名言DB

9,553 人 / 112,978 名言

山崎種二の名言

Facebookボタン  Twitterボタン  はてなブックマークボタン  新着 名言

山崎種二のプロフィール

山崎種二、やまざき・たねじ、相場師・経営者、山種証券(現SMBCフレンド証券)創業者、米問屋の丁稚からスタートし、米相場・株式相場で財を成す、城山三郎が氏の人生を小説化している「百戦百勝 働き一両・考え五両」

山崎種二の名言 一覧

私が多くの美術品を集められたのは「山種なら絵を大切にしてくれる」という先生方の信頼があったからだ。芸術家は金だけで動くものではない。


私は金儲けのために算盤を外したことのない男であるが、ただひとつ、営利を離れ算盤を外してやっているものに育英事業がある。私の教育方針としては、生徒に将来社会人となるための教育を完全にしなければならぬということである。戦前の女学校は花嫁学校的色彩が強かったが、現在は女性もどしどし社会へ進出しているので、邦文はもちろん英文タイプや、私のモットーとする算盤などの習得も生徒にすすめ、いまでは全生徒がやるようになっている。おかげで就職率も非常にいい。
【覚書き|練馬の富士見女学校(のちの富士見高等学校・中学校)を経営していることについて語った言葉】


競馬の場合、14%は競馬場に、11%は政府に取られ、残り75%が当たった者に返ってくる。相場の社会では、売と買と2つのうち1つでも当たりにくいのに、二対一どころか、競馬は何十対一というような勝負に勝つことは、どうしても算盤に出てこないというのが私の考え方である。また、鉱山は表面に出ているものではなく、地下のものを探し出すのだから、私などにはわかりにくい。


私は「ケチ種」といわれるほどの男であるが、その私にも若いころからひとつの夢があった。徴兵検査で帰京するとき、鏑川の川止めにあった。そこで成功のあかつきには、川に橋をかけたいという念願を抱いた。たまたま、昭和5、6年の金解禁相場で、私は利益を得たので、多年の夢を実現した。私は先輩から「目立つ寄付より目立たぬ寄付、とくに人に踏まれる寄付がいい」と教えられたが、この橋と県道は、後年思わぬときに私の役に立った。太平洋戦争の最中に荷物を疎開するとき、トラックが通れたからである。もし橋がなかったらトラックは通れず、疎開も思うようにできなかったであろう。


相場というものがわかりだしたのはこの頃だ。休みなしに強行軍すると、兵隊はバタバタ倒れる。休みも挟まねばならぬ。「休むも相場」というが、まったくそのとおりである。
【覚書き:1920年の株式市場の大暴落で大損害を受けた時を振り返っての発言】


私は清算取引と名のつくもので勝負をやらないものはない。しかし、いまもって競馬、競輪は一度もやったことがない。兜町の先輩の中に、金山や銅山などを手掛けた人も多いが、私はまったくやったことがない。これは自分の方向を律していく一つの主義である。【覚書き:清算取引とは売買対象になったものの現物を受け渡ししないで行う取引のこと。先物取引やオプション取引などで使われる】


私は、売りによる勝利は、買いによる勝利より価値があると思っている。売りにより利益が出た場合デフレがおきており、買いによって利益が出た場合インフレが起きている。同じ金額の儲けでも売りのほうが、現金の価値があり使いでがある。


財産無くして 相場を悟る。
天井三日、底三年。
大回り三年、小回り三ヶ月。
採算は実。人気は花。
採算を買い、人気を売る。
奇跡に賭けるな。
休むも相場。


俺は共産党は嫌いだから、組合ができたら社長を辞めるよ。あとはお前に任せる。
【覚書:上記は息子、山崎富治に言った言葉】


山崎種二の経歴・略歴

山崎種二、やまざき・たねじ、相場師・経営者、山種証券(現SMBCフレンド証券)創業者、米問屋の丁稚からスタートし、米相場・株式相場で財を成す、城山三郎が氏の人生を小説化している「百戦百勝 働き一両・考え五両」

他の記事も読んでみる

隈研吾

相手には「知りたい情報」があります。地主、近隣住人など、立場によって求める情報は変わる。だから、自分が何を説明したいかという建築家としての立場を離れなければいけない。これができないと、相手が何を知りたいかが見えてこない。


マツダミヒロ

先に会話の台本を用意したとしても、自分以外の人が入れば思いどおりになる可能性は限りなくゼロに等しくなります。予想外の展開も生まれますから、台本にこだわり相手の反応を気にしすぎると、会話に集中できなくなります。


松本晃(経営者)

いい人と会って、いい話を聞くことで学ぶことも多くあります。そのために積極的にアプローチすることもありますし、講演会に行くこともあります。


杉山博孝

ただ言うだけでなく、実現するためにはどうすればいいかを考えて提案しろ。


西成活裕

山形大学にいた時には、国立大学ですから先生ひとりにつく学生は3人が限度でした。でも、私立の龍谷大学の場合には、ひとりで学生を10人も担当するんですよね。大変だな、と面倒に感じる先生もいるけど、やりたい研究だらけだった私にはそれがとてもありがたかった。毎年10人の学生にいろいろな角度から研究をやってもらい、6年いたから60人分の研究成果が手に入りました。学生も、まだ学部の4年生なのに、あちこちの大学から大先生が来て発表する学会で、並んで自分の発表をするとなれば能力を発揮してくれるんです。


荒川静香

圧倒的な強みを持つことは大事です。しかしルールが変わり、その技が加点対象にならない可能性もあります。だからこそ、できる技はたくさん持っておいた方がいい。多くの技を普段からバランスよく磨けば、「どんな状態でも勝てる戦略」が立てやすくなります。


午堂登紀雄

帰りに立ち寄った書店や通勤電車、お風呂などでよいアイデアを思いつくことは誰でもあるはずです。それを意図的に生み出すために、私は必ず仕事のキリが悪いところで帰宅するようにしていました。すると、24時間考え続けられる態勢ができます。


北嶋實

職人になって50年経ちますけど、いまでも勉強することがいっぱいありますね。


道幸武久

一流企業の社員だとか、業界で有名だとかということは、能力や人柄をある程度保証するものかもしれません。でも、そんな肩書は全部取っ払って、裸のその人自身で判断することです。


小島貴子

周りの人に自分を知ってもらえば、再就職も有利に進められる。再就職活動中には名刺がないのが普通だが、あえて求職用の名刺を作り、それを持ち歩くようにしたい。名刺には連絡先はもちろん、職歴などを入れてもよい。要は、自分自身で情報発信していくこと。その意味では、ブログやSNSなども利用価値大。自分にできることを公開すれば、そこに興味を持ってくれる会社から仕事のオファーが来る可能性も出てくる。


金究武正

たとえ小さな会社でも次から次へと新しい研究開発ができる会社というのは魅力なんです。それで東京の大企業出身の技術者に、数年で10人くらい入ってもらいました。20年以上経った今でも彼らは働いてくれています。


賀来龍三郎

上司に向かってズケズケとモノを言う性分なので、我ながら随分と危なっかしい会社人生を送ってきました。若気の至りですね。ただ、特定の上司や派閥に取り入ろうとして、発言したことはありません。課題ごとに是非を論じてきた。それが理解されてクビがつながったのでしょう。そもそもキヤノンの経営陣には派閥がなく、割に風通しの良い会社だったと思います。