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山極寿一(山極壽一)の名言

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山極寿一(山極壽一)のプロフィール

山極寿一(山極壽一)、やまぎわ・じゅいち。日本の人類学者、霊長類学者。京都大学総長。東京都出身。京都大学理学部卒業、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究科助手などを経て京都大学大学院理学研究科教授に就任。ゴリラ研究の第一人者。

山極寿一(山極壽一)の名言 一覧

何にでも興味を持ち、人よりも一歩深く知ろうとする貪欲さが、人としての魅力につながる。


イノベーションは、諦めないところに生まれる。新しい発想をするためには、世の中の動きを頭に入れながら、一見アホなことでも大きな夢を持って取り組むことが大事です。私自身、いつもアホなことを考えていますよ(笑)。


京都という地は、世界に向かって挑戦する人材を多く輩出しています。街自体にも「世界の中で京都が一番」という自負がある。職人にしろ、商売人にしろ、世界を相手にしているという気概を持っています。だからこそ、新しいものを伝統と調和させることで、千二百年も生き続けてこられたわけです。


独創的な考え方は、時として批判にさらされ、内にこもりがちです。でも、それを明るく乗り切らなくてはならない。そのためには、周囲にきちんとわかってもらえるような説得力と、人間的な魅力が不可欠です。これがないと一人ぼっちになり、仕事ができなくなります。


専門性はもちろん必要ですが、その一方で、自分が知らない分野の知識を他人から得る環境をつくり出すことが大事です。細部を見通す高い専門性と、広い知識と突き抜けた独創性を大学で培ってもらわなければ、学生たちを安心して社会や世界に送り出せません。


失敗しても次のチャンスを与えてくれる仕組みを世の中が作らないと。企業にもそういう仕組みを作ってもらいたいと思っています。それでないと人が育たない。


知識や技能を身に付けると同時に、実践力を身に付けないと、社会に出てからつまずいてしまう。学生は賢いだけじゃダメ。タフでないと。


話題をつくる能力を身につけるには、トピック同士をつなげる力が必要です。たとえば、ヨーロッパのルネサンス期、日本の京都で何が起こっていたかを話題にすることで、相手を話に引き込むことができます。そこに、芸術や美術や政治のことをつけ加えることができれば、十分に話題をつくれます。


IoTが登場し、物はなるべく動かさず、動かすなら小さく動かすという時代になっても、人間だけはどんどん動き、たくさんの人と会おうとし、共感を得ます。なぜなら、人間は情報に置き換えられないからです。実際に会って、相手を確かめる必要があります。


課題解決能力が優れているとの評価もあり、昔から「困ったときの京大生頼み」という言葉があります。今はさらに、課題そのものを発見する能力が極めて重要となっています。


同じ能力を高めても仕方ない。それはお互いに競い合うだけだから。でもそれぞれが自分の個性を理解し、強みを発揮すればもっと素晴らしいものが生まれてくる。


世界に通用できる人材はどう育てるべきか考える面白いヒントがあります。学生にアンケート調査をしてみたら、多くの学生が、知識とか技能を身に付けられる場は大学にあると考えている一方、コミュニケーション力、交渉力は大学の外で覚えるものだと捉えていることが明らかになりました。全くその通りだと思います。だから私は京都全体をキャンパス化してしまう「京都・大学キャンパス計画」を進めています。学生はもっと外に出て、いろいろな人たちと会うべきです。企業の皆様に対しても、学生が企業経験や異文化体験を積めるよう、長期のインターンシップをやってもらうようお願しています。


勝ち組ばっかり作っていたら、チームワークはできませんし、リーダーも育ちません。調整役として、自分で少し力を抑えながら、人々にも勝利のチャンスを与えて、チーム全体で勝っていくということを演出できる人が必要です。


私たち大人が、競争をうまく演出してやっていないことにも問題があると思っています。勝ちなさい、勝ちなさいと尻をひっぱたいているだけだから、勝ったことによって一体自分がどうなるのか、周囲の喜びをどう引き付けられるのか自覚できない人が多くなっている。結果、「勝つのが面倒くさい」と考える人が出てきてしまったりしています。


人間はもともと、熱帯雨林に住んでいた生き物ですから、突然起こる出来事にも臨機応変に対処できる五感があるはずでした。遠くを見渡せる砂漠とか、草原とかと違って熱帯雨林という空間は全てが隠されていますからね。しかし、生の環境で鍛えた感覚がないと、うまく関係性を構築できない。


直接は関係ないようなアイデアから、色々なイノベーションが起こってくることはよくあります。iPS細胞も、発生学と医学という、もともとはあまり関係のなかった分野がつながることで生まれたものです。異分野の人たち同士の接触が、イノベーションの大きな原動力なのかもしれません。


面白いことに、生物の進化の観点からすると、この人間の「あきらめない」という特性はやっかいなのです。私の専門である、ゴリラの生態研究からも明らかになっているのですが、ゴリラやチンパンジーは、うまくいかないことがあるとすぐにあきらめますね。現実を受け入れ、あるがままに生きている。あきらめた方が無駄がないから、本来は効率的です。から人間は動物と違って進歩したのです。時代の流れ、動きというものはなかなか読み取れるものではありません。バカな試行錯誤が、時代ががらりと変わった途端に受けてしまったりする。そういう予想できないことが起こるから、人間は進歩できたわけです。


階層がなくなることで、新しいものが生まれると考える文化は京都大学にもあります。最たるものが、学生が教員を「先生」と呼ばない風土。特に理学部と文学部はこの傾向が強いですね。学生は皆、私のことを「山極さん」と呼びます。研究の現場では、教員と学生の関係は対等でありたいという考えの表れでしょう。


今の日本の若者は、世界に対する気概が欠けていると感じます。挑戦心が足りないと言い換えてもいい。しかし、世界では今、産業革命や明治維新の時のように、パラダイムの変換が起きようとしています。そうした大変革を目前にした時代にありながら、世界に向かって「自分たちの力で世界を変えてやるんだ!」という気概を持たせることができないようでは、学問の府とは言えないと思っています。若者には、もっと挑戦意識を持ってもらわなくてはなりません。


リーダーというのは、画一的なステータスでも、画一的なパーソナリティでもありません。いろんな場所に、いろんなリーダーがいる。ある時先頭に立っても、次はしんがりという場合もある。そういうことを肌で学ばなければ真のリーダーシップは取れないと思いますね。


今の社会は、共感能力や同情する能力を失いかけている。人間は一人では生きていけません。社会的な動物なのですから、ほかの人の期待に応えながら、人に喜ばれながら、自分というものをつくっていくことが本当は幸せなはずです。


私は、リーダーの素質というのは、「えこひいきをしない」こと。誰に対しても同じ態度でいないといけない。誰かを特別かわいがることは他の人の嫉妬をかうからです。だから、リーダーは他の人と距離を置かねばならないのです。そういう修業をしなくちゃいけません。


私は、大学は知識を教える場ではなく、行動をもって考え方を教える場だと思っています。知識は入学前にすでに身につけているのですから、大学でさらに蓄積する必要はありません。それよりも、研究者がどんなつながりを持っていて、どんな考え方で研究しているかを学んでほしい。そして研究者は、それを学生に開示すること。そのためには、大学側がもっと自覚と責任を持たなくてはならないと思っています。


日本人が日本のことを知らない。イギリスやアメリカの人のほうが、日本のことをよく知っていたりします。それではまずい。私たちは日本人だという自覚を持って、日本に関する知識を持っていなければ、話題もつくれず、相手の話題をひっくり返すこともできません。ただ相手の話を聞いているだけで終わってしまいます。


もっと個性を発揮し、好きなことに集中し、新しい発想を生み出す人間を育成しなければならない。学生自身が、標準まで達することが自分の目標だと思い込んでいる。人にはできないことをやってやるという気概がない。でも、そういう気概や野心がないと、やっぱり人間は伸びないんです。スタンダードを目指すという目標だけでは、人間形成としては失敗です。


仕事は一人ではできません。周囲を巻き込み、協力してもらわなければならない。自分の得にならないとわかっていても、それを承知でみんなが集まってくるような人間的魅力がないと、イノベーションに結びつかないのです。だからオタクではダメ。自分の中で閉じてしまっているからです。人に期待され、人を引きつける魅力と明るさがなくてはなりません。


人間だけが持つ能力ですが、人間はいろんな動物に学ぶことができます。例えば、あの人はオオカミのように残忍だ、キツネのように狡い、なんて言葉があるでしょう。言葉がそうした能力を助長したのです。言葉は違うものを一緒に、比喩することを可能にしました。ゴリラはゴリラにしかなれませんが、人間はサルにでもゴリラにもなれちゃう。


ゴリラはまさにリーダー型で、ボス型のニホンザルとは全く違う。力で群れを押さえつけないゴリラですが、力があることは一目瞭然。でも、力を行使することはほとんどありません。それが素晴らしい。能あるタカは爪を隠すと言う言葉そのままに、力はあるけれども行使しないのが優しさです。それが分かるからこそ、群れのみんなが慕ってついて来るのです。


私は、京都の街そのものを大学のキャンパスとする「京都・大学キャンパス構想」を掲げています大学の中だけで座学で学ぶのではなく、もっと市内に出て様々な人たちと付き合い、自分を知ること。そして世界を知ること。京都は、日本の一都市ではなく、世界に通じている都市です。だから、そこに住む人々を通じて世界を知ることができるんです。


私は、ドローンは烏ではなく、虫だと思っています。虫は烏よりも空中を自在に動き回ることができ、しかも静止できます。ドローンは、いわば大きな虫なんです。でも、虫になるためには軽さが必要。つまり、最大重量をどこまで軽くできるかが、ドローンが克服すべき課題なのです。ドローンを烏ではなく虫ととらえるように、発想には必ずヒントがあり、モデルがあります。それを探りながら嗅ぎ分けていく感性や直観力を、大学で鍛えなくてはいけないと思っています。


人間性を再び目覚めさせるには、二重生活が一つの手法です。都市部、特に東京は子供や老人にとって住みにくい社会です。効率を重視した地上インフラばかりだから、電車も道路も複雑で混雑している。この仕組みを変えるのは難しい。ならば、都市と地方との2つの住民票を持たせる制度を作れ、と。企業には週休3日や在宅勤務を実施するところもあるし、5000円もあれば飛行機で沖縄へ行ける時代になりました。2つの地域を行き来しながら生活することは可能でしょう。都市は人工的に作られた環境だから、何が起きるか計算できます。でも、自然は常に変化していく。子供は自然と接して、直感力を鍛えないといけない。変わっていく事態に、どう対応するのか、人とどう接するのか、そこが重要なんです。


僕は音楽的コミュニケーションと言っています。音楽や祭り、儀礼を通じて、互いにつながっている感覚を確かめ合っていく。言葉がなくても、身体の五感である視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を最大限に使って、つながっていくわけです。つまり、家族を支えているのは言葉以外のコミュニケーションなのです。


一緒にいる仲間は自分の利益を高めてくれる人だ、という志向性が強まっています。そうでない人は「敵」と見なすわけで、その結果、社会が閉鎖的になっていく。それはサル社会に似ています。例えば食物があってサルが集まると、強い者がいると分かった瞬間、弱い者は諦めてその場を離れて違う食物を探します。ほかのサルも強い者に加勢し、負けた者はとっとと引き下がるからトラブルが起きない。非常にうまくできている。効率を求めた資本主義社会も同じで、こうしたルールで動いていくと格差が拡大していく。


人間は食物を取って運び、あるいは自分たちで生産して、みんなで集まって食べます。この「共食」によって家族と共同体という二重構造が成立したわけです。そして、他の家族と一緒に子育てすることによって共同体が強くなっていく。こうした子育てをコストとして考えたら、見返りを要求することになってしまいます。現代は、まさにそういう流れになっていますね。でも、共同の子育てというのは本来、楽しいものであり、むしろ得なことなんです。


家族が身体的なつながりを根拠にして出来上がっていることを、僕はゴリラから学びました。ゴリラは言葉を使うわけではないのに、10頭前後の群れが1つの生き物のように動きます。僕はこれを「共鳴集団」と呼んでいて、現代で言えばスポーツのチームであり「家族」なんです。スポーツでは言葉ではなく身体でつながり合って連係して動ける。家族も言葉を必要としないくらい、それぞれの身体の個性を分かり合っていて、まとまることを喜びとする集団です。


以前は、総長室という特別な部署があったのですが、私はそれを廃止しました。そして、執行部の7人の理事や部局長と対等に付き合い、割と距離を置いた体制をつくっています。大学のリーダーというのは、自分の理念を持ちながら、6千人以上の教職員の実力を発揮させなければなりません。私は、自分のことを「猛獣使い」と言っているのですが、猛獣である教職員に実力を発揮してもらうために、手綱をつくるのでもなく、餌を与えるのでもなく、みんながやりたいようにやれる環境をつくらねばならないのです。その時に、ある特定の部局なり、人を支援していたら、あいつはえこひいきすると思われてしまう。だから、そういう意味では、私は孤独なんです。でも、それをゴリラから学んだのです。背中で語らなきゃならないのです。


「敵をつくらず、味方をつくるな」。味方をつくると味方の敵は自分の敵になってしまう。要は、えこひいきをするな、そのためには、みんなと距離を置きなさい、ということです。距離を置くというのは、孤独になることを意味します。その孤独に耐えないと、いろんな事情が分からないわけです。いろんな人たちが、いろんな目的で自分に近づいてくる。だから、距離が必要になるわけです。ある人たちを味方にして、親密な関係を結んでしまうと、かえってそれが仇となる場合もありますからね。


私の研究室では「捨て子教育」というのですが20代前半の学生や若い研究者をフィールドに連れて行って1年間現地に放り出すのです。はじめは言葉も通じません。でも、一人じゃ研究はできませんから、周囲の人に自分のやりたいことを伝え、便宜を図ってもらい調査をやり遂げなきゃならない。そのために、村の行事に参加し、村の人たちの悩みを聞き、村の様子を把握しなくちゃいけない。その際に、「敵をつくらず、味方をつくるな」ということを伝えています。


私は、よく大学はジャングルだ、というんですけど、ジャングルというのは象もいればオカピもいる、いろんな動物がいます。普段は会わないから、互いに何をしているか知りません。でも、共存しているのです。その生態系は大学も一緒です。文学者もいれば、科学者もいるし、医者もいる。多様な人たちが自分のやりたいことを互いに出会わずに暮らしている。そして、たまにゴリラとチンパンジーが接触して新しいものが生まれるように、ジャングルというのは植物も動物もどんどん新たな種が生まれてくる場所なのです。それだけの包容力があるし、違った者同士が出会える場所だからです。言い換えれば、もっともイノベーションが起きやすい場所なんですね。大学も、自分の学問だけではなく、違った分野の世界に出合うことができる。これこそが大学の意義なのです。


山極寿一(山極壽一)の経歴・略歴

山極寿一(山極壽一)、やまぎわ・じゅいち。日本の人類学者、霊長類学者。京都大学総長。東京都出身。京都大学理学部卒業、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究科助手などを経て京都大学大学院理学研究科教授に就任。ゴリラ研究の第一人者。