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村上龍の名言

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村上龍のプロフィール

村上龍、むらかみ・りゅう。日本の小説家。長崎県佐世保市出身。武蔵野美術大学在学中に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人賞、芥川賞受賞。代表作に『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『イン ザ・ミソスープ』『希望の国のエクソダス』ほか。その後、数々の文学賞を受賞した。また、映画監督や政治経済分野のコメンテーターなどを務めた。

村上龍の名言 一覧

アイデアというのは、誰でも最初は何も浮かびません。考え続けるしかないんです。ただし考え続けても、必ずいいアイデアが生まれるとは限りません。じゃあどうするかというと、それでも考え続けるしかないんです。


育児についてアドバイスがあるとしたら、「人生とは案外面白いものだ」と、言葉ではなく、生き方を示すことで、教えることですね。具体的に何かをするということではなく、単に、親が楽しく充実した人生を生きていれば、子供は自然とそれを学びます。


太古の昔から、夜の闇に包まれた森は、怖くもあり、また魅惑的でもあった。森は人々に畏敬の念を抱かせ、安堵と不安の両方を与えた。森はいろいろな国の民話の宝庫でもある。想像力を育む。そして、想像力は、独創性の源泉である。


独創性というのは努力すれば得られるのか。訓練によって独創性は育つのだろうか。「独創性を学ぶ教室」というものがあると仮定してみよう。独創性を持つ人は、そんな教室に入ろうと思うだろうか。独創性とは、特定の個人、組織に自然発生して、それを維持させていくという意志ではないのだろうか。


私は「創造性に充ちた小説」を書こうと思ったことがない。だが、誰の真似もしない。正確に言うと、「真似をしない」のではなく「できない」のだ。奇妙な言い方だが、「自分自身の真似・コピー」もしない。これまで書いたことがある手法・文体、モチーフだと、すでに飽きていて、そんな小説は、書くことができない。


自分がどんなことを達成したいか、わかっていない人は、1年経とうが、30年経とうが、達成できない。


本当に「必死で言葉を探して」いるのなら、いつか必ずいい言葉を発見できる。


考えることを放棄している人が増えているように思う。これは生きる上で非常にリスキーなこと。


何かを変えないと、状況は変わらない。まず何とかして、今後を考えるための自分の時間を確保する努力が必要。


成功とは、生活していけるだけの収入と充実感を持てる仕事を持ち、かつ信頼できる最小の共同体(たとえば家族)に帰属していること。


どこか「いいなあ」と思える部分があるかどうかは重要。人間は、まったくリスペクトができない人とは、友人だろうが、恋人だろうが、付き合いは長続きしない。


多くのお金を得る鉄則は、「よりハードに働く」こと。


基本的に、自分が何を望んでいるのかはっきりしない人に対してアドバイスはできない。


私の場合、優先するのは「小説」です。小説を書くためにプラスになることなら進んでやりますし、小説の執筆を阻害することは避けます。


できるだけ謙虚になって「教えを請う」というような態度でないと、相手にされないだけではなく、さらに出世は遅れる。


話が通じない相手と渡り合うには、尋常ではない努力が必要。必死で業績を上げる、非論理的な上司が認めざるを得ないくらい結果を出す、それしかない。


仕事のやりがいは自分で発見するもので、他人に聞くものではない。


昔の話をするときは楽しいが、現実に戻ると楽しくない、というのはたぶん「老化」。そうなったら「すでに自分には老化がはじまっている」という意識を持つことがまず大切かも知れない。


自信を持つというのは、「迷わない」「悩まない」ことではない。自信というのは「少なくともこのことに関する限り自分は飽きずに努力を続けられる」みたいなこと。


「モヤモヤ」した感じの底にあるのは、「もっといい人生を送りたい」という正当な欲求。向上心の現れ。「自分にはもっと違う人生があるはずだ」とどこかで思うことが、向上や進化に結びつく第一歩。


去っていった女はとても良く見える。客観的に考えると、たいていその良さは幻想なのですが、当人はなかなか気づくことができない。


複数の選択肢の中で揺れていて決断できない場合に、誰かの回答を必要とする悩みや葛藤が起きる。優先順位をつけることができれば、誰かに相談する必要はない。


給料が上がらないというのは「悩み」ではなく、「目の前に立ちはだかった現実」だということに気づいてほしい。


「カンブリア宮殿」という番組で多くの経営者の話を伺っていて感じるのは、時代の変化に直面した企業が自らの資源を再発見し、再構成することの重要性です。それを新たな時代に活かすことで、生き残った企業がたくさんあります。


僕は「日本を元気にする」という類の議論は無責任だ、と書いたことがあります。これだけ多様化し成熟した社会で、「日本をどうする」といってできるものではない。個人や企業が努力して、その個が集まって全体が変わっていくというのが本筋だと思います。


ユーモアは常識にとらわれない視点から生まれる。


番組スタッフから頂いた資料をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の意見や疑問を持ち、関連する資料を探しながら読んでいます。


「普通」でいることのありがたさ、難しさを強く感じます。今年は「普通に」を心がけて日々を過ごしていきたいですね。


この会を始めて、視聴率も上がっているらしい(笑)。チームワークは確実に良くなっていると思います。

【覚え書き|トークドキュメンタリー番組『日経スペシャル カンブリア宮殿』のスタッフたちと卓球交流会をやっていることについて】


異常よりも平凡を描くほうが難しい。


案外重要なのは、相手をよく知ること。相手がどんな人か、何に興味があって、どんな考え方の持ち主か、それがわかれば、糸口が見いだせるかも知れません。


「ひとりで抱え込まないこと」が最も重要。いじめや違法な過重労働などで、自殺に追い込まれる人もいる時代です。相談できる人がいないか、考えてみるのはムダではないはず。


私の場合、同じことを繰り返すと飽きてしまうのです。だから常にテーマというか小説のモチーフとして、私自身を刺激してくれるはずだと確信するものを選びます。そのモチーフが困難なものか、それとも案外安易なものかは関係なく、刺激してくれるものを選ぶわけです。なので、モチベーションを維持する上で、悩んだり、困ったりしたことはないです。


私は作家としてデビューして36年経ちますが、「書けない」と思ったことはありません。『半島を出よ』という作品で北朝鮮の反乱コマンドの視点から物語を進めようと決めたときは「むずかしすぎる、無理かも知れない」と立ちすくみましたが、それでもどこかで「自分はきっと書くだろう」と思っていました。


私は「転校生の論理」と呼んでいますが、孤独な転校生が新しい環境でよいところを見つけるように、何かいいところはないか、興味が持てる部分がないか、を考えることです。ある場所で暮らさなければならなくなったとき、そしてその場所が快適でもなく、人間関係もよくないとき、いいところを探し発見できるかどうかというのは、サバイバルする上で、案外重要です。


モチベーションというのは「努力して」身につけるものではありません。あまり好きではない異性や食事に対し、「努力して好きになる」のが無理なのと同じです。


科学者は、長く、地道な、研究・実験・観察を経て、「発見」に至る。発見までの長い道程は、科学者に内包された「独創性という意志」が支える。


アイデアというのは、まったく新しいことを考えつくことではありません。「組み合わせ」です。『13歳のハローワーク』でも、普通の職業紹介本は山ほどありましたし、子供のための絵本も何万冊もありました。けれど、「子供のための職業紹介の絵本」は多分なかったはずです。


「気が合い、飲み込みも早く、教えていて楽しい」という部下のほうが特殊なのではないでしょうか。たいていの場合、「覚えが悪く、学ぼうという意欲もない」人を相手にするほうが「普通」なのだと思います。


「私の人生って何だろう」というような「モヤモヤ」を感じない人というのは、仕事において言われたことや指示されたことしかやらないダメな社員であることが多い。指示されたことだけをこなすのではなく、まず最初に、なぜこの仕事が重要なのか、この仕事をさらに充実させるためにはどうすればいいかを考えるべき。


現実を受け入れるためには、まず最初に現実を把握することからはじめるべきです。そして把握するためには、「現実を見る」ことが必要ですが、これも簡単ではない。私たちは、嫌なことからは目を背けたいという本能を持っているからです。


とにかく人生をサバイバルして生き抜くためにはどうしたらいいか、という風に、発想を変えてみたらどうでしょうか。「安定を得る」ではなく「生き延びる」というスタンスで、考えてみてください。


友人や恋人は、作ろうと思って作れるものではないし、探そうと思って探せるものでもありません。「出会う」ものです。まず一つ一つの出会いを大切にすることからはじめてはどうでしょうか。


勇気を持って「劣っている」と認めると、いろいろ具体的に考えなければいけなくなる。まず「どこが劣っているのだろうか」と、他の同期と自分の仕事内容・結果、あるいは社内でのコミュニケーションのやり方などを比べてみる必要が出てくる。


我々は東日本大震災からものすごく大事なことを学びました。ひとつは小さなコミュニティで助け合うこと、もうひとつは既存のシステムや考え方に依存しないということです。


ユーモアというのは、「頑張ること」と、真逆です。ユーモアのセンスというのは生まれつきではなく、学ぶものです。ユーモアがまったくない生真面目な家庭に生まれ育った人が、豊かなユーモアの持ち主ということはあまり考えられません。だからといって、自分にユーモアのセンスがないと落ち込む必要はないです。


知らないことは恥でも何でもありません。それに、自分がそのことについて「どれだけ知らないかを知っている」ことは非常に重要です。無知というのは、「知らないということを知らない」「知らないということに気づかない、認めない」人です。


お金は後からついてくる、というのはどうやら真実らしいです。私がインタビュアーをつとめる番組『カンブリア宮殿』は、成功企業の経営者がゲストですが、彼らに共通するのは「利益を最優先しない」ということでした。


「目の前のことを一生懸命にやる」というのはやや不正確な気がします。問題は、何を、なぜ、どうやるかであって、「目の前のこと」だけ一生懸命にやっていればいいというわけではないからです。


「目の前のことを一生懸命にやる」というのはやや不正確な気がします。問題は、何を、なぜ、どうやるかであって、「目の前のこと」だけ一生懸命にやっていればいいというわけではないからです。


失敗を恐れずに新しいことにチャレンジするために必要なのは、考え方や決断ではありません。「前もって成功しておくこと」が重要です。新規ビジネスへの挑戦は、「成功のあとの絶好調のとき」にやるべきなのです。失敗を恐れずにチャレンジしろというのは、失敗しても会社が潰れない場合に限られるのです。


「どうすれば後悔しないで生きていけるか」を一度考えてみてはどうでしょうか。人生でもっとも恐ろしいのは失敗ではなく後悔です。失敗はリカバリーできることもありますが、「あのとき、こうしていれば」という後悔は、取り返しがつかず、一生背負うことになります。


絶対に外部に不調の要因を求めない、他人、他の部署のせいにしないこと。「原因は自分にある」、まずそう思うことが重要。そして何が壁になっているのかがわかれば、壁を突破するのか、迂回するのか、よじ登るのかなど、見えてくるかもしれません。


まず本当に壁にぶち当たっているのかという問題があります。壁にぶち当たるというのは、まずある程度の成功体験が必要です。成功したあのときと同じように、ありとあらゆる方法を考え、実際に試してみて、それでもダメ、というのが壁です。だから壁にぶち当たってしまう人は、一応かなりの成功者なのです。


奮起させようとするより、「疲れたら休め」と言ってあげたほうが、逆に今後長い目で見た場合に、効率が上がるかもしれません。歳を取れば取るほど体力・精神力が向上する生物は地球上に存在しません。私たちは、何歳になっても奮起できるような身体的・精神的機能を、基本的に、持っていないのです。


バカヤローと部下に怒鳴る人は、心に余裕がない人。寝不足で苛立っているとか、胃潰瘍で痛みがあるとか、仕事がうまくいっていないとか、家庭が崩壊寸前とか、余裕が持てない理由はいろいろですが、基本的には、相手によるものではなく、また性格的なものでもなく、自分自身に問題があることが多い。


順を追って説明すると、「まったく新しいことへの挑戦」ということではないということがわかっていただけるのではないかと思います。すべて、それまでに行ってきた作業の蓄積が元になっていて、また経験や人脈がなければ実現できなかったことばかりです。だから、私自身は、「新しいことに挑戦している」という意識がなく、これまでやってきたことをベースにして、それらを組み合わせているだけだと思っているのです。


「馬を水辺に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない」という有名な警句があるように、興味がないものに無理やり興味を持つのは無理なので、現状、モチベーションが持てないのだったら、それはしょうがないですね。不利だという認識を持ちつつ、モチベーションがないまま仕事をするしかありません。


誰だって、同じようなものです。自分の仕事がうまくいっていたり、体調がいいときは他人に優しく接することができます。たとえば、仕事で大失敗をして、しかも熱が39度あるときに、他人に対し優しく接し、他人の立場に立ってものごとを考えるのは、誰にとっても非常にむずかしいです。むずかしいことなので、それができる人には価値があるということになります。


マイナス思考は、悪いことばかりではありません。私たち人間が完全にプラス思考になってしまえば、自身の病気に気づくこともなく、家族や友人などの不幸に心が痛むこともなく、仕事で危機感も持てず、不幸を察知して回避する努力をすることもなくなり、下手をすると人類は滅んでしまうかも知れません。マイナス思考に陥りがちな人は、危機感が強いという見方もできるわけです。


映画『フィラデルフィア』で、弁護士に扮したデンゼル・ワシントンが何度も使う台詞があります。「私を6歳の子供だと思って説明してください」というセリフです。要するに、「もっとわかりやすく説明してくれ」ということです。6歳の子供に何かを教えるのは大変です。6歳児の知識は限られていますし、むずかしい言葉もわからないし、つまらないと思うとすぐに飽きて話そのものを聞こうとしなくなります。覚えが悪い2人の部下に対し、折れるとか、持ち上げるとか、そんなことではなく、一度、「6歳児に教える」つもりで、話してみてはどうでしょうか。


メールは完璧ではありません。すべての欠点は、長所の隣りにあるものですが、メールは、当然相手の顔も見えませんし、声も聞こえませんし、筆跡もありません。なので、まず、プライベートで、ややこしい話には向いていません。恋人とケンカして、その経緯について弁解しなければならない、というような場合、メールは無味乾燥なものになりがちで、かつ誤解を生むリスクが高い。


「交換できる有益な情報」を持っていない人は、限られた人脈しか持つことができません。会って話をするメリットが少ないからです。交流会に参加して、名刺を配りまくっても、「有益な情報」を持っていると判断されない限り、すぐに忘れられます。無理して人脈を作ろうなどと思わず、まず第一に「有益な情報」の持ち主になることのほうが重要なのではないでしょうか。


すぐにカッとなる性格を直すのは簡単ではありません。まず重要なのは、「自分はすぐにカッとなる性格をしている」という本人の自覚ではないかと思います。自分の性格と向き合い、すぐにカッとなる傾向があると認めること、そして本人もできればそれを直したいと思っていること、直すためには「意思の力」が必要なこと、という風に段階的に進めれば理想です。


ある工業デザイナーから聞いた話が印象に残っています。彼は事情があって東京から故郷に戻り、しばらくずっと「東京にはあって地元にはないもの」ばかり考えていたのですが、あるとき「地元にはあって東京にはないもの」を探そうと思ったそうです。彼の場合、それは地元の伝統工芸でした。「地元にはあって東京にはないもの」とは、きれいな空気や海かもしれないし、新鮮で安くおいしい食材かもしれないし、住居費を含む安価な物価かもしれないし、密な人間関係や人情といったものかもしれません。「地元にはあって東京にはないもの」は、必ず存在します。


運命の相手というのは、私はいないと思います。人生の最良のパートナーとなるような女性と付き合うべきなのでしょうが、男女の仲というのはそれほどうまくはいかないものです。


人間が変わる要因となるのは、趣味でもスポーツでもなく、困難な仕事をやり遂げるとか、運命的な他人と出会うとか、そんな場合だけです。ただ、変わるといっても、別の人格になることはできないので、正確に言えば「自分が変わる」というより「周囲・環境」が変化し、それによって自分の中で新しい何かが生まれるのを感じるといったニュアンスです。自分を変えるのではなく、仕事や人間関係において、外部を変えることを考えてみたらどうでしょう。


自己嫌悪の感情を持つのは正常な証です。自己嫌悪というのはネガティブな感情ですが、理想あるいは目標とする自分自身をイメージできていなければ、湧いてきません。理想、目標とする自分自身をイメージして、現段階では実際の自分がそのイメージとは違う、という認識で自己嫌悪が生まれます。そして、当たり前ですが、自己嫌悪というのは決して心地よくないので、そういったネガティブな感情から脱するために、人は何らかの努力をはじめるわけです。


自分が知ったかぶりだとわかっているのは、本当の知ったかぶりではないと思います。本当の知ったかぶりの人は、自分が知ったかぶりだと気づいていない場合が多いです。自覚できているか、いないかは、とても大切です。たとえば、「嘘つき」でも同じです。本当の嘘つき、というか精神医学的な対応が必要な人は、自分が嘘つきであると気づいていない、または認めていない場合が多々あります。


映画のプレゼンの場合、よく言われるのは、「まずひと言で、その映画の特性と魅力を言い切る」ということです。どんな映画なのかを、ひと言で言うわけです。ひと言で言い切るのは簡単ではないですが、その「決め」のひと言を考えるのは、企画内容を自ら深く理解し、プレゼン全体を効果的なものにするのにも役立ちます。


すべてのプレゼンターにも共通する大切なポイントはあります。それは「話術」ではなく「周到な準備」です。企画をスポンサー候補の企業などに説明するときには、あらゆる資料を準備します。あらゆるものを用意します。プレゼン素材全部そろえたら、あとは、説明する順番を決めます。これがとても大事です。一番最初に説明するのは、その企画・商品の特性と魅力ですが、できるだけシンプルに、また本質を表すことができる言葉を選んで、注目を引くように心がけます。


失恋に限らず、死別や、別居などでもそうなのですが、別れたときの哀しみ、喪失感というのは、確かに耐えがたいものがあります。ただし、その哀しみや喪失感は、私たちにとって必要なものだという精神医学者や心理学者の指摘もあります。それは、失った人のことを、心に刻みつけるために必要なのだそうです。刻みつけるというか、心の中に、その別れた人の居場所というか、自分にとってどんな人だったのかを再確認するために、悲しみや喪失感が必要だということです。私たちは、生まれたときから、出会いと別れを繰り返して生きていくわけです。別れた人を、自分の心のどの部分に、どのような形でイメージとしてとどめるのか、それを定めるために悲しみや喪失感があって、辛く悲しいけど、「必要なのだ」と思えば、少しは違うかも知れません。


信頼できる人間関係の構築は非常に難しい。信頼を築くには長い時間と手間ひまがかかりますが、失うのは一瞬だからです。しかも、こうすれば信頼できる人間関係を作れるというような、手軽なコツはありません。信頼を維持すべく、自分で考えて、努力することが必要です。考えてみれば、人間にとって最も難しいことなのかも知れません。


将来に備えるために一番力を入れるべきは、人間関係の構築だと思います。私は、『55歳からのハローライフ』という連作の中編小説を地方紙に連載していて、ホームレスを取材しました。実は、誰でもホームレスになる可能性があります。ホームレスになる要因は複数あるのですが、その中でももっとも大きいのは「家族、または小さくて親密な共同体の喪失」です。つまり、孤独になることです。信頼できる家族、あるいは友人たち、というのは、どんなときでも助けになってくれます。怪我をしても、病気になっても、借金で首が回らなくなっても、何とか手をさしのべてくれる近しい人がいるかどうか、私はそのことが老後を生きる上でもっとも大切だと思います。


ダメな経営者は事業が思うようにいかないとき、あるいは利益がなかなか出ないときに限って、新しいことをはじめようとします。基軸となる事業がうまくいっていないときに、新しいことをはじめるのは愚の骨頂で、絶対にうまくいきません。基本に返るというのは、徹底して自らの強みを活かす、ということでもあります。自らの強みをさらに強化して、必要なら資金や人材などをつぎ込み、リスクを取って勝負するというのがビジネスの鉄則です。


人生を賭けるような仕事というのは、探しても見つからないです。出会うものです。ただ、出会っても、それとも気づかずに素通りしてしまう人が多いようです。つまり、たとえ出会っても、「これだ! これしかない」というようなケースは非常に少ないんですね。「ん? これって何だ?」というちょっとした違和感に近いことが多い気がします。あれはいったい何だったんだろう、何でこんなに気になるんだろう、そんな感じです。


会社の同僚などのグチの聞き役になることが多いというのは、別に悪いことではないです。逆の立場で考えていただきたいのですが、あまり信頼できない人や、まったく興味が持てない人に対しては、たとえ軽いグチでも言いづらいものです。たとえば「実は転職しようと思ってる」というような、グチというより切実な相談の場合は、よほど信頼していないとできないでしょう。


部下の悪いところにばかり目が行くのは性格ではない。誰にでもそういう一面、そういったときはあります。私の場合、気持ちが落ち込んでいたり、いやなことがあったりしたときに、他人の悪い面に目がいきます。苛立ってしまい、他人に当たりたくなるわけです。逆に、充実した時間を過ごし、達成感とともに心身ともに安らいでいるときは、基本的に他人に対して、優しくというか、寛容になることができます。だから、性格を直したり、変えようとするのではなく、まず自分が充実した時間を過ごしているか、仕事で達成感を得ているかを考えてみたらどうでしょうか。


息子が生まれたとき、「キャッチボール、自転車の乗り方、水泳」、その3つを直接教えると決めました。育児とか教育に関しての決意はそれだけでした。当時、父親が息子に金属バットで殴り殺される事件が起きて、どうすればそういった悲劇を避けられるだろうと考え、反抗期のころ、私自身が父親を殴らなかったのは、いっしょにキャッチボールをしたり、遊んだ記憶が大きかったと思い出したわけです。


たとえば、長年「光学器機」を開発してきた技術者が、突然「薬品」の開発に携わるのは不可能でしょう。どんな製品・商品でも、専門外のものを開発するのは、無理なだけではなく、不自然で、非効率で、非合理的だということです。その開発者がそれまで培ってきた知識と技術、それに体験と人的ネットワーク以外、利用できる資源はないからです。つまり、(まったく新しいことをやるのではなく)自分が持っている資源を「組み合わせる」しか方法はないのだと思います。


楽しいことを仕事にするのはいいことですが、楽しいというのは非常に定義が曖昧なので、何とも言えません。楽しいというのは、「やらないよりはマシ」から、「やっているとワクワクする」、そして「それを奪われると生きていけないかも知れない」まで、いろいろです。仕事というのは、それがどんな種類でもかなりシリアスなので、「奪われると生きていけないかも知れない」というような切実な「楽しさ」があるほうが有利です。


私がインタビュアーをつとめる「カンブリア宮殿」という経済番組がありますが、そのゲストの一人が、ダメな経営者の典型として「グズとケチ」というのを挙げていました。グズというのは、重要な局面において決定が遅れるという意味です。経営者としては致命的です。ケチというのは、事業の拡大や新商品の開発、それに優秀な人材の確保や成果を上げた社員への報酬などにおいて、金を出し渋り、チャンスを逃すということで、これも経営者としては最悪です。


ユーモアですが、学ぶことができます。ただし、テレビのバラエティや、コメディアンの芸を見たりしても、ほとんど役に立ちません。今のコメディアンは、厳しいトレーニングをしていないので、基本的に、一瞬芸しかできません。他人の身体的特徴を揶揄したり、自らの失敗談を露骨に大声で喋ったり、そういうことしかできません。それはユーモアのセンスとはまったく無関係です。たくさん本を読み、たくさん映画を見ることは役立ちます。コメディではなく、名作、傑作だと言われるドラマのほうがいい。


ユーモアのセンスというのは、なくても生きていけますが、あるほうがいろいろと有利です。極端な例ですが、アウシュビッツやシベリアなどの強制収容所で生き延びることができた人たちの特徴として、ユーモアのセンスがあったことがよく指摘されます。プロレスラーのような身体強健な人よりも、ユーモアのセンスがあり、どんなに辛くても周囲を笑わせることができた人のほうが、極限状態をサバイバルできたということです。それは、ユーモアが、人の心や、場を和ませ、たとえ一瞬でも、辛さを忘れさせてくれるからです。


長い目で人生を考えると、人を騙すより、騙されるほうがまだましです。人を一度騙してしまうと、信頼を失います。「優しいと思ったけど実は冷たかった」「仲良くなったけど結局貸した金を返してくれなかった」というような人とは二度と付き合おうと思わないでしょう。騙しや裏切りを繰り返しながら生きるのは、一時的には得することもありますが、やがてどこかで嘘がばれ、その噂が駆け巡って、信頼を失います。そういう事態になると、もうリカバリーは不可能で、真の孤独という耐えられない末路を迎えることになります。そういった人たちは、確かに少なからず存在して、一見、楽で、得をしながら生きているように思えることもありますが、本当は可哀相な人たちです。


基本的に私たちは歳を取るにしたがって心身が弱くなっていくのです。なので、加齢による体の微妙な不調に関して、何か異変が起こったのではないかと不安になる必要はありません。私も50代半ばで、「いったいどうしたんだろう」という感じで衰えを覚え、びっくりして、かなり焦りました。「歳をとったのだから当然だ」と納得できるまでにかなり時間がかかりました。いつまでも元気である必要などないのです。何とか1日1日を乗り切る、それだけで十分です。


「海外に出る」のも1つの方法かもしれません。私は、30代後半から、40代にかけて、バカみたいに海外に行っていました。それもたいてい一人旅でした。テニスやF1レース、それにサッカーの取材と称して、ヨーロッパを回り、キューバと出会ってからは、映画を撮るという目的もあったのですが、毎年3~4回訪れていました心しかも1か月とか、2か月とか、滞在は長く、あのころ少しだけ世界を知った気がします。20代や30代前半は、ヨーロッパではなく、南北アメリカ、アジア、アフリカなどによく行きました。ヨーロッパに行くには、それなりの知識と、それなりの資金が必要だと思っていたからです。パック旅行ではなく、できたら個人で、それも一人旅で、海外に出るという選択肢は考えてみる価値があると思います。


私がインタビュアーをつとめる『カンブリア宮殿』という経済番組を通してわかってきたことがいくつかありますが、営業職の変化もそのひとつです。かっての接待・受注型の営業では、押しの強さや話術が重要でした。しかし、今は、提案型の営業が主流になりつつあります。顧客のリクエストに「耳を傾け」、理解して、「だったらうちのこういった商品・サービスだと、こういう効果が期待できますけど」と切り出すわけです。そういった営業戦術においては、「聞き上手」は有利です。「聞き役ばかり」と嘆く前に、「最高の聞き役」を目指してみてもいいのではないでしょうか。


『トパーズ』という短編集では、読点だけがあり、句点がほとんどない、長い長い独白のような文体を用いた。読みやすいとはとても言えない文体だが、目的や欲求を自覚できず、また社会的規範からはみ出した女性たちの心情を描くとき、非常に有効だった。その特殊な文体は、意識的に考えたわけではない。女性たちの心情を「翻訳」しようとして書きはじめ、ふと気がついたら、句点をつけず、永遠に終わりそうにない文章を書いていた。だが、『トパーズ』以降、一度もその文体を使ったことはない。


独創性、よく使われる言葉だ。「他人を真似ることなく、独自の考えでものごとを作り出す性質・能力」と辞書には記してある。だが、その定義はかなり曖昧だ。独自の考えで作り出した物事の、「価値」への言及がない。その価値を決めるのは誰かという問題もある。「物」や「事」の価値を決める基準は何なのだろうか。商品や製品の場合は「売れる」だけではなく、「社会を変えてしまうような革新性」ということだろうか。イノベーションという言葉が、そういった概念を象徴する。


「小説家になる夢」というのはかなり怪しいです。小説家を目指すのは具体的なことで、夢でも何でもないからです。小説家になるには、作品を書かなければいけません。世の中には、いろいろな小説家がいます。元医師、元警官、元弁護士、元フリーター、元引きこもり、元不登校児、元不良、元犯罪者など、とにかく多彩ですが、最低条件として、作品がないと小説家とは言えません。小説作品がない、草稿もない、書いてもいないという人は小説家ではないし、永遠に小説家にはなれないです。


私は、たとえば箱根の別荘で書き下ろしを書くときは、デスクの上、寝室、階段の手すり、風呂場の脱衣場などに、メモ用紙を置き、何か思いついたときに書きとめるようにしていました。考え続けてもなかなかアイデアは生まれないものですが、いったん中断して、風呂に入ったり、ビールを飲んだり、寝たあとに一度目が覚めたときなどに、ふっと湧いてくることがあります。それを忘れないために、メモするわけです。そういったときの脳のメカニズムはよくわからないのですが、考え続けると、データがどこかに蓄積されていって、一瞬リラックスしたときに、ある情報と別の情報が化学反応を起こすように結びついて、アイデアとなるのだろうと思います。


私も初対面の人とはうまく話せません。なぜならその人のことを知らないからです。『カンブリア宮殿』というTV番組でインタビュアーをやっているのですが、知らない人と話すのは苦手なので、ゲストの資料を読むことにしています。かなり大量の資料を読みます。ゲストは企業トップなので、その企業の歴史、規模、ポリシー、経営者自身の生い立ち、考え方、学歴、職歴、あるいは趣味など、情報を得ようとします。歴史のある企業の場合、創業からの軌跡を辿ることもありますし、創業者のことを調べることもあります。


私も、常に最悪のケースを考えて行動を決めるタイプなので、ほんのちょっとしたことが気になったり、落ち込んだりすることがあります。そして、私はすでに還暦を迎えているわけで、急に性格を変えたりするのは無理です。ただ、「自分が今イメージしているのは最悪のケースである」という自覚と、「必ずしも常に最悪のことが起こるとは限らない」という思いはとても大事です。「だからしょうがない」と諦めるという意味ではありません。「マイナス思考だ」という自覚だけではなく、「だから暗くなりがちだけど、現実はそこまで悪くならないかも知れない」という思いを、どうにかして持てるように工夫することはムダではないと思います。


村上龍の経歴・略歴

村上龍、むらかみ・りゅう。日本の小説家。長崎県佐世保市出身。武蔵野美術大学在学中に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人賞、芥川賞受賞。代表作に『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『イン ザ・ミソスープ』『希望の国のエクソダス』ほか。その後、数々の文学賞を受賞した。また、映画監督や政治経済分野のコメンテーターなどを務めた。