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川多弘也の名言

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川多弘也のプロフィール

川多弘也、かわた・ひろや。日本の経営者、エネルギーコンサルタント。「パッシブホーム」社長。北海道出身。北海道電力などを経てパッシブホームを設立。

川多弘也の名言 一覧

当社が目指すのは、超高効率建築ベンチャー。自社は事業の核となる研究開発とプロモーションに特化。施工や営業はすべて信頼のおける世界中のパートナー会社とタッグを組む。自社ならではの断熱施工技術、気密施工技術など指導、施工後のチェックなどは、自社の強みに集中し、究極のエコ建築を実現する。


後輩のために究極の省エネ住宅を建ててあげようと情報収集、そしてスキルを駆使し辿り着いたのがパッシブ工法による住宅。北海道でパッシブを研究している天谷一男(のちに同社取締役)を紹介され話を聞いていくと、良いモノだが売れないという。彼独自のパッシブ建築にさらに付加価値を付ければ、売れると確信した。この後輩の住宅は約50坪あり、冬にはマイナス測度にもなる外気の中、そのシーズンの12月の全光熱費は1万4千円。これが口コミとなり開業1カ月半で8棟も受注した。うち3棟は投資用のアパートで税理士や銀行マンには大変驚かれた。


私は、学校を卒業し北海道電力に就職した。電力会社は保守的な社風で当時の私は、日本のエネルギー問題解決のために、いろいろなアイデアや技術、設備などが必要だとは認識していながら、思うように動けない毎日が続いていた。早期退職制度を利用し一念発起。文句の付けようのないキチンと整備されたレール上から脱線し、他人からは「豪華客船から氷の海に飛び込むバカ者だ!」とも言われた。


川多弘也の経歴・略歴

川多弘也、かわた・ひろや。日本の経営者、エネルギーコンサルタント。「パッシブホーム」社長。北海道出身。北海道電力などを経てパッシブホームを設立。

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