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廣瀬光雄の名言

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廣瀬光雄のプロフィール

廣瀬光雄、ひろせ・みつお。日本の経営者、コンサルタント。「ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人」社長、「パシフィック・ゴルフ・マネージメント」最高顧問。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、ボストンカレッジ大学院経営学部修了。大日本印刷米国法人社長、ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル社長、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人社長、パシフィックゴルフインターナショナルホールディングス(のちのPGMホールディングス)社長・会長、ビジネスブレークスルー大学教授などを務めた。

廣瀬光雄の名言 一覧

日本の官製社会は良いところもありますが、弱点もたくさんある。その弱点をうまく活用しなければなりません。そこが知恵の見せ所なのです。


皆様からの心温まる支援や助言、お力添えがあったからこそ、起業家としての人生を歩んでくることができた。そして、これからも日本の社会をより良くするために、自分なりの経験を若い人にも伝えていきたい。


トラブルが発生したときは「Our Credo(我が信条)」に戻れ。J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)では昔からこのように言われています。それが社員全員に染み付いているわけです。


ジョンソン・エンド・ジョンソンは、とにかく成長したら分社して自分の目に叶う人材に権限委譲して経営は任せる。それこそが、会社が長期で安定して成長する方法だということを徹底していた。


誰も倒産した会社の再生に手を挙げていなかった中で、我々は資金を出して再生する。倒産した会社が再生できれば、きちんと健全な税金を払うことができるようになりますし、再び地域に貢献することができます。ですから、私の気持ちとしては救世主、あるいはレスキュー隊という気持ちでした。


いろいろな考え方がある中で、人が考えない少し違うやり方を見つけ出す。それが、私自身の経験から培ってきた発想です。


ビジネスの機会は海外に限りなくある。それを探しに行くためには若くなければできません。ですから、若い人たちには是非とも外を見に行っていただきたい。私もまだまだ第一線で挑戦していきたいと思っています。


私が若い人たちに訴えたいことがあります。それは「とにかく海外に出てみましょう」ということです。日本では起業の必要性などが指摘されていますが、私が自分の人生を通じて感じるのは、事業の機会で言えば、世界に出た方がたくさんあるということです。


よくサラリーマンとして会社に入って「仕事が面白くない」と言っている人がいますが、私は「面白くない」と言っている人ほど惨めなことはないと感じます。そもそも面白くないならば辞めてしまえばいいと思いますし、辞めたいと思っても辞められないならば頑張るしかありません。全ては自分の選択でそうなっているからです。


人と同じことをやっていると、先行している人に勝てない。先行している会社の方がいつも強い。


「Our Credo(クレド)」において、会社が拠って立つ上で一番大事なものは顧客であるとしています。そして2番目に大事なものが社員に対する責任です。ジョンソン・エンド・ジョンソンでは株主よりも社員が優先順位で上に来ます。株主より社員を上に位置付ける会社というのは、あまりないでしょう。


ジョンソン・エンド・ジョンソンでは社員に疑念を持たせないように、全ての情報を公開しています。ですから、社長や役員の給料も全て発表していますし、その根拠となる評価の説明も株主への報告書に全て書かれています。ですから、評価も非常に厳しいものがあります。


最も重要なのはジョンソン・エンド・ジョンソンのクレドには、働くことはどういうことかという問いに対する答えも含まれています。それは「必ずミッションを持つ」ということ。しかも、その優先順位も「企業は顧客、社員、地域社会、株主に対して責任を持たなければならない」としっかり明記されています。


今でもジョンソン・エンド・ジョンソンではアクシデントが起きたら「Our Credo(クレド)」に立ち戻れと言われています。ですから、世界57か国・200社の個別事業会社を、世界最高・最強のヘルスケア企業というゴールに向かわせるためのボンディング(接合)の役回りを果たしているのが「Our Credo」なのです。


国内外でもカリスマ経営者の手腕によって成長している企業が多々あります。しかし、それはJ&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)のスタンダードから見ると本物ではありません。むしろ、目立たない社長だったかもしれないけど、J&Jの長期安定経営に貢献した人物こそ、J&Jでは大合格なのです。


日本は今一度、基本に戻って、かつての先人たちから学ぶ必要があると思う。その上で、これからの日本のあるべき姿を各分野のリーダーが考えて、新しい時代をつくっていく。そうしたことが大事。


今の政治や社会を見ていると、つくづく基本軸というものがブレているのではないかと感じます。それは個人の生き方の基本軸であり、国としての基本軸です。日本はそうしたものを取り戻す必要があると思います。


過重労働が問題視されていますが、馬術も企業も同じです。経営者や企業幹部が社員に過酷な労働を強いては企業として成り立たないのです。それは馬の世界でも同様で、人と馬が心を通わせ、お互いの心が離れないようにする。それが馬術という競技になっているわけです。


J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)には独立した社外取締役の委員会があり、その委員会が社長を指名します。したがって、現役の社長が後任の社長を独断で決めることはできません。もちろん、「自分は彼が適任だと思います」といった推薦をすることはできます。しかし、最終的にはその推薦も加味した上で、委員会が決めるのです。


私も80歳の傘寿を迎える歳になりました。これまでを振り返ってみると、1つは大きな巡り合わせに恵まれていたこと。そしてもう1つが人に助けられてきたこと。この2つが挑戦を続けてきた自分の人生に励みを与えてくれたのだと感謝の気持ちでいっぱいです。「出会い」、この一言に私の人生は集約されているようにも思います。


父は「日本飲料」という会社を設立し、炭酸飲料「ペプシコーラ」で有名な米ペプシコから日本でのフランチャイズ権を取得しました。この日本飲料が父の起業家としての初めての仕事でした。ただ、既に日本にはガリバーであるコカ・コーラが市場を席巻しており、どうしてもペプシがシェアを伸ばすことができませんでした。最終的には伊藤忠商事に日本飲料の株式を売却することになったのですが、父は二番手では競争に勝つことはできないと感じたようです。私も父の姿を見てナンバーワンになることが勝負を決めるといったことを教わった気がします。


サラリーマンとして大日本印刷に24年間お世話になりましたし、世界最大のヘルスケア会社である米ジョンソン・エンド・ジョンソンでは16年間働かせてもらいました。この40年間で日米の大会社両方の経営を見ることができましたから、経営者としてあるべき方向や日本とアメリカの差も分かりました。日本魂とアングロサクソンの民族性といったことも学ぶことができましたし、それはその後も役に立っています。


時代は変わりつつあります。当時、株式会社が学校を経営することに反対していた文科省の中にも、これに賛同してくれる若手が少しずつ出てきました。お陰でBBTの卒業生は14年目で1000人に達しました。彼らは企業でビジネスを体験してきた企業人で、フレッシュマンはほとんどいません。BBTのマスターズディグリー(修士号)を持っている人材が一部上場企業の役員や執行役員になるというケースも出てきました。一方で入学者には会社の役員もいますし、ドクターやロイヤーもいます。


「教育は大事だ」。皆さんそうおっしゃいます。しかし、真の意味でその教育の大事さを理解しなければなりません。ところが、既存の教育のシステムを変えるところまで踏み込もうという関心を持っている人はあまりいません。それを私たちは着々と見えないところで固めていこうとしているのです。その仕組みづくりの構築を戦略化し、株式会社という組織で経営していこうと考えたわけです。BBTはこの仕組みづくりをやろうとしているのです。この発想は、かつて私の母校である慶應義塾を作った福沢諭吉の発想と同じものになります。官学ではできないことを私学でやろうという想いです。


乗馬の魅力は経営にも通じるところがあるように感じます。「人馬一体」という言葉もありますが、乗馬は結局、馬が動いてくれて初めて競技が成り立ちます。しかし、馬はなかなか思い通りに動いてくれるものではありません。したがって、まずは馬と自分との兼ね合いをつくるというところから練習が始まります。自分と馬の呼吸を整える。その付き合いが深まっていくと、自分の思った通りに馬が動き出すようになり、競技にも出場できるようになります。そうならなければ危ないですからね。


馬を探して、これが良いと思って買ってくる。それでその馬に乗っても見かけと違ったということもよくあります。競馬の騎手もそうです。その馬と相性の合っている騎手が勝つものです。どのような馬が自分に合うかを見つけるまでには、人間も練習を重ね、いろいろな経験をした中から分かるものなのです。


アメリカで生活していた私の体験では、信号が赤だったら渡ってはいけないという理解ではありません。あくまでも危ないよという警告です。つまりは、自己責任ということです。自分で判断して対応しなければならないわけです。赤信号は向こうから車が来るよというサインであって、道路を渡ってはいけないと法律に書かれているわけではないのです。ですから日本とはスピリットが違うということになります。アメリカは自由の国です。イギリスのジェントルマンがルールで締め付ける世界から飛び出して自由を求めたわけです。ですから、アメリカの精神は今でも自由であり、規制を作ることを嫌う国でもあるわけです。ですから、信号の赤はルールではなく、警告になるのです。私はこのことをアメリカ人の友人に教わりました。このことは逆に言えば常に抜け穴があるとも言えます。しかし、自由であるということは必ず責任が伴います。


J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)ではクレドを学ぶ場として「クレド・チャレンジ・ミーティング」が開かれており、1975年以来続いている公開議論の場です。研修の一環ですが、率直な議論をする場でもあります。クレドの文面はこれで適切なのか。変更すべきところはないのか。あるいは削ったり、追加すべきところはないのか。さらに、あなたはクレドを実践しているか、実践していなければ行動を変えようと思うか、あなたの職場や上司はクレドを実践しているか、といったことを世界中の社員を巻き込んで行います。


かつてJ&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)のCEOを務めたラルフ・ラーセンは出戻り組です。若い頃に会社と衝突したラーセンはJ&Jを辞めて、その後、ライバル会社に転職しました。その会社にしばらくいたのですが、本人が「やっぱりJ&Jで仕事がしたい」と言って、再びJ&Jに帰って来てCEOに就任したという異色の経歴です。つまり、J&Jは一度会社を離れた人でも、また戻って来ることができる会社なのです。J&Jではクビになったということをこう解釈しています。つまり、たまたま今はあなたの役回りではないと。決してあなた自身の人格を否定しているわけではありませんということです。


日本企業の社員に「あなたの会社の社長は誰が決めていますか?」と聞いても誰も答えられないのではないでしょうか。J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)は社員に疑念を持たせるようなことは決してしません。全てを明確にするのです。ですから、社長の給料はもちろん、幹部の給料も全て発表しています。では、その金額はどのような評価の下で決められているかというと、その説明もJ&Jの株主への報告書に全部記載されています。そういったことまで社員全員が知ることができるようにしているのです。ですから、J&Jの評価はシビアです。


ジョンソン・エンド・ジョンソンにとって株主に対する責任は最後になります。つまり、株主優先の会社ではないと言っているのです。株主への責任を全うする以前に、事業は健全な利益を生まなければいけないと結論付けている。ですから、利益を出さなければ、配当もしませんと。当たり前の話です。そのためにも、我々は新しい考えを試みなければならない。つまりは開発です。常に新しいことにチャレンジし、研究開発は継続していかなければならないということです。


私が、J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)の事業会社の社長のためのトレーニングを受けた当時、興味深いデータがありました。それはニューヨークのビジネスマンに「現在のJ&Jの社長は誰ですか」という質問をしたところ、答えられたのが100人のうち3人しかいなかったというものです。カリスマ社長にならなくていいわけですから、自分の名前を売る必要がないということです。あくまでもJ&Jの商品を買ってもらえばいい。これがJ&Jの特徴です。その集積が今、55年連続の増配という結果につながっています。オイルショックやリーマン・ショックという世界的な減退期を迎えても、J&Jは一度も減配することなく増配を続けているのです。


ジョンソン・エンド・ジョンソンメディカルの社長に就任することが決まっていた私は、J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)の事業会社の社長のためのトレーニングを受けることになりました。特に衝撃を受けたのはトレーニング中に聞いた「会社は大きくしなくていい」というエッセンス。普通であれば企業は成長や拡大を追い求めますが、J&Jはそれを追求しないというのです。しかも、その理由までグラフに示していました。要約すれば、カリスマ経営者の手により急激に業績が大きく伸びる会社は一見素晴らしいように見えますが、そのカリスマ経営者が引退した後は、業績が急降下しているというグラフでした。したがって、J&Jはカリスマ的な経営は望まない。長期安定経営を目指すと。そのためには、会社を急激に大きくする事業の芽が出てきたら、小さな会社に分割し、各責任者に権限を委譲させる。要するに、優良な小さい会社をたくさんつくることがJ&Jのスタンスであるということでした。まさに目からウロコ。私の経営観を大きく変えました。


日本の銀行からは断られましたが、(企業再生ファンド)ローンスターはPGMの大株主という形で買収資金を提供してくれました。一方の私は買収したゴルフ場をマネージすると。ローンスターが資金を提供すると決めるまで、わずか10日ほどしかなかったと記憶しています。それほど再生ファンドの経営のスピードというのは想像を超えるものでした。それも皆でコーヒーを飲みながらというカジュアルな場での交渉です。それでもこれだけ大きな決断をしてしまうことに驚きました。


「ハゲタカ」という言葉が新聞紙などで飛び交うようになり、外資の企業再生ファンドに対するマイナスイメージが日本全国に広がっていったのです。ところが、そんな風潮の中で唯一、私たちを応援してくれた方がいらっしゃいました。それが作家で元経済企画庁長官だった堺屋太一さんです。堺屋さんは「企業再生ファンドをハゲタカと呼ぶことは、あまりに乱暴だ」と言ってくれたのです。企業が倒産すれば、雇用が失われ、工場などがある地域の経済が疲弊してしまうし、国からすれば税収も減ってしまう。そういったことをご理解くださったのでしょう。「廣瀬さん、これは大事な仕事だと思うよ。頑張りなさい」と言ってくれました。この応援はすごく助かりました。


「ハゲタカ」と批判されていたわけですから、(倒産したゴルフ場の買収・再建事業から)手を引くという選択肢もありました。しかし何もしなければ日本の企業がどんどん倒産して日本経済は落ち込んでしまう。ひいてはグローバル競争で生き残ることができなくなります。ですから、決して諦めるわけにはいきませんでした。結果として、現在、PGMホールディングスの従業員は9000人近くおり、139のゴルフ場を保有・運営しています。もし企業再生ファンドが援助しなければ、これらの存在がなくなっていたわけです。何よりもPGMの会員である16万人を守ることができました。今では企業再生が目に見える形になったので、関係者の方々からは「ありがとう」と感謝されるようになりました。


ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さんとビジネス・ブレークスルーの大前研一さんが『この国を出よ』という本を出版していましたが、私もこの精神をもっと実体として浸透させるべきだと思うのです。「とにかく外国に出よ」と。場所はどこでも構いません。アフリカであっても、台湾であってもいいのです。あるいは、これからはアジアの時代ですからアジアでもいい。アジアは日本のすぐ側にあります。いつまでも日本に留まっていないで、どんどん外で活躍してもらいたいのです。海外での起業などはいくらでもできます。日本では、かつての高度成長を支えたシステムが大きくぐらついています。そういった世の中であるからこそ、全く新しい機会を海外で求めるべきなのです。


私はたまたま共に起業家である両親の下で生まれ育ちました。ですから、知らず知らずのうちに、会社にサラリーマンとして勤めるよりも、事業を起こすことを自らの使命にしていたように感じます。事業とはどういうものなのか。事業を興すためには金融機関としっかりとしたお付き合いをいなければならない。こういったことを幼い頃から自然と学んでいた気がします。父や母から「起業家になりなさい」と言われたわけではありませんでしたが、起業家のいる中で育ったわけですから何となく、その方向を向いていたと言った方が正しいと思います。私自身も事業を起こす方が、組織の一員として働くよりも魅力があると感じていました。


廣瀬光雄の経歴・略歴

廣瀬光雄、ひろせ・みつお。日本の経営者、コンサルタント。「ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人」社長、「パシフィック・ゴルフ・マネージメント」最高顧問。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、ボストンカレッジ大学院経営学部修了。大日本印刷米国法人社長、ジョンソン・エンド・ジョンソン メディカル社長、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人社長、パシフィックゴルフインターナショナルホールディングス(のちのPGMホールディングス)社長・会長、ビジネスブレークスルー大学教授などを務めた。