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小久保裕紀の名言

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小久保裕紀のプロフィール

小久保裕紀、こくぼ・ひろき。日本のプロ野球選手、監督、解説者。和歌山県出身。青山学院大学大学中、バルセロナ五輪に出場。その後、ドラフト2位で福岡ダイエーホークスに入団。本塁打王、打点王などを獲得。読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークスで主将を務めた。また、野球日本代表監督、日本プロ野球選手会理事長などを務めた。

小久保裕紀の名言 一覧

伸びるために必要なのは、まずは「熱意」だと思います。「一軍選手に絶対なってやる」「レギュラーになってやる」という熱意。起きている時はもちろん、寝ている時でも、その思いが心にたぎっているようでないと、一流にはなれません。


よく、「過去の出来事は変えられないので、未来を変えるしかない」と言われますが、私はそうではなく、「過去は変えられる」と思っています。というのは、起きた出来事自体は変えられなくとも、それに対する今の自分の気持ちや解釈は変えられるからです。どんな結果でも、未来につながるとらえ方をすることが大事だと。


自分が何になりたいのか、どこまでの成績を残したいのか、夢に出てくるぐらいの強い願望は必須。


過去の自分に戻らないことで超前向き人間になれた。今、何をすべきかに集中できるようになった。


どう生きるかは自分の考え方ひとつ。逆境に陥った時こそ、様々な知識を得ようと謙虚になれる。それが、成長につながる大きな吸引力になる。


プロで活躍するようになると、ある程度自分の思い通りになるので、怖い存在を遠ざけることも可能になります。でも、やっぱり本気で怒ったり、叱ったりしてくれる人がいないと、なかなかそれ以上成長するのは難しいでしょうね。引退した後に苦労している人も多いと思いますよ。


(運は)正直、無茶苦茶強いと思いますね(笑)。プロの世界で実力を認めてもらえて、侍ジャパンの監督までさせていただいたわけですから。どういう環境にあっても、自分は運が強いと思える選手のほうが、伸びるでしょうね。


学生時代でもプロでもキャプテンを経験させてもらいました。ですから、「どうすればチームにとってプラスになるか」という視点は、いつも持っていました。


私は野球を「野球道」と捉えてきました。だからまず、相手との交わりの場であるグラウンドを汚さず、身だしなみも相手に非礼にならないように指導していたもです。野球においても「道」を究める姿勢が大事だと思います。


願望を達成するためのポイントは「達成する前に目標を変えること」。大学時代、僕はプロ野球選手になることが目標でしたが、大学2年で五輪代表に選ばれた時点で、100%プロ野球選手になれると確信した。そこで、目標を変えたんです。プロで活躍できる選手になることに。プロになることが目標だった選手は、入った途端、達成感からか成績が出ないケースが多い。でも、僕は達成するぐらいの力がついたと思った時点で、もう一段高い目標を立てる。すると、モチベーションを落とすことなく、準備を意識し、スムーズに次の目標に向かうことができます。


王(貞治)さんはいつもミーティングで金言を伝えています。でも、右から左に流れてしまう選手も多い。金言を自身の宝にできる人は、普段から問題意識を持ってアンテナを張り巡らせ、言葉の真意を探るクセがあると思う。世の中に飛び交う金言をキャッチして生かすために、本を読んで思考を磨くことをお勧めします。


印象深かった王(貞治)さんの言葉は「その年の型のフォームを作るんだ」という言葉。打てなくなった時、僕は過去のベストな時のフォームに戻そうと、ビデオを何度も見直していたんです。でも、その言葉を聞いて、はっとした。対戦相手も戦略も、自分の筋肉も経験値もすべて同じ時はない。2000年なら2000年型のフォームを作らなければいけない。成功体験はそこで完了と捉え、次へ進まなければいけないんです。


自己啓発本を読む時は、「この人とはレベルが違うから、自分には無理」などと考えない。何かヒントがあると思いながら読まないと意味がありません。そのヒントは、読書ノートにまとめるなどいろいろ試しましたが、今はスマートフォンに打ち込んでおき、後から、手帳に記録したりしています。それは本の言葉だけでなく、人の言葉も同じです。


野球選手は生活スタイルが決まっているので、読書時間を時間割に組み込みました。移動バスでは100%読み、試合前の午後4時から20分間は読書時間に充て、場所もストレッチルームのマットの上と決めました。もともと活字好きなので、時間と場所さえ決めてしまえば、習慣化するのに苦労はしませんでした。


巨人にトレードされてからも、チャレンジ精神を持ってレギュラー争いに臨めました。1つの球団では天狗になり、野球人生はもっと短かったかもしれない。


いまでこそ超前向き人間ですが、昔はくよくよする性格でした。でも、プロに入って早い段階で、心を支える言葉と出会うことができたんです。その後も様々な言葉の力に救われますが、それがなければ、数々の逆境を乗り越えきれず、41歳まで現役を続けられなかったかもしれない。


私がコツコツ努力するようになったのも、実は母のおかげなんです。私は小学2年生の頃に、「将来、プロになる」と目標を掲げ、自主的に特訓すると言い出したのですが、それをさぼっても母は厳しいことを何も言いませんでした。ただ、ひと言、「決めたこともやれんような子が、プロにはなれないと思うなぁ」って、聞こえよがしにボソッとつぶやくんです。私の向上心をくすぐるのが、絶妙にうまかったですね(笑)。


選手がプロ野球の世界でプレーできる期間は、長い人生のうちのごく一部です。早ければ20代半ばで引退し、次の人生を歩み始める場合もあります。全く野球から離れて生きていく人も、少なくありません。それでもきちんと生きていくためには、「○○球団の背番号○○」という現役時代の姿をずっと引きずっていてはダメだと思うんです。ユニフォームを脱いでもしっかり生きていけるだけの「人間力」を現役の頃から養っておくことが大切だと思います。


私はホームラン王になったことで、そのシーズンはなんとなく自分の目標を見失ったような気がしていました。そんなもやもやした気持ちを、その年のオールスター戦で会ったイチロー選手に話したところ、こんな答えが返ってきたのです。「小久保さんは数字のために野球をやっているんですか? 僕は野球を通して、胸の中にある石を磨き上げたいんです」。そのひと言で目が覚めました。野球を通して自分を磨き、人間力を高めていくことが大切だと気づかされたのです。あの時に受けた衝撃は、今でも忘れません。


特に印象に残っているのは、2年目でホームラン王になった時に、監督の王さんから「若い選手たちが見ているから、しっかり背中で手本を示せるプレイヤーになれ」と言われたことです。「若い選手たちにって言われても、自分もまだ24歳で若いんやけど……」というのが、当時の率直な気持ちでしたけど(笑)。でも監督からすれば、やはり精神的支柱となる主力選手の存在は、非常に大きい。これはのちに自分が監督となって実感したことです。


松下幸之助さんは同じ和歌山出身なので「郷土からこんな大先輩が出られたんだな」と思って、ご著書を何冊も読ませていただいていました。特に繰り返し読んだのが、『指導者の条件』です。ビジネスマンに限らず、スポーツ選手にもすごく参考になることが書かれているので、経営者のための本というより、「人間力の入門書」というのが、私の印象ですね。


日本代表監督のときに印象深かったことは、2015年のWBSC世界野球プレミア12という大会で、継投ミスによって準決勝で敗れ、「非国民」扱いされたほど批判を受けたことでしょうか(笑)。正直、逃げ出したくなったこともありました。しかし、「どんなに叩かれても、命までは取られない」と気持ちを切り替えたら、開き直ることができたのです。私がその時に強く思ったのは、「次の2017年のWBCの大会が終わった後に、『プレミア12でこんな負け方をしたおかげでWBCは形になった』と言えるようにしよう」ということでした。


プレミア12が終わった後に、自分の「ダメ出し会」を開いたんです。後輩やスタッフに酒を振る舞って、「もう今日は絶対に怒らんから、今回俺が監督としてどこが悪かったか、何でも言ってくれ」と頼みました。いろいろと貴重な意見が出てきましたね。たとえば、代表チームは練習や試合で集結する日数が限られていますので、私はできるだけコミュニケーションを取ろうと思って、監督室を使わず、常にコーチ室にいるようにしていました。ところがコーチにとっては、敗戦後に苦虫をかみつぶしたような顔の監督が目の前にいると、コーチ同士で話しにくいこともあったようで、「相談した結果はきちんと報告に行きますから、監督室を使ってください」と言われました(笑)。他にもいろいろな意見を聞いて改善し、チームの状態はそれからどんどんよくなっていきました。


指導者として最も大切なものは、やはり「使命感」でしょうか。侍ジャパン監督の打診をいただいた時、3度固辞したものの最終的に引き受けたのは、日本の野球界を牽引していく使命を強く感じたからです。多くの期待が寄せられる侍ジャパンの国際試合は、野球をよく知らない人にも観てもらえる絶好の機会です。そこでの戦いぶりが、日本球界の将来を左右するといっても過言ではありません。だから、代表の選手たちにもその使命を自覚してもらうように、ミーティングの度に繰り返し話しました。「今の日本球界を俺たちが引っ張らないで、一体誰が引っ張るのか。俺たちには、その使命があるんだ」と。


私が野球を始めた経緯を明かすと、実は両親の離婚がきっかけです。女手一つで私を育てることになった母が、甘やかしてはいけないと思って、近くの少年野球チームに入れてくれました。母は「礼儀と言葉遣いと体力が身につけばいい」というぐらいの気持ちだったそうですが、野球と出合えたのは母のおかげです。そんな感じで始めたわけですから、野球をずっと続けることができ、身を立てるまでになれたのは、たくさんの幸運に恵まれたからだと思います。


私の野球人生でみても、少年野球の頃から監督やコーチは怖い存在でした。でも、厳しく見てくれている人がいるからこそ、一所懸命練習に励むというものです。そもそも野球少年なんて、やんちゃな子ばっかりじゃないですか(笑)。「この人がいるから、しっかりやらないと」というように、「怖さ」を知っているかどうかで、身の入り方が全然違ってくるわけです。私が努力を重ね、プロの世界まで真っ直ぐ進むことができたのは、そういった怖い存在を持ち続けてきたからだと思います。


プロの世界で「怖さ」を与えてくれたのは、私の師である王貞治さんです。私の入団2年目からホークスの監督を務められましたが、私が主力選手となってからも叱ってもらえたことは、今振り返ってみても野球人生を分けるポイントだったなと思います。あの時に本気で怒られていなかったら、たぶん勘違いしたままだったでしょう。


ある試合で、私の守備のエラーが原因で負けたことがありました。それで試合後に記者から取材を受けた時に、「俺の守備はしょせんこんなもん。どうにでも書いてください」と投げやりな発言をしてしまったのです。実は、数日前にもエラーをしてスポーツ新聞に大きく取り上げられたことから、記者の皆さんに敵愾心(てきがいしん)を抱いていたことも、投げやり発言をした一因でした。その翌日です。私は王(貞治)さんから監督室に呼ばれました。入るなり目に飛び込んできたのは、机の上に広げられたスポーツ新聞。王さんは、各紙に載った私のコメントをひとつひとつ指差しながら、「お前は本当にこういう発言をしたのか!?」と問い質(ただ)されたのです。私が真実を伝えると、王さんの大きな叱声が飛んできました。「バカ野郎! こんな発言をしたら、ファンはお前から夢を買えないだろう!」と。このひと言で、私はプロとしての己の未熟さを心から反省しました。外れた道を歩ませないように真剣に叱ってくれる王さんの想いを、本当にありがたく感じたからです。以来、インタビューで後ろ向きの発言は一切やめようと心に決め、その通りにしてきました。


素直に人の意見に耳を傾けられることも必要。プロですから自分の信念に対する頑固さももちろん必要ですが、素直さも大切で、そのバランスが絶妙な人しか一軍に残っていませんね。素直で可愛げがある選手は、おのずと引き立てられます。私が後輩を叱る時でも、顔に不満が出たり、言い訳したりする選手には、「もう助言するのをやめよう」となりますが、叱られた時の態度が素直で可愛げのある選手には、「ちょっと飯を食いに連れて行って、もっと話してやろうかな」となりますからね。


小久保裕紀の経歴・略歴

小久保裕紀、こくぼ・ひろき。日本のプロ野球選手、監督、解説者。和歌山県出身。青山学院大学大学中、バルセロナ五輪に出場。その後、ドラフト2位で福岡ダイエーホークスに入団。本塁打王、打点王などを獲得。読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークスで主将を務めた。また、野球日本代表監督、日本プロ野球選手会理事長などを務めた。