山中伸弥の名言

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山中伸弥のプロフィール

山中伸弥、やまなか・しんや。日本の医学博士。ノーベル医学生理学賞受賞。大阪出身。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院博士課程修了。米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所博士研究員、日本学術振興会特別研究員、大阪市立大学医学部助手、奈良先端科学技術大学大学院大学遺伝子教育研究センター助教授・教授、京都大学再生医科学研究所教授などを経て、京都大学iPS細胞研究所所長に就任。iPS細胞(人工多能性幹細胞)の開発に成功。


山中伸弥の名言 一覧

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今の受験システムは教科書に書いてあることや先生が言ったことに疑問を差し挟むと、その人は入試にパスしない仕組みになっています。しかし、研究は全く逆で、教科書に書いてあることを疑う、先生が言ったことを疑う、そこからが始まりです。


人材育成で大切なことは、やはり失敗を大切にするように教えることでしょうね。若いうちは何度でも失敗できますから、失敗を楽しんでほしいと思います。


今までわからなかった真実を見つけるような新しい研究であれば、どんなことでも必ず役に立つ。5年後に何の役に立つかわからなくても、いつか絶対に役に立つ時が来る。


「これをやってもムダだ」と思っていては、何もできない。やってみなければ分からない。


研究は長期戦。ペース配分が非常に大切。最初から飛ばしすぎると途中でバテてしまう。


チャレンジしないと、そこから先へは決して進めない。だからこそ、自ら進んで新しいことにチャレンジするようにしている。


ただ机上で頭を抱えて考えているだけでは、何も生まれない。



プレゼンの内容がどんなにいいものでも、見てもらえなければ意味がないのです。だからプレゼンの時は今でも、「オーディエンス(聴衆)はどんな人か」、常に気にかけています。


プレゼンの準備とも言える「スライド作り」が、結果の成否を決める。聞く人が眠らずに、興味を持って聞いてくれるスライドに仕上げねばならない。


プレゼンの場では、一般の人に難しいことを言っても伝わらない。伝わらないと絶対にダメなわけです。伝えるためには、相手に寄り添ったプレゼン内容にする必要がある。


研究がしんどかった頃、本当にいろいろな本を読み漁りました。「高く飛ぶためには、思い切りかがまないと飛べない」など、そんな当たり前の言葉が心に響くんですよ。「ああ、自分は今かがんでいる状態なんだ」と。


しっかりしたビジョンがあれば、どんな仕事もとても楽になる。決断を迫られた時や悩み事がある時も、ビジョンに立ち戻ればいい。そこから自然と進むべき道が見えてくるはず。だからこそ若いうちに、しっかりとしたビジョンを持ってほしい。


研究者が自分の研究が本当に新しいか、誰かの真似になっていないかを常にチェックする必要があります。大阪市立大学大学院に在学中、助教授に言われた言葉が印象に残っています。それは、「阿倍野の犬実験になるな」です。日本の研究の多くは、「米国の犬がワンと鳴いたという論文があるが、日本の犬もワンと鳴いた」というものです。さらに日本の犬がワンと鳴いたという論文を見て、「阿倍野の犬もワンと鳴いた」と書く。研究者は油断すると、他人の方法論を真似て、阿倍野の犬のような論文を書いてしまう。こういう研究からイノベーションは生まれません。
【覚書き|阿倍野とは、大阪市立大学医学部がある大阪市阿倍野区のこと】


企業の研究所では、論文を発表する前に知財を押さえます。私たちもiPS細胞(人工多能性幹細胞)を発見したときは、論文を書きたくありませんでした。論文を書いたら、ライバルの研究者たちがこぞって追いかけてくるのがわかっていたからです。もし、企業の研究所に勤めていたら、iPS細胞の根幹に関わる部分を特許で盤石に固めるまで、何も発表しなかったかもしれません。


私は、本当に誰もやっていないことだったら、どんな研究でも価値があると思っています。だからこそ、若い研究者には、誰かの真似ではないか、繰り返しではないか意識してもらいたいのです。本当のイノベーションは未知の領域でしか見つからないのです。


研究者は役に立つかわからないものを研究すべきだし、科学研究費助成事業(科研費)のように、海のものとも山のものともつかない研究を支援する仕組みが、国全体の技術力を維持するうえで非常に大切です。


大きな課題は、研究者自身の中にある「稼ぐことへのアレルギー」でしょう。工学部のように、実用化できる技術を開発しようという意識が先生方の頭にある学部は良いのですが、理学部は対照的です。「研究の目的は真理の探究であって、実用化などとんでもない」という先生もいらっしゃる。


日本が生きていく大きな道のひとつは、科学技術立国だと考えています。研究者や技術者はみな、科学技術立国たる日本を背負っているのだと自負しています。若くて柔軟な人が次々と研究に従事するようになれば、もっと伸びていくでしょう。


研究は、最初から社会の役に立つようにしようと意識しすぎると、浅いものになりがちです。みんなが実用化間近の研究ばかりやりだすと、将来のイノベーションの芽が摘まれてしまいます。


研究者は知財を意識しておく必要があります。ただ、知財に関する専門知識を研究者が持つのは不可能に近い。知財の専門家を大学に抱えるべきです。良い技術が出てきたときに、実用化まで持っていくには、知財の専門知識があり、厚生労働省などの規制当局と早期から交渉できる人材が必要です。日本の大学の研究者がよい論文を発表しても、事業としての成果は米国企業に取られかねません。



特許が難しいのは、新しい知見を発見した当時は、将来化けるかどうか検討がつかないことです。特許申請には多少なりとも費用がかかるため、大学は厳選して申請するのが普通です。ただ、稼げる技術に育つ知見を選択して申請することは困難です。もしかすると、宝の卵をふるい落としてしまっているかもしれません。ですから、なるべく多くの特許を申請する必要があると考えています。


理系離れは深刻です。日本では研究者の地位があまりに低い。若い人たちに研究者が魅力的な仕事に見えていません。このままでは担い手がいなくなってしまうと懸念しています。米国は日本の逆です。研究者の社会的地位が高い。ハードワークなのは日米同じですが、ちゃんとした家に住んで、ホームパーティーを開いて、楽しく暮らしている人が多いのです。給料そのものも高く、ベンチャー企業とのつながりも強い。米国では研究者が憧れの職業なのです。


日本人の技術者は間違いなく世界一です。器用さ、勤勉さ、創意工夫、チームで取り組む努力など、研究者として重要な素養を備えています。現在は米国にも研究室を構えているのですが、日本人は素晴らしいと痛感しています。


初めて米国に行ったのは30歳ぐらいで、もうずいぶん昔になります。「昔取った杵柄」というわけにはなかなかいかず、英語には今も苦労しています。英語を勉強する時はジョギングしながら、NHKラジオの「ビジネス英語」を何度も聞いています。


寄付活動の一環としてマラソン大会に出場していることもあり、早朝か昼休みに30分間、ジョギングするのが日課です。「アイデアはいつ思い浮かぶのですか」とよく聞かれますが、私の場合、ジョギングが終わった後にシャワーを浴びている時などに、フッと思い浮かぶことがありますね。


米国の研究者は、ビジョンを持つこと、そして世界中から人材を集め、チームを作ることが得意です。ビジョンはボスが提示し、ハードワークは多様な人材が行う。そうやってうまくいっているケースが、米国には多いように思います。


日本人は勤勉ですが、気がつくと、「ハードワーク」をすること自体に満足して、ビジョンを忘れがちになってしまう。遅くまで会社や研究所にいることが目標のようになり、「何のために」ハードワークをするのか分からなくなってしまう。しかしそこを忘れてしまっては、真のゴール・成功にはたどり着けない。


ノーベル賞を受賞する前は、自宅のある大阪から京都への通勤は電車を使い、移動時間はメールの読み書きや英語の勉強に充てていました。受賞後はクルマでの移動が多くなりましたが、同じようにパソコンで仕事をしています。


やるかやらないかの選択を迫られた時に、「やらなくて後悔するくらいなら、やってから後悔しろ」とよく言われますが、私もこれを実践するよう心がけています。そもそも飽きっぽい性質なので、何かしていないとすぐ飽きてしまう、ということもある。


「ごちゃごちゃ考えてんと、手を動かせ」という言葉も、印象に残っている言葉の1つ。私が整形外科医だった時、上司だった先生から「考えるよりまず行動しろ」と、何度も怒鳴られた。考えてばかりいては、命の危機に瀕し、一刻を争う患者を救うことはできない。


スライド作りの基本は、「できるだけシンプルにする」こと。文字でなく、絵が主役と言っても過言ではない。私は、プレゼンは紙芝居だと思っています。見せるのはあくまで「絵」であって、「文字」ではありません。聞いている人がスライドの絵を見て、「何?」と思ったところで、その絵に合った話をする。


私が「アメリカは強いな」と思うのは、先行きがわからない回旋型の研究を、億万長者が寄付金によってサポートしているところです。過去の成果ではなく、これからのアイデアでどの研究に資金援助をするか決めています。ですから、回旋型の研究がどんどん育っています。


「いい失敗」からしっかり学ぶことが大切。それには、研究の作法に則って行なうのが基本。

  1. 何のためにやるのかという目的をはっきりさせること。
  2. コントロールがされていること。予想外の結果が出た時に、実験の手法、実行段階での手技は適正だったかどうかを判別する対照実験を行ない、検証するということ。
  3. どんなに自分の気にいらない実験結果が出たとしても、その結果をトコトン解析すること。

「目的」「検証」「結果の解析」の三点セットが研究の作法なのです。これらがきちんとしていれば、たとえ仮説と逆の結果が出たとしても、次の研究へと進展します。失敗した研究を見ると、往々にしてこの三点セットが曖昧になっている。


20代の頃からマラソンを走っていますが、5~10キロ走る走力で言えば、20代の頃の方がはるかに速い。しかし実はマラソンの記録は、今(50代)の方がいいのです。20代だった当時は20キロ地点くらいでバテてしまって、あとは這うようにゴールしていた。当時は自分をうまくコントロールできていなかったのだと思います。今はきちんとペースを作って走れるようになりました。


奈良先端科学技術大学院大学に行ったのはよかったのですが、またゼロからのスタートです。環境も変わり、研究にも時間がかかる。最初の3年くらいは、なかなか良い論文が書けませんでした。この間、非常にもがき苦しみました。そんな時、いろいろな本を読む中で出合ったのが、「高く跳ぶためには思い切り低くかがむ必要がある」という言葉だった。「そうか。今、自分はかがんでいるんだ。ジャンプするためにかがんでいる時期なんだ」と。その言葉に出合ったことで救われたし、明日への励みにもなりました。


米国に行くまでは、「研究者は実験して論文さえ書けばいい」と考えていました。当時の私をはじめ、日本人の中には「研究結果が良ければそれでいい」と考える人が少なくないのではと思います。「結果が良ければ、他人に分かってもらえなくていい」という考えが、頭のどこかにある気がする。ところが、米国はそうではありません。研究者だけでなく、寄付してくれる方にも、正確に、かつ分かりやすく、自分の研究内容を説明しなければならない。「誰にでも分かりやすく伝える」ことの重要性を、叩き込まれました。


座右の銘のひとつは「VW(ビジョン&ハードワーク)」。「目的・目標をはっきり持ち、それに向かって懸命に働く」こと。米サンフランシスコのグラッドストーン研究所の博士研究員となり、トレーニングを受けていた時、当時の所長ロバート・マーレー先生が、私たち若い研究者に教えてくれた言葉、それが「VW」でした。成功するためには、何のために研究をしているのかという長期目標をしっかり持つこと。そしてそれに向かって一生懸命に研究をすることが必要、ということです。これは研究者だけではなく、ビジネスパーソンにも当てはまると思います。


臨床医を辞めて研究を志した最大の理由は、当時担当した患者さん、そして父の命を救えなかったことが大きいと思います。父は、私が研修医として歩み始めた頃に亡くなりました。重病に苦しむ人々を何とか救いたかった。もちろん手術も1つの方法ですが、どんなに手術がうまい人でも、末期がんや脊髄損傷といった重病を根治させることは難しい。その時、「今は無理でも、20~30年後、病気を根本的に治せるとしたら、それは研究という手法しかない」。そう思いました。


私が初めて研究室を持った時、立場はまだ准教授で、研究費もほとんどない。本当に弱小研究室でした。そんなところに学生が来てくれるわけがありません。そこで考えたのが、研究室のビジョン、理念を掲げることです。夢のある目標を立てたら学生が来てくれるのではないかと思い、iPS細胞をつくるというビジョンを掲げました。それに惹かれて来てくれた学生たちが、私と一緒にiPS細胞を生み出し、今や中心的存在となって活躍してくれています。


多様な考え方があるべきだと思います。特に研究は、ちょっと変わった人に向いている場合が多いんですよ。昔、私の研究室に、問題ばかり起こしていた学生がいました。ある時、彼がアメリカ留学を望み、私のアメリカの研究者友達に紹介状を書いてくれと言ってきたので、私は正直に彼のことを書きました。日本だったら、そんな問題児はまず採用されないですよね。でも驚いたことに、アメリカの友人は彼を採用したのです。「本当にいいのか」と聞いたら、「そういうやつがええんや」と。


再生医療に限らず、科学にはすべて功罪をもたらす二面性があり、いわば諸刃の剣です。iPS細胞もうまく使えば人類の健康と福祉に貢献しますが、人工的に新しい生命すらつくることができますから、使い方を間違えれば恐ろしいことが起こりえます。どこまでが許され、どこからが許されないのか。これは非常に大きな問題です。ですから、それを研究者だけで決めるわけにはいきません。文系の方、倫理の専門家、一般市民、患者さんやその家族、そういった方々と一緒に議論を進めていく必要があると思っています。


ある時、歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんのお話を聞いていて、どの世界も作法は同じだという思いを抱きました。玉三郎さんは歌舞伎の様式を超えた型破りな取り組みをされていますが、「型破りをするためには、まず型をしっかり身につけなければいけない」とおっしゃっています。型を身につけていないのは、型破りじゃなくて「型なし」ですよ、と。研究も同じです。研究の作法を守ることは、失敗を「悪い失敗」に終わらせないためにとても重要なことなのです。


私が外科医を目指していた頃のことですが、指導医がとても怖い人で、鬼軍曹みたいだったんですよ。でも、その人に言っていただいたことで、いまだに体に染みついていることがあります。「ごちゃごちゃ考えず、手を動かせ」です。「お前は頭がええか知らんけど、ごちゃごちゃ考えているうちに患者さんが死んでまうやないか!」と怒鳴られた(笑)。全くひどい言われようですが、でもその通りなんです。考えているばかりでなく、とにかく何かしないと患者さんは亡くなってしまう。それをすごく叩き込まれました。研究の道に入ってからも、その言葉に助けられたと思っています。


私が一番影響を受けたのは、『仕事は楽しいかね?』という本です。その本には、「10回トライしたら、そのほとんどが失敗する。一つくらいはいいことがあるかもしれないけれど、結局全部ダメなことのほうが多いよ。でも、それが仕事の楽しみ方だ」ということが書かれていました。いろいろやってみてダメなのが当然、その失敗を楽しむのだと。研究はまさにその通りだと思っています。「こんな研究をやっても失敗するんじゃないか」と思ってしまうものですが、ともかくやってみる。それが大事だ、と。


研究の将来性を見極める「目利き」が必要だと思います。私がiPS細胞の研究を始めた2000年頃、まだiPS細胞の影も形もなかったためか、なかなか研究費をもらえませんでした。ですが一人だけ、多額の研究費をポンと出してくださった方がいた。それが大阪大学の総長を務められた岸本忠三先生です。当時iPS細胞の研究は、成功するかどうか全くわからない投資リスクの高い研究でした。それなのに、毎年数千万円もの研究費を5年間にわたって出してくださった。そのおかげでiPS細胞は日の目を見ることができました。


一見社会の役に立ちそうな研究でも、他人の真似をしているだけなのではないかという観点で評価すべきだと思うんです。単に真似するだけだったら、一カ所か二カ所の研究機関でやればいいのであって、日本中のあちこちでやる必要はありません。それよりも、すぐに役には立たないけれど、世界で誰もやっていないような研究を応援する気風が、日本にも生まれればいいなと思っています。


本当に偶然なのですが、私の場合、実験結果に導かれるように研究テーマがどんどん変わっていきました。実験をすると、全く予想していなかった結果が起きる。すると、なぜそんな結果が出たのか、俄然興味がわいてくる。それを追究するために研究対象が変わる。そんなことを繰り返してきました。自分で決めたというより、自然に導かれたように感じています。


最初に研究者の柔軟な考え方に触れたのは、日本でのことです。臨床医になるのを諦めて、基礎医学の研究を志し、大阪市立大学大学院医学研究科の博士課程に入り直したのですが、そこで受けた三浦克之先生のご指導がそうでした。研究というのは、仮説を立て、それが正しいかどうかを実験で検証する繰り返しです。ある時、三浦先生が立てた仮説を検証する実験を行なってみると、仮説とは正反対の結果が出ました。普通、自分の仮説が外れたら、がっかりしますよね。ところが、三浦先生は逆にすごく興奮されていたんです。これには驚きました。結局、3年ほどその研究をやらせていただき、それで学位を取得しました。予想外の実験結果に興味を持ち、それによって新たな研究テーマを追究するという私のスタイルは、ここから始まっているといえます。


アメリカのグラッドストーン研究所で動脈硬化の遺伝子を研究していた時のことです。ある遺伝子が動脈硬化にかかわっているのではないかと考え、数か月かけてマウスで実験を行ないました。ところが、その遺伝子は動脈硬化よりもむしろ、ガンとの関連性が高いことがわかったのです。普通だったら「この遺伝子は動脈硬化に関係しないんだな。だったら別の遺伝子を研究しよう」となるのですが、私は、その遺伝子がガンにかかわっていることに、ものすごく興味を惹かれました。のことを上司に伝えると、「伸弥がガンを研究するんだったら応援するよ」と言ってくださった。その結果、心血管疾患を研究する研究所の中で、私はガンの研究をすることになりました。


山中伸弥の経歴・略歴

山中伸弥、やまなか・しんや。日本の医学博士。ノーベル医学生理学賞受賞。大阪出身。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院博士課程修了。米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所博士研究員、日本学術振興会特別研究員、大阪市立大学医学部助手、奈良先端科学技術大学大学院大学遺伝子教育研究センター助教授・教授、京都大学再生医科学研究所教授などを経て、京都大学iPS細胞研究所所長に就任。iPS細胞(人工多能性幹細胞)の開発に成功。

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