岸見一郎の名言

岸見一郎のプロフィール

岸見一郎、きしみ・いちろう。日本の哲学者、心理学者、カウンセラー。京都出身。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。西洋古代哲学とアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会顧問を務めた。著書に『嫌われる勇気(共著)』『アドラー心理学入門』『よく生きるということ 「死」から「生」を考える』ほか。

岸見一郎の名言 一覧

一度決めたら最後までという考えの人が多いように思いますが、再決断をしていいのです。


烏が空を飛ぶときには空気抵抗が必要です。真空の中では飛ぶことはできません。風という抵抗があるから飛べるのです。人間も、烏にとっての風のような抵抗があります。困難があり、それに対峙するからこそ達成感、やり遂げたという充実感があり、それが生きる喜びになるのです。


相手をどうにかして変えるという考え方は捨てましょう。自分を変えることを意識してください。


ぜひ「嫌われる勇気」を持ってほしい。なにも「嫌われなさい」といいたいわけではなく、「嫌われることを恐れるな」とお伝えしたい。


「あいつに限ってそんなことをするはずがない」と思ってもらえるか、「ああ、やりかねないな」と思われるかは、ひとえに日頃の振る舞いにかかっている。


アドラー心理学では、対人関係の要のひとつに相互信頼があるとしています。ここで大切なのは、「相互」とはいっても、まず自分から先に相手を信頼すること。


必ず味方がいることを思い返してほしい。悪意を持っている人がいるとしても、それ以上に信頼してくれる人がいるはず。上司でも同僚でも部下でも、自分の味方になってくれる人を思い起こしてみましょう。


人間は本来、誰でも対等な横の関係である。人におもねって生きる必要はない。


「今すべきこと」に意識を集中させよう。そうすれば、到底終わらないと思っていた仕事も、いつの間にか終わる。


人は、価値ある存在だと認めることができれば、勇気が持てる。すると、本来の能力を発揮できるようになる。


不確実な未来より「今、この瞬間」に意識を集中してほしい。将来のことばかり考えると今がおろそかになり、幸福感や充足感を得にくくなる。


馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲むかどうかは馬次第。


自分を認めることができ、自分の人生を生きていれば、ストレスは疲れの原因ではなく、自分を高めるために必要な試練だと捉えることができるようになります。


上司が自分をどう見るかは上司の課題であって、自分ではどうすることもできません。


職場の人間関係がどうしてもうまくいかず、自分に自信が持てないということもあるかもしれません。そのときは、仕事は人生の課題の一つにすぎないと考えてみてはいかがでしょうか。


優秀な人ほど、“できない自分”を認めることが難しい。“普通である勇気”をなかなか持てない。


自分の人生を生きることは今の職場では無理だと感じたら、他の職場に移ることも考えるべきだと私は思います。意に沿わない職場で仕事を続けるべきだとは思いません。


自分を相手がどう見るかは相手の課題であって、自分の課題ではありません。自分の課題ではないのですから、どうすることもできません。


対人関係のゴールは、他者を仲間と見なし、仲間の中で「ここに自分の居場所がある」と思うこと。そうなれば、きっと幸せを感じるはず。


部下が失敗したときは、同じミスを繰り返さないように、感情的に叱るのではなく、的確な指示を出さないといけない。


部下の仕事ぶりに不満がある場合、まっとうな上司なら、部下のやる気に火をつけるような建設的な言葉がけができるはず。


よく思っている人や評価している人は、あまりそれを言葉に出さない。人は悪口をいうときのほうが声高になるもの。


悪い噂が流れるのは、自分が有能である証拠。劣等感に苛まれた誰かがあなたの能力に嫉妬して、根も葉もない噂を流している可能性が高いことを知りましょう。


企画が立ち上がるまで2年、『嫌われる勇気』が出版されるまでなお2年の歳月を要しました。この本は産みの苦しみは大きかったですが、苦しみがあるからこそ、喜びがあることを実感しました。


アドラーも「あなたの言っていることはコモンセンス――当たり前のことにすぎない」と批判されました。でも、アドラーは「コモンセンスのどこが悪いんだ」と言いました。「当たり前の話だ」と言う人に限って、よくわかっていないことはよくあります。


もしあなたがリーダーなら、今こそ、叱らない勇気を持つようにしましょう。その方が、メンバーは成果を出しやすくなるはず。


「嫌われる勇気」というのは、人から嫌われなさいという意味ではなく、「嫌われることを恐れない」という意味です。人にどう思われるかを気にしている人は、自分の人生を生きられず、しなければならないことができず、言わなければならないことを言えません。


子供のころから周りから褒められて育ってきた人は、大人になっても他人に自分のことを認めてもらいたいと思います。そこで、人の期待に応えようとしてしまう。でも、自分で思い描いたような人生を歩もうとするなら、周りに認めてもらうのではなく、ありのままの自分を自分で認めなければいけません。


上司が怖くても、理不尽な言動だと思った場合は、嫌われるリスクを承知のうえで意見を言うことが大切です。厳しい言い方をすれば、相手の言いなりになることは、「他人の人生」を生きることと同じ。それでは自由も幸せもつかみ取れません。


上司からきつく叱られた場合も、見方を変えれば「期待を感じて厳しく指導してくれている」と捉えることができるかもしれません。そう考えれば、反抗的な態度を取ることはないでしょう。もちろん、これはパワハラを我慢しろということでありません。


問題を解決するには「何があったか」より、「これからどうするか」の方が大事です。変えられない過去ではなく、変えられる未来に目を向けて考えましょう。


他人をタイプ分けしている人は、相手をよく見ていないことが多い。親に「あなたは○○な子だから」と決めつけられて嫌な思いをした経験はありませんか? こうした決めつけはよくありません。


「嫌な人」とつき合っていくうえで初めに確認してほしいのは、「すべて相手が悪い」と考えていないかどうかです。対人関係の問題には必ず相手が存在します。嫌な人は「あなただから」嫌なことをしているのかもしれません。そう考えれば、自分にも非がある可能性は否定できませんよね。


部下にバカにされないためには有能な上司になるしかない。本当に実力のある上司なら、部下も尊敬するでしょう。上司に求められる仕事、つまり部下を適切に指導し、引き上げることに徹すればいい。


何がセクハラに当たるのか、いまだに多くの男性は無頓着。たとえ悪気はないとしても、「君はいつ結婚するの?」なんていったら即アウトです。「そんなつもりじゃなかった」が通用しないのがセクハラの厄介なところだと心得ましょう。


たとえ出来が悪い部下でも、成長するよう指導して、何か失敗をしでかしたらその責任を取るのが上司の役目。部下に対し「嫌い」という感情を出してしまっているのは、マネジメントの基本がわかっていない証拠。


あらゆる人間関係の問題の中で、セクハラ疑惑ほど予防が重要なトラブルはないでしょう。予防のポイントは2つ。ひとつはセクハラの基準をきっちり把握すること。もうひとつは日頃から上司や同僚と信頼関係を築いておくこと。


仮に上司がマネジメント能力のない人であっても、それはあくまで上司の問題であって、部下の問題ではありません。上司の態度を言い訳に仕事上の努力を怠っていると、結局損をするのは自分です。


一番簡単な対処法は、つまらない噂には注目しないこと。何とかしようと思わず、一切関わらないという毅然とした態度が正解。仕事で有能な人が、その証しとして嫌われることもあるのは、ある意味で避けられません。悪い噂を立てられたときも、そんなふうに思えば気が楽になるでしょう。


部下を信頼しなければ、いつまでも仕事を任せられない。たとえば、部下が持ってくるレポートや、出版社などであれば原稿が全然ダメ。だが締め切りが迫っている。こういうときに、いつも上司が自分で書き直してしまうと、部下は成長しない。


部下にバカにされたからといって嘆く必要はありません。上司をバカにできるということは、上役の顔色をうかがっていいなりになったりせず、自分の頭で考えて判断できる証拠。


大切なのは、感情的にならないこと。嫌われていることで落ち込むとか、逆に自分も腹を立てるとか、そうした負の感情に呑まれてはいけません。「この人は上司の仕事の何たるかがわかってないんだな」と少し突き放して見るぐらいがちょうどいい。


噂にばかり気を取られると、心配性な人は「みんなが自分を悪く思っている」と悲観しそうになるかもしれません。でも、「みんな」ということは、まずありえない。赤の他人とはいえ、日頃一緒に仕事をしている者同士、妙な噂が流れたからといって、手の平を返したように態度を変える人ばかりではありません。


熾烈な競争社会にあって、有能な人がいれば、必ずその人を蹴落とそうとする人が出てきます。ですから、つまらない噂を流して喜ぶ人を特定してやめさせようとしてもムダでしょう。職場全体の対人関係が競争関係に基づいている限り、ある噂を流した人が改心したとしても、また別の誰かが新たな噂を流すものです。


「ありのままの自分でいる勇気」を持てると、仕事でも勉強でも「勝ち負けにこだわる」「人と自分を比べる」という考えがなくなります。だから純粋に自分を高めることにリソースを集中できる。その結果、人と競わなくても、仕事や勉強で成果が出る。


自分が向き合わなければならない課題は困難で、生きることも苦しいかもしれない。それでも勇気を持って立ち向かっていけば、その人の課題に立ち向かう勇気は他の人に伝染していきます。アドラーは言っています。「まず、あなたからはじめなさい」と。


僕もアドラーと一緒で、世界を変えたいと考えています。もちろん、力ずくでは変えることはできません。どういう形で変えられるのか? 自分が変わることによってです。人を変えることはできませんが、自分なら変えられます。


家族と過ごす時間が増えれば、家族からの応援も得やすくなる。それが、仕事に向かうエネルギーになり、かえって成果が出やすくなる場合もある。


仕事とは幸福に生きるための1つの手段であって、それ自体が人生の目的ではない。仕事に一途で家庭を二の次にするワーカホリックな働き方は、本来あるべき姿ではない。


自分で自分を認めることができれば、「嫌われる勇気」を持つことができます。すると、上司であろうと、顧客であろうと、対等な人間として接することができます。対等に接すれば、相手も「この人の前では、自分を誇示しなくても、自然体でいて大丈夫だな」と気がつくでしょう。そうした人間関係の中でこそ、互いに成長することができます。


日本では、上司と部下とは“縦”の関係にあると思っている人が多いですが、本当は“横”の関係のはず。職場として持っている目標に向かうために、それぞれが役割を分担しているのですから。ですから、「やり方が間違っていると思うけれども、上司だから言えない」というのは、「上司が悪いから、成果が出ない」と言っているのと同じ、責任転嫁です。


知人に聞いた話ですが、大学で絵画や彫刻などを学ぶ学生にはメンタルの弱い人が多いそうです。みんなで絵を描くと、自分よりも上手い学生がたくさんいることがすぐにわかる。それで自信を失ってしまうのですね。でも、その学生の絵は、他の誰にも描けない絵のはずです。もちろん、技術的なことなど、学ばなければならないことはたくさんあるのでしょうけれども、その学生の絵を他の人が描けるわけではない。自信を失ってしまうのは、自分で自分のことを認められていないからです。


「上司が悪いから、成果が出ない」「労働環境が悪いから、仕事ができない」というように、責任を他者に転嫁することは、他人の人生を生きるということです。「他人がどうであれ、自分は自分の仕事をする」というのが、自分の人生を生きるということ。そのためには、他人に自分のことを認めてもらうのではなく、自分で自分のことを認めなければなりません。


そもそも、なぜストレスが生じるのかと言えば、それは理想と現実のあいだにギャップがあるからです。「こうあるべきだという理想に現実が合わないとストレスを感じる。このギャップが大きければ大きいほど、ストレスは大きくなります。ですから、ストレスを小さくする方法の一つは、理想を低くすることでしょう。


ストレスは悪いものだとは言えません。烏が飛ぶとき、空気は抵抗になりますが、空気がなかったら羽ばたいても飛べません。空気があるからこそ、高く飛ぶことができるのです。仕事のストレスも同じで、ストレスがあるからこそ、人は大きく成長できます。ストレスがなければ成長できません。


部下にバカにされたら嫌だと思う気持ちの裏には、上司である自分は尊敬されてしかるべきという思いがあるのではないでしょうか。つまり、上司は部下より「偉い」のだと。それは大きな間違いです。上司と部下なんて、職場における役割の違いにすぎません。上司であるだけで偉いと思っているようだから、バカにされるのです。


ご近所のルールの中には、ゴミの出し方ひとつとっても、過剰なほど厳格に定められていることもある。しかもボス的な存在感を醸し出しているオバサマ(オジサマ)が、ゴミの出し方を見張っていたりするから恐ろしい。ボスキャラをないがしろにすると、いわれのない風評を立てられたり、妬みを買ったりして面倒なことになります。そんな人には、「おかげで、ゴミが散らからないで済んで助かっています」などといってみる。重箱の隅をつつくようなルールに拘泥して威張っている人は、屈折した承認欲求の強い人が多い。感謝の意を伝えておきましょう。


「オレだってその気になれば、こんな部署でくすぶってる人間じゃないんだ。でも上司があれじゃ、やる気も出ないよな」などとうそぶいている人が職場に1人や2人いるのでは。こういう人は、たとえ上司が代わっても、決して頭角を現したりしません。本当にやる気があるなら、つべこべいわずに今出しなさい、という話です。


いま一度、仕事の目的を思い出すといいでしょう。最優先すべきなのは上司に好かれることでしょうか。違うはずです。上司に好かれ認められることを第一の目的にしてしまうと、とんでもない落とし穴に陥る危険性があります。それは、「上司に疎まれているから仕事ができない。成果を出せないのは上司のせいだ」という発想です。こうした言い訳めいた気持ちが頭をもたげてきたら要注意。


日頃から劣等感のある人が、優秀な人に対して取りがちな行動があります。それは相手を貶めること。どんなに頑張ってみたところで到底太刀打ちできないと感じた場合、ダメな人は自分を高める努力を投げ出してしまう。その代わり、他者を貶めることで相対的に自分の価値を高め、優越感を持とうとするわけです。アドラー心理学ではこれを「価値低減傾向」と呼びます。


いい人・優しい人ほど、縦の人間関係に囚われてしまいがちです。たとえば親子関係であれば、親が望む学校、親が望む仕事、親が望む結婚を選ぶ。心のどこかに自分が本当に望む選択肢があるのに、「親を喜ばせたい」「反発したくない」と従ってしまう。そうすることで確かに表面的には良い関係は築けるでしょうが、これでは疲れてしまいます。そしてこのことは夫婦関係や上司・部下の関係でも全く同じことが言えます。


『嫌われる勇気』は、自信がありました。完結編の『幸せになる勇気』も合わせて200万部を超えてまいました。でも、僕たちは「10年でも20年でも売れ続ける本をつくろう」と、ロングセラーになることを狙っていました。当然、海外でも翻訳されるだろうと考え、地名などの固有名詞は一切使わないようにしました。挿入した書斎のイラストにも、パソコンは描いてありません。10年後にはコンピューターだって、どんな形になっているのかわからないですから。


不幸にも感情的な物言いしかできない上司なら、部下のほうから上司の真意を引き出す働きかけが必要。感情的になっている人は、その自覚がないことがほとんど。「嫌い」という感情を、仕事の文脈に置き換えるのです。これも自分が成長するいい機会。上司のためではなく、自分のためだと思って接してみてください。たとえば「お前はどうしてこんなこともできないんだ!」と叱責されたとき、「あー、やっぱり嫌われてるな……」と嘆いたり落ち込んだりして終わらせるのではなく、「今回はすみませんでした。今後のために改善点を教えてください」と切り返してはどうでしょう。「そんなことは自分で考えろ」といわれるかもしれませんが、そこは食い下がっても大丈夫。部下が失敗を繰り返すとしたら、それは上司の管理責任や指導力が問われている証拠。問題は上司にあるわけですから、部下はアドバイスを求めていいのです。


上司ともうまくやっていくためには、上司の要求をきちんと把握する必要がある。というのも、部下を嫌っているような態度を取る裏には、部下に対する何らかの不満が隠されていることが多いから。案外、単にもっと売り上げを上げてもらいたいとか、部署の業績に貢献してもらいたいと思っているだけかもしれません。なんといっても、部下が頑張ってくれたほうが上司もトクですから。自分の部署の業績に貢献する部下なら、多少生意気でもかわいいと思うものです。


よく「お前はやればできるのに」という言い方をするでしょう。そう言われても子供は勉強しません。可能性の中に生きる方が、頑張って勉強したのにできないという現実に直面するよりはいいのです。頑張らない限りは「できるかもしれない」人間で居続けることができます。会社で「上司に恵まれないから、いい仕事ができない」というのも、「上司にさえ恵まれていれば」という可能性の中に生きているに過ぎないのです。本気で上司に意見しようとしたら、多少の摩擦が起きることも覚悟しなければいけない。会議で上司に気に入られることばかり考えている部下は、斬新なアイデアがあっても言おうとしません。


アドラーはトラウマによる支配を否定し、人間の行動は外的要因に影響はされても支配されるのではないと考えます。自分がどう生きるかは自分で決めることができると考えます。もちろん、人生が思う通りになるというような楽天的なことはアドラーは言いませんが。むしろ、思う通りにならない人生をどう生きるかを、アドラーは教えてくれます。


僕は学生のころから古代ギリシア哲学、とくにプラトンを研究してきたのですが、紀元前から続く哲学のテーマは「よりよく生きるにはどうしたらいいのか」です。「人生が思うようにいかない」と悩むすべての人に幸せになれる道筋を教えるアドラー心理学も、「どう生きたらいいのか」「どうすれば幸福になれるのか」というギリシア以来のテーマを扱いますから、並行してアドラー心理学を学ぶことには何ら違和感もありませんでした。


日本では、フロイトやユングに比べてアドラーは知られていませんでした。幾つかの理由があると思うのですが、大学で教えられなかったというのが一つの理由です。フロイトやユングの本は難解ですが、それに比べると、アドラーはわかりやすい言葉で語っています。アドラーは学者に向けてだけ書いたのではなく、あらゆる人に自分の考えを伝えたかったので、わかりやすい言葉で説明するのですが、そういうのをアカデミズムの人は好まなかったのです。難解なものをありがたがる人はいつの時代にもいるのでしょうね。


岸見一郎の経歴・略歴

岸見一郎、きしみ・いちろう。日本の哲学者、心理学者、カウンセラー。京都出身。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。西洋古代哲学とアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会顧問を務めた。著書に『嫌われる勇気(共著)』『アドラー心理学入門』『よく生きるということ 「死」から「生」を考える』ほか。

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