ愚直に汗をかいていく。そうした小さなことの積み重ねができれば、結果として逆境を克服することができるのではないかと思います。


お客様相手のビジネスは、1か0かで判断できません。○×でもない、△もありの世界です。同じサービスを提供しても相手やシチュエーションが違えば、お客様の評価もまったく異なってきます。デジタル的な「いつも正しい答え」はあり得ないのです。その場に応じた適切な答えを常に模索していくしかないのだと思います。


「ガイドさんから『おばあちゃん、大丈夫?』と声をかけてもらって、とてもうれしかった。今度は孫と一緒にまた利用したい」という感想を書いたハガキをいただいたことがありました。一見当たり前の感想のように思えますが、こうしたガイドのひと言は、マニュアルからは育ってきません。これこそが、私たちが提供すべき商品の原点だと再確認しました。


チェック式のアンケートは、お客様の満足度を数字に置き換えて集計することができます。しかし、その数字にはあまり意味がありません。むしろ、情報をデジタル処理することで、一人一人のお客様の顔が見えなくなる危険性が高いのです。弊社のアンケートはがきは、「旅行」と「サービス」という2つのテーマだけを設け、あとはお客様に自由に記述していただく形にしています。お客様に自由に書いていただくことを重視しています。


お客様と社員のコミュニケーションだけでなく、社員同士にもフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションが必要だと考えています。私たちの提供するバスツアーという商品は、商品開発、営業、サービス(ガイド、運転士など)、車両整備という4部門が協力することで成り立っています。いくら私が改善を訴えても、危機意識や価値観を4部門すべての社員が共有しなければ、最終的にお客様には伝わりません。


社長就任時、はとバスのパンフレットは「お客様にサービスを売る」という意識が足りなかったせいか、時刻表に毛が生えたようなレベルのパンフレットだったんです。これでは、お客様に「はとバスに乗りたい」と思ってもらえはしないと感じました。


はとバスという名前は、日本全国に知られている。それは社員にとって喜びでもあり、誇りでもある。でもそれで満足していいのか?「はとバス」という名前にあぐらをかいているのではないか?いまのままでは商売が成り立たない。
【覚書き|社長就任時の社員に対するスピーチでの発言】


部門間に一本横串を通したことで責任感が生まれ、全社員一緒に営業するのだという気持ちが強くなったと思います。


はとバスの名前にあぐらをかいていませんか?黙っていてお客様が来てくれるわけではないのです。
【覚書き|はとバス社長に就任スピーチでの発言】


一番怖いのは組織がマンネリ化することです。


社員の意識を変えるには、まず形を整えることから入ることが重要です。


マンネリ化した観光地も「光の当て方」によって、新しい魅力を放つんです。例えば(建設中の)東京スカイツリー。あれを単に「新たな観光名所」という側面からではなく、「いましか見れない」という要素に重点をおきます。建設中の東京港臨海大橋(東京ゲートブリッジ)などと併せて私たちは「東京、ただ今工事中。」と題したツアーを販売しています。また廃車寸前の二階建てバスを改良して天井を切り、二階建てオープンバスを作りました。このバスで皇居前の千鳥ヶ淵近辺を桜の季節に巡るツアーを実施。どちらも大盛況でした。これは「前からあったもの」に知恵を絞り光の当て方を変えただけ、なんです。


工夫せざるを得ない縛りがあったことも良かったんでしょう。「はとバス」は、東京都の出資を約40%受けた半官半民の企業であり、東京観光を担うという使命がある、我々の軸足は常に東京にあります。そのため定期観光ツアーは基本的に「あくまで東京近郊」で完結させる必要があるのです。それは、ある種の縛りです。東京とはいえ、次々と観光スポットが生まれるわけではありません。すると企画で勝負するしかなくなるわけです。もう50年もたっている「東京タワー」、江戸時代からの観光地である「浅草」などをどうみせるのか、という厳しい戦い。だからこそ企画の人間だけじゃなく、力をあわせて魅力的なツアーを作り出す必要があるんです。


弊社の組織図は、従来のピラミッド型じゃない。これは先々代の社長のときから始めているのですが、逆ピラミッド型。社長である私がピラミッドの一番下、そこから全社員を支えている。そしてバスガイドや運転士など現場のスタッフが一番上にいる組織図にしています。答えを持っている「お客様」が第一なら、最もお客様に近い場所にいる現場スタッフが社長よりずっと上にいないとおかしいでしょう? 細かいことのようですが、こうしたことが社員の仕事の取り組み方を確実に変え、斬新な企画へと繋がっていると思います。


はとバスでは毎回、利用されたお客様にアンケートハガキを頼みます。これは月500枚ほど集まるんです。このハガキをもとにした「ハガキチェック会議」を月1回開催します。私を含めた役員、また各部署の担当者が一堂に集まり内容を読む。「ツアー自体は良かったが、時間がせわしなかった」「食事のレベルをあげて欲しい」。1枚1枚その場で対応策を練り、改善案を出し合うんです。じつに厳しいですよ(笑)。だけど私は、こうした現場のお客様の声こそが、はとバスブランドを左右するうえで大事だと考えています。ニーズやウォンツを持っているのは部長でも社長でもない。当たり前のことですが、答えは常に「お客様が持っている」からですよ。


我々にとってラブレターとは何かといえば、それは「パンフレット」でしょう。作り手の思いを込めて紙にしたためることで、人の心をつかもうとする。それってまさに恋文じゃないですか。ところがそのラブレター、つまりパンフレットが無味乾燥だったのです。確かにツアーは所狭しと並んでいる。けれど、すべてが同じ大きさで、何がオススメかさっぱりわからなかった。神は細部に宿るもの。だからこそ私は「細部から本質を変えよう!」と考え、パンフレットを変えたんです。イチ押しツアーはドンと大きく取り上げ、花魁(おいらん)や東京タワーの切り抜き写真を散りばめた大胆なレイアウトで手に取りたくなるようにしました。


私が、はとバスの代表に就任した2005年当時は、「はとバスらしさ」が希薄でした。90年代の中頃からバブル崩壊の影響で売上げは低迷、98年には債務超過でいつ倒産してもおかしくない状態だったのです。その後の努力で、回復基調にありましたが「コレはマズい」。そう思った私の就任の挨拶はコレでした。「はとバスという名前、ブランドにあぐらをかいているんじゃないか!」。自分に対する言葉でもありました。


松尾均の経歴・略歴

松尾均、まつお・ひとし。日本の経営者。はとバスの社長。岡山県出身。中央大学法学部卒業後、東京都に就職。交通局経営企画室長、自動車部長、総務部長、次長、交通局長などを務める。その中で都営地下鉄、都バスなどを黒字化を成し遂げた。東京都退社後、はとバス社長に就任し、同社の立て直しを行った。