木村政雄の名言

木村政雄のプロフィール

木村政雄、きむら・まさお。日本のプロデューサー。京都府出身。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業後、新聞社の入試に落ちたため吉本興業に入社。京都花月の従業員を経て、人気漫才コンビやすしきよしのマネジャーを8年間担当。その後、吉本興業の東京事務所所長、制作次長、制作部長、常務を歴任した。東京事務所時代に漫才ブームを築き、制作次長時に吉本新喜劇を再生させるなどの実績を上げた。吉本退社後は、フリーのプロデューサーを行いつつ、大阪府堺市顧問、法政大学大学院客員教授、京都精華大学理事などを務めた。

木村政雄の名言 一覧

サラリーマンの場合、会社では課長であり、係長でありという役割を演じている。逆に、家庭に戻れば、父親であり、夫という役割を演じている。そう考えれば、自分を変えることに苦しむ必要はないんです。

木村政雄の名言|自分を変えることに苦しむ必要はない

若い人たちが中心になって進めて、ベテランは若い人をサポートしていく。場所を譲ることが必要ですね。

木村政雄の名言|ベテランは若い人をサポートしていく

僕は「自分」は2つあると思ってるんですよ。「自らを分ける」と書くように、自分が思っている自分と、人から見た自分がある。変えるといっても、本質の自分は簡単に変えられない。だけど、「人が見ている自分」を変えるのはアリだと思うんです。

木村政雄の名言|自分が思っている自分と、人から見た自分がある

酒は昔から一切飲めないんです。だからタレントさんと遊ぶ機会は少なかったですね。年上の方を師匠と呼ぶこともしなかった。彼らにはそういった部分じゃなく、アイデア=頭脳で貢献するしかなかったわけです。

木村政雄の名言|自分にできることで貢献する

(吉本興業時代)当時どこに行っても「木村常務」と呼ばれて気持ち悪いんですね。オレの名前ちゃうわと(笑)。肩書きは預かってるだけです。自分の人格とはなんの関係もない。捨てることにためらいはありませんでした。

木村政雄の名言|会社の肩書きは預かってるだけ

地方のテレビ局ほど、忙しいと漏らすスタッフが多いんですね。でも、話を聞くと、3分ぐらいの生放送のために1週間も準備している。一方、東京のテレビ局で、忙しいとこぼす人は少ない。忙しいというのは、要領の悪い人の言い訳です。

木村政雄の名言・格言|忙しいというのは、要領の悪い人の言い訳

仕事を投げ出したいと悩んでいる人には、何がどう忙しいのか具体的に聞いてみたい。一日の仕事を円グラフに書き出してみると、優先すべき仕事と、要領よくこなせばいい仕事がわかります。仕事のコアを見極めて時間を割り振れば、忙しくて悩むことはないはずです。

木村政雄の名言・格言|忙しすぎると思ったら、仕事を具体的に書き出してみる

(人気漫才コンビやすしきよしのマネジャー時代)深夜3時か4時まで働いて、翌朝10時には出社。そのうえ、1年間で休みは3日。そんな生活でした。トラブルが毎日のように発生するので、いつの間にかトラブルがないと逆に落ち着かないんです。修羅場を経験したことで忙しさに対するキャパシティ(許容範囲)が広がったと思います。

木村政雄の名言・格言|仕事で修羅場を経験すると、キャパシティが広がる

どんなに忙しくても、仕事を投げ出したいと思ったことはありません。発想を変えれば、仕事が忙しいのは良いことでしょう。仕事がなくて暇な人は、誰からも当てにされていない人ですよ。

木村政雄の名言・格言|仕事が忙しいのは良いこと

歴史を振り返ると70年周期ぐらいで変わっていて、明治維新の70年後に第2次世界大戦の敗戦があって、今はまた70年後ですから大きな変わり目に来ているんだと思いますね。

木村政雄の名言|歴史を振り返ると70年周期ぐらいで変わっている

大阪には「お笑い100万票」があるといわれていたことがありますが、それは大阪の人たちがお笑いタレントが好きなのではなくて、庶民の気持ちを代弁する人を選びたいということの表れなのです。

木村政雄の名言|大阪でお笑い芸人が選挙で当選しやすいのは、庶民の気持ちを代弁する人を選びたいということの表れ

日本の学校の勉強は、1つの答えにたどり着く方法論です。でも人生の答えなんて決まっていないわけですから、答えはいっぱいあっていいですよね。答えを自分で見つけだすとか、作り出していくようにしていかないと、これからの時代には対応できませんよ。

木村政雄の名言|答えはいっぱいあっていい

世の中が変わってきているのに、人々はいまだに今日よりも明日、明日よりも明後日の生活が良くなると思っていることです。マインドを切り替えなきゃいけないと思うんです。成熟社会を迎えた日本は人口も減っていくし、国民の平均年齢も上がっていくわけだし。ですから生活の利便性を追求するのではなく、精神的に生きていることをエンジョイする方向に向いていったほうがいいと思うのですが。

木村政雄の名言|生活の利便性を追求するのではなく、精神的に生きていることをエンジョイする方向に向いていったほうがいい

落語で言うと「どうだ! 俺は芸がうまいだろう」という人よりも、下手でもいいから、笑わせてくれる落語家のほうが素敵でしょう。テレビ界も企業もお客さんを見ていないことが不振の原因だと感じます。

木村政雄の名言|テレビ界も企業もお客さんを見ていないことが不振の原因

「なまけもの」のように、親が猟場を譲って、後輩に活躍の場を作るべきですよね。いつまでもその場に居座るから、時代に置いていかれてしまうのです。老いぼれてようやくその場にいなくなったと思ったら、次の人も相当に年を重ねていますからね。

木村政雄の名言|後輩に活躍の場を作るべき

元々、大阪で売れるタレントはシビアな客に鍛えられて足腰が強いですから。誰の息子とか何年やってるとか関係ない。お客さんの前で笑いが取れる人の勝ち。客が悪い、なんてありえないんです。東京で頭を打って帰り、再挑戦してまた頭打って……やっと3回目ぐらいでうまくいく。(明石家)さんま君、(島田)紳助君、ダウンタウンの2人。みんな経験してますよ。

木村政雄の名言|客が悪い、なんてありえない

僕の場合、思い切って吉本を辞めました。リスクはありましたよ。でも、33年間でやってきたことが本当のキャリアなのか問われるわけですよ。「NO」が出たら仕方ない。結果的にゼロにはならんやろうと、まずは飛び出しました。

木村政雄の名言|会社を辞めたとき、やってきたことが本当のキャリアなのか問われる

よく僕は「らしくないことをしろ」といいます。分別なんかもたなくていい。いま50代の男性に向けた「5L」という雑誌をやってますが、彼らにもう1回元気になって欲しい。人生が10Lだとしたら、まだ半分なんです。週末に蕎麦を打ったり、ハイキングなんか行かないで、その年らしくないことをすればいい。自分の名前で商売してるタレントのように、個人で世間と勝負しましょうよ。

木村政雄の名言|らしくないことをしろ

長く売れる人は世間に対する自分を変えますね。オーソリティ(権威)になると、ポピュラリティ(大衆性)がなくなります。視野が狭くなっていく。ビートたけしさんにしても、お笑いから始まって、映画監督、文化人などで認められる一方で、ハゲヅラを被ったり、顔にヒゲを描いて馬鹿なこともやり続ける。片方だけでは、自分のマーケットが痩せていくと本能的にわかってるんですね。

木村政雄の名言|長く売れる人は世間に対する自分を変える

吉本を辞めた時点では、なにをやるか白紙ですよ。とりあえず個人事務所を作って、退職した明くる日からも、同じサイクルで動けるようにしましたね。やることないけど、同じ時間に出社して、同じ時間に帰る生活(笑)。人間は1度ラクをしてしまうと、元に戻すのが大変ですからね。

木村政雄の名言|人間は1度ラクをしてしまうと、元に戻すのが大変

失敗してもいいんです。いろんなやり方を試してみればいい。大阪のタレントも、みんな1回で東京進出に成功してませんよ。大阪で売れっ子だと、自分は日本中で知られてると勘違いしやすい。でも違うんです。実は大阪のテレビは東は米原、西では姫路ぐらいまでで電波は停まってる(笑)。だから、東京に出てきたら、自分が面白いゆえんを示し直さないといけない。自分を知らないお客さんに対して、もう1回面白さを証明する必要があるんです。その作業をシンドイと思えば難しいですね。客の反応が悪い。オレの芸は東京ではウケんのや、と大阪に帰ってしまう。そこで再挑戦できるタレントが生き残っていますね。

木村政雄の名言|失敗してもいいんです。いろんなやり方を試してみればいい。

自分を変えなければ。そう思った瞬間は吉本(興業)を辞めたときです。56歳まで33年間なりふり構わず頑張って仕事してきた。やす・きよのマネージャー、東京吉本の立ち上げ、吉本新喜劇の改革……。お笑いタレントの地位も向上したし、吉本の名も全国区になった。ただ、ここで次になにをするかというモチベーションが僕の中になかったんですね。あのまま会社にいれば、65歳までは顧問などでぶら下がっていられたかな。でも、その先の人生を考えたら、あかんのちゃうかなと思ったんです。

木村政雄の名言|先の人生を考えたら、あかんのちゃうかなと思った

木村政雄の経歴・略歴

木村政雄、きむら・まさお。日本のプロデューサー。京都府出身。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業後、新聞社の入試に落ちたため吉本興業に入社。京都花月の従業員を経て、人気漫才コンビやすしきよしのマネジャーを8年間担当。その後、吉本興業の東京事務所所長、制作次長、制作部長、常務を歴任した。東京事務所時代に漫才ブームを築き、制作次長時に吉本新喜劇を再生させるなどの実績を上げた。吉本退社後は、フリーのプロデューサーを行いつつ、大阪府堺市顧問、法政大学大学院客員教授、京都精華大学理事などを務めた。

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