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山口多賀司(経営者)の名言

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山口多賀司(経営者)のプロフィール

山口多賀司、やまぐち・たかし。日本の経営者。「非破壊検査」社長・会長。東京出身。工学院大学工業化学科修了。非破壊検査設立。専務を経て社長に就任。

山口多賀司(経営者)の名言 一覧

伸びる人は、やはり前向きに仕事に取組み、ぼやいたりしない人。学歴の有無や頭のいい、悪いは二の次。健康で前向きで、周りの人たちへの思いやりの心を持った人は伸びています。


経営者の仕事は社員の心を打つこと。心と心で通じ合う人間関係を築くことが大事。それができていれば、多少難しいことがあっても、あるいは目の前に壁ならぬ岩や峠が出てきても、乗り越えられる。


ダメだ、ダメだと机上の空論ばかり叫ぶのではなく、解決策をつくりだす方向に進むべきだ。


人間関係ができていないところに良い仕事はできないし、革新的な技術もサービスも生まれない。今こそ人間尊重の日本式経営が再認識されるとき。


相手を思いやる気持ち、自分たちの社会や国を思う気持ち、そうしたことを基本軸に据えて考え、行動してほしい。それが人としての生き方の本質だと思う。


いまは多くの企業で経営者の再教育が必要です。経営者を教育しなおして、新しい経営体制に入れ替えるべきですね。


本当の実態を知った上で計画を立てたり、方向性を見つけることが一番重要なこと。これは経営者の一番の使命。


経営は「人」だとよく言いますが、やはり、経営者が人についてもっと考えるべきでしょうね。企業は人の集合体ですから、サービスや技術、商品を生み出すのも人なんです。


私は社員を3つ(優秀、普通、劣等)に分けるようなことはしていません。家族ですから、私にとって社員は子供なんです。その子供たちは皆が敏感ですから、分けてはいけない。全部同じ人間。だから、やればやっただけの報酬を支払い、努力した分は必ず報われるという体制をつくってきました。


たとえば、私が新しい技術やサービスをつくったとします。そこで手を差し伸べてくれるのは「山口さんがそこまで言うなら使ってみるよ」と言って、私のことを信用してくれる人たちです。営業にしろ、開発にしろ、一番大切なことは人間関係をいかに築くか、ですよ。逆に言えば、我々は人間関係の欠如を絶対に防がなくてはなりません。


人と人との心の触れ合いを取り戻すことから始めるべきではないでしょうか。技術開発でもなんでも人間関係が成り立たないところは、仕事は成り立ちません。技術を研究する人、商品にする人、売る人……、仕事というのは一人でできるものではないのです。全ては人とのつながりなんです。


代議士が大衆迎合になっている。選挙に受からなければ代議士にはなれないけれども、選挙に受かることだけを考えて、世の大衆の反応を見て意見をコロコロ変えるのは最低です。企業経営も同じですが、正論を貫く努力をしない国に正しい運営はできません。


どうすれば人が自分についてきてくれるようになるか。それは俗っぽい言い方ですが、一番は自分に惚れてもらう。社員がトップに惚れてしまうような状態をつくること。やはり、人対人のことですから、惚れた男には命をかけよう、この男なら人生を預けようと思わせるような経営者にならなくてはなりませんね。


私は87歳になりましたから、もうあまり表には出ませんけどね。社主として、何かあったらいつでも相談に来なさいという立場です。いつまでも私が表にいたら、社長たちがやりづらくなりますから、そこは気を付けるようにしています。


経営者は人一倍努力しなければなりませんし、必死になって勉強しないといけない。口先だけでは社員は決してついてきません。そして、経営者は社員が自分たちの人生をこの会社に預けてきたということの重みを理解して、社員のために命をかけて会社を発展させていく必要があるのです。


企業というのは人の集団です。特に当社の場合、工場があるわけではなく、技術とサービスを売っているわけですね。そうなると、営業にいくにせよ、サービスを提供するにせよ、人を育てて、その人たちにいかに働いてもらうかが大事になってくる。経営者の仕事というのは、それに尽きる。


技術屋の視点でモノを言わせてもらえれば、技術に「絶対」はないんです。安全にも絶対はありません。どんなものだって経年劣化は起こるんです。だから、いかに安全の確率を極限まで高めていけるかというのが、技術屋の心情なんです。


「分相応」という言葉がありますが、経営者は自分自身を知らなければならない。創業の理念や原点を忘れず、誠意を持って地道に取り組むべきだ。


いまの経営者に必要なことは頭を切り替えて、心を入れ替える。そうやって経営者の完全な再教育をしていかない限り、本当の日本再生はない。


当社は創立以来、「人間性豊かな企業集団づくり」を心掛けてきました。一家の長がいて、皆で共同生活を楽しんでいく。そういう家族のような会社を作りたかったんです。それが当社の経営の基本軸ですから、うちには労働組合もなければ、対立する資本家もいない。そういう基盤があるから、社員に信頼関係が生まれ、新しい技術やサービスが生まれてきたと思うんですね。


古い話になりますが、私が終戦を迎えたのが中学3年生でした。東京で育って、東京で空襲を受けたわけですから、東京は何もない。住居もなければ食べ物もない。仕事もないし、教育も何もないということで、とにかく国民が前を向いて必死に生きるしかなかった。終戦から72年が経ち、世の中はガラリと変わってしまいましたけれども、全てがゼロからの出発だった。それを忘れてはいけませんよね。


社長はA君やB君ばかり可愛がる。我々凡人は相手にしてくれないと感じた途端、社員の中で差別されたと思って、一気に心が離れてしまいます。そうあってはなりませんから、我々は全員同じように接していますし、差別がないと分かれば社員も皆が一生懸命に働いてくれます。そういう環境づくりを私は60年間、一貫して進めてきました。


中にはリーダーに抜擢された子に不満を持つ人もいる。でも、私は言うんです。確かに君は彼より頭がいいかもしれない。でも、20歳ぐらい年下の社員を連れて、同じ環境で1か月も2か月も面倒を見ることはできないだろうと。でも、彼にはそれができるんだ。成績優秀で年上から信頼されることも大事なことだけれども、後輩に優しく接してあげて年下から信頼されることも同じくらい大事なことなんだよと。そうやってひとつひとつ丁寧に説明していけば、社員は分かってくれると思います。


当社はどこかに大きな工場があるわけではなく、発電所にしろ、橋にしろ、仕事場は全てお客様の現場です。ですから、社員が全員集まって一つの場所で仕事をすることができません。そこで我々はお互いの場所が離れていても心は離れない、物理的な距離が遠く離れていても人間関係を構築する徒弟制度のようなものをつくりました。それは当社の歴史を理解した先輩と若手を一緒のペアにして現場に送り込むのです。一緒になって仕事をし、食事をし、風呂に入ったり、笑ったり、泣いたりするんです。そうすれば、気が付いたらその二人は兄弟になるし、家族になるんです。


断言しておきますが、日本のために命をささげようと考えるアメリカ兵など誰一人いませんよ。やはり、日本は独立した国家なんですから、自分たちのことは自分で守るという基本姿勢をしっかり打ち出さないといけません。実際、私はアメリカ人の知り合いからそう言われたこともあります。これは当然です。自分の胸に手を当ててみれば分かるじゃないですか。あなたはアメリカのために命を捨てられますかと。そんなことをする日本人はいませんよね。


バブル崩壊の頃、当社の資格を持った社員に対して、大企業からものすごい引き抜き攻勢がありました。ですが、この時、社員は誰一人辞めなかった。おそらく給料も当社よりずっと良かったと思うんですが、それでも辞めなかった。これは今でも私の自慢です。私は勧誘があった社員たちを知っていますから、後から何人かを呼んで、なぜ大企業にいかなかったのかを聞いたんです。そうしたら「社長、よくそんなことを言いますね」と言うんです。「そんなに僕のことを信用していないんですか」と言って怒るんですよ(笑)。つまり、彼らは「当たり前じゃないですか」と言うんです。「私たちは非破壊検査で技術を学んで、世の中の高度技術社会の安全を確保して、維持して、人の命を守るために頑張ってきました。そういう信念を社長が私たちにたたき込んだじゃないですか。私たちは全員そういう気でいます。もしも大企業にいったら、歯車の一つの刃にしかすぎません。だから、私たちは大企業にいく気はこれっぽっちもないですし、社長は私たちを信用していないんですか」と。そうやって怒られたんです(笑)。本当に嬉しかったですね。


今は私も社主という立場になって、経営は社長をはじめとする若い人に譲っておりますが、若い頃は本当によく働きました。もっとも昭和20年、30年代というのは、私だけでなく、隣の家のおじさん、お兄ちゃんも、とにかく日本国民が昼夜関係なく働き詰め。戦後、就職先もなければ何もない状態で生きるために必死だったんです。だから、日本国民一人ひとりが働いて、働いて、働きつくして作り上げたのが戦後の経済大国だった。


今から考えたら、大阪で会社を設立したというのが大きかったと思います。東京は実績主義です。だから、東京で営業をかけても「誰が作ったの?」「どこの学校を出たの?」「他はどこが導入しているの?」と聞かれて、いろいろなデータを取り揃えてから、じゃあ考えましょうと。そして、ようやく買いましょうとなる。しかし、大阪は実利主義で、いいものであれば取り入れてくれる。どこで、どんな人が作ったかは関係なくて、自分たちが使ってみて、いいなと思ったら採用してくれます。ですから、私は大阪へ来て良かったと思います。東京で旗揚げしたら、会社づくりは10年は遅れていたと思います。


今でこそ、この仕事も認知されてきましたが、創業当時は空気と安全はダダが当たり前の時代です。ですから、「安全で金儲けをするとは何事か」と言われたことも一度や二度ではありませんでした。非破壊検査というのは、あらゆるプラントや社会インフラ等の事故を未然に防止する「安全の防人(さきもり)」としての役割があるんです。私はこれからの社会に絶対に無くてはならない技術だと強く信じていましたので、必ず話せば理解してくれるはずだと思っていました。


(創業60周年は)長かったような、短かったような不思議な感覚ですね。当社は昭和32年に安全技術サービス業のさきがけとして創業しました。当時は「非破壊検査」という言葉が無くて、この仕事を一流にし、会社も一流にしようと思って頑張ってきました。おかげさまで多くの社員がついてきてくれましたし、お客様にも一定の評価をしていただいて、ここまで来ることができたと感じております。


山口多賀司(経営者)の経歴・略歴

山口多賀司、やまぐち・たかし。日本の経営者。「非破壊検査」社長・会長。東京出身。工学院大学工業化学科修了。非破壊検査設立。専務を経て社長に就任。