松原弘典の名言

松原弘典のプロフィール

松原弘典、まつばら・ひろのり。日本の建築家。東京都出身。東京芸術大学美術学部建築科卒業、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所、瀋陽市規劃設計研究院、北京非常建築研究所などを経て北京松原弘典建築設計諮詢有限公司設立。著書に『中国でつくる 松原弘典の建築』。

松原弘典の名言 一覧

仕事でひどい目に遭ったとき、心の整理はつきませんよ。だから、すぐ次のプロジェクトの方を向きます。


日本ではひと世代前の建築家の典型的なキャリアパスが崩壊していましたから、私は独自の展開をするしかなかった。その意味で、多少荒っぽくても、チャンスのある海外にまず拠点を作っちゃえ、と。それでだんだんとうまくいったら、また日本に帰ってもよかろう、みたいな考え方でしたね。


学部卒で22歳、大学院を出たって、まだ24、25歳ですよね。30歳ぐらいまで組織で働いて、自分なりの武器を手にして、その次に海外にもっと大きな場所を見つける、というプランでいいと思いますね。


中国では日本人って、ものすごく信頼されているんです。これは日本社会が戦後60年以上かけて作ってきたもので、私はそのことに随分助けられました。


やみくもに海外を目指せと言っているわけではないんです。私が勧めるのは、日本で実務経験を積んでから、海外に出る道です。私自身、伊東(豊雄)さんの事務所で4年間働き、1つの大きなプロジェクトに関わったことが、その後の大きな土台になりました。


実際に学生たちの就活を見ていると、採用される側は目立ちすぎないように画一化のレールに自分から乗っているし、企業の側も効率を口実に、システム化された採用をしている。こういう状態がいいとは思えない。みんなが同じ方向を向く、今の日本のシステムに飼い慣らされてはいけない、と強く感じます。


ひと世代前には、「身内の住宅を設計→商業店舗→コンペに当選して公共の仕事」というストーリーがありましたが、ほとんどの人がそういうストーリーには乗れなくなっていましたね。僕にしたって、家の設計を任せてくれる親類なんていませんでしたし。だから普通のやり方ではムリだと思いました。


誰か1人が儲けるのではなく、みんながハッピーになれる形を経験の中から探っていきたい。それは途上国支援だけでなく、東日本大震災の復興ともつながる21世紀のビジネスのやり方だと思います。「アーキテクト」という職業や言葉に、「どう作るか」だけでなく、「何を作るか」が問われている時代なのでしょう。


毎日朝から晩まで働いて、建築のことばかり考える。でも、だから身についたし自信になる。学校を卒業して、いきなり海外に行ったって、現地の人にただ使われるだけ。建築業界に限らず、日本の企業社会には、優れた仕事を学べる環境があるのだから、まずはそれを吸収して、そこから自分なりの道を切り開いていくのがいいと思います。


最初は中国で働く当てはありませんでした。語学留学気分で中国語を勉強して、うまくしたら仕事もあるだろう、ぐらい。だって建物がいっぱい建っていましたからね(笑)。で、そういうことを周囲に言っていたら、大学でお世話になった先生から「松原くん、中国に行きたいんだったら、私のツテがあるから」と声をかけてくださったんです。


確かに上の世代の人たちは、中国で仕事をすると、人間関係があまりに分からなかったり、資金回収ができなかったりで、中国で仕事をする人は限られていました。だからこそ私のような駆け出しにチャンスがあった。それと当時愛読していた「日経ビジネス」で、中国が「世界の工場」として大きくクローズアップされていたことにも興味を惹かれまして。日本のメーカーの人が「すごく大変でアグリー(醜悪)な場所だけど、可能性はある」と語っていて、それは建築でも同じじゃないか、と。で、ここは思い切って行ってしまえ、と決断したんですね。


もともと大学時代からいろいろなところを旅行して、建物を見て回ることが好きだったんです。私は大学には修士を合わせて8年間籍を置いたのですが、そのうち2年は休学して、バイトをしては海外に出かける、ということを繰り返していました。横浜から船に乗ってナホトカに行き、シベリア鉄道でロシアを抜けてフィンランドまで行って、ヨーロッパからアフリカに渡る、みたいな旅です。その中で一番印象的だったのが、ロシアと中国だったんです。とりわけ中国は、建物がたくさん建っているけど、いい建物は1つもない、という状態でした。

【覚え書き|中国に渡った理由について】


松原弘典の経歴・略歴

松原弘典、まつばら・ひろのり。日本の建築家。東京都出身。東京芸術大学美術学部建築科卒業、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所、瀋陽市規劃設計研究院、北京非常建築研究所などを経て北京松原弘典建築設計諮詢有限公司設立。著書に『中国でつくる 松原弘典の建築』。

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