嶋田卓彌(嶋田卓弥)の名言

嶋田卓彌(嶋田卓弥)のプロフィール

嶋田卓彌、嶋田卓弥、しまだ・たかや。蛇の目ミシン社長。日本の経営者。京都出身。父を亡くし12歳で小学校を中退し、呉服問屋「外定(とのさだ)」に丁稚奉公に入る。その後、京都の毛織物問屋に勤務したのち、毛織物商「卓彌商店」を設立。小学校の同窓生の実家の英語通信講座会社「井上英語講義録」の経営立て直しを引き受け、新聞による広告宣伝の手法を体得し再建に成功。その後経営コンサルタント兼コピーライターとして多くの会社の業務改善に貢献。パインミシン(のちの蛇の目)の広告を手伝ったことをきっかけにミシン業界に入り、以後30年以上業界に携わることになった。太平洋戦争後、理化学工業(のちのリッカーミシン)を軍需企業と化した蛇の目を退社した社員と共同で設立し専務に就任。その後、蛇の目ミシンからの要請で蛇の目元社員たちとともに蛇の目に入社。その後副社長を経て社長に就任。広告とマーケティングで同社の成長に大きく貢献した。

嶋田卓彌(嶋田卓弥)の名言 一覧

近頃、マスコミの人たちが私をとらえて「あなたは小学校も満足に卒業せず、病弱な体で、よく今日をなした。いったいその秘訣は?」なんて問う。「秘訣?そんなものありゃしない。しいて言えば『正直一本やり』『誰にでも誠意で当たった』『そのため良き友達、良き同志を得た』結果に過ぎない」と答える。


私はいつも、我が社の副社長、専務、常務の人たちに「もっと僕の足らんところは遠慮なく言ってくれ。定款に副社長、専務以下は社長を『補佐』しろって書いてあるだろう。足らざるを『補』い、至らざるを『佐(たす)』けない重役は定款違反だぜ!」と笑いながら話している。


長い人生には、裏目もあれば表目もある。古人の言う「あざなえるなわ」のごとしである。


正しい経営理念は次代の若者たちに正しく教え、伝えておかなければならない。事業は教育なり。教育とはネクスト・ジェネレーションに対する正しい思想の伝達行為であろう。


昔から日本には「田をつくるより木を植えよ、木を植えるより人を養え」という言葉がある。私は今日、「ミシンをつくりかつ売る」企業に携わっているが、仕事即教育即人づくりで、蛇の目においては「ミシンを通じて世の人にお役にたつ人をつくる人材を育成する」教育事業をしていると考えている。


ことを始めるにあたっては、必ず正確な統計データをとって研究を重ねる私たちに、人々は「賽の河原の石積み」と笑っていたが、事業は回を重ねるごとに、組織の拡大速度は著しく早まり、効率はグングンとよくなっていた。
【覚書き|嶋田氏は太平洋戦争前から広告の効果測定を行い、媒体ごとの成約率、顧客一人あたりの獲得単価を算出していた】


経営者の心正しからずして、宣伝だけで企業が発展するものではない。資本、製品がよく、それに適切な宣伝が加わってはじめて企業の繁栄がもたらされる。したがって、コピーライターは経営者のモラルと営業面にまで勧告できる立場にあって、はじめて本当の仕事ができる。


丁稚奉公の生活の中で、私は本だけは手放さなかった。夜は消灯後寝床の中にコードを引き込み、それに小電球をつけて読書をした。
【覚書き|小学校を中退して丁稚奉公をしていたときを振り返っての発言】


近江商人は伝統として主人は直接経営に携わらず、丁稚から叩き上げた有能な番頭に各地の店を任せてやらせるというしきたりであった。またそのために新しく入ってきた丁稚小僧を、将来の幹部、近江商人の伝統を引き継ぐ人間にするための人づくりを行ったものだ。給料も最初は低賃金。むろん最低の人件費に抑えるという考えもあったろうが、極度に質素な生活に耐え抜く意思の強固な人間をつくるという意味も加味されている。夜は習字、算盤、閑散期には礼儀作法から謡曲の稽古をさせ、将来立派な商人としての幹部を育成するという考えがその底には流れていた。


川本(日出生)さんは戦前、ミシン部品工場を儲けさせた恩人だ。あんたの信用で2000万。前田(増三)君、君はミシン輸出で商社に信用がある。製品引渡しの約束で2000万手形で借りてきたまえ。僕は広告印刷業界で2000万円ぐらいの信用はある。3人合わせれば6000万円じゃないか。信用は金と効用においてちっとも変わりがない。3人の運命をかけた信用資本を食いつぶすまでに、なんとかこの会社を軌道に乗せるんだ!
【覚書き|終戦後、元蛇の目ミシン社員たちとリッカーミシンを立ち上げたときの発言。】


古来戦陣では、進軍の一番槍より、一兵も損じない退却のしんがりを「武人の名誉」として褒め称えている。蛇の目は時局を見越して、このころすでに撤収作戦に入っていた。
【覚書き|日中戦争の初期に蛇の目が朝鮮の市場から撤退を開始したことについて語った言葉。撤退時期を間違えて多くの企業が在外資産を失ったが、蛇の目は撤退時期が早かったため助かった。当時の社長は小瀬与作氏】


私は嘘をつかない。手放しで本当のことを頼む流儀である。金を貸したほうにすれば、心配なのは当たり前だ。私は我が体を担保のつもりで毎日電通へ運んだ。手形を落とす金がなくっても、借主の体と事業の希望を相手にぶつければ、せめて安心もしてもらえる。
【覚書き|リッカーミシン創業当時、電通に広告費を融資してもらっていたが返済する現金がないので現在打っている広告の効果測定統計を毎日持参し返済を待ってもらっていた当時を振り返っての発言】


広告宣伝は金の入る窓口だから、慎重に手を付けなければ元も子もなくしてしまう。私は取引のある新聞、雑誌、各媒体ごとの反響、効果を調べることにした。幸い新聞、雑誌の広告を見て、読者になろうとする青少年は、必ず学則を葉書で請求してくる。したがって、A新聞に公告を出す場合には「一番地」、B雑誌は「二番地」というように、媒体ごとに送り先住所を変えた広告を出せば、正確な広告効果の結果がとれる。私はこの正確な統計に基づいて、引き合わない広告はどんどんやめるか、単価の引き下げを要求しそれに応じたものは出稿を続けた。
【覚書き|昭和6年、通信教育会社「井上英語講義録」の経営立て直しを友人に頼まれたときを振り返っての発言】


会社は公器だ。蛇の目は社会的責任のある企業である。私が社内の者に日ごろ、口やかましく公私の別を説くのも、マスコミから「ケチ経営の家元」みたいに言われるのも、発するところはこの「公器をお預かりする」という経営理念に基づいているからである。現在の経営者は、与えられた期間、この公器を大切によりよく育てて、次代に引き継ぎ、引き渡す任務を負っているのだ。


社長や経営者というものはそんなに偉いもんじゃない。しいて社長や重役が偉いところを探せとおっしゃれば、私たちの経営では、給与改定の優先順位は「セールス、工員」→「一般社員」→「高級社員」これらが一渡り行き届いたあとでなければ、役員報酬は改めさせないということだろう。


株式会社というものは、その定款に「10年、あるいは20年で解散する」と定めてない限り、50年でも、100年でも生き続けていくのが本来である。その間、社長や経営者というものは多くの株主から信頼を得て選任され、その企業の運営を託されているにすぎない。そんなにふんぞり返らねばならんほど偉いもんじゃないんだ。


私がミシン事業に頭を突っ込んでから30年、私より優れた才能を持つ多くの先輩や同僚の助けによってここまで来た。蛇の目が今日あるのは同志たちのチームワークの成果なのだ。


不急の用品は全部あとまわし、必要品でも極力手形に頼む。給料は、工員と下級社員は通常払い、同志の職員は月二回分割払い、役員報酬は軌道に乗るまですべてストップ。「先憂後楽」これを本気でやり通すから、重役が社員より偉いんだと私は信じている。
【覚書き|リッカーミシン創業時を振り返っての発言】


近代戦なんてもんはせいぜい長くて3年か5年だ。平和になったらまたミシン産業は日本のためにきっと必要になってくる。残していく豊富な資金も、おびただしい資材も貴重だが、君は会社の中にいて有能な人材は一人も手放すなよ。
【覚書き|太平洋戦争中、軍需メーカーとなった蛇の目を退社したとき、社に残った気の合う幹部に語った言葉。】


我が社の宣伝は「新聞広告を見て、ああミシンを買おうとカタログ請求のはがきを書き、これをポストへ投入」してもらわなければ効果があったとは言えないのだ。多大の経費を使う広告宣伝は、一方思い切って大胆に、半面極度の細心をもって使わなければならぬ。ボヤボヤおざなりの仕事をしていると、罰が当たってこの会社はつぶれるんだぞ。


私は出世なんてことを考える必要がなかった。ボロ会社立て直し請負みたいなことばかりやってきたから、功が誰に帰しようが、失敗をこちらが被ろうが、どうでも構わない。それによって事がはかどり、成果が上がりさえすればよいと思っていたのだ。
【覚書き|経営コンサルタント時代、成功したときは他人の功績にし、失敗したら自分の責任にした理由について語った言葉】


古い組織に新しいものを持ち込むと、とかく難癖をつけるのが人情。私が蛇の目で宣伝企画を担当してから広告費がグングン増大するので「嶋田みたいなもんに任していたら、会社はつぶれてしまう」と忠告した上司や株主もあったが、小瀬専務は偉かった。「嶋田君が来てくれなかったら、どうせこの会社はつぶれていたんだ。彼にやらせたからには彼の思う存分やらせてみよう」といってガンと聞き入れなかったという。
【覚書き|パインミシン(のちの蛇の目)に広告担当者としてヘッドハンティングされたときを振り返っての発言】


ヒルソ本舗の破たん整理の経験と実績は、これまた私に無形の大きな財産となった。それはまず、「嶋田という人間は誠実に仕事をする男だ」と世間の評判をとったことだ。やがてパインミシン(のちの蛇の目ミシン)、亀の子タワシ、大黒葡萄酒、タイト洋裁裁断器などの顧問として、宣伝、企画、経営の面にタッチするようになったのは、この無形の財産がものをいったからである。
【覚書き|にんにく栄養剤ヒルソ本舗のコンサルティングをしていたとき、経営陣が嶋田氏にすべてを押し付けて逃げてしまったので、手伝う義理がないにもかかわらず在庫を売りさばき債権者に負債を返済したことについて語った言葉】


いまでいうコピーライター、経営コンサルタントの仕事を本格的にやり始めた。こんな仕事を生み出すことができたのも、私を取り巻いている悪条件のおかげである。私は学歴もないうえ、毎日、微熱で悩まされている。とてもまともな勤め人にはなれない。そうかといって、私の肩には家族の生活がかかっている。なにか、家にいて寝転がっていても、頭を動かして食べられる仕事はないものかという考えからである。
【覚書き|昭和ゼロ年代に経営コンサルタント兼コピーライターをはじめた当時を振り返っての発言】


井上英語で私の学び得たものは、(1)全国規模の広告に対する統計調査、(2)蓄音機の大量発注によるコストの低下、(3)善意の大衆相手の月賦は貸し倒れが出るものではないという事実である。これらの経験は、後年、日本で最初のミシン月賦企業に参画したとき、何ものにも代えがたい大きい認識の土台となった。
【覚書き|通信教育会社「井上英語講義録」の経営立て直しを友人に頼まれたときを振り返っての発言】


無駄な出費を抑えることが、経営のイロハであることは外定(丁稚奉公先の呉服問屋)時代、身をもって叩き込まれている。そこで、私は社員の3分の1を整理することにした。この3分の1は、重役の縁故者と高齢者、すなわち高給を取っていても働きの悪い人々である。この整理で人件費の半分くらいが節減できた。
【覚書き|通信教育会社「井上英語講義録」の経営立て直しを友人に頼まれたときを振り返っての発言】


どうですか、神主さん。式には松が100円、竹が50円、梅が30円とありますが、松と梅では結婚の効き目が違いますかい?一番安い梅でお願いします。
【覚書き|結婚式場を決めたときの発言。当時嶋田氏は肺結核にかかって療養生活を送っていたため金がなかった】


男は生き死にの大病をしたり、惚れぬいた女に振られたりするたびに人間ができる。貴君も乳牛まで売りはなってわびしく療養生活をしているようだが、長い人生のうちには療養期間というものが、たいへんプラスになることを知らなければならない。
【覚書き|嶋田氏が結核の療養中に、親戚の若い夫婦に送った励ましの手紙から】


父から「決して嘘をつくな、男は卑屈な真似をするな」と厳しくしつけられていたから、他の連中なら誤魔化して逃げてしまうところも、私は隠さず名乗り出る。ときには共同でしたいたずらの責任も、人の分まで被ってしまう。そのころ、一人の老帳場(事務員)さんが「お前は大人になったらきっと偉くなるぜ。なにをされても、そうでっか、ヘエヘエと笑っとるからな」と褒めてくれた。
【覚書き|小学校を中退して丁稚奉公をしていたときを振り返っての発言】


後年、「私は丁稚奉公をした」と言うと、誰でも決まって「さぞつらかったでしょうね」と言う。ところが、本人である私はそれほどつらかったという記憶がない。もちろん半年、一年はホームシックで人知れず泣いたが、私は何か困難にぶつかると「なんとかしてこれを突破してやろう」という方に一生懸命になる。私はあまりものごとを苦にしない。


表で掃除していると、小学時代の友達が通る。向こうは金ボタンの制服、こちらは角袖木綿の丁稚姿。「やあ、嶋田くんが丁稚になってる」とひやかしながら通る。これには閉口した。「なあに、あいつらが大学を出るまでには、こっちはそれ以上勉強しておくさ」私はむやみやたらに本を読む妙な丁稚どんになった。
【覚書き|12歳で小学校を中退し丁稚奉公に出ていた当時を振り返っての発言】


米作は普通1年に1回収穫がある。お百姓さんは年1回、その成果が見られる一生涯には30回、40回と同じことが経験できる。一方、植林も生育の早い杉なら20年目くらいには伐採できる。しかし、人間の生涯は一世一代の経験である。


私は出世なんてことを考える必要がなかった。功が誰に帰しようが、失敗をこちらでかぶろうが、どちらでもかまわない。【覚書き:上記発言は自身の上司論について語った言葉。功は部下に与え、責任は自分が取るという心構えを語った言葉】


トップとシャッポ(仏語で帽子)は軽いほどよい。上等な帽子はかぶっていることを意識させないものです。


嶋田卓彌(嶋田卓弥)の経歴・略歴

嶋田卓彌、嶋田卓弥、しまだ・たかや。蛇の目ミシン社長。日本の経営者。京都出身。父を亡くし12歳で小学校を中退し、呉服問屋「外定(とのさだ)」に丁稚奉公に入る。その後、京都の毛織物問屋に勤務したのち、毛織物商「卓彌商店」を設立。小学校の同窓生の実家の英語通信講座会社「井上英語講義録」の経営立て直しを引き受け、新聞による広告宣伝の手法を体得し再建に成功。その後経営コンサルタント兼コピーライターとして多くの会社の業務改善に貢献。パインミシン(のちの蛇の目)の広告を手伝ったことをきっかけにミシン業界に入り、以後30年以上業界に携わることになった。太平洋戦争後、理化学工業(のちのリッカーミシン)を軍需企業と化した蛇の目を退社した社員と共同で設立し専務に就任。その後、蛇の目ミシンからの要請で蛇の目元社員たちとともに蛇の目に入社。その後副社長を経て社長に就任。広告とマーケティングで同社の成長に大きく貢献した。

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