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小沼大地の名言

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小沼大地のプロフィール

小沼大地、こぬま・だいち。日本のNPO設立者。NPO法人クロスフィールズ代表。一橋大学社会学部卒業、一橋大学大学院社会学研究科修了。青年海外協力隊に参加し、中東シリアで環境教育活動を行う。その後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。同社で人材育成領域を専門とし、各種企業の改革プロジェクトに参加。その後、NPO法人クロスフィールズを設立。企業の社員にアジア新興国で修羅場体験を積ませるという「留学」ならぬ「留職」の支援活動を行っている。

小沼大地の名言 一覧

日本の企業は必死に変わろうとしています。真ん中の層がどう考えているのかわからないところがありますが、経営者はこのままではいけないと危機感を持っているし、若手は社会を変える仕事をしたいと思っている。出る杭は、むしろ歓迎されますよ。


僕たちがいまの活動の先に描くビジョンは「課題先進国から、課題解決先進国へ」です。世界に先駆けてあらゆる社会課題が山積する日本ですが、必要とされるのは、課題を機会ととらえ、既存の枠組みを超えてつながりながら「ならばこうしよう」と前向きに解決していく姿勢です。


留職は、新興国の市場開拓や、グローバル人材育成につながる取り組みです。社名も日本の常識も通用しない場所に一人の人間として飛び込み、言語も文化も違う人々とともにプロジェクトを進め、結果を出す。いわば修羅場体験です。派遣先では、「本当に現地のためになるのか」という徹底したマーケットインの発想と、事業の全体を見通すような経営者としての視点が鍛えられます。いまの日本企業では、事業が社会に与えるインパクトをつかみづらいですが、途上国のNPOであれば自分の力で人々が笑顔になる実感を得やすい。留職は、仕事を通じて社会に役立つ喜びを再確認する「原体験」になるのです。


大学卒業後2年間、青年海外協力隊で中東シリアに赴任しました。帰国して、先に就職した大学の仲間と再会し、当時と同じように思いを熱く語ったんですが、そこで愕然としました。彼らの目の輝きが失われていたからです。「現実は甘くねえぞ」「早く就職して大人になれ」と。企業の枠組みや細分化された業務によって、入社時に持っていた熱や志がしぼんでしまった。なんてもったいないことだと悔しく思いました。そこで、会社員として働きながら、若手社会人が集まって胸に秘めた情熱を語り合うという暑苦しいコンセプトの勉強会を運営しました。


日立製作所でパソコンの耐久性を高める仕事をしていた方が、ラオスで太陽光を使ったランタンの普及に取り組むNGOに派遣されました。ある時、実際にランタンを使っている村に行くと、照度が最低に設定されていて薄暗い。聞けば、「これはとても大切な光なので、明るくして故障すると困るから」と。その瞬間、彼は自分のやっている「耐久性を向上させる仕事」というのは、本来、こんなふうに暮らしている人たちの助けになるためのものなんだと、気づいたそうです。彼は帰国後、「ただ品質向上を唱えていた僕は、エンジニアとして恥ずかしい。これからは、世の中の人たちにとって本当に役立つモノづくりとは何なのかを問い続けながら、挑戦していきたい」と語りました。


現実に目を向けると、自分が身を置く小さな世界で専門性を磨くうちに、ともすれば視野狭窄に陥り、本来持っていたはずのクリエイティビリティも失ってしまう人が非常に多いわけですね。僕らがやりたいのは、まずそんな人たちに理念や情熱を思い出してもらうこと。実際、途上国ですさまじいまでの熱意を持ったリーダーと仕事をすると、どんな人でもスパークします。


大学時代、青年海外協力隊でシリアに行ったときに「貧しい国を、自分の力で良くしたい」と真正面から語り、頑張っている現地の人が大勢いて、驚くやら圧倒されるやら。で、気づかされたんですよ、日本に一番足りないのは、目の前にいる人間たちが持っているような強くて熱い「想い」ではないのかと。


若手中心ですが、最近は管理職層に途上国の現地を見てもらう留職プログラムにも力を入れています。留職者が熱い想いを持って帰ってきても、組織内にその理解者がいないと、会社や世の中を変えていくのは難しい。管理職の方にも問題意識を持ってもらって、孫悟空を見守るお釈迦様のように留職者を応援してもらえれば、会社や世の中が変わるスピードがもっと速くなるはずです。


青年海外協力隊に入った当初、中南米に行きたかったですね。美人が多いと聞いていたし、向こうでスペイン語を習得すれば将来役に立つかなと。でも、実際に決まったのは中東のシリアでした。正直、悩みました。当時のシリアは内戦状態ではありませんでしたが、中東全体にきな臭いイメージがあったので。最終的には、みんなが不安に思うところに飛びこんだほうが面白い人間になれると考えてシリア行きを決めました。


留職すると意識は変わります。たとえば大変なことがあると「嫌だな」といっていた人が「よし、やってみるか」と口癖が変わったり、いままで失敗しないように仕事をしてきた人が積極的にリスクを取りにいくようになったり。変わるのは、角度でいうとほんの1度や2度で、たいした違いはないように見えるかもしれません。でも、50歳になったとき、わずか1度の違いがその人をまったく別の場所に連れていくと思っています。


仕事のやり方を学ぶ目的なら、MBAは素晴らしい仕組みです。でも、いま企業で問題になっているのは、働く人が社会とのつながりを実感しづらいこと。自分がやっている仕事や自分の持っているスキルが、誰かの「ありがとう」と本当につながっているのか。その感覚が持てないからモチベーションが高まらず、生産性も低いのです。留職は、その問題を解決するプログラムです。日本の大企業では仕事と社会のつながりを実感するのは難しいですが、ベトナムの農村で「この人の生活をよくしたい」と働くのはわかりやすい。留職なら、働く意義をもう一度実感して、日本に持ち帰ってもらえる。熱い社員が増えたら、それがその企業の強みになります。


最初は100戦全敗でした。海外のNPOで働くことの意義をうまく伝えることができなくて。100社以上回りましたが、取り合ってもらえないところがほとんどでした。100敗は痛かったですが、まず100試合できることに価値があると思っていました。じつは100試合組んでくれたのは友人たち。僕が会社を飛び出したのを見て、応援してやろうと自分の勤める会社の人事部を紹介してくれた。そうなると頑張らざるをえません。


青年海外協力隊の活動後、日本に帰ってきてまず驚いたのが、就職した友人たちの目が輝いていないように見えたことでした。もともとみんな熱いやつらだったんです。でも、帰国して僕がシリアで経験したことや社会貢献の大切さを語ると、「そんな話をしていると、日本の会社では浮いてしまうぞ。早く大人になれ」という。僕の目には、彼らよりシリアの人たちのほうがエネルギーに満ちて幸せそうに見えました。ただ、そういう僕も会社で働くうちに熱さを失ってドライな大人になっていくかもしれない。それが嫌だったので、まだ目が輝いている友人たちと月1回飲む会をつくりました。この熱さに耐えられる人をそれぞれ連れてこようという話になって、4人で始めた飲み会が10人になり、20人になり。人数が増えたところで、「コンパスポイント」と名前をつけて、きちんとした勉強会にしました。いまも会は続いています。


もともとビジネスと国際協力は別ものだと考えていました。大学でマルクス経済学を教わって、むしろビジネスに悪いイメージを抱いていたくらい。ところが、(青年海外協力隊として行った)シリアで僕の上司になったのはドイツ人のコンサルタントで、その人はビジネスの力でマイクロファイナンスのプロジェクトをよりよいものにしていった。その姿を見て、自分もビジネスの世界に身を置いて、社会貢献と世界をつなげたくなりました。その上司から、「ビジネスを学ぶならコンサルタントがいい。日本ならマッキンゼーかボスコン(ボストン・コンサルティング・グループ)がいいだろう」とアドバイスをもらいました。両方受けましたが、ボスコンは書類選考で落ちて、たまたま受かったマッキンゼーにお世話になることにしました。


もともと教師になりたかったのですが、少しは就活しようと思って、部活のOBに会いました。大企業のサラリーマンから学校の先生まで様々な先輩に会いましたが、話が一番面白いと思ったのが青年海外協力隊の方でした。会社の人は「うちの会社は~」、先生も「うちの学校は~」と所属している組織を主語にして説明してくれましたが、青年海外協力隊の人は「俺はスリランカでこんな体験をした」と自分を主語にして話してくれた。僕が将来教師になったとき、こんなふうに一人称で話せたらいいなと思って、青年海外協力隊に入りました。


小学1年生の国語の授業である文章の感想を聞かれて、少し変わったことを話しました。すると先生は、模範的な回答をしたほかのクラスの子と僕を討論させた。いまでいうディベートです。最初はクラス40人が半分に分かれて議論していましたが、僕の側は1人減り、2人減りで、最後は1対39に。このまま続けると泣いてしまうギリギリのタイミングで、先生が「はい。小沼君に拍手」といってタオルを投げ入れてくれました。授業の後、友達から「おまえ、意外にやるじゃないか」的なことをいわれました。そこで感じたのは、変わった主張でも、それをいい続けると賞賛されることもあるということ。承認欲求が満たされたことが気持ちよくて、それから人と違っても臆せず自分の意見をいい続けることが僕の軸になりました。


小沼大地の経歴・略歴

小沼大地、こぬま・だいち。日本のNPO設立者。NPO法人クロスフィールズ代表。一橋大学社会学部卒業、一橋大学大学院社会学研究科修了。青年海外協力隊に参加し、中東シリアで環境教育活動を行う。その後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。同社で人材育成領域を専門とし、各種企業の改革プロジェクトに参加。その後、NPO法人クロスフィールズを設立。企業の社員にアジア新興国で修羅場体験を積ませるという「留学」ならぬ「留職」の支援活動を行っている。

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