松下幸之助の名言

松下幸之助のプロフィール

松下幸之助、まつした・こうのすけ。日本の経営者。「松下電器産業(のちのパナソニック)」創業者。9歳の時に父が米相場で破産したため尋常小学校を4年で中退し丁稚奉公に出る。16歳で大阪電燈(現:関西電力)に入社し7年間勤務。在職中に電球ソケットを考案した。その後同社を退社し独立。水道哲学、ダム式経営など独特な経営哲学で同社を日本屈指のグループ企業へと育て上げた。松下政経塾、PHP研究所の設立者でもある。

松下幸之助の名言 一覧

いかなる非難や屈辱にも耐え、自分の正しいと信ずる方針をつらぬいて、じっと時を待つということができなくては、真に優れた指導者とはいえない。

世の中に変化し、流動しているものである。一度は失敗し、志を得なくても、それにめげず、辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに、周囲の情勢が有利に転換して、新たな道が開けてくるということもあろう。世にいう失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに原因があるように思われる。最後の最後まで諦めてはいけない。

松下幸之助の商売戦術30か条

  1. 商売は世のため人のための奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
  2. お客様をじろじろ見るべからず。うるさく付きまとうべからず。
  3. 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
  4. 棚立て上手は商売下手。小さい店でゴタゴタしている方がかえってよい場合あり。
  5. 取引先は皆親類にせよ。これに同情を持ってもらうか否か店の興廃のわかるるところ。
  6. 売る前のお世辞より、売った後の奉仕。これこそ永久の客を作る。
  7. お客様の小言は神の声と思って何ごとも喜んで受け入れよ。
  8. 資金の少なさを憂うなかれ。信用のたらざるを憂うべし。
  9. 仕入れは簡単にせよ。安心してできる簡単な仕入れは繁盛の因と知るべし。
  10. 百円のお客様よりは一円のお客様が店を繁盛させる基と知るべし。
  11. 無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。
  12. 資金の回転を多くせよ。百円の資本も十回まわせば千円になる。
  13. 品物の取り換えや返品にこられた場合は、売ったときよりも一層気持ちよく接せよ。
  14. お客の前で店員小僧をしかるくらいお客を追い払う妙手段はない。
  15. 良き品を売ることは善なり。良き品を広告して多く売ることはさらに善なり。
  16. 自分の行う販売がなければ社会は運転しないという自信を持て。そしてそれだけに大なる責任を感ぜよ。
  17. 仕入先に親切にせよ。そして正当な要求は遠慮なく言え。
  18. 紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。付けてあげるもののない時は笑顔を景品にせよ。
  19. 店のために働くことが同時に店員のためになるよう、待遇その他適当の方法を講ずべし。
  20. 絶えず美しい陳列でお客の足を集めることも一案。
  21. 紙一枚でも無駄にすることはそれだけ商品の値段を高くする。
  22. 品切れは店の不注意、お詫びして後「早速取り寄せてお届けします」とお客の住所を伺うべきである。
  23. 正札を守れ。値引きはかえって気持ちを悪くするくらいが落ちだ。
  24. 子供は福の神。子供連れのお客、子供が使いにきての買い物にはとくに注意せよ。
  25. 常に考えよ今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは寝に就かぬ習慣にせよ。
  26. 「あの店の品だから」と信用し、誇りにされるようになれ。
  27. 御用聞きは、何か一、二の品物なり商品の広告ビラなり持って歩け。
  28. 店先を賑やかにせよ。元気よく立ち働け。活気ある店に客集まる。
  29. 毎日の新聞広告は一通り目を通しておけ。注文されて知らぬようでは商人の恥と知るべし。
  30. 商人には好況不況はない。いずれにしても儲けなければならぬ。

志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開ける。

情勢は刻々と移り変わっていく。だから、1日の遅れが1年の遅れを生むというような場合も少なくない。決断もせず、実行もせずといった姿で日を過ごすことは許されない。

どんなつまらんことでも見方で変わってくるんや。心して見るか、心なしに見るかで大いに対応が違ってくる。

きみな、赤字というのは、人間の体で言うたら、血を流してるのと一緒や。体から血が流れっぱなしやったらどうなる? 死んでしまうわな。死んだらいかんから、血を止めないかんな。

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

なんとしても二階へ上がりたい。どうしても二階へ上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段をつくり上げる。上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは、決してハシゴは生まれない。

成功する会社は成功するようにやっている。
失敗する会社は失敗するようにやっている。

自分には自分に与えられた道がある。
広いときもある。狭いときもある。
登りもあれば、下りもある。
思案に余るときもあろう。
しかし、心を定め、希望を持って歩むならば、
必ず道は拓けてくる。
深い喜びも、そこから生まれてくる。

あなたは血の小便をしたことがあるか。それぐらい熱心にやらないと、そう簡単に成功するものではない。

何か困難や苦しいことがあっても、人は仕事に集中すればそれを忘れることができる。また、それをやり終えたあとには、非常なうれしさがある。

厳しい道程を厳しく歩む――そこにはじめて、人間としての正しい習性が養われ、そのいい習性によって、はじめて幸せというものが味わえてくるのであろう。

知識なり才能なりは必ずしも最高でなくてもいい。しかし、熱意だけは最高でなくてはならない。

素直な心とは、他人の言葉に盲従することではない。その言葉の中にある正しさに従うことである。

部下を抜擢するときは、運が強いかどうかを見る。難しい問題にぶつかったときに面白がれるヤツは、運が向く。

ビジネスには人中心の考え方を重点におくことが大事。人を中心におくと、いつのまにか突破口が開けて、踏み出せる力が生まれるもんなんや。

自分の天分を見出し、存分に生かし切ること。それこそが真の成功である。

感謝の心が高まれば高まるほど、それに比例して幸福感が高まっていく。

悩みはあって当たり前。それは生きている証であり、常に反省している証左でもある。

物事がうまくいった時には「運がよかった」と思え。
うまくいかなかった時には「自分が悪かった」と思え。

君、社長になったからには思い切りやりなさい。間違ったと思ったら、素直に謝って直したらいい。

いかに大をなすとも、一商人の志を忘れてはいけない。

何か重要なプロジェクトを任せる時、熱心に仕事をする人と賢い人、どちらに任せるか。答えは熱心な人だ。

社員はお得意さまである。感謝の気持ちを持って接することが大切。

松下が値段を決めるのではなく、市場でお客さんが値段を決める。

鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス。

起業すると心配が絶えない。それがトップの仕事と思って楽しめ。

人間には短所がたくさんある。その短所をあげつらって直すよりも、その人の長所を伸ばしてやることのほうが、人間を成長させる。

まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それができない者は去れ。

ほかの企業は諦めて撤退しましたが、松下はやめなかった。諦めた者と諦めなかった者との差が出ているだけ。

教えることに熱意を持て、教えられることに謙虚であれ。教え教えられずして何ものも生まれてこない。

人間の心は孫悟空の如意棒のように伸縮自在で、大きくも小さくもなる。要は各人の心の持ち方次第。

会社の社員であっても、「自分は社員稼業という独立経営体の主人公である」という信念に立とう。

経営者はどんな場合でも、経営意欲を失ったらいけない。希望を持ち、希望を持たせてやらなければ。

経営を預かる者は、仕事がたとえなくても、社内を沈滞させないように考えなくてはいかん。それができるかどうかが、経営者としての分かれ道。

いま自分に与えられている仕事や地位は、半分は我がために、半分は社会のためにある。

経営が上手くいくかどうかということは、いろいろな事情があるにしても、結局は最高責任者である社長一人の責任。

自分の仕事においては責任ある経営者という意識で取り組もう。そうすれば創意工夫が生まれ、個人にとっても会社にとっても好ましい成果に結びつく。

社員が社長の意のままにならないと思われる場合でも、根気よく、誠意と熱意をもって説得すれば、やがては必ず聞いてもらえる。

経営というものはだいたいは、社長の責任において、どうにでもなっていくもの。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。

会社が上手くいかないということは、社長の意図するところに大きな欠陥があるからで、他人を責める前に、まず自らを強く責めなければならない。

きみ、どう思う?
【覚え書き|松下幸之助氏の口癖。ことあるごとに周囲の意見を集めた】

何年も同じことをやっている会社は落伍してしまう。

熱意があれば、まわりの人がその熱意にほだされて、みな一所懸命やりますよ。なんぼ賢い人でも経営に熱意をもっておらんと、まわりが動かん。

カンでいいときと、カンではなく科学的なものでないといけないときがあるわけです。しかし、カンが必要ないということには決してならない。

社長の熱心は、社員にうつる。熱心にやっておるから、皆がそうなる。我がことのように、皆がやっていくようになる。

窮するのあまり、物に心を奪われてはならない。常に至誠に立ち、物にとらわれない精神をもって押し進むべきである。

経営は聖人君子の業(わざ)ではない。君らええ格好すな。

きみ、商品を抱いて寝たことがあるか?
【覚え書き|商品開発担当者への問いかけ。抱いて寝るほどその商品に愛情を注いでいるかという主旨の言葉】

決心することが社長と大将の仕事である。

刻々にくだす意志決定を誤らないためには、人を使う立場の者は常日頃から自分の人生観、事業観、社会観の涵養(かんよう=徐々に養うこと)につとめることが大切である。

大切なことは、うろたえないことである。慌てないことである。

企業の成功の50パーセントは理念である。

開拓というのは大変ですなあ。大事なのは、一つは自分の努力、そして運ですわ。

【覚え書き|アメリカで販路開拓をしていた時期の言葉】

好況よし、不況なおよし。

どうしてみんなあんなに、他人と同じことをやりたがるのだろう。自分は自分である。百億の人間がおっても、自分は自分である。そこに自分の誇りがあり、自信がある。そしてこんな人こそが、社会の繁栄のために本当に必要なのである。

世間は正しい。

経営のコツここなりと気づいた価値は百万両。

人間は自分をつくるという気持ちが大切で、それが自分の容量をいずれつくっていくのだ。

信念なき経営者は経営者じゃない。

経営というものは、手品でもなんでもない。ごまかしでなく、ひとつひとつキチンキチンと正しくやり、やがてそれで信頼してもらうということ。

真実を語れば、昨日言うたこととまるっきり変わったことでも、それは説得力がある。

経営者というものは、常に真実というものに立たないといかん。真実を訴えないといかん。

松下幸之助の不況克服の心得10か条

第一条 「不況またよし」と考える
不況に直面して、ただ困ったと右往左往していないか。不況こそ改善へのチャンスであると考える前向きの発想から、新たな道もひらけてくる。
第二条 原点に返って、志を堅持する
ともすれば厳しさに流されて判断を誤りやすい不況こそ、改めて原点に返り、基本の方針に照らして進むべき道を見定めよう。そこから正しい判断も生まれ、断固といた不況克服の勇気と力が湧いてくる。
第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ
ふだんより冷静で念入りな自己評価を行い、自分の実力、会社の経営力を正しくつかみたい。誤った評価が破綻を招くのである。
第四条 不撤退の覚悟で取り組む
なんとしてもこの困難を突破するのだという強い執念と勇気が、思いがけない大きな力を生み出す。不況を発展に変える原動力は烈々たる気迫である。
第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る
非常時ともいえる不況期は、過去の経験則だけでものを考え行動してもうまくはいかない。これまでの当然のこととしてきた慣習や商売の仕方を、徹底的に見直したい。
第六条 時には一服して待つ
あせってはならない。無理や無茶をすれば、深みにはまるばかりである。無理をせず、力を養おうと考えて、ちょっと一服しよう。そう腹を据えれば、痛手も少なくなる。終わらない不況はないのである。
第七条 人材育成に力を注ぐ
「苦労は買ってでもせよ」というが、不況とはその貴重な苦労が買わずとも目の前にあるときである。好況のときには出来ない人材育成の絶好の機会としたい。
第八条 「責任は我にあり」の自覚を
業績低下を不況のせいにしてはいないか。どんな場合でも、やり方いかんで発展の道はある。うまくいかないのは、自らのやり方に当を得ないところがあるからである。
第九条 打てば響く組織づくりを進める
外部環境の変化に対する敏感な対応は、よい情報も悪い情報も社員からどんどん上がってくる、お互いの意思が縦横に通いあう風通しのよい組織であってこそ可能となる。
第十条 日頃からなすべきをなしておく
不況時は特に、品質、価格、サービスが吟味される。その吟味に耐えられるように、日ごろからなすべきことをなしていくことが必要である。

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。

一挙に事を決するということを行なえば、必ずどこかにムリを生じてくる。

心配またよし。心配や憂いは新しくものを考え出すひとつの転機ではないか。

はじめからしまいまで徹底的に悪いということもなければ、また徹底的に良いということもない。

私は小企業の経験も、中企業、大企業の経験もしてきましたが、率先垂範第一ということは、まったく企業の大小を問わず共通にいえることだと思います。

成功の姿は、人によってみな異なる。

素質プラス体験、それから来る知恵が大切。

軍師の言うとおりにしているのでは、大将はいらない。軍師の言うとおりやるか、こういうふうにやれとか、それを決定する才能が経営者の条件。

早いけれども雑だというのもいけないし、丁寧だが遅いというのもいけない。念入りに、しかも早くというのが、今日の名人芸なのである。

商売というものは単なる売り買いでなく懸命な奉仕であり、そこに良き心が通いあわなければならない。誠意をもって事に当たってこそ、その人の言葉、態度に深い味わいが生まれ、それが人の心を動かす。

誰にでも与えるものはある。笑顔を与える、笑いを与える。求める活動から与える活動へ転換をはかりたい。

いくらなじみのお客様でも、お迎えする際には感激を新たにしてお迎えする態度が大切。

仕事を担当する以上は、その仕事に関連する人に一種の感銘を与えるような仕事をしなければいけない。

自分なくして傍(はた)の意見を聞くというのは非常に危険。

家康でない人が家康の通りにしたら失敗する。そんなん読んで真似したらあかんぞ。
【覚え書き|歴史小説をハウツー本であるかのように読んでいる経営者に対して】

自分はタバコくわえて遊んでいて、社員に「働け」と言うたかて、そら働きよらんですよ。

経営に対する経営者自身の使命感。そういうものがなかったら、人を育てようと思っても人は育ちません。

資本をつくるよりも、人を育てることのほうがはるかに難しいのではないでしょうか。

私は、人間というものは、たとえていえば、ダイヤモンドの原石のような性質をもっていると思うのです。すなわち、ダイヤモンドの原石は、もともと美しく輝く本質をもっているのですが、磨かなければ光り輝くことはありません。

塩がからいということは誰でも知っている。砂糖の甘さも誰もが知っていると思う。しかし、砂糖も塩もなめたことがなければ、その甘さやからさの説明をいくら聞いたところで、実際の味が分かるものではないと思う。仕事にせよ商売にせよ、それと同じことであろう。

単に働くだけではいかん。世間のためにやる、大きくいうと社会のためにやる、というふうになると強うなりますわな。

5年後、10年後にどうなるか、どうすべきか。その上で、今どうしたらいいのかを考える。将来から現在を考えるのが、経営者としての発想である。

進歩は無限であるというふうに考えて、そしてそれと取り組んでいけば、際限なく進歩していくと私は思います。

「これはこんなものだろう、これでいいんだろう」こういうことで、みずからそれで限界をつくってしまえば、一歩も進歩することができないだろう。

社員一人ひとりが、“社員という稼業”の経営者であれ。

君は幸せだ。いまが最悪だから、君は何をやってもよくなるはず。

人生における成功の姿は、予知できない障害を乗り越え、自分に与えられた道を着実に歩んでいくところに表われる。

ひと言でいって、指導者とは責任をとるということです。責任をとれない人は、指導者たる資格はない。昔は、指導者の心得というのは、みんなのために死ぬということでした。

目標を持ちなさい。目標をもったらすぐに諦めない。コツコツと、少しずつでもいいから前進することが成功の秘訣だ。

部下の良さ、偉さがわかるか。自分の部下が100人いるなら、自分の偉さは本当は101番目なんだと思える人が真のリーダーだ。

素直な心は、あなたを強く正しく聡明にいたします。

今はどこの会社や工場でもよい商品をつくろうとして、品質管理を一生懸命に勉強している。でも、それよりもっと大事なのは、きみ、人質(じんしつ)管理やで。

何でもあれこれ命令してやらせるのではいけない。それでは言われたことしかしない人ばかりになってしまう。やはり仕事は思い切って任せることである。そうすることによって、その人は自分でいろいろ考え工夫するようになり、その持てる力が十分発揮されて、それだけ成長もしてくる。

任せるということは、この人ならうまくやるだろうということを前提として任せるんです。無責任に任せるんじゃないのですから、いかんなと思うときには口で言ってやらねばいかんです。

人間のやることですから、いろいろなことがあります。しっかり理念をふまえてやる人も、勢いに任せてやる人もいる。そんなときにはやっぱり注意してやらないといけません。注意を怠ったら、その人を捨て去ってしまうのと一緒ですわ。

私はこの歳になっても、会社で大きな影響力を持っています。影響力を持つ人間は毎日、私利私欲を抑えるために葛藤しないといけない。私利私欲が表に出てくると、会社は潰れます。
【覚書き|晩年に講演会で語った言葉】

海外勤務の心得
一、異国に在ることを認識し、其の国の風俗・風習に早く慣れるとともにそれらを深く理解すること。
二、常に自己の健康に留意し、爽快な心で社員に接すること。
三、品質第一を旨とし、技術の妥協は許されないこと。
四、現地材料の開発を積極的に行ない、日本の依存から脱却すること。
五、日本人社員間は勿論(もちろん)のこと、現地社員との和を常に重んじること。
六、現地社員を育成し、経営全般に参画せしめ、現地社員による経営の時期を早めること。

仕事には知恵も大事、才能も大事。しかし、もっと大事なことは些細と思われること、平凡と思われることも疎かにしない心がけである。

人より一時間余計に働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、いままでよりも一時間少なく働いて、いままで以上の成果を挙げることもまた尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではないだろうか。

お互いに、自分が他人と違う点をもっとよく考えてみよう。そして、人真似をしないで、自分の道を自分の力で歩いていこう。そこにお互いの幸福と繁栄の道がある。

賽(さい)の河原の小石は崩れても、仕事の小石は崩れない。些細なこと、平凡なこと、それを積み重ね積み重ねてきて、その上に自分の知恵と体験とを加えてゆく。それではじめて、危なげのない信頼感が得られるというものであろう。

元気な人間は陣頭に立って突っ走るものだが、振り返ると誰もついてきていないことが多い。陣頭に立って、自分についてこいと、独裁になる者が多い。自分は半病人的経営だから、社員たちの後ろからついていく。

よく人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。
私は学問のある他人が全部、私より良く見え、どんな話でも素直に耳を傾け、自分自身に吸収しようと努めました。

いくつになってもわからないものが人生というものである。わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。

私が今日の大を成したのは、それはあらかた運ですね。一日一日を努力して生きてきただけのことです。強いて言えば、積み重ねがすべてです。人間万事、世の中すべては天の摂理で決まるのが90%、人間が成し得るのはたかだか10%ぐらいだと思っています。

自分は病弱だったから、すべて人に任せました。結果的にはそれで人が育ち、事業が成功しました。病弱だったのは不運でしたが、結果的にはそれが幸運でした。

一流の人材ばかり集めると会社はおかしくなる。世の中、賢い人が揃っておれば万事上手くいくというものではありません。賢い人は、一人か二人いればたくさんです。

世間には、大志を抱きながら大志に溺れて、何一つできない人がいる。言うことは立派だが、実行が伴わない。世の失敗者には、とかくこういう人が多い。

土俵の何百倍かの努力を、毎日たゆまずやってはじめて、1分の土俵で勝負を決する際に効果が表れる。

商売というものは、損したり儲けたりしながら成功するという考え方もあるが、それは誤りだ。商売は真剣勝負と同じで、切られているうちに成功することはあり得ない。やればやっただけ成功するものでなければならぬ。上手くいかないのは運でも何でもない。経営の進め方が当を得ていないからだ。だから確たる信念を持っている人は、不景気のときほど儲けるではないか。

それはあなたの決心の問題ですよ。そういうことをやらねばと決意すれば、それなりにできるものです。あなたは、もっと強い心を持たないと駄目ですよ。アメリカの企業は現にやっているのだから、我々もやったらいいと思ってやらないとできませんよ。日本と同じように戦争に負けたドイツでも、日本の企業より自己資本はずっと多いじゃありませんか。
【覚書き|講演で、銀行に頼らず内部留保をダムの水ようにためて経営を安定化させる「ダム経営」を語ったとき、参加者から「うちでは無理だ」と言われたことに対する返答】

激しい競争の中にあっても、松下電器は単に競争そのものにとらわれず、常に何が正しいかを考えて淡々としてその道を進んでいかなければならない。それは非常に難しいことだが、我々の本来持つ尊い使命を正しく遂行していけば、自ずからできる、必ず知恵才覚も刻々と湧いてきて、個々の困難に対処する力も出てくるということを私は信じていた。

「これは背水の陣を敷くことだ。製品の真価を知ってもらうために小売屋に無料で配ろう」と決心した。まず3人の外交員を雇い、資本の続く限り、大阪中の小売屋に2、3個のランプをおいて回り、うち一個はその際点火して「30時間以上もちます。品物に信用が置けるようになったら売ってください。その後安心が出来たら代金を払ってください」といって歩かせた。松下電器の運命をかけた販売だった。2、3か月すると小売屋から電話や葉書で注文が来るようになった。
【覚書き|自転車用電池ランプを販売したときを振り返っての発言。最初はまったく売れず、上記の営業法がきっかけで大量に売れるようになった】

モーターといっても小型である。しかも、いま皆さんの家庭でモーターを使っているところがあるか。誰も使っていないということは、無限の市場があることだ。
【覚書き|モーター部門を設立したとき、周囲からの反対に対し言った言葉】

当時(太平洋戦争時)、政府に200トンの木造船の生産計画があり、大阪府にもこれを割り当ててきた。結局、これを松下でやることになった。電器屋が船をつくるというのだからまことに妙ちきりんなものだが、それでも1日1隻を目標に半年ほどのうちに工場を建ててしまった。一心とは恐ろしいもので、町工場の古い機械をほごして持ってきたような設備でも、夢中になってやっているうちに6日に1隻ずつできるようになり、終戦までに56隻を水に浮かべた。

電算機メーカーは、日本では専門のがっちりした会社が1、2社あればよい。総合メーカーが片手間でやる仕事ではないように思う。いままでのことの成り行きでここまで来たが、ここで意地になってはいけない。素直な心で、自己判断、自己観照をしなければならない。そう考えてじっと耐えていたら、1年もしないうちに、「松下は賢明やった」という評判に変わっていったのである。
【覚書き|当時の額で十数億円の研究費をつぎ込んだ事務用大型コンピュータ事業からの撤退を決めたときを振り返っての発言】

製品のレベルを高めるために、松下独自の技術でやるか、外国の技術を導入するかの選択を迫られた場合は少なくなかったが、いずれの場合にしても、松下独自の技術を基礎にどの道を選んだら社会のためになり、人々に喜ばれるかということを最終的な尺度にして態度を決めた。

海外との競争に打ち勝とうとするには、私はどうしても週2日の休みが必要になってくると思うのです。どういうわけかと申しますと、非常に毎日が忙しくなって、いままでゆっくり電話をかけていたというようなことでも、ゆっくりかけていられない。3分間かけていたものを、1分くらいで済ますように、しかもそれで用件がちゃんと果たせるように訓練されなければならないのです。工場生産もまたその通りです。つまり8時間の労働では相当疲れるということになります。ですから、5日間働いて1日は余分に休まなければ体はもとに返らないということになろうかと思います。アメリカはすでにそうなっています。そして、日本の何倍かの一人あたりの生産量をあげております。

精神的には何歳になろうとも、青年時代と同じ気持ちを持ち続けることができるはずだ。その精神面での若さというものを決して失いたくないというのが、かねての僕の願いなのである。
【覚書き|70代のころの発言】

会社の経営でも何でも、素直な心で見るということが極めて大事であると思う。そうすれば、ことをやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。岡目八目というけれど、渦中にいる自分にはなかなか自分というものがわからない。だから意地になってみたり、何かにとらわれたりして、知らず知らずのうちに判断を誤ってしまう。やはり自己観照ということが大事である。とくに経営者が決断するときには、この心構えが不可欠のように思う。

経営理念が単なる利害、単なる拡張というだけではいけない。それらのことが、いわば何が正しいかという人生観に立ち、かつ社会観、国家観、世界観さらには自然の摂理というところから芽生えて来なければならない。

日本は自力で発展してきたのではなく、ほとんど他力本願でここまできた。他力によって日本の経済は戦後16年でこれだけの発展をしたのだと思う。そのことを自己の力によって発展したかのごとき錯覚を国が持ち、政府が持ち、国民が持っているというような感じがする。そこに大きな問題がありはしないかと思う。

自分の腹は減っているのに、持っているものを他に与えるということは、これはこれで大変意義のあることだとは思うが、自分は食わないで他人にものを与えたら、そのときは良くても後が続かない。いつも他の人にものを与えたいというのであれば、まず自分の腹を満たしておかないと、他に与える活動すらもできなくなってしまう。

一流メーカーと堂々と競争して独自の技術力でナショナルのハイパー乾電池が世に出たことは、私にとってまことに嬉しいことであった。この成果は、単に相手に勝てばよいという気持ちから生まれたものではなく、お互いの切磋琢磨によって、少しでも良いものを社会に供給したいと願う、全員の熱意と真剣味が、このような成果を世に示したのだと思う。

日本人は政府に税金を納めたら、政府が何に使おうと無関心である。自分が義務さえ果たしたら、それでいいと思う。ところがアメリカは違う。税金は自分たちが生活や事業を営むうえで必要な政治をやってもらうためにあるのだと考えている。

いままでは世間の通念通りの商売をやってなんとか上手くいっていたが、次第にこれでは物足りないという気持ちが出てきた。いったい生産者の使命はなんだろう、こんなことを連日夜遅くまで考えた結果、私なりにひとつの信念が生まれた。それは簡単にいうと、この世の貧しさを克服することである。たとえば水道の水はもとより価のあるものだ。しかし道端の水道を人が飲んでも誰もとがめない。これは水が豊富だからだ。結局生産者はこの世に物資を満たし、不自由をなくすのが務めではないのか。
【覚書き|松下電器創業13年目で水道哲学を実践しはじめた当時を振り返っての発言】

24歳の春、私は電灯会社の検査員に昇格した。非常に楽な仕事で、2、3時間もあれば済んでしまう。ところがこの楽な役に回ってみると不思議にいままでのように仕事に熱が入らず、なんとも物足らない気分をもてあますようになった。ちょうどその少し前、私は新しいソケットをつくろうと研究していた。どうにかしてソケットをモノにしたいという気が湧いてきた。何分若いだけに気が早い。主任が止めるのも聞かずにさっそく辞表を出した。
【覚書き|7年勤めた大阪電燈を退社し独立した当時を振り返っての発言】

私の少年時代は、むしろ小僧時代という呼び方が当たっているかもしれない。家運の傾いた家に育った私には、幼い時の楽しい思い出は少なく、苦労の思い出だけが多い。

些細なことをおろそかにしない心がけが人生を大きな成功へ導く。

半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失で問題はない。松下電器は将来ますます拡張せんものと考えているときに、せっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる。
【覚書き|昭和初めの世界恐慌のとき、従業員を一切解雇せず、給料も据え置いたときの発言。生産時間を半日に減らし、余った時間は全社員で在庫を出来る限り売りさばくことに費やすことで経済危機を乗り切った】

藤田くん、儲けのコツはふたつだ。ちょっと儲かってくると、業界団体に入れ、役員をやれといってくる奴がいる。いいかキミ、金を儲けようと思ったら絶対にそんなことはしちゃいかん。金儲けだけをやれ。それと、金儲けしようと思ったら、偉い経営者の言葉は信用するな。
【覚書き|日本マクドナルド創業者・藤田田に贈った言葉】

今日、よく耳にする言葉に「インテリの弱さ」ということがある。これは、インテリには、なまじっかな知識があるために、それにとらわれてしまい、それはできないとか、それはどう考えても無理だと思い込んでしまって、なかなか実行に移さないという一面を言った言葉だと思う。

実際、ああそれはいままで何度もやってみたんだが、できないんだ。と決め込んでいることが、我々の身のまわりには意外に多いのではなかろうか。ときには自分の考え、また自分をとらえている常識や既存の知識から解放され、純粋な思いつき、というものを大切にしてみてはどうだろうか。

人間に寿命があるように、われわれの人間にも、それがいつのことがわからないにしても、やはり一つの寿命があると言えるのではないかと思う。だからといって、努力してもつまらないと放棄してしまうようでは、人間でいうところの天寿を全うせしめることはできない。これはいわば人間はやがて死ぬのだから不摂生、不養生の限りを尽くすのと同じであろう。

一切のものには寿命があると知ったうえで、寿命に達するその瞬間までは、お互いがそこに全精神を打ち込んでゆく。そういう姿から、大きな安心感というか、おおらかな人生が開けるのではないかと思う。

自省の強い人は自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを自己観照と呼んでいるけれども、自分の心をいっぺん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。

何事によらず、志を立てて事を始めたら、少々うまくいかないとか、失敗したというようなことで簡単に諦めてしまってはいけないと思う。一度や二度の失敗でくじけたり諦めるというような心弱いことでは、本当にものごとをなし遂げていくことはできない。

松下電器は人を作る会社です。あわせて電気製品を作っています。【覚書き:松下電器創業直後に従業員から、この会社は何を作っているのかと問われた時の返答】

戦国時代の武将や、明治の志士たちは皆、10代で見事な働きをしているではないか。君はもう20歳を越えている。大丈夫。きっとできるよ。【覚書き:松下電器金沢出張所の開設を入社2年の20代前半の社員に任せた時の言葉。】

どんなに完備した組織を作り、新しい手法を導入しても、それを活かす人を得なければ成果も上がらず、企業の使命も果たせない。企業が社会に貢献しつつ、自らも隆々と発展していけるかどうかは、一にかかって人にある。

僕は会社というもの、あるいは社会というものは、人間なり人生について教わる学校だと考えてみたらどうかと思うのです。この学校にはいろいろな人間がいて、様々な人生模様が繰り広げられている。学ばなければならないことは無限にある。そう考えれば、人生を学び人生を探求するために、何でも進んで取り組もう、吸収していこう、そういう意欲も湧いて、日々楽しさも生まれてくるのではないでしょうか。

「あの人は自分のことをわかってくれない」とか、「せっかくいい提案をしているのに、うちの上司は無理解だ」と思うようなことがあれば、一度とらわれず、人を見て法を説いているかどうか、静かに考えてみることも大切だと思います。

国際化時代だからこそ日本を正しく見つめて、これを語ることが大切だと思う。信念をもって日本の伝統を語り、日本の今日を語るということである。外国へ行ったり、外国人と交際したりする前には、まず自分の国というものをよく知らなければならない。

僕はこれまでにたくさんのご夫婦を見てきましたが、あまり上手くいっていないご夫婦はどうもあまり褒めあっていないように思える。その反対に、上手くいっているご夫婦は、巧まず自然のうちにお互いが褒めあっている。そういうことがいえると思うのです。人間というものは他人から褒められるのも嬉しいものですが、自分の奥さんなり、ご主人からそういうことを言われるとひとしお嬉しいものです。

褒めるということはいたわりであり、お互いの人間同士をしっかり結びつけるひとつの大切な絆ではないかと思うのです。

利益を上げるためには仕入れ値以上の価格で売る。また借金をする前に、まず集金に全力を注ぐのが本当で、それでもなお資金がいるときに、初めて他から借りるべきでしょう。それが雨が降れば傘をさす、天地自然の理に従った姿です。言葉に表してしまうと極めて簡単で、当たり前のことのように思われますが、この至極簡単、当たり前のことを適時適切に実行するというところにこそ、商売なり経営の秘訣があるといえるのではないでしょうか。

難しいことはできても、平凡なことはできないというのは、本当の仕事をする姿ではない。

「命ぜられたとおりにやって、その通り上手くいったのだから、もうそれでよい」と考える人。「たとえ人から命ぜられたままにやったとしても、その結果は一応きちんと報告しなければならない。そうしたら命じた人は安心するだろう」と考える人。その何でもない心がけ、ちょっとした心の配り方の違いから、両者の間に信頼関係に対する大きな開きが出てくる。

働くことは尊いが、その働きに工夫が欲しい。創意が欲しい。額に汗することをたたえるのもいいが、額に汗のない涼しい姿もたたえるべきであろう。怠けろというのではない。楽をする工夫をしろというのである。楽々と働いて、なお素晴らしい成果が挙げられる働き方を、お互いにもっと工夫したいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。

「人を見て法を説け」と言ったのはお釈迦様ですが、人間というものが変わらない限り、やはりこれは真理を突いた言葉ではないでしょうか。

人は様々です。短気な人もいれば気の長い人もいる、緻密な人もいれば大雑把な人もいる。理論派もいれば人情家もいる、というようにそれぞれの持ち味が皆異なります。しかも、同じ人でも心というものは刻々と動いて、千変万化の様相を呈しています。ですから、自分の考えを伝えようとすれば相手の人がどのような人で、いまどのような心の状態にあるかよく知ったうえで、その人に一番受け入れてもらいやすいような言い方を工夫する必要があります。

ただ単に自分に与えられた仕事のみをやっていればよいと考えて毎日を過ごしていたら、あまり楽しさを感じることもできないでしょうし、ものごとを見る視野も限られてしまうと思います。

世の中には秘訣とかコツとか、それさえ心得ていれば何でもできるという当意妙法なんて絶対にありえない。私に言わせると人間万事、世の中すべては、天の摂理で決まるのが90%、あとの10%だけが人間の成し得る限界だと思う。私の言いたいことは、「絶対に無理をしない」ことなのである。宇宙大自然に逆らわず、むしろ宇宙大自然に溶け込んで、これと一体になりきってしまう。これが人間の本当の姿であり、その結果あらわれてくるものが、世の中でいう成功とか成就とか、あるいは億万長者ということになるのではなかろうか。

経営者に最も大切なことは、正しい自己評価と、その経営理念がどこに置かれているかということだ。その理念が、何が正しいかという人生観に立ち、かつ世界観さらには自然の摂理から芽生えてこなくてはならない。

どこの会社の経営でもそうでありますが、我々のような日進月歩の商品を扱っている会社は、よほど競争力にたくましいものをもたなければいけない。非常に迅速果敢にして、常に適正を表していくというような経営をやらなければ、競争に打ち勝つことができない。

一国の首相であれば国民のため、会社の社長なら社員のため、部長や課長なら部下のために、大事に際しては自分の命を捨てるんだ、という心意気をもたないといけません。命をかけるといえば多少ウソになるというなら、命をかけんでも職をかける、指導者は当然、それをやらないといけません。その気がまえで臨めば、そのことに誤りがなければ成功しますよ。

経営者の決断ということに関して言えば、とらわれた心を持って事を判断してはいかんということです。名誉欲にとらわれたり、世間の評判にとらわれたりしない。そういうものにとらわれないで、笑えば笑え、自分は正しい道を行くんだという強さが一面になかったらいけませんな。

経営が正しくなされれば、共同生活を向上させ、社会にとっても大きな貢献となる。経営というものは、人間が相寄って、人間の幸せのために行なう活動であり、芸術と同じように高く評価されるべきものである。

みなが共存し、みなが繁栄する社会生活を生み出すためには、それぞれの好みを尊重し、また自らの持ち味を発揮して、各自が繁栄していく必要がある。社会性に反した無思慮な方法で競争が行なわれると、その結果、業界全体が収拾のつかない混乱に陥ることは、過去何回も体験してきたところである。

発展途上国に進出する場合、賃金が安くコストも安くなる、だからそこでつくったほうが得であると考え、進出している国は1カ所もございません。それは第2に考えております。第1にはそこでつくったほうがその国のためになる、という考えでやっております。これを私どもの基本的な方針としています。だいたいそういうところであります。

私どもはあまり難しく考えず、ごく平易に考えてやっていくことにしています。というのは、甘いものが好きな人には甘いものを食べてもらう、辛いものが好きな人には辛いものを食べてもらう、きわめて平凡な原理と申しますか、そういうことで仕事をしています。

謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄への第一歩なのである。

競争が激しくなると、つい目先にとらわれて、莫大な景品をつけたり、無謀な値引きなどを考えるようになる。しかしこうした方法で市場を確保できると考えるのは、人間性を軽視した行為と言わねばならない。人の好みはさまざまであり、それを目先だけの方法で独占しようとしても、成功するものではない。そこに世間の広さがあり、また妙味もあるわけである。

幸せというものは、そんなにたやすく得られるものではない。言いかえれば、たやすく満足できるものは幸せではない。幸せとはそんな安易なものではないし、人間というものはそんなに浅薄なものではない。また幸せがたやすく得られたら人間の逞しさというものがなくなってしまう。

何年働こうがその会社が腰かけだと思っている限りは、何も身に付かない。だけど3カ月であっても、丁稚になりきる。毎日そういう気持ちでやれば、得るものは大きい。

88歳のオレがまだ働いているのに、64歳で退くなんて早い。
【覚え書き|三代目社長・山下俊彦への言葉】

躍動した経営をやるとかやらんとかいうことは、頂点に立つ経営者が使命感をひとつ持たなかったらいけませんな。指導者次第ということでしょうな。

自分の力、さらには会社の力を超えた大きな仕事をしようとしても、それは多くの場合失敗に終わってしまうだろう。それでは企業本来の使命も果たせず、社会のマイナスにもなる。だから、そのような、その時々における自分の力の範囲で経営を行い、社会に貢献していく、いいかえれば、適正経営という考え方が極めて大切である。

本当の人材とは、その会社に相応した人ですよ。町工場へ東大出に来てもらっても、その人は人材になりますか。困ることもあるでしょう。

商売というものは、売る方も買う方も双方が喜ばなければいかんものです。買った人は、こういうものが買えて良かった、大変便利だとか、豊かになったとか、そういう喜びを持つ。売った者も、その喜びを感じてもらうと同時に、利益も残ったというふうにね。

値切られて、薄口銭で飯も食えんようになるという商売はいけません。双方に喜びが残り、味わえるような商売のあり方を、政府は奨励しなければいかんでしょう。

私は社員に、私の会社は人をつくる会社であって、電器製品は人の次につくるものだと言っているんです。人をつくるのが本業で、電器製品をつくるのは副業やと。

経営でも、政治でも、経営学とか政治学は教えることができるし、習うこともできる。しかし、生きた政治、生きた経営、これは自問自答して、あるいは体験を積んで体得するしかない。

ある時、宗教家に会ってお話を聞いたんです。そうしたら、もっと大きな立場に立たなければ駄目だと言われた。小さな悩みでなく、もっと大きな悩みを救うのだ、大きな使命が仕事の上にあるんだと。私はそれまでは遠慮しながら仕事をやってきたんだが、今度は使命感に立って競争するんだと理解したわけです。その使命とは、広い社会の繁栄ということですね。それからは、小さな悩みがなくなって仕事も堂々とできるようになったんです。

忙しい時(好況)には、どこの店も忙しいが、ヒマ(不況)になるとお客さんは仕入れ先を吟味しますね。そうすると、日ごろ勉強している店から買おうということになるのです。忙しい時に勉強していれば、ヒマな時かえってお客さんが増えるわけですね。だから「景気によし、不況になおよし」ということになるのです。

経営者というものは、知識は最高でなくてもかまわん。知恵も技術も最高でなくてもかまわん。けれども、真実にもとづいて経営せねばならん、という使命感だけは誰にも負けずにもっていなければいかん。

「3ヶ月前にあんたの言うたことと違うやないか。豹変している」と仮に言われても、それが真実だったらかまわんと私は思う。真実だったらそれだけ進歩したわけです。

経営者には、社員みんなの注目が集まっているのです。そのことを、経営者は一刻も忘れず、どんな場合にも旺盛な経営意欲を失ってはいけない。

少々戦況が自軍に不利であっても、大将が「よし、この戦、きっと勝ってやろう、勝つんだ、勝てるんだ」という確固とした信念をもっていれば、たいていは勝てるものだ。

自分の力というものをはっきり判定し、それをしっかり把握して、その上で社会に処していくということが、きわめて大事。

商店の主人公が、みずからの価値というものを正しく判断しない場合は、おおむね失敗します。まわりの店が店舗を改造した、人を増やした、だから俺のところもやってやろうと、こういうような考えをする場合もあるでしょうが、しかしそれだけでは失敗する場合が多い。

自分の力の限界というか、会社の総合的な力の限界というものが、今10あるか、15あるか。15あるにもかかわらず、13の仕事をしているというのではいかんし、13の仕事をしているけれども、実際は10の力しかないというのでもいけない。評価が過ぎたら危険ですし、少なく見たら損ですね。力相当の仕事をやらないといかんです。

素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である。

企業は単に物をつくるだけでなく、あわせてよき社会人をつくらなくてはならない。それが企業の社会的責任であり、また現に多くの企業が行なっているところでもあるわけです。

よく「事業は人なり」ということをいわれますが、これはまことに当を得た言葉で、よき人材の育成なしには、企業はみずからの社会的責任を全うしていくことはできないでしょう。

経営者が一心不乱に仕事すると、まわりもただ見てばかりはいないものです。一心不乱という本当に真剣な姿を見ていると、そこには必ず教えられる者、心を動かされる者が出てきて、まわりの人々は、いちいち言わなくても手伝うし、働くようになる。

経営者自身が身をもって示すことが第一です。ああすればこうなるとか、こうすれば社員はどう動くかといった意図的なことに神経を使うよりも、まず自分が一心不乱にやることです。

企業の経営者は社員を適所に生かす。社員は自分の適性をつかみ、その適性を生かすように、認めてもらうように努力する。認めてもらって、そこに生きれば、いのちをかけて働く喜びが生まれ、その個人は伸びていくのです。

どんなにに努力したところで、すべての人が大臣にはなれませんし、社長になることも不可能です。みんなが資産家になることもむずかしいでしょう。それに対して、それぞれの天分に生きるということは、考え方によっては全員が可能だと思います。しかも、そのようにみずからの天分に生きている人は、たとえ社会的な地位や財産があろうとなかろうと、いつもいきいきと、自分の喜びはここにあるのだという自信と誇りをもって、充実した人生を送ることができると思います。

人間にそれぞれ異なった持ち味、特質が与えられているということは、いいかえれば、人はみな異なった仕事をし、異なった生き方をするように運命づけられているのだとも考えられます。ある人には政治家としての天分なり使命が与えられているかと思うと、他のある人には学者としての天分、使命が与えられている。また、医者や技術者、画家や歌手、建築家や商人等々、さまざまな仕事をしていくにふさわしい天分、使命が、それそ奴の人に与えられている、ということだと思うのです。

昔から十人十色といわれるように、人はそれぞれ、みんな違った持ち味、特質をもって生まれついています。性格にしても、素質や才能にしても、自分と同じという人は地球上に一人もいないのです。

人間あっての経営である。だからまず、人間というもののあり方を考えなければならない。よき経営を実現しようと思えば、まず人間のよきあり方について検討しなければならない。

経営といい、商売といっても、これは結局、人間が行なうものである。人間が行なうものであるからには、経営や商売は人間をぬきにしては考えられない。というよりもむしろ、人間を中心において考える、人間を主体に考える、ということが非常に大切ではないかと思う。

みんなが個性をもち、それぞれの好むところに従って生活をしていく。しかし、そういうような百花繚乱のようなお互いの生活が、大きく言って、一丸となり調和を保って社会を形成し、維持していくというところに、私は今日の人間観といい、社会観というものがあると思う。

「企業は人なり」とよくいわれるが、そのことばは、人間の尊さを知ってはじめて本当のものになるわけである。人間の尊さというものを真に理解することがなければ、いくらロで「企業は人なり」と言っていても、それはよりよい姿に結びついてこないのではなかろうか。

どんな科学者でも、カンの働かない科学者はダメだといいます。偉大な発明をしたエジソンのような人でも、その発明は、ふっと浮かぶひらめき、カンによっています。そのひらめきによって、よりよい科学というものをつくりあげているわけです。

人心の統御というものも、熱意があるかどうかです。それが大部分です。あの人はしっかりしている、学問があるからついていくというよりも、あの熱意には頭が下がる、わしもやってやろうと、こうなりますわな。

すべて熱意が人を動かすんだという、この単純明快なこと、これですわ。オヤジさんがしっかりやっているのやから、手伝ってやらないといかんなと、人は半分はそれに引きずられて動くものなんです。

経営者にとって、一番大事なものは素質の有無ですな。その上で道に入って修業して、失敗したり成功したりして、あるコツを会得する。これは、漫才をやるにしても酒屋をやるにしても通じることでしょうが。

日々の仕事に喜びをもってあたれることは何にもまして代えがたいものがあるように思う。またそのようにして仕事に励んでゆくならば、それによってほかの多くの人びとのために大いに役立つことができ、それらの人びとから喜ばれ、感謝されることになろう。

昔、船場で奉公していた時分、船場で育って店を開いたらそれだけで信用がついた。船場の商売人の多くは、自分の息子を必ず3年以上他の店に預けて一人前にしてもらった。必ず、他人のメシを食わせたんですな。

平易なことを間違いなくやり通すのは難しいことである。難しいことだから根気がいる。それを指導するほうはもっと根気がいる。

よく「そんなことは言われなくてもわかっている」と言う人がいる。しかし、私の経験からいえば、そういう人に限って当然なすべきことができないのである。私は、世の中で一番難しいことは、誰でもわかっていて、誰でもやればできることを、間違いなくやり通すことだと思う。

経営でも、経営学というのがありましょう。経営学は教えることができる、習うこともできる。けれども経営のコツは、生きた経営というものは教えることはできない。習うこともできない。自分で体得せねばしかたないですよ。そこに難しさがあるということを自分でも感じ、人にも話をするんですよ。

統率力というものはね、自分で会得しないとしゃあないですな。こうすればいいとか、ああすればいいとか、言うことを聞いて参考にすることはよろしいけど、本当にそれを身につけるにはね、自分で体験して、悟らなければしゃあないですな。

すべての人がそれぞれの持ち味に応じて余すところなく生かされる時、全体の総合された力は非常に大きな働きを示すのであり衆知を集めるとは、こういうことを意味している。

嵐のときほど、協力が尊ばれるときはない。うろたえては、この協力が壊される。だから、揺れることを恐れるよりも、協力が壊されることを恐れた方がいい。

素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境はうぬぼれを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときのその人に与えられたひとつの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。

逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることだ。謙虚の心を忘れないことだ。

逆境、それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯に鍛えられてきた人はまことに強靭である。

昔から「兵は神速を貴ぶ」ということばもある。また「先んずれば人を制す」ともいわれる。一瞬の勝機を的確につかむかどうかに勝敗の帰趨がかかっている場合もある。そういう時にいたずらに躊躇逡巡していたのでは機会は永遠に去ってしまう。だから、大将たるものは、即断即行ということがきわめて大事である。

いくら熱心でもムダなことやったらいけません。それがムダかどうかはあなた自身で考えなさい。これはムダなことかどうか、一つひとつ検討しなさい。必ずムダなことをやっているにちがいない。

組織が官僚化すれば、パイプがつまって下部の意見が上部へ通らなくなるし、何よりも仕事の能率が下がってしまう。したがって経営者たるものは、絶えず目を光らし、組織を引き締めないといけない。

松下電器の人々のあいだでは、北海道におる人の苦労が九州におる人に伝わる、九州におる人の苦労が北海道の人に伝わるという、打てば響くようなかたちにおいて全員が結ばれていくというようにずらなければ、けっして成果というものはあがるものではないと思うのであります。

一人一人の汗の結晶が隣の人に理解されまいほど寂しいものはないと思うのであります。皆さんの努力が、部下の人にもまた上長の人にも知られるということは、何にもまして心うれしいことだと思うのであります。

自分の体験を語りますと、考えてみれば、私は50人ぐらいのときはもう常に皆と相談しておったですな。「きみ、どう思うか」というような調子ですな。「私はこう思いまっせ」「ああ、そうか」というようなものです。そう言うて、自分は最後の決定をするわけです。それでいいわけですね。だから、「おやっさん何をやっておるんかいな」と言うて、知らんようなことはないですな。常にものを言うて仕事してますから、私のやっていることはみな知っておるんです。ですから自然に、一致団結というとえらい硬い言葉ですけども、そういう姿で仕事をしていたですな。

自分が雇っている人が本当によくやってくれる、もったいないほどよくやってくれる、自分もうっかりしてられんわい、というような気分が、人間関係をつくっていく。

昔の日本に「頭(かしら)まわらんだら尾もまわらん」という言葉がある。だから100人の人を緊張させて、大いに成果をあげようと思えば、自分の活動をはたの人が見て「気の毒な」というようにならんといかんでしょうな。うちの社長はもう一所懸命にやっている、「もう気の毒や」という感じが社員のあいだに起これば、全部が一致団結して働くでしょう。けど、そうでないかぎりは、あなたの活動の程度にみな働くでしょう。

僕はものを言いやすかったんだと思います。極端にいえば、今日入った小僧さんでも、僕にものが言えたわけです。僕に注意できたわけですよ。「それは間違ってますよ」「間違いやおまへんか」と、そういうことがたやすく言えたわけです。「そうか、それなら考えてみるわ」と、こうなります。自分で一所懸命考えて、こんなふうにやらないといかんというようなことで気張って、それを押し付けるということはまずなかったです。

社内でも、僕が非常に偉いから僕に従ったというよりも、頼りないオヤジさんだからしっかりやったろうかと、そういう点があったと思うんです。ですから、一番大事なことは、ものを言いやすいオヤジ(上司)になることですよ。

結局、部下が僕に対して「安心感」を持つかどうかということでしょう。社員が僕に対して怖い社長だと思うか、偉い社長と思うか、いろいろあります。問題はそこだと思います。

少なくとも、威圧とか権力とか、そういうもんで人を使ったりすることは最上ではないと思いますね。それは上ではなく中ぐらいの経営者ですね。怖さを感じさせるということではいけないですよ。怖さというものは一面では必要だけれど、怖さだけでは人はついてこんですよ。やはり、何でもものが言える人、そしてある程度理解できる人、全部理解できんでも、ある程度理解できる、そういう感じの主人の方が仕えやすい。

63%も外資企業に持っていかれとるやないか。日本が占領されてるということやで。電熱器事業部だけ、松下電器だけの問題やない。きみはそんなことで日本人と言えるのか!
【覚え書き|1970年代後半、コーヒーメーカーのシェアについて語った言葉。その後、松下電器は半年で新機種を開発し、業界一位のシェアを獲得した】

きみらは大学を出て、いろんなことをやりたいと思って松下に入ってきただろう。だけどな、わしの考えでは、まず第一期は習わなくちゃいかん。やりたいこともあるだろうけれども、とことん学ぶことから始めようじゃないか。
【覚え書き|大卒新入社員への言葉】

仕事を任せてみたところ、その人の欠点が出るということもあります。その欠点については、やはり経営者が直してやるようにしなければならないと思います。直しても直らないようであれば、その人を替えるというところまでやらなければなりません。これはいいかえますと、“任せて任せず”ということになると思います。

「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、人に仕事を任せるという場合、原則としては、こういう仕事をやりたいと思っている人にその仕事を任せる、ということがいいのではないかと思います。

経営というものは教えられないものです。経営学は教えられますよ。経営学というものは、経営学者に教えてもらったら、ある程度わかります。しかし生きた経営というものは、教えられないです。これはもうその人が、自分で体得するものです。

自分でいろいろ考えてみて、人にも聞き自分も考えてみて、そして自ら悟るものを持たないといけません。経営というようなものは教えられないものです。

経営のコツはね、教えて悟れるものやないんですよ。私は経営者は自得するもんやと思うな。自得するためには、あるいは人の教えを聞くとか、あるいは自分で体験してみるということは必要ですよ。しかし、これは教えられるもんやないんですよ。これはもう自得せなしょうがないですな。

サービスでも何でも、真心から出るものでないといかん。ひとつの手段としてやるということは、やっぱり響きが鈍ると思うんですね、何ごとにもよらず。

信用は築こうと思っても築けるものではない。その人が誠実にその商売なり、自分の務めというものを大事にしていくということが積み重なって、自然に信用が生まれる。

経営者としての大きな任務の一つは、社員に夢をもたせるというか、目標を示すということであり、それができないのであれば経営者としては失格である。

よく人から「あんたの趣味は何ですか」と聞かれるが、私は「私には趣味はないですな。まあ、しいていえば、夢が趣味ということになりますかな」と、答えることにしている。

各人それぞれにさまざまな知恵や力など限りない可能性を秘めている。そのことにお互いが気づいて、個々に、あるいは協力してその可能性を磨いていくならば、人間本来のもつ特質、よさが光り輝くようになってきます。そこに世の中の繁栄も、平和も、人間の幸福も実現されてくると思うのです。

大事なのは、思い切って仕事を任せ、自分の責任と権限において自主性をもった仕事ができるようにしていくことである。人を育てるというのは、結局、経営の分かる人、どんな小さな仕事でも経営的な感覚をもってできる人を育てることである。

結局人間というのは、自覚を持ち、責任を感じれば、一見ムリと思えるような難しい仕事でもなしとげる力をもっているものだと思う。もちろん向き不向きということはあろうし、またそれなりの訓練といったものが必要なことも当然だが、そういうものが適切なら、あとはその場を与えさえすれば十分な力を発揮するものである。

任せた以上あまり細かな口出しはしないし、ある程度は大目に見るということですけど、脱線してしまうというようなときには、これははっきりと注意せんならん。そうでないと、これは無責任ということですわ。脱線しないように介添えするということが「任せて任せず」ということですよ。

「任せて任せず」ということは、文字通り「任せた」のであって「放り出した」のではないということです。経営の最高責任者というものは、どんな場合でも、最後の責任は自分のところにあるという自覚をせんといかんものです。そういう自覚に立っているからこそ、「任せて」はいるけれど、絶えず頭の中で気になっている。自分は責任をもたないといかんということで腹をくくっている。そうなると、どういうふうにやっているかということがいつも気になる。これが本当ですわな。

いかに学問、知識に優れ、人格的に一点も非の打ちどころのない人であっても、経営者として成功するかというと、必ずしもそうとは限りません。成功するためには、やはりそれに加うるに経営のコツというものをつかんでいなければならないと思います。

ぼく自身は、小企業も中企業も大企業も経営の経験があるわけですけれど、主人公の率先垂範がまず第一ということは、まったく企業の大小を問わず、共通にいえることです。

一心不乱でやる、そうするとまわりもただ見てばかりはいないものです。一心不乱という本当に真剣な姿を見ていると、そこには必ず何か教えられるものが出てくる。まわりの人々は、いちいち言わんでも、手伝うし、働く。

従業員が5人か6人ぐらいの小さな規模のときには、やることは単純なんです。こうしたらいいということを、身をもって示すことです。誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで働く。やはり、オヤジさん自身が身をもって示すしかない。それが第一です。

「この仕事は自分一人ではできない。知識も要る。技術も要る。そういうものはみな部下がもっている。その人たちが動いてくれて、初めて仕事ができるのだ」というような心持ち、そしてまた部下の人たちが仕事をしてくれることへの深い感謝と慰労の気持ち、そういうものが根底になくてはならないと思うのです。

少しうまくいきますと、それでいいということになる。新しいことを求める熱意が欠けてくるというようなきらいが人間の一面にありますから、これは無理からんことだと思いますけども、産業とかこういう仕事に携わっておる者は、常に新しいものを呼び起こして、呼び出して、そしてそれに取り組んでいかなならんという感じがします。

我々の身辺に、今日はこれが最善と思っておったことでも、考え方によれば、これはまだ最善でないんだと、まだほかに道があるかもしれないと、こういうふうに考えれば、道は無限にやっぱりある。

人間の能力というものは、いつも固定したものではないと思います。その人がおかれた場所場所によって、10の能力の人が20の働きをしてみたり、20の力がある人が10の働きしかしなかったり、ということがあり得るものです。ですから、人の配置というか、もっていき方というものが非常に大事だと思います。

人間というものは、気分が大事です。気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。しかし気分が非常にいいと、今まで気づかなかったことも考えつき、だんだんと活動力が増してきます。

何事も行き詰まれば、まず、自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。

一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。

うちの工場ではみんな品質管理を勉強して、いいものをつくるために頑張ってくれているけれども、品質管理の前にもっと大事なことがある。それは人質管理だ。

自分は家が貧しかったため、早くから社会に出て、人様以上に世間というものを経験した。また、小学校しか出ていないから学問に遠く、世間の人々がみんな偉く見えた。だから世間の皆さんの話なり行動なりを素直に学ぶことができた。

いい人ばかり集めようとし、ちょっとでも変なのがいるとこれはかなわんと悩むのは虫が良すぎる。少々のことは飲み込んで大胆に構えて行かんことには人など使えるものではない。人を使うというときには、どうしても粒よりばかりというわけにはいかんのです。

どうせ同じ死ぬのであれば、養生して寝ながら死ぬよりも、働けるだけ働いて死ぬ方がいい。死ぬのはこれは結核にかかった以上、さけられないからしかたがない。兄も二人結核で死んだのだから、自分もジタバタしてもだめだ。諦めざるを得ない。どうせ人間は一度は死ぬのだ。それはそれでいいではないか。しかし、ただ寝ていて死を待つというのは面白くない。働ける間は大いに働こう。

仕事にはまりこみ、時間も忘れ、疲れも知らず熱中する。仕事から手を離すのが惜しくてならない。ただ働くことが愉快でたまらない。あたかも信仰の三昧境(忘我の境地))に似た状態で、仕事にわれを忘れてしまうという、いわば仕事三昧の境に入りうることは、まったく楽しいことである。またこの境地こそ、真剣に働く者のみの知る極楽の天地であり、人の知れぬ楽しい世界である。

人間の心というものは妙なもので、希望がもてたり、将来性というものが考えられると、「よし、やろう」という気分になる。そうするとまたやれるものであります。そこに考えもつかないような非常な発展があったり、発明心が起こったり、あらゆる事業遂行にいい方針が見いだされるというようになるのです。

憂事(ゆうじ)に直面しても、これを恐れてはならない。尻込みしてはならない。「心配またよし」である。心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる。知恵をしぼる。するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。新しい道がひらけてくるのである。まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。

弟子が師匠にものを学ぶ。最初は師匠の模倣である。最初は誰でもそうである。しかしやがては、師匠を真似て師匠の範囲だけにとどまる人と、師匠の範囲を抜いてそこにより新しいものを生み出し、自己の個性を生かしていく人との違いが出てくるようになる。先の人、つまり師匠の範囲しか真似られない人の場合を、私は模倣の人と呼びたい。しかし、あとの人の場合は、最初は模倣であったかもしれないが、やがてはこれをよく吸収消化した人であったと言いたい。

経営者である以上は、多少の予見性はね、皆それなりに持っているかと思います。それを強く持っているかどうか、的確に持っているかが問題でしょうな。変化が激しいので、予見しにくく見通しも立てにくい。けれども、不確実性というものを承認しないという考え方が必要。

ガラスのコップ一つ例にとっても、「これはガラスやないか」で終わる人。このガラスにはどういう技術があるのかな、このコップはどういう生活に対応するのかな。ガラスのコップは地球上に広がってきているが、歴史的にみてその間の政治はどうだったのか、文化は、経済はどうだったのか、というふうに物事をどんどん広げて見る人とでは、まるっきり違ってくる。広い受けとめ方をして見る人は、やはり経営にもその資質が生きている。

風の便りというものは世間を舞うているわけです。便りを出す会社が十軒あるならば、便りを聞く会社も十軒あると考えていいと思います。それをキャッチして、早くものにし、しかも完全なかたちでものにすることができる会社は、絶えず時代の先端に立つわけです。便りを出すばかりで吸収することのできない、吸収してもそれをぐずぐずしている会社は、後塵を拝する会社となっていくだろうと思うんです。

中国の哲人が言うたんだろうと思いますが、「君子は日に三転す」と、こう言うんです。2000年前、君子というものは日に三転する、君子というものは日に三べん進歩すると、こう言うたんです。また明治初年に「朝令暮改」ということを言うたんです。朝出した法律を晩にもう変えてしまう、それでは国民が落ちついて仕事ができないやないか、朝令暮改とはけしからん、ということでありましたが、しかし、じっと考えてみますと、明治初年はそれだけ進歩しとったんやなあと(笑)。朝令暮改ということは、君子が日に三転するんやから、朝に昼に晩に変えていいということにも通ずると思うんです。それは2000年前に言うとるんですからね。今なれば、「君子は日に百転す」と言うてもいいと私は思う。

松下幸之助の経歴・略歴

松下幸之助、まつした・こうのすけ。日本の経営者。「松下電器産業(のちのパナソニック)」創業者。9歳の時に父が米相場で破産したため尋常小学校を4年で中退し丁稚奉公に出る。16歳で大阪電燈(現:関西電力)に入社し7年間勤務。在職中に電球ソケットを考案した。その後同社を退社し独立。水道哲学、ダム式経営など独特な経営哲学で同社を日本屈指のグループ企業へと育て上げた。松下政経塾、PHP研究所の設立者でもある。

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