名言DB

9,502 人 / 112,123 名言

松井道夫の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

松井道夫のプロフィール

松井道夫、まつい・みちお。日本の経営者。松井証券社長。長野県出身、東京育ち。一橋大学経済学部卒業後、日本郵船に入社。日興証券ロンドン支店を経て松井証券に入社。取締役法人部長、常務取締役営業本部長などを経て社長に就任。早くからネット証券事業に参入し、同社を大きく成長させた。証券業界の異端児と呼ばれた。

松井道夫の名言 一覧

プロであればあるほど、「相場はこう動きます」なんて言わない。「絶対」がないことをよく知っているからです。


性急に答えを出そうとしないのが鉄則。考え続けていると、ふとした拍子に閃きが訪れる。その瞬間を忍耐強く待つようにしています。


突き詰めて考え続けないと、本質的な答えは得られない。


他人と同じことをやっても成功しないし、だからと言って意表を突いたことをやってもベースがしっかりしてなければ駄目。


世の中の大きな流れをつかんで、自分が信じることをやればいい。


冷静に考えれば、ビジネスモデルなんて時が経てばカビが生えコモディティー化して過当競争に陥っていくのは世の中の常識。


イノベーションというものは始めてすぐに成功するという類のものではない。インターネット取引だって、始めてから2~3年は大したことはなかった。


胡坐をかいていたらいずれ失格の烙印を押されてしまう。


実質もう四半世紀も社長をやっていますが、まだまだひよっ子だなと思っています。成功など数えるほどしかなく、無数の失敗をしていますからね。


結局責任を唯一とれるリーダーが決断して実行させるしかない。責任をとれない者を社長とは呼びませんし、そういう者が決断なんて出来るはずもない。


新しい需要を掘り起こすための知恵を絞ることが何よりも必要。


業界を取り巻く環境が加速度的に変化しており、それに対応できる企業だけが生き残れる。


ビジネスモデルが陳腐化すると、価格競争が激化しがち。安売りは業界全体の衰退を誘う。


不景気や政治のせいにするのではなく、自らを律しながら経営に邁進し、証券業のイノベーションを実現したい。


自ら立ち上げたインターネット証券というビジネスモデルをぶち壊す。ビジネスモデルの創造者だけがビジネスモデルを破壊できる。


新しい需要を掘り起こすには、新たな事業概念を確立することに尽きます。それが達成できれば、業界の覇者になることが可能でしょう。


自ら変化の幕を開け、変化をくぐり抜けてきた人間でないと、今後来る大変化は予測できない。


イノベーションにより企業は爆発的に発展します商売の本質とはイノベーションを日々の商売の中で探し求め、実行することだと思っています。私はそれをこれからもやりたい。


今ある不要なものを否定し排除してこそイノベーションは生まれます。不安と同居した強烈な危機感こそイノベーションを生む原動力になるのです。


歴史はどんな時代においても、若者が創っていくものである。


本を読むときは、書かれていることをそのまま受け取るのでなく、「つまり○○ということ」といった具合に、必ず自分流に解釈することを心がけています。


突破口は自分で創るという気概でやっていく。


これからの時代で成功するにはもっと若い人が何を考えて、どういう価値基準で行動しているかを物差しにしていかないといけない。


私は日本がもう終わりだとは思っていません。一番のカギを握るのは若者ですよ。これまでの歴史の中で年寄りが歴史を変えたなんて話、聞いたことがない。世の中に変化をもたらすのはいつの時代も若者です。


利益は明らかに先細っていますが、それを環境のせいになんかにしたくありません。智恵が不足しているからだと思っています。


自らも含めて成功という商売の醍醐味を会社の仲間たち全員に味わわせてやれるのがリーダーの生き甲斐。じゃなかったら社長なんてアホ臭くてやってられません。


利益を出してこその会社です。価格を上げられない、利益の出ない競争はやっても意味がない。もっと質の良い競争を自分はやりたい。


「人の行く 裏に道あり 花の山」という相場の格言がありますが、これは経営にも当てはまります。他人と同じことをやっていたら、たいした利益は上がらないんです。


ビジネスというのは新しい需要を創ることです。いまある需要に対して何かをやるのは、たいしたビジネスではないんです。


会社の文化というのは、やはり経営者がつくるものです。経営者次第で会社は浮かびもすれば沈みもする。


「あきらめる」は「執念がない」と同義語だと思います。執念のある人は絶対に他人のせいにしません。全部自分のこととして考える。だから、「できないはずはない」「考えれば何かできるだろ」と前向きになれるんです。


「たわ言」から、すべてが始まるんです。それをあえて唱えて、その実現に向けて悩み苦しむことが本来のビジネスなんです。


会社経営では利益ももちろん大事ですが、もっと大事なことがあります。「お天道様に恥じるようなことをしては絶対にダメだよ、お天道様はいつでも見ているよ」ということです。私は来年還暦を迎える、まだ経営者の端くれにすぎませんが、日本人なら誰しもが幼いころから教えられてきた、このことがすべてなのかなと思っています。


決断する立場に置かれて初めて、人は物事を苦しんで考えるのです。非常に平凡な言い方をすると、苦しんだことのない人間は、やっぱりダメです。


決断して出した指針なり方針は、複雑なものではダメです。削いで削いで削ぎ抜いて、子どもにも分かるような言葉で話せるシンプルなものでないといけない。いままでの経験からすると、いい決断とはそういうものだと思います。


重要なことを考えるときには、自分をだまさないことも大切です。自分に素直になるといったほうがいいかもしれません。


組織というのは、こだわりを結集して成り立つものだと最近では思っています。こだわりがない人間はやはりダメです。こだわりのない者を何十人、何百人と集めても単なる烏合の衆です。執念のある人間を何人集められるか。それが社長の仕事です。


当たり前の話ですが、利益を増やすのが会社の目的です。そして利益を一番大きくするには、時代に合ったことをやることだと考えています。


会社はでかけりゃいいってもんじゃないだろうと思います。単位当たりで大きいほうがいい。そういう会社のほうが、自分も含めてそこで働いている一人一人の価値が高くなるからです。


供給者主体の仕組みを温存しようという時代は終わったのです。僕がいくら口をすっぱくして言っても、そういう世界になったことを信じようとしない、なんとか昔の世界を守ろうとする人たちもいます。でも、時代の大きな変化の中で、変わらずにいることは不可能なんです。


私は、個人では何の力もないのに、組織をつくって、権力をかさにきて、うまい汁を吸っている人たちが許せない。いま、証券の世界で、その嫌悪感をぶつけているだけなんです。消費者を無視した、供給者側の都合で築き上げられたこの世界を、どんどん変えていきますよ。これからが、本当の競争の幕開けなのです。証券の世界はもっともっと変わりますよ。


私は、自分たちが経験した苦い思いを教訓にして、日本を変えるきっかけをつくりたい。そうじゃなかったら、自分たちが必死にやってきた努力は報われないですよ。私は官僚主義的な、供給者主体の社会構造に対して、ものすごく嫌悪感があるんです。


死後、評価される画家が多いように、成功した経営者の多くは、当初、周囲の理解を得られなかった。理屈で解釈できる経営に成功はない。論理で割り切れないところにチャンスがある。


結局、自己満足なんです。その意味で、絵画の創作と会社の経営は似ていますね。こうでなくちゃいけない、という正解はない。経営に必要なものは感性です。追求すればきりがない中で、決断を下す根拠となるのは自分の感性ですから。


会社勤めには向いていない性格だと、いまでも思います。よく言えば他人に影響されない。悪く言えば唯我独尊。やっぱり画家的なんですよ。


息抜きで絵は描けません。いつもキャンバスの前で頭をかきむしっています。絵を描くのはストレスの溜まる行為。でも、だからこそおもしろい。
【覚書き|趣味の絵画について語った言葉。松井氏は高校生時代にプロを目指し創作に励んでいた】


どう変わるのか、答えは誰も教えてくれません。しかし、シグナルはあります。自分の頭でしっかり考えて、それを信じて決断することです。少なくとも、この路線で行けば将来必ずこうなるという時代ではないことだけは認識している必要があります。


30年ほど前、私が社会に出た時には、時代に大きな変化はなく、過去の延長線上に未来があると信じることができました。しかし、当時大企業と言われていたところは、現在凄まじい競争の渦中にあり、のたうちまわっています。みんなが思い描いていた将来のイメージとは全然違い、予想もしなかった変化が起きているのです。


いまは革命期の真っ最中です。世の中の風景は、大きく変化しています。これに気付いている人と、気付いていない人とでは天と地ほどの差が出てきます。たしかに、過去の延長線上に歴史が続いているのは事実です。しかし、必ず100年か200年に一回、世の中の様相がガラッと変わるエポック・メーキングな時代があるんですね。いま私たちが立っているのは、まさにその地点です。


今後、会社の中でビジネスを担っていくには、自由な発想ができる人間じゃないとだめです。そうはいっても、松井証券でいえば、社員に「私の決断に従え」と言っておきながら、彼らに「自由な発想をしろ」と言うのは矛盾のように思われるでしょう。でも、これはいわば二律背反の関係です。私が決めるんじゃない。私が決めるのは方向性だけ。それを理解したうえで、あとは社員が自分たちでやる。そのためには今の常識を一回捨て、自由な発想をしてくれと言うことなのです。


そもそも経営とは会社の進む方向と、時代の潮流とのギャップを埋める作業だと思います。その上で社長の仕事は、社長室で座禅を組んで考えることです。つまり、世の中がどういうふうに変わるのか、何が本質なのか、とことん考え抜くことです。本当はいくら考えたって真実はわからないんです。でも、考えなくちゃいけない。社長が考えて世の中の流れを判断して、それを前提にビジネスをやるんです。


私はこんなに努力しています。一生懸命働いています。というのは本人の勝手な思い込みです。肝心なのは働いた結果として、どれだけ商売ができたのかということです。


私は社員に「給料をもらって働く人」は辞めてくださいと言っています。必要なのは「働いて給料をもらう人」だけです。両者には大きな違いがあります。江戸時代、魚河岸(うおがし)に魚を売る商人がいましたよね。彼らはいくら朝早くから魚を売り歩いて努力したとしても、結局魚が売れなければ何もしなかったことになります。商人とは本来そういうものなのです。


新しい日本を作るには、会社と個人の主従を逆転させればいいんです。個が自由に組織をつくればいいんです。私は社員みんなの「好き嫌い」で組織を作っていこうと思っています。いくら理屈を並べても、最後の最後に組織のベースになるのは、感情なんです。もっともらしい基準を設けて体裁を整えるのはやめてもっと人間的なことで評価しようと考えたのです。人間は結構本質を見抜くものです。松井証券は社員数が156人の会社です。感情を前提に作り上げた会社が一つくらいあってもいいじゃないでしょうか。


戦後日本の社会システムのもとで、サラリーマンは会社の成長とともに自分も大きくなったような幻想を抱きました。しかし実態はというと、成長がストップしたとたん会社は個人を切り捨てはじめた。組織が主で、個人が従という会社全体のシステムのもと、組織に裏切られ、個人が責任を取らされるケースまで生じています。組織に従属した個人というのがいかにないがしろされているか。彼らの気持ち、彼らの家族の気持ちを考えると、正直言ってたまらない気持になる。


動いているのは太陽ではなく地球なんです。すなわち、地動説です。中心に存在するのはあくまでお客さんです。顧客中心主義。顧客がすべてを決める。組織を大きくしてグループを作れば顧客を囲い込める時代ではないのです。これが情報革命のもたらしたパラダイムシフト(概念、枠組みの変化)なのです。


顧客第一主義という言葉があります。じつは、これは顧客を「集団」としてとらえた企業中心の考え方です。これでビジネスをやっていてはだめです。顧客一人一人を中心に置くことが重要なんです。お客さんは我々にお金を払ってくれる側。我々はお金をいただく側。そういう立場ですよ。我々商人というのは、選ばれるか選ばれないかという存在にすぎない。


利益を上げて経営状態が良くなってくると「うちの会社はいま何百人の社員がいる。将来は、何千人にするんだ」といって、買収を繰り返し、組織を拡大していく経営者がいます。つくづく疑問に思います。みんな規模を拡大しようとする。足し算の発想をするのです。しかし僕は、もう徹底的に引き算の発想をしようと思って、有無を言わさず本社を移転しました。余計なものを排除する。つまり、規模を捨てたんです。徹底的な引き算の発想を、社員に示したつもりです。


社員の首切りをしない一番いい方法は何かというと、人を増やさないことです。ある程度の新陳代謝は必要だけれど、もう組織を拡大するのはやめようということ。会社の利益はだれが作るのかというと、社員、すなわち会社の仲間たちです。であるならば、利益は株主と会社の仲間たちに分配するのが当たり前でしょう。だったら、人数は少ない方がいいに決まっている。


あの決定は間違っていた。ごめんなさい。”なし”にする。(覚書き|電話での証券取引事業の拡大を決断後、すぐにその決断を撤回したときの発言。そして松井証券はインターネット取引に全面方向転換する。この発言で多くの社員が辞めてしまったが松井証券の業績向上のターニングポイントとなった)


日本の空の下にこれだけボロ儲けできる業界があることを知って、正直言うと、極めて不愉快に感じた。(覚書き|証券業界に入ったとき、大蔵省と野村証券をトップとした護送船団方式を見て発した言葉。横並びと低競争でぼろもうけしていた当時の証券業界を批判した言葉。この後、顧客目線に立った松井証券改革に取り組む)


どうすれば自分が一所懸命やらなくても達成できるか、そういった仕組みを作るのが君の仕事だ。(覚書き|中間管理職に言った言葉)


新しいことは、批判精神からしか生まれない。一番大事なのは哲学するということ。自分の頭で考えること、自分を信じるということ。自分はエモーショナルな人間だと思っている。感性をベースに行動している。自分が問題意識を持ち、常に考えていれば、どんな人の話を聞いても必ず何か役に立つものである。


結局、最後はアナログに帰っていく。人間の感性とか、気が合うとか合わないとか、結局のところ人間の集まりである組織はそこへ戻っていく。エリートとは反逆児。自分が会社を創り上げるという意識が大切。組織を因数分解するとすべて「個」になる。「個」が何を創り上げるか、「個」の集積が組織なのだ。


顧客の求めて「いない」コストは、商売をするにあたって大変な足かせになる。囲い込まれたい顧客などいない。商人のできることは、自ら指をたてて「この指とまれ。」と呼びかけることであり、その指に止まるかどうかは顧客が決めることだ。


日本円は捨てられる。デフレの時代であれば、キャッシュは持っているだけでドンドン価値を生んできた。でもそれは日本政府の保証があるという「おカネ」。ヘタをすると、こんなにリスクのあるものはない。日本政府の信用をバックにしたものからはなるべく逃避した方がいい。日本円じゃないものに資産を 逃避させるという考え方がものすごく大事。日本国がベースになっているものは、とりあえずはずせ、ということ。国債なんて論外。日本円の紙幣を持つのもな るべく必要最小限にした方がよい。日本という国は信用しない方がいい…


私は常々、日本をだめにしているのは「かね」人種、つまり発言の語尾に、「~かね」、「~ではないか」、「いかがなものか」といった曖昧な表現を付けたがる人たちだと主張しています。日本のリーダーには、「かね」人種が多すぎる。アメリカに追いつき追い越せという時代であれば、そうしたリーダーでもよかったのですが、目標を見失った今の日本において、いつでも逃げられるような物言いしかしないリーダーが組織の進むべき方向性を示せる筈がないのです。今、日本に必要なのは曖昧な表現をしない、「だ」人種なのだと思います。


インターネットよくわかりません。そんなに興味もないしね。

【覚え書き|2006年の発言。松井証券は1998年にインターネットに本格参入した】


個人向け国債?そんなハイリスクな商品、うちでは取り扱いません!
【覚書き|松井証券は第二次世界大戦まで多くの国債を購入していたが、敗戦でそれらが一気に紙くずになったことを経験している。その件について先代から当時の状況を克明に説明されたのかもしれない。また、一見リスクのないものこそリスクが隠れているという意味もあるのではないでしょうか】


日本の金融・証券業界に今求められていることは、コスト構造を変えることです。長い間規制に守られてきたこの業界では、「供給者の論理」を前提としたビジネスが行われ、「虚業」が育成されてきました。私の定義では、「虚業」とは「顧客が求めていないコストで成り立っている商売」を指します。コスト構造を変えるということは、こうした虚業を廃して、「実業」、すなわち「顧客が求めているコストを前提とした商売」に変えていくということです。


今や同業を全て敵に回したと思ってください。(覚書き|松井証券がインターネット事業に参入したとき敵はどこかと問われての発言。インターネット事業に特化する覚悟を語った言葉)


会社と顧客は信用市場で、同じように、リスクを負っている。掛け目0とは、そのリスクをすべて顧客に押し付けたことを意味している。業界では非常識すぎて話にならない。(覚書き|マネックス証券がライブドア株急落前にライブドアと関連会社の担保能力を予告なく掛け目ゼロにしたことについての発言。経営者としてはリスクを最小にするための決断であるが、顧客にとってはマイナス面があり賛否両論がある。顧客重視の松井証券にとっては受け入れられない経営判断のため出た批判コメント)


コーポレート・ガバナンスというのは、リーダーに強い権限を与える一方、失敗した場合にはそのリーダーをパージ(追放)する仕組みです。「あいつの言っていることを信じてやらせてみよう」、「そのかわり、判断ミスが明らかとなった場合には辞めさせる」という 2つの仕組みが揃わなければ、リーダーの思い込みに組織を委ねることなどできません。


おじいちゃん、おばあちゃんの頭になれよ。(覚書き|新聞広告で証券の専門用語をたくさん盛り込もうとした社員へのひと言。業界をまったく知らないおじいちゃんおばあちゃんにでもわかる平易な言葉で書けという戒め)


組織の中で意思決定を行う際、視点を変えれば様々な「解答」が出てくる訳で、どれが正しいかを延々と議論したところで水掛け論になります。最終的にリーダーが決断して方針を決めれば済む話です。リーダーが判断を誤ることも十分あり得ますが、とにかく動かないことには何も始まりません。


訳の分からない分割、地獄に堕ちろ。いずれ市場から数十倍、数百倍のしっぺ返しがある。(覚書き|株主利益を無視した経営者のエゴによる過度の株式分割を批判した言葉。名指しは避けたがライブドアへの批判だと見られる。この後ライブドアは証券取引法違反容疑で強制捜査され株価が急落。株式がただの紙同然になる)


学生や卒業したてで起業したいなどという人には、クソして寝てろと言いたいです。(覚書き|学校卒業後すぐ起業することを戒めた言葉。社会的な慣例や常識、人づきあいや働き方を学んでから起業せよという激励。卒業直後に起業するインターネットベンチャー社長に数多く会って、経営手法や考え方に危うさを感じた経験から出た言葉かもしれません)


これからは「個」の時代です。組織を構成する一人一人が主体性を持って行動できなければなりません。明治維新などの過去の「革命」の例を見ても、「個」が組織を利用して改革を成し遂げたのであり、今まさにそうした発想ができる人間が求められています。


空売り規制?馬鹿言うな。このオタンコナス!(覚書き|空売りを過度に規制しようとする投資について理解が薄い政府に対する批判)


将来どうなるかは誰にも分からないことです。ただし、産業の中で1つの機能が役目を終えると、また新しい機能が生まれるものです。時代の潮流を察知しながら、サービスを提供できる会社が伸びてくるに違いありません。


大手と同じ土俵で勝負するつもりは全くありません。企業によって、規模や事業内容、販売チャネルが大きく異なるのですから、自社の強みを生かすことに専心すべきでしょう。


規模だけが生き残りを左右するという単純な図式ではない。大手になれば、数千数万規模の従業員を抱えた大組織ですから、変化に対応することは至難の業です。


国際化とグローバル化は、似て非なるものだ。国際化は内と外を意識した概念であるが、グローバル化は、そんなことを意識せずに、国境などまたいで、自らの意思に基づいて、自由に舞台を選択していく行動様式だ。そこで繰り広げられるのは、良くも悪くも、ゲームに勝つために自分たちに有利なルールを作り、その舞台にいかに相手を引きずり込むかの駆け引きでもある。それは極めて弱肉強食的な世界だ。このようなドロドロした世界を「国際化」と同じ感覚で論じている時点で、有為な、特に次代を担う若い人材はどんどん国外に逃げていってしまうだろう。


「百聞は一見にしかず」の通り、情報化が進めば進むほどアナログによる情報の価値が増す。


特に重視しているのは、歴史書や哲学書です。書かれていることを覚えるのが目的ではありません。歴史的事実から「人間の本質」や「社会のそもそもの成り立ち」を読み取り、現代に置き換えて考えるのです。新しい組織のあり方について構想を練る有力なヒントになります。


この先の時代がどう動くかは誰も教えてくれない。社会が直面している問題は何か、企業としてどう動くべきなのかを考える、つまり「時代を読むこと」が、経営者としての私の仕事。


責任を取らないスタンスが経営を悪くしている。今の経営者は社長ごっこ、もしくは代表取締役部長。組織経営とか言いますけど、全然意味が分からない。組織に責任なんて取らせられませんよ。責任はすべて個人が取る。代表取締役部長が無責任な経営をしている限り、今後も日本の先行きは暗い。


これからは日々進化するロボットやコンピューターが人間の単純労働を代替していくだろう。さりとて、人間がいらなくなるわけではない。もっと高次の仕組み「創り」にその能力を発揮すればよい。人間本来の持つ、アナログ的能力が再び付加価値の源泉となるだろう。


松井証券では社員を120人に絞り、給料は会社からもらうのではなく、顧客から得た利益の中からもらうという意識を徹底させている。会社という組織の中で「給料をもらって働く」のではなく「自分が働いて給料をもらう」というのは至極当然の考え方である。


人の頭脳が資本となるホワイトカラー中心のビジネスでは、人数が多いからといって生産性が上がるとは限らない。売上をもっと増やそうと人を増やしても、最適な人数を超えてしまえば非効率な事業に人を投入せざるを得ないからだ。これにより、個々人が利益のため合理的に働いても組織全体では利益が上がらない、経済学で言うところの「合成の誤謬(ごびゅう)」が生じてしまう。


会社を大きくすることより社員1人当たりの利益を最大化する方が、結果的にプラスだと思う。


これからの時代、会社やグループの規模が大きいことに価値があるとは思えない。


ネット証券ビジネスを立ち上げ、業界に革新をもたらしました。しかし、10年以上経った現在、過当競争でビジネスモデルが陳腐化したため、創造的破壊により新しい事業概念を確立します。


経営の最大のコストは時代とのギャップ。人件費や研究開発費なんてそれに比べたら微々たるもの。時代とのギャップを拡大させるか縮小させるかは、社長の頭の中にかかっていると言っていい。時代とのギャップが大きい社長がいる会社はあっという間に廃れます。それを自覚したら退くべきです。


ありがたかったのは、義父は僕がやることに一切口を出さなかったこと。自分が築いてきたものを少しでも壊したら、普通は文句の1つも言うと思いますが、不思議なほど押し付けは一切なかった。


マイナスといわれているものをプラスに転じる発想をする。それくらいおめでたくないと経営者は務まらないですね(笑)。経営は絵と同じです。万人がいいとほめる絵なんて、たぶんつまらない絵です。


会議をやって、全会一致で「それはいいですね。ぜひやりましょう」ということになったら、むしろそれを理由にしてやめます。経営者はひねくれていないとダメなんです。意外性がないのとオリジナリティがないのとは同義です。


ソニーが初代ウォークマンを開発しようとしたとき、社員やお客さんが「録音機能がついていないものなど絶対に売れない」と言うのを聞いて、盛田(昭夫)さんだか井深(大)さんだか忘れましたが、「だったら、やろう」と決意されたそうですが、この話は私の中でストンと落ちました。「さすがだなあ」って。みんなが反対するからこそ、やる価値がある。だれもが賛成することはやる価値がない。やる前になるほどねというようなことをやってもしょうがない。


できない理由を一所懸命探して、できない、できるはずがないと自分に言い聞かせる人とは、私は一緒に仕事はしたくありません。「できるはずだ」と一緒になって悩み苦しむ人と仕事がしたい。どこかに乗り越えられる解があるのです。つじつまを合わせて、他人がやっているのと同じようなことをきれいに整理してやりましたと言われても、「そんなのつまらないよ」と言うしかありません。


デフレの今はとにかく安いものがいいという考えでビジネスモデルをつくっているところがたくさんあるし、それはそれで儲かっていても、インフレに切り替わったとき、それらは一瞬にしてつぶれます。時代が変わるというのは、天地がひつくり返ることですが、同時に会社もひつくり返るのは、できれば御免こうむりたい。だから、インフレ時代にいったいどうなるのかを考えて、いまのうちから準備しておくのが商売ですよね。


デフレとインフレの時代では、商売のやり方は明らかに違います。日本は20年間デフレで来たので、みんなそういう発想が身についてしまっている。でも、ずっとデフレであるはずがなく、いつかインフレが来ます。すると180度やり方が変わる。


読みが間違っているようなら、どんどん軌道修正すればよい。臨機応変が何よりも大事です。そのためには身軽な組織でないとダメで、規模は極力小さくしたほうがいいに決まっています。当社のような装置産業ではないビジネスは、会社規模と売上が比例しません。だったらコストが少ない小規模のほうが、利益は相乗的に増えます。一人当たりに換算すれば、もっとすごいことになる。


他人の、しかもそのマジョリティ(多数派)がやっていることが、その時代に必ず合っているわけではありません。時代はどんどん動いているからです。頼るべきは、自分なりの時代観です。社会変化のベクトルを自分なりに探すのです。ベクトルとは、「方向」と、「動く大きさ」なり「スピード」です。それに商売を合わせれば、とてつもない利益が上がるんじゃないか、ということです。


私には、会社を大きくしたいという欲求はまったくありません。いま、松井証券の従業員は100人ちょっとですが、何千人、何万人という会社になりたいと思ったことはないのです。興味があるのは「一人当たり」だけです。


組織をどのようにして束ねていくかが会社の浮沈にかかわりますから、組織論はとても大事です。たとえば、アメリカ陸軍の特殊部隊であるグリーンベレーの最小単位は十数人です。軍隊は互いに生死を賭けるわけですから、全員が情報を共有していないと高度な作戦など遂行できません。「あいつシャイだけど、やることは大胆なんだ」とか、「冷血なようで、結構涙もろいんだよな」とかいった類の人間心理も含めての情報共有です。要するに家族のような関係じゃなくては、作戦が高度になればなるほどリスクが高まります。だから、多くて十数人が限度でしょう。そこに指揮官がいる。そう考えると、会社の組織も同じだと思います。私が直接見られるのも、せいぜい十数人です。その十数人が層になって会社という組織になっているのです。


職人にはこだわりがあるんです。私も職人だから、「そんなにこだわること、ないじゃないか」と言われると、本当に腹が立つ。自分を否定されたような感じになるんです。職人とはそういうものであり、それくらいこだわりがなかったら、ビジネスなんてできません。


広告コピーは「てにをは」を変えるだけで、人に引っかかりを与えるようなフレーズ創りができます。絵も同じで、線の角度をちょっと変えるだけで、まったく印象が違ってくるんです。それをつまらないことだと思ったら、広告創りから外れたほうがいいと思います。人の感性というのは鋭いもので、つまらないものはすぐに見抜かれます。いいなと思うような広告を考え出すには、髪の毛をかきむしって悩まなくてはいけない。要するに思い入れなんです。もちろん、中身が一番大切で、そこには思い入れがぎっしり詰まっている。でも、そんなものに世の中の人はまったく興味がない。斬新さに注目が集まります。広告というのは、会社の魂の叫びなんですが、それを行間に隠して、さらっと、分かりやすく世に問う作業です。言葉選びは本当にむずかしいと、つくづく思います。


私は社内の会議にはほとんど出ませんが、広告に関するものは別です。当社には営業というものがないので、広告のコピーを考えるのはひとつの営業行為です。これは社長の自分が考えるのが一番だと思うからです。


本を読めば何でも書いてあります。でも、それを真似することは、自分を見失うということです。だから真似をしてはいけない。他人がしたことをそのままやっても、それは自分自身が思っていることではないから、それで成功したところで何の満足感も得られません。やはり自分のオリジナルのものでなければダメ。絵だって、人様の描いた絵をどんなに精緻に模倣しても、それは自分のものではないんです。


全然違うことをやっているときに、ハッとアイデアが思い浮かぶこともありますね。でも、よくよく考えてみると、それは突然浮かんだわけではなくて、以前からずっと考えていたことなんです。一度消して戻してまた消して。これをくり返していると、アイデアが出てくるんですよね。これも執念を持ってしつこく考えるということだと思います。


私は風呂が好きで、よく湯船の中で何時間も考えごとをします。風呂は、ただ入っていればいい。みずから行動しなくていいから、非常にリラックスするんです。そうやって身体も何もかもきわめて受身なシチュエーションに置くと、逆に脳は能動的になる。こじつけですが(笑)。会社の椅子に座って考えこんでも、いい発想が浮かぶとは限りません。考える場所や時間は自分で選択できます。人にはそれぞれ一番考えやすい場所があるでしょう。便所で考えるといいアイデアが浮かぶとか。社長の仕事は考えることですから、その環境は自分でつくればいいんです。


執念がないと、可能性を信じないで困難ばかり考えるようになります。できない理由を一所懸命探す。挙句の果てに何をするかというと、必ず他人のせいにするんです。誰だって、自分を失って後ろ向きになんてなりたくないですよね。まあ楽ですけど。


自分の欲求を実現するには、しつこくやればいいんです。まさに、念ずれば通ず。こうありたい、こうなりたいと、百回、千回、万回唱えていれば、おのずとそういう行動をとるものです。「人間、できないことはない」なんて言うつもりはないですけれど、できないとあきらめた時点で、もうできません。しつこく、できるまでやる。


人生もそうだと思いますが、ねちっこくないといけない。これを簡単な言葉で言ったら「あきらめるな」ということになるのでしょう。あきらめというのは「逃げ」ですから、あきらめちゃいけないんです。とはいうものの、私自身、いつでも逃げ出したい衝動には駆られます。でも、人間の行為で一番後悔するのは、逃げることでしょ。逃げると自分自身が許せなくなってきます。あとで悔やむのは自分。そんなことで苦しみたくないから、逃げない。その一念でやっています。


自分で言うのもなんですが、私はおそらく経営者に最も向いていない人間だと思っています。でも、開き直ってみると、そもそも経営者に向いている人間って何なんだ、とも思う。私はかなりしつこいし、途中であきらめません。もしかしたら、それだから経営ができているのかもしれません。


キャンバスに向かっていると、経営と結構似ているなと思うことがあります。たとえば、あの空にしても、川の水にしても、100回は塗り直しています。結果的にありふれた色になっているかもしれませんが、ピンク、赤、白……と、ありとあらゆる色を塗ってみました。削ってみれば層になって出てくると思います。何十回、何百回と塗り直し、きりがないからと筆を下ろして、一応完成する。それでもあとから見て、「あの色はちょっと」とか、「あの線があと5度傾いていたら」などと思う。ぐだぐだと思うのは、それだけ思い入れがあるということです。経営もまったく同じです。何べんでも試行錯誤する。


私の場合、苦しんだもののひとつは人間関係でした。人を使っにしても、「どうして分かってくれないんだよ」というありふれたことから悩み始めるわけです。でも、そういうことを通して、かなりの時間をかけて、人を使うということがどれだけ傲慢で不遜なものであるかが分かりました。私自身は、たぶん人をうまく使うことは未来永劫できないと思っていますが、自分なりに苦しむと、そこから何か考えが出てくる。苦しんだ上で自分が納得したのならそれでいいか、と思う。


直感も大事です。そして、自分が下した決断にあまり固執しないことです。その意味では、朝令暮改はとても大切です。直感で決めたら、間違えることもある。間違えたら素直に改めればいいのです。


社長をやっていて思うのは、竹をスパッと割るような決断なんてできないということです。決断が正しかったかどうかは、やってみなければ分からない。間違えることもあります。でも、やはりムダなことはしたくない。だから考えて考えて考え抜く。そして「これだけ考えたのだから、神様も許してくれるんじゃないか」と割り切る。社長の決断とはそんなものです。したがって、優柔不断は決して悪いことではない。それだけ一所懸命考えているということだから、むしろ大事なんです。


いまふり返って、より本質的に正しかったなと思うのは、90年に外交営業をやめる決断をしたことです。「営業というコストは本当に必要なのか、お客様が求めているのか」と考え続けた結果、「高度成長のときとは違う。日本人は物理的な”物”ではなく、もっと抽象的で精神的なものを求めている」ことに気づきました。「それはお客様固有のものであり、押しつけてはならない。ビジネスも、供給者中心の「天動説」から、消費者中心の「地動説」へのコペルニクス的転回が必要だ。「顧客第一主義ではなく顧客中心主義だ」と。そして、それが金融の分野では何かと考えてたどりついた答えだったのです。


社長に求められる一番大事なものは時代観。これに尽きます。時代はどんどん変わりますから、参考図書はあっても、「今はこういう時代だ」と教えてくれる書物などありません。考えて考えて考え抜いて、時代観を自分の頭で構築するのが社長の仕事です。


社長の仕事は考えること、瞑想することだというのが私の持論です。社長がやるべきことは、きわめて哲学的なことです。部下が持ってきた選択肢からどれかに決めるのが社長の仕事だという人もいると思いますが、私は全然違うと思います。


今の若者は会社に対する帰属意識が低い。自分の会社を「我が社」なんて言わないしね。お昼ご飯を会社の人と一緒に食べたりする人も減ったよね。個人と組織のつながり、関係性が明らかに変わってきている。こういう若者の動きを「今時の若者は……」と一言で片づけていてはダメ。日本人の感性や価値観が変わってきた証しと認めないと。若者の考えや行動を理解しろとは言わないけど、少なくとも認識はしなくちゃ。そうしないと、いつまでたっても日本は変われません。


インターネット株取引を開始したことがイノベーションだったとは思っていません。誰でも思いつきますから。外交営業をやめたことの方が遥かに画期的だったと思います。顧客はそれを欲していないと気が付いただけに過ぎません。今から思うと当たり前のことなんですが、実行するのは大変でした。


競争できない弱者は救わないといけませんが、今は競争できるはずの敗者が弱者のフリをして「弱者を救うべきだ」と言っているように思えてなりません。敗者が「強者はけしからん。俺たちを救え」と言ったら健全な競争がなくなりますよ。


先代(松井武)は1人で経営をして、1人で決めてきた人でした。私にも「あなたの責任でおやんなさい」ですから、社長というのは自分で決断して行動するものだと思っています。多数決で決める、相談して決めるというのでは、リーダーではない。


潰れずにここまで来られた理由は「引き算の決断」をしてきたからです。私は今まで加える決断をたくさんしましたが、これはことごとく失敗しました。ところが既存のものを排除する決断、引き算の決断、これが当たりました。


株式売買手数料が自由化されたとき、「株式委託手数料解体新書」と銘打った全面広告を日本経済新聞に出したんです。松井証券はなぜ手数料を下げるのか、その根拠と理由をそこで説明しました。株式売買の手数料を構成する要素は大きく分けて3つあります。「売買などの執行業務」「情報提供」、そして「コンサルティング」です。それを松井証券はコンサルティングはやらない、情報提供もウェブサイトを通じた客観的なものに限定する、でもその代わり手数料は下げると。いままでが「定食」ならば、こっちは「アラカルト」を出すぞと。


手数料がいくら安くたって、しょっちゅうシステムトラブルを起こし、電話をかけてもつながらない。そんな状態が続いたら顧客だってバカじゃないから本当に大切なのは何か、気づきますよ。みんな複数の証券会社に口座を持っているんだから。各社の対応の差が明確に分かります。
【覚書き|システムメンテナンスやコールセンターに力を入れている理由について語った言葉】


システムはどんなにメンテナンスをこまめにやろうが100%完璧にすることはできないのですよ。だから、トラブルが起こった際の問い合わせや苦情の受け皿となるサポートセンターがセットで必要になるのです。顧客にとって、そういう目に見えないところまでやるのが本当のサービスであるはずです。でも目立たないから、大事と考えられていない。


松井証券は取引のない土日を利用して、システムのメンテナンスをしょっちゅうやっています。迷惑を重々承知のうえでね。お客様には迷惑がかかるけど、突然ドカンとシステムダウンするよりはいいでしょう。


松井証券には過去、オンライン証券事業を始めた直後にシステムダウンを起こした苦い経験があります。数十分間でしたが、その間の数万件の取引を修復するために、社員が交代で徹夜状態になりながらひとつずつ帳簿をチェックしたのです。それでも全部解決するのに半年間かかりましたよ。トラブルを起こした年は、ちょうど創業80周年。自分が受け継いだ「老舗の松井」はここで潰れるかもと、本気で思いました。システムトラブルは会社の生死に関わる問題だと、身をもって感じたのです。その時の教訓が今につながっています。


人間の脳は、ぐっと集中して考えれば、短時間で素晴らしいアイデアが浮かぶほど、単純なものではないと思うのです。答えを出したいテーマがある時は、ずっと意識しておけば、ある時、必ず答えが出る。「仕事のことは会社で考えるもの」といった固定観念を持つのでなく、会社でも家でも、とにかく「考え続ける」ことが大切だと思います。


朝はなかなか頭が働かないため、出勤前に水泳をして頭を覚まし、思考のスイッチをオンにしています。20~30分かけて1kmをクロールで泳ぐのですが、最初は慣らし運転。体が慣れてきた15分後くらいから、泳ぐというより、体が勝手に動いて、ただ水に浮遊しているようなスイマーズハイの状態に入ります。脳がリラックスし、研ぎ澄まされていく感覚が得られます。この時、自分から積極的に何かを考えたりはしない。いろいろなことが頭に浮かんだりはしますが、基本的には「脳の休息時間」になっています。


あるテーマについて考え続け、考えがある程度まとまってきたら、500~600字のエッセイにまとめて、自分宛にメールを送っています。書く前に「このことについて前にも何か書いたな」と思い出したら、そのメールを探して読み返す。メーラーの「返信」ボタンを押して、過去の文章を引用した状態にし、「この時考えたことは正しかった」あるいは「全然考え違いをしていた」というふうに、新たな考えを前後に書き足す。それをまた、自分にメールで送ります。こうすることで思考を深めていくことができる。毎日必ず書くのではなく、ふと思い立ったら書くという感じで、肩肘張らず自然体で取り組んでいます。


よく読んでいるのは、世界情勢を分析する「オックスフォード・アナリティカ」。英国企業が発行している英文リポートです。このリポートは、世界中の政治家や経済人に読まれており、政治や経済上の出来事を6~7時間後には論評している。日本で起きている時事問題も、日本の報道とは違う視点で、詳しく客観的に述べています。大局的な視野に立って考えるうえで、非常に役立ちます。


やることすべてが証券業界の人とは基準が違っていたので、ことごとく僕と対立しましたね。僕は、そういう役員たちは出て行ってくれと言っていました。それについても先代は何も言わなかった。役員に対しては、僕のいないところでフォローしてくれていたとは思いますが、こちらの耳には何も入ってこなかった。もちろん、狭い社内にいたらそういう空気は分かりますが、全部自分が決めるという自負心がありましたから、結果的には思ったとおりにやりました。


私の好きな言葉は「坐忘」です。これは大学の先輩でもあり日本生命の社長・会長をされた故・伊藤助成さんから教えてもらった禅の言葉です。新しいものを取り入れる為には、まずは古いものを捨てるしかないと。捨てた余白に新しいものがどんどん入ってくる。シュンペーターが唱えた「創造的破壊」と同じです。


社外から否定されるのは大したことはありませんが、社内から否定されるのが一番辛かった。他の業界から移ってきた、何処の馬の骨だか分からない奴が、跡取り娘婿というブリキの看板背負って、常識外のことを叫ぶんですから、まあ当然といえば当然なんです。支持してくれる人は周りに極めて少数しかおらず、四面楚歌の状態。やってみなければわからないことをやれと言うんですから、説得するとかしないとかいうような状況にはありませんでした。俺が全責任を持つから黙ってやれとしか言えなかった。


社長になって実質25年以上たちますが、その中で一番大きな仕事は外交営業をやめたことだと思っています。ただ、さすがに外交営業をやっていた社員は、何人もお客様を連れて辞めてしまいましたね。外交営業なんて、お客様は望んでいなかったからですよ。外交営業は大きなコストが掛かります。そのコストは手数料などの形で、結局お客様が負担している。当時はまだ手数料は自由化されていませんでしたが、遅かれ早かれ自由化される。そうなるとコスト競争になる。コスト競争が行われる環境では、不要なコストを放置していると負けるんです。だから最大のコストであり、不要な外交営業をやめました。ただし、ただやめるのではなく、コールセンターを整備して、そちらで外交営業の役割を担えると分かってからやめました。


私が松井証券に入った直後が、バブルのピークでした。数年で株価が何倍にもなる。当時、野村証券は4年で2兆円の利益、破綻した山一証券だって1兆円弱の利益を出していました。当社も規模なりの利益は出ていましたが、バブルが弾けると軒並み赤字へ転落です。誰も経営をちゃんとしていないんだから、市場環境が変わればダメになって当たり前。


世界ではこれからとんでもない競争が始まる。これまでの延長線上にある世界ではありません。とんでもない変化です。時間は待ってくれません。それに乗り遅れた企業や産業は、時代の大きな荒波で流されます。そういう時代がこれから始まるということですね。まあ、恐ろしいといえば恐ろしいし、面白そうだなといえば面白そうだなと。とんでもない競争が起きると思いますけど、チャレンジングな人にとってはいい世の中になるでしょう。


バブルが崩壊して日本企業が競争力を失い、ここまで落ちぶれるとはね。バブル当時、ほとんどの人は想像できなかった。でも、僕の知る限り、3人だけ未来を正確に予想していた人がいたのです。経済同友会の喫茶室で会った、高度成長期に社長をされたご老人たちでした。名前はいいませんが有名な方。いずれの方も10年以上、経営のトップを務められた方ばかりでした。彼らは「日本の経済は三流になる。なぜなら民間が官僚化していくのだから」と語っていた。バブル真っ盛りにですよ。当時の僕は正直意味が分からなかったんだけど、今から振り返ってみると核心をついていました。現実にその後、経営者のメンタリティーがこぞって官僚化し、多くのトップが無責任になることで、失われた30年になってしまった。皆さんご存じの通りです。これは仕組みが悪いんです。今や社長の任期は3年程度。しかも会長や相談役など上司がいて責任が分散されている。1990年ぐらいまでは、社長が全責任を負って10年以上もトップをやっていた。会長なんて冠婚葬祭係でしたよね。社長が他の人から頭をなでられるというシチュエーションはなかったんですよ。そこに経営に対するプライドなり、尊厳があった。


日経平均株価がバブル期以来の高値更新? 知ってますよ。知ってますけど、それがどうかしました? 全然興味ありません。そりゃあ相場なんだから20数年もあれば、株は上がったり下がったりするでしょ。もっともらしい理由を付けて、「これは新時代の幕開けです」とか言って何の意味があるの。一喜一憂しないで、もっと本質的なことを考えるべきですよ。


バブル崩壊の前に、経済同友会で素晴らしい経営者の方々とお話をする機会がありました。その方々が「このままだと日本経済は落ちるところまで落ちる」とおっしゃっていた。その理由が、「民間企業が官僚化していくから」だと言うんです。官僚化とは「決断しない」「無謬性がある」ということです。無謬性、つまり自分は正しいと信じている。だから責任は取らない。でもそれを民間がやったらダメだと言うんです。なんと、その後の日本はその言葉通りになってしまった。大企業の経営者といっても、社長がいて、副社長や取締役がたくさんいて、取締役会や様々な会議で多数決で物事を決めていく。誰も決断していないから、誰も責任をとらない。最近はホールディングス体制の会社も増えていて、ますます責任の所在が不明瞭になっています。昨今の日本企業の不祥事の一因も、民間の官僚化にあると思いますよ。


松井道夫の経歴・略歴

松井道夫、まつい・みちお。日本の経営者。松井証券社長。長野県出身、東京育ち。一橋大学経済学部卒業後、日本郵船に入社。日興証券ロンドン支店を経て松井証券に入社。取締役法人部長、常務取締役営業本部長などを経て社長に就任。早くからネット証券事業に参入し、同社を大きく成長させた。証券業界の異端児と呼ばれた。