名言DB

9,502 人 / 112,123 名言

松原弘典の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

松原弘典のプロフィール

松原弘典、まつばら・ひろのり。日本の建築家。東京都出身。東京芸術大学美術学部建築科卒業、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所、瀋陽市規劃設計研究院、北京非常建築研究所などを経て北京松原弘典建築設計諮詢有限公司設立。著書に『中国でつくる 松原弘典の建築』。

松原弘典の名言 一覧

仕事でひどい目に遭ったとき、心の整理はつきませんよ。だから、すぐ次のプロジェクトの方を向きます。


学部卒で22歳、大学院を出たって、まだ24、25歳ですよね。30歳ぐらいまで組織で働いて、自分なりの武器を手にして、その次に海外にもっと大きな場所を見つける、というプランでいいと思いますね。


日本ではひと世代前の建築家の典型的なキャリアパスが崩壊していましたから、私は独自の展開をするしかなかった。その意味で、多少荒っぽくても、チャンスのある海外にまず拠点を作っちゃえ、と。それでだんだんとうまくいったら、また日本に帰ってもよかろう、みたいな考え方でしたね。


中国では日本人って、ものすごく信頼されているんです。これは日本社会が戦後60年以上かけて作ってきたもので、私はそのことに随分助けられました。


やみくもに海外を目指せと言っているわけではないんです。私が勧めるのは、日本で実務経験を積んでから、海外に出る道です。私自身、伊東(豊雄)さんの事務所で4年間働き、1つの大きなプロジェクトに関わったことが、その後の大きな土台になりました。


実際に学生たちの就活を見ていると、採用される側は目立ちすぎないように画一化のレールに自分から乗っているし、企業の側も効率を口実に、システム化された採用をしている。こういう状態がいいとは思えない。みんなが同じ方向を向く、今の日本のシステムに飼い慣らされてはいけない、と強く感じます。


ひと世代前には、「身内の住宅を設計→商業店舗→コンペに当選して公共の仕事」というストーリーがありましたが、ほとんどの人がそういうストーリーには乗れなくなっていましたね。僕にしたって、家の設計を任せてくれる親類なんていませんでしたし。だから普通のやり方ではムリだと思いました。


誰か1人が儲けるのではなく、みんながハッピーになれる形を経験の中から探っていきたい。それは途上国支援だけでなく、東日本大震災の復興ともつながる21世紀のビジネスのやり方だと思います。「アーキテクト」という職業や言葉に、「どう作るか」だけでなく、「何を作るか」が問われている時代なのでしょう。


毎日朝から晩まで働いて、建築のことばかり考える。でも、だから身についたし自信になる。学校を卒業して、いきなり海外に行ったって、現地の人にただ使われるだけ。建築業界に限らず、日本の企業社会には、優れた仕事を学べる環境があるのだから、まずはそれを吸収して、そこから自分なりの道を切り開いていくのがいいと思います。


最初は中国で働く当てはありませんでした。語学留学気分で中国語を勉強して、うまくしたら仕事もあるだろう、ぐらい。だって建物がいっぱい建っていましたからね(笑)。で、そういうことを周囲に言っていたら、大学でお世話になった先生から「松原くん、中国に行きたいんだったら、私のツテがあるから」と声をかけてくださったんです。


確かに上の世代の人たちは、中国で仕事をすると、人間関係があまりに分からなかったり、資金回収ができなかったりで、中国で仕事をする人は限られていました。だからこそ私のような駆け出しにチャンスがあった。それと当時愛読していた「日経ビジネス」で、中国が「世界の工場」として大きくクローズアップされていたことにも興味を惹かれまして。日本のメーカーの人が「すごく大変でアグリー(醜悪)な場所だけど、可能性はある」と語っていて、それは建築でも同じじゃないか、と。で、ここは思い切って行ってしまえ、と決断したんですね。


もともと大学時代からいろいろなところを旅行して、建物を見て回ることが好きだったんです。私は大学には修士を合わせて8年間籍を置いたのですが、そのうち2年は休学して、バイトをしては海外に出かける、ということを繰り返していました。横浜から船に乗ってナホトカに行き、シベリア鉄道でロシアを抜けてフィンランドまで行って、ヨーロッパからアフリカに渡る、みたいな旅です。その中で一番印象的だったのが、ロシアと中国だったんです。とりわけ中国は、建物がたくさん建っているけど、いい建物は1つもない、という状態でした。

【覚え書き|中国に渡った理由について】


松原弘典の経歴・略歴

松原弘典、まつばら・ひろのり。日本の建築家。東京都出身。東京芸術大学美術学部建築科卒業、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所、瀋陽市規劃設計研究院、北京非常建築研究所などを経て北京松原弘典建築設計諮詢有限公司設立。著書に『中国でつくる 松原弘典の建築』。

他の記事も読んでみる

赤井益久

グローバルはあくまでローカルの集合体であり、自分の地域や環境を見つめてこそ他文化に敬意を払えるのではないかと。それは教育にも言えることで、自身のアイデンティティを学んでこそ世界で活躍できる人が育つのだと思います。


渡邉美樹

僕は経理の勉強をしていたんですけど、経営にとって重要なのは赤字とか黒字とかじゃないってことに気づいていなかった。経営にとって一番重要なのは、現金があるかどうか。キャッシュフローこそがすべてなんです。僕はそれをわかっていなかった。だから黒字なのに潰れそうになりました。キャッシュフローという概念がなかったんですね。


冨田和成

富裕層の多くは寿命から逆算して生活設計をしている。企業経営と同じで、個人も中長期の計画がないと目指す方向を見失ってしまう。


宗次徳二

私が社長を務めていたころは、お客様アンケートのハガキが1日1000通。月で約3万通が本部に届いていました。月に200万円ほどのハガキ代を使っていたことになります。本部に届いたハガキは、すべて私が直接拝見していました。1000通読むのにおよそ3時間。午前中はほぼそれだけで仕事が終わります。即対応が必要な内容があれば、すぐに担当部署に伝えて対応。お客様にお詫びにうかがったり、店長に指導をしたりすることになります。お客様からのクレームがあれば、それは成長のきっかけになります。


齋藤孝(教育学者)

タイトルは、文章を書いたあとに改めて付け直したほうがいいでしょう。文章を書いていくと、内容が広がりすぎて、当初の目的から外れた要素が入り込むことがあります。それを削ぎ落してシャープな文章にするためには、タイトルとなるような問いをもう一度立て直す必要があります。文章の目的が明確になれば、不要な部分をカットしたり、構成を直すこともできます。


向谷匡史

上司への不満は上昇志向の裏返し。しかし役職が上がって、部下の愚痴をこぼすようになったら、人生のモチベーションを下げるだけ。


丸山輝

社内の風通しをよくするには和気あいあいとした雰囲気も重要。毎月1回、終業時刻を過ぎてからアルコールやソフトドリンクを飲みながら話し合う「飲み会議」をグループごとに開いています。社内の会議室などを使って1時間半ほど行い、残業代も出します。議題は業務に関する様々な事柄で、議事録も取ります。最後に参加者同士でハイタッチをしたりスクラムを組むと、職場の一体感が醸成されるのです。


冨山和彦

これから求められる多くのソリューションというのは、ハードとソフトをうまく融合させて、ハード的ソリューションとソフト的ソリューションを最適な組み合わせにしていくかというゲーム。うまく統合するという、まさにすり合わせの世界です。これは日本企業が強みとする部分ですし、純粋なアルゴリズムで戦ってきたIT企業が苦手なところです。実はそこは日本企業に伝統的に根付いてきた遺伝子が有効に作用する部分です。その意味で、今までの弱みを強みに変えるチャンスだと思うんですね。


今井むつみ

当たり前だと思っていることでも「なぜなのか」「どうすればできるのか」を深く考えながら読むのと、通り一遍に読むのでは、書類から読み取れる情報が大きく違ってくる。その情報が、自分の知識体系にきちんと統合できるかどうかにも影響する。


北尾吉孝

時代が変われば、非常識が常識に、不可能が可能に変わることがあります。時代に合わせて、柔軟に考えることが必要です。


金井誠太

ライバル車と比較するとき、大抵は「A車にはここで負けるけれど、こういう事情があるから仕方ない。自社比ではこれこれの改善」といった結論になりがちなのです。それは絶対に許さない。必ず数字で根拠を説明してもらい、突破策を提案してもらう。当社比という言葉は金輪際聞きたくないと宣言しました。


松岡真宏

企業再生ビジネスは、次から次に予想外のことが起きます。それをモグラたたきのように処理しつつ、一方で債権者の金融機関に頭を下げ、経営陣に再生計画を説明し、従業員には「大丈夫です。信頼してください」とひたすら話をします。毎日その連続です。再生ビジネスはボロ儲けできるような仕事ではありません。泥臭い仕事です。