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宮迫博之の名言

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宮迫博之のプロフィール

宮迫博之、みやさこ・ひろゆき。日本のお笑い芸人、司会者、俳優。大阪府出身。吉本総合芸能学院(NSC)を経て吉本入り。蛍原徹とお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成。バラエティ番組、テレビドラマ、映画、ナレーションなど幅広い分野で活躍。毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、報知映画賞最優秀助演男優賞、高崎映画祭最優秀新人男優賞を受賞。

宮迫博之の名言 一覧

芸能界って、その場で足踏みしてたら、どんどん落ちていく世界ですからね。前に進まないといけないんですよ。


映画やドラマの現場は、やはりお笑いとは違う部分が多い。役者をやらせていただいて、世界も視野も広がって、芸人としての成長もできたと思います。


夕方のニュースのレポーターみたいなものも、最初は断っていたんですよ。「オレらの笑いと違う」といって。でも、「なんでもやろう」と引き受けてやってみたら、「あれ、結構、面白いやん」と気づいた。そこから仕事の幅も芸の幅も、広がっていったんです。


ガンの手術も人生の岐路の一つなんでしょうけど、売れてなかったころのほうが、よっぽど地獄でしたね。死にはしなかったけど、頭のどっかに「死」という文字がよぎったこともありましたから。高いビルを下から眺めたりした時なんかは、ふと……。


演技を評価されることがありますが、僕はあくまでもお笑い芸人。本職の役者の方たちと比べたら全然、未熟です。


ボクも気がついたら40代の半ばを過ぎてました。早いよね、時の過ぎ去るのは。この数年は、振り返ると1年が2週間ぐらいにしか感じなくなってきてますから。なんか後々に残るような仕事とかね、いろいろとやらなアカンと思っているんですけど、ただ仕事に追われるだけで、なかなか思うようにはいかない。


胃がんから生還したあと、よく「人生観が変わりましたか」と聞かれましたけど、何も変わらなかったですね。自分でも、怖いものがなくなると思っていたんですよ。でも、高所恐怖症も治っていないし、相も変わらずの人見知りやし、これまで怖かったものは全部怖いです。一度、死線をくぐり抜けてきてるんですから、少しはどっしりすると思っていたのに、前よりも気が小さくなってるんじゃないかと(笑)。


「アメトーーク!」をはじめるときも、ボクは司会なんかできないと思ってたんですよ。ボクは、もともとボケですから。「アメトーーク!」が始まったころは、まだボケとしての我が強くてね。「宮迫が喋りすぎる」って批判されたこともあったんですよ。それで、ある時期から、ボクが若手の話を面白がってやろうとスタンスを変えていったところ、本気で番組を楽しめるようになっていったんです。相方もボクも、素直に「話を聞いて笑いたい」と。


東京に出てきて、売れるまでに4、5年はかかりましたね。なぜ売れなかったか? うん、どっかでプライドが高かったというのもあったんじゃないですか。「これは違う、あれも違う。オレの笑いはこうなんだ」っていうのが強かったですから、一時期。でも、追い込まれたことで、「もう、ええわ。なんでもやろう」と割り切れたんです。「つまんなかったら、オレらで面白くしたらええんや」というスタンスに変えてからです、仕事が増えていったのは。


関根勤さんとかの休み方って、ホンマ、羨ましいですわ。ゴールデンウイークとか夏休みといった一般の方の休みじゃないときに休んで、ハワイへ行ったりするじゃないですか。そりゃあ、そのほうがいいに決まってますよ。まず値段は安いし、人もいない。でも、そんなことする人、関西芸人には誰もいないんじゃないですか。やっぱり怖いんやろうな。「こんなときに休んで、番組クビになったら、どないしよう?」とかって、いろいろ考えて。休みは「ずらしたほうがええ」とはわかっとるし、「そうしていいよ」といわれても不安なんやな、やっぱり。


嫁には、よく「働き過ぎや」と言われますよ。多分、働いていることが日常になっているので、休んでいるときが一番困るというんでしょうか。といっても、休まないと身体がもたないですし……。そのバランスをどうとるか? 会社にも「休みくれ」っていうてる割には、変に長い休みがあったりすると、休み明けの手前ぐらいに大風邪ひいたりしますからね(笑)。逆に体調壊して。


今、一番やりたいことですか? うーん、ちょっとええカッコいうようですけど、大好きな後輩を全員、売れさせたいですね。一番叶えられそうもないというか、そんな、全員が売れるなんてありえませんから。それでも、「アメトーーク!」のような番組をもっとほかでもやって、一人でも多く売れさせたいんです。才能があるのに売れないやつって、お笑いの世界には山ほどいますから。そして、そのままやめていくやつも山ほどいる世界なんですよ。だから一番難しく、不可能なことだけど、なんとかできる限りのことはしたいなと。それだけ素晴らしい仕事だと思ってますから、お笑いっていうのは。


胃がんの手術のとき、大変だったのは、麻酔が切れてからですよ。それこそ40度ぐらいの熱が出てね。ムチャクチャ痛かった。痛くて苦しくて、丸2日、一睡もできなかったんですよ。3日目かな。ようやく管がとれて、息苦しくなくなったのは。でも、その分、痛みがすごくてね。「どうしたら早く治りますか」って看護師さんに聞いたら、「人の身体というのは、動けば動くほど治そうとするので、できるだけ早くリハビリをはじめられるように頑張りましょうね」といわれたんでね。「じゃあ、今からやります」って(笑)。「今からって、無理でしょう。早くても4、5日後からですから」といわれたんですけど、「いえ、今すぐ、やります」と。もちろん痛いんですけど、痛み止めを点滴してもらうと、ふわっと一瞬だけ痛みが和らぐんですよ。その瞬間「ウワーっ!」と叫びながらベッドから下りて、病室のドアまで歩き出したんです。点滴スタンドを杖替りにして。といっても、わずか5、6メートルかな。そこを往復するのに2時間もかかるんですよ。それぐらい動けない。痛み止めの点滴は2時間ごとにしかやってくれないので、戻ってきたらまたやってもらって。1日に4往復ぐらいしてたら、人間の身体ってすごいよね。みるみるうちに回復していくのがわかるんですよ。2時間かかっていたのが1時間、10分ってなっていき、4日後には走れるようになってましたから(笑)。


後輩たちも山のようにいて、先がつつかえててね。首が痛くなるのもかわいそうなんで、進んで行ってあげないといけないんでしょうけど、思い通りにはいかないというか、僕らの先にいる先輩たちの壁も厚いですからね。バンバン引退してくれたらいいんですけど(笑)、全然やめへん。この間も、さんまさんとお仕事をご一緒させてもらいましたけど、やめる気配どころか、「そないまだ頑張るか!」いうぐらいはしゃいでましたよ。もう天才なんていうカテゴリーではすまない。ご本人にも何度もいうてますよ、「さんまさん、ホモサピエンスとしては、どっかおかしい。もう人としての枠組みには入れてません。明石家さんまという別の生命体としてとらえてます」って(笑)。さんまさんに対抗? とんでもない! でき得るはずもないし、僕は僕なりの梯子を登っていきます。


宮迫博之の経歴・略歴

宮迫博之、みやさこ・ひろゆき。日本のお笑い芸人、司会者、俳優。大阪府出身。吉本総合芸能学院(NSC)を経て吉本入り。蛍原徹とお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成。バラエティ番組、テレビドラマ、映画、ナレーションなど幅広い分野で活躍。毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、報知映画賞最優秀助演男優賞、高崎映画祭最優秀新人男優賞を受賞。

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